google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg イ・ジョンミョンさんの“ファクション”に魅了された日: ひとくちメモ

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2012/11/03

イ・ジョンミョンさんの“ファクション”に魅了された日

昨日は駐日韓国文化院で「ドラマ原作者と翻訳者が語る『韓国ドラマと文学の魅力』」を聴講してきました。小説家のイ・ジョンミョンさんが来日講演されました。韓流ドラマ「風の絵師」や「根の深い木」の原作を書かれた小説家です。新作「星をよぎる風」も待ち遠しいです。サイン会も開かれたので、「風の絵師」の翻訳小説にサインしていただきました。

ドラマ「根の深い木」はハングルに興味を持つ私にとって本当に面白いドラマでした。韓国語の脚本も購入してしまいました。いまのままじゃ“思い出購入”になってしまうのでもっと韓国語を読めるように学習継続してます(笑)。

講演会ではご自身の3作品について裏話が聞けました。どの作品にも共通するのは、ご自身が子どものころから現在までに興味を持った実在の人物を題材にしつつ、そこに小説家らしい自由かつ大胆な発想でミステリーな要素やプロットを構築されている作品だということです。

「根の深い木」は構想20年だそうです。イ・ジョンミョンさんが大学2年の頃、訓民正音(=ハングルの原型)講読の授業があり、その授業でハングルを作り出した世宗(セジョン)大王の事業がいかに革命的で苦難に満ちたものであったかに興味を持たれたのが始まりだそうです。

「風の絵師」はもっと古く構想30年()、小学2年生の頃の記憶がベースだとか。近所の大人からタバコのお使いに行かされた際、タバコの包み紙にあったブランコに乗っている女性の絵に魅了されてしまったそうです。その絵こそが天才絵師シン・ユンボクの絵だったとか。そのとき、こんな美しい女性を描くシン・ユンボクは絵よりもっと美しい女性画家だと思い続けていたそうです。それが中学3年の美術の授業で覆されたそうです(笑)。

●次回作「星をよぎる風」にも期待大!

次回作の「星をよぎる風」は、詩人ユン・ドンジュの物語だそうです。1942年、京都の同志社大学英文科に学んだユン・ドンジュは1943年に朝鮮独立運動の扇動者とされ逮捕、福岡刑務所に服役しますが、2年後に謎の死を遂げます。享年29歳、生涯に1冊だけ詩集を残しています。早世の詩人ですが韓国ではとても親しまれている詩人のひとりだそうです。

この詩人ユン・ドンジュにイ・ジョンミョンさんが興味を持たれたのは、最初に日本に来られたときのエピソードでした。同志社大学英文科の学生さんとバスの中で出会い、これから日本で過ごす上で一番覚えておいたほうがいい日本語はなんだろうかと考えて、"excuse me."だと思って日本語でなんというのか学生さんに聞いたそうです。

すると学生さんは「すみません」だろうと考え、それをローマ字でイ・ジョンミョンさんの手のひらに書いてあげました。ところがS U M まで来たところでバスが大きく揺れ、イ・ジョンミョンさんはS U R と理解してしまいました。その後、イ・ジョンミョンさんは日本中で「スリマセン」を連発していたそうです()。最初に覚えた日本語は「スリマセン」だとのことでした。

そんなイ・ジョンミョンさんがある日、同志社大学で詩人ユン・ドンジュの記念碑を見つけます。そこで不思議な感覚に捉われたそうです。最初に覚えた日本語「スリマセン」の思い出と、そのときの同志社大学英文科の学生さんが韓国人の敬愛する詩人ユン・ドンジュの後輩だったこと、そしてユン・ドンジュの記念碑に同志社大学で出会ったこと、それらの気持ちが詩人ユン・ドンジュを題材とした小説を書く動機となったようです。

いつかユン・ドンジュその人を小説にして、あのとき「スリマセン」を教えてくれた学生さんにユン・ドンジュをもっと知ってもらいたいという思いがあったとか。ドラマ化のオファもあるので、ドラマとして観る機会が近い将来やってくるかも知れませんね。

●ファクト+フィクション=ファクション

通訳の方も一瞬「フィクション」と訳し間違えられそうになった「ファクション」という言葉が韓国で使われているそうです。イ・ジョンミョンさんの作品はまさに「ファクション」の傑作という評価だそうです。

講演会の第二部は、イ・ジョンミョンさんの作品を日本語に翻訳されている米津篤八さん、作家で韓国ドラマが大好きな中沢けいさん、司会の韓流文化ナビゲーター田代親世さんを交えてパネルデシスカッションでした。

そのなかでドラマ化された感想や、史実(ファクト)と虚構(フィクション)について貴重なお話が聞けました。

原作者にとっても原作が大好きな読者にとっても、ドラマ化には微妙な感情を持ちますね。改悪されてたらどうしよう、まったく別の物語になっていたらどうしよう、そういう感情があります。

しかしイ・ジョンミョンさんが原作の2つのドラマ「風の絵師」「根の深い木」は同じチャン・テユ監督によるもので、イ・ジョンミョンさんが非常に信頼されている監督のようでした。ソウル大学時代に美術科で視覚デザインを学んだチャン・テユ監督は「絵に対するディテールを描ける監督」だと評価されていました。

この監督が原作を読んで「自分でなければ、いま作らなければ」と思われたそうです。そんなご縁を通じてドラマ化された作品を原作者イ・ジョンミョンさんは「主題はそのままに原作にない役を登場させたりすることで、原作を超えてストーリや主題の意識をさらに強化してもらえて、すばらしいドラマになっている」とおっしゃいました。

「ファクション」については、韓国にも「小説はどこまで史実に忠実であるべきか」といった論争はあるそうです。これに対してイ・ジョンミョンさんは、どんな小説であれ、自伝的小説であれ、常にフィクションは混在しているものだとおっしゃいました。

歴史を歪曲しているという批判はうれしかったそうです()。なぜなら、そのような批判は物語にリアリティがあると受け止められるほどうまく書けたという評価ともいえるからだとか。

●事実の裏にある物語を想像力で高めていく小説家

イ・ジョンミョンさんは元新聞記者でもあり、事実を客観的に記事にする仕事をされていました。そのとき、様々な準備をして現場に赴き、それを記事にするわけですが、書いた記事のうち新聞に載る記事はその極一部です。つまり記録の裏側には世に出ない膨大な記録があるのだということを身をもってご存知の小説家です。

小2の頃着想を得ていた「風の絵師」にしろ大学時代の授業から始まった「根の深い木」にしろ、最初は小説にしようと思って調べたわけではなく、興味があったから資料を集めたりされていたそうです。「風の絵師」のモチーフは、たったひとつ(1行半)の資料、「だれそれの息子であり、こんな仕事をしていた」といった記録(ファクト)だけでよく、それを小説として強化するためにフィクションを書かれるそうです。

おそらくそれはこの一言に凝縮されています。

 史実よりも事実よりも美しい虚構を書きたい

小説はドキュメンタリーでもノンフィクションでもなく、エンターティンメントだという信念が感じられます。またフィクションを通じて真実を補強したいという思いが伝わってきます。

歴史とは、事実・記録・解釈によって伝えられますが、小説家としてのイ・ジョンミョンさんはここに「イマジネーションとしての歴史」を追加したいと言われました。

これは数学の問題を解く高校生のような試みだともおっしゃいます。自分なりに答えを解明してゆく道のり。もしかしたら答えが違っているかもしれない。しかしそこで導き出された答えは自分の頭で考えた自分なりの答えであるという考え方だそうです。

これは面白い考え方でした。例えばそれに対して「正解はこうだ」という感想や事実の提示があれば、それはそれで正解を知ることが出来ます。フィクションが考える種になれば、さらにそのフィクションが面白ければ、それは小説として大正解だということだと思います。

中島みゆきファンの私は常に上手い虚構やうそつき上手を肯定してきましたが、世の中ファクトだけでは味気ないもんです。もちろん高校時代から本多勝一に影響されてファクトだけで構築していく仕事にも敬意を持っています。人間にはその両者をTPOにあわせて(?)行き交いながら生きていくのが、一番楽しく充実した生活につながると思います。

想像力が想像力を喚起させる、そういう世界をずっと持ち続けて生きたいと思いますね。イ・ジョンミョンさんの作品は、虚構の楽しさを史実のなかに差し込んで提示される、最高のエンターテインメントだと思います。

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コメント

なるほど。ファクションと言うのが妥当かどうか分かりませんが、「風を掠める風」のエピローグで、「ユウイチ」が語っている、記録を虚構として書いた、ということが象徴している作者の姿勢なのでしょうか。

投稿: 愚銀 | 2013/11/18 23:20

愚銀さん、はじめまして。コメントから想像するに下記のブログの方ですよね?

http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-1070.html

とても興味深いです。おそらく最後にそう語らせたのは小説家としてのイ・ジョンミョンさん自身の言葉のように私も思いました。

事実をどこまで積み重ねれば伝えたい思いは伝わるのか。そういう葛藤を表現者は虚構というフィルターを与えることによって、伝えたい思いをときに事実以上に伝えることが出来るんだと思います。

あるいは事実を完全に表現できるというのは驕りであり、事実を表現する立場に対する表現者としての謙虚さの表出でもあると思いますね。

投稿: ポップンポール | 2013/11/20 01:08

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