google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 縁会 ~あの頃のみゆきに出会えたコンサート~: ひとくちメモ

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2012/11/17

縁会 ~あの頃のみゆきに出会えたコンサート~

中島みゆき縁会2012-311月13日、東京国際フォーラムでの中島みゆき『縁会』2012~3を観に行った。まさかチケットがとれると思っていなかったのだけど、なんと2階席最後尾という、ある意味貴重な(笑)席が取れた。フォーラムは二階席最後尾の後ろにも通路があるって知らないだろ!中野サンプラザにはないんだよこれが。そんなひとくちメモもはさみつつお送りするブログです...。

思えばこのホールの1階4列目ど真ん中で微塵も動かずMCもなくひたすらボサノバを弾き語るジョアン・ジルベルトの初来日を見たのはもう9年前のこと。そのときは一生分の運を使い切ったと思ったものだったが、まだまだ運は残ってたな。

中島みゆきさんのコンサートを最後尾で見るのは実は2度目だ。前回はというと1984年()、山口県徳山市文化会館だった。立ち見席だったけど2階席じゃなかったな。初めて動く中島みゆきを見たボクの原点ともいえるコンサートだった。そして約28年後、また最後尾から俯瞰で中島みゆき体験が出来た幸せ。まずこのポジティブシンキングな自分を褒めてあげたい(笑)。

東京国際フォーラム(ホールA)の「2階席」というが、最後尾クラスになるとその高さはビルで換算すれば7階あたりだ。帰りの階段に7階と書いてあった(笑)。つまりビルの7階から1階で歌う中島みゆきさんを眺めるということで、ハッキリ言って肉眼では表情なんて見えない。いま右手をあげたなとか、そんなレベルだ(笑)。愛用してるアリーナ用の双眼鏡で見ていたから肩が疲れた。拍手もしずらい。

しかし音はよかった。楽器の音も歌声もしっかり届くしバランスもいい。なるほどコンサートホールってのはうまく出来てるんだなと思った。

●中島みゆきのコンサートに住む猫を発見!

そんな一番遠い席から双眼鏡で眺めていたわけだが、「縁会」の楽曲は新旧とりまぜて、ボクのような古いファンにとっても馴染みやすい曲目だった。最新作「常夜灯」からは5曲だったが、このアルバムは古いファンにも「あの頃のみゆき」を感じられる楽曲群だったので違和感がない。「風の笛」を聴いたときにはなにか懐かしさすら感じた。まだCDで数回しか聴いたことがないのに。

逆に若いファンには馴染みが薄いかもしれない「あの頃のみゆき」の楽曲も逆に新鮮に聞こえる。瀬尾一三のオーケストレイションとは異なるバンドミュージックもアダルトオリエンテッドなアレンジも新鮮だった。時代、倒木の敗者復活戦、世情など新旧の楽曲が自然につながって、言葉以上のメッセージを感じる曲順になっていた。

私事になってしまうが、今年の下半期はとにかく「猫と中島みゆきの歌詞」についてずっと考えていたために、“歌詞に住む猫”に敏感になってしまっている

それは単に猫という生物を指すのではなく、中島みゆきの作る歌詞と大衆との距離感への興味と言ってもいい。猫はパーソナルな存在のメタファだからだ。そしてボクはこの日、“中島みゆきのコンサートに住む猫”を見つけたのだった。もちろん「世情」が歌われることは知っていたけれど、もう一匹猫ちゃんがいた(笑)。興味のある方はセットリストでご確認あれ()。

無意識であれ意識的であれ、猫が出てくる歌詞を現在のコンサートで歌う姿は、今年下半期に中島みゆきを語るうえでボクには重大関心事だった。そこで2曲もあったことが、様々な妄想をする身にはうってつけなのである。

最近のボクはアーティスト中島みゆきのパーソナルスペースの距離感、つまり大衆との「近さ」に注目してる。そこを演目や曲順などから妄想するわけだ。

●縁会の「近さ」がうれしい

ボクはどっちかというと夜会よりコンサートが好きだ。それは夜会の「遠さ」とコンサートの「近さ」の差のように感じる。それは物理的距離の話ではなくて、感覚としかいいようがないけれど。

中島みゆきの歌詞の大衆性は多くを語り過ぎないことだと思う。歌詞の場合、それはイマジネーションを喚起するトリガーになりえる。語らなくても聴衆に「近い」、リスナーに寄り添えるのが大衆性のキモなんじゃないかと思う。歌謡曲に近いものがある。

夜会は中島みゆきという作家にとって自身の虚構の極限を追究する実験のような趣きがある。それは虚構としての純度が高くなればなるほどに、大衆性からは遠ざかるベクトルを持ってるように感じる。コアなファンはさらにコアになっていくがハードルは高まる。歌詞とはまったく異なる純粋虚構追究の旅だ。

大衆歌謡の追究と純粋虚構の追究と、この両輪があっていまの中島みゆきがあるのは言うまでもないと思うけれど、3.11以降(こういう括り方がいいかどうかは迷うところだが)に発表された「夜会」と「縁会」とでは、大衆との距離感が圧倒的に近い「縁会」に喜びを感じる。

中島みゆきさんの私語の多さも「縁会」は圧倒的だ(笑)。そこには(全部ではないにしても)虚構でない中島みゆきの現在がある。普通の歌手は1本のステージでひとつの世界観を作り上げようとするが、中島さんの場合、そういうことは夜会で追究しつくしているためか、かなりリラックスしたステージだ。本人がジェットコースターと語る、歌うときとしゃべるときとのギャップも、「近い」中島みゆき独特のものだ。

もっとも中島みゆきさんはギャップの引き出しが豊富なので、ギャップに注目し始めた瞬間に、ジェットコースターの変わり身にも萌えることが出来る()。ギャップへの注目こそ中島みゆきの本質に近づく試みだとボクは思って日々中島みゆきのギャップの研究に明け暮れているわけだ(笑)。

●コンサート後にもうひとつの縁会へ

この日はコンサートが終わってもうひとつ楽しい縁会があった。2009年の「BS熱中夜話中島みゆきナイト」に出演したとき席が近くて仲良くなったIさんと二人で銀座に飲みに行った。たまたまメールしたら同じ日に会場にいるとのことで。

これこそ「縁会」じゃないか 2年半ぶりだもん。まさに 縁ある人万里の道を越えて引きあうもの ですよね~(ってひとり上手な妄想でなきゃいいんだけど)

こっちの縁会も本当に楽しくて、ボクも時間を忘れて思いのほか饒舌になってしまった。文章はいつも饒舌だが、普段はもっと寡黙なニッポン男児だ(笑)。W縁会で気分が高揚してたから。まさか翌日から仕事系W宴会になってしまうとは思ってもみなかったが。

しかも糖質をしっかり制限してハイボールを飲み続けた。Iさんも糖質制限に理解があってうれしかった。やっぱ時代はアンチエイジングですよね~。また健康的に飲みに行きたいものです。この日の縁会の余韻だけで乗り切れた一週間だった気がします。

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