世情からピアニシモへ 中島みゆきの「常夜灯」を聴く
今年「ねこみみ ~猫と音楽~」というMOOKに「中島みゆきの歌詞に住む猫」というコラムを書かせてもらいました。猫と音楽がテーマなので自然と猫に注目するわけですが、そこでメインテーマに選んだ歌詞は中島みゆきさんの「世情」でした。
「世情」という歌を猫中心に語るということは後にも先にもない試みだったと思います。入り口が“猫縛り”だったからこそ「世情」で歌われた比喩としての猫に注目できたともいえます。
私に与えられたページのなかで、2つの謎かけめいたことを書きました。ひとつは中島みゆきさんがもしいま「世情」を描けば猫は出てこないのではないかということ、もうひとつは欄外のはみだし情報ですが、「常夜灯」に猫は住んでいるだろうか、このふたつです。
「常夜灯」には猫が出てくる歌詞はありませんでした。それはコラムでもある種予測していたことではあります。しかしその予測の根幹にある中島みゆきさんの「世情」への視線は、少し違った様相を呈していたように思います。
そう感じたのは「ピアニシモ」という歌であり、アルバムタイトル曲の「常夜灯」とアルバムラスト曲の「月はそこにいる」との対比であり、3.11以降の日本に提示された「リラの花咲く頃」と「倒木の敗者復活戦」でした。
●シュプレヒコールという言葉の響き
「世情」といえば猫よりもシュプレヒコールのリフレインのほうが印象的かもしれない。テレビドラマ「金八先生」で使われた影響もあるだろう。
それだけに今回「ピアニシモ」という楽曲のシュプレヒコールという単語にドキリとした。文脈を超えて中島みゆきの歌詞でシュプレヒコールという言葉を聴くと、それは「世情」と切り離して考えることができない。それほどインパクトのある言葉だ。
そんなさなか、である。ライブツアー縁会の初日公演で「時代」とともに「世情」が歌われたというのだ。このニュースに驚いた。そしてまた「ピアニシモ」のシュプレヒコールという響きが頭の中でリフレインし始めた。
「ピアニシモ」におけるシュプレヒコールという言葉は、「世情」における猫と似て、説明的・比喩的といえるかもしれない。しかしこの歌でシュプレヒコールという言葉を使うこと、コンサートで27年ぶりに「世情」を歌うこと、そこにはいま中島みゆきとこの世界、この日本とがどんな距離感にあるかが見て取れるように思う。
この点こそ、私がコラムに書いた距離感への懸念をいい意味で裏切ってくれたようで面白く、またうれしかった。
●ピアニシモで歌う中島みゆきが好きだった
ピアニシモで歌う中島みゆきというと、昨今はララバイシンガーといった側面が思い浮かぶ。しかしかつての(80年代前半までの)中島みゆきの名曲にはピアニシモで歌われるやさしくも力強い歌がいくつもあった(当時はピアニシモという言葉では意識していなかったが)。アルバムのラストを締めくくる楽曲も、夜曲や歌姫など叫ぶような歌ではないピアニシモといえる曲がいい。
ただ中島みゆきのメガヒットになる曲はピアニシモな曲ではなかった。「地上の星」も地声のような強さで応援歌のように響く。特に21世紀以降、メディアで聴く中島みゆきの歌は喉が張り裂けんばかりに歌っているイメージが多くなっていたと思う。
ピアニシモの歌詞のなかにもそれをうかがわせる部分がある。ピアニシモで歌ってくださいと言った“あの人”を憎み、屈辱のようで腹が立ったとまで言う。シュプレヒコールもアジテイションもみんなわめかなければ届かないという。つまり届けるために叫んでいたと取れる。こんなに届けようと叫んでいるのに、ピアニシモで歌ってくださいとはどういう了見だと中島みゆきは戸惑ってしまったのだった。
しかし今回の「ピアニシモ」」は、叫ばなければ届かないという意識から、ささやくような歌声や張らない歌声だからこそ届く人々へ、意識が変化している中島みゆきを象徴するような歌に思える。
これまでも声なき声、光の当たらぬ民への目線は常にあったが、ピアニシモで歌う中島みゆきを好きな人々(あるいは特定の誰か)のことを意識してピアニシモという歌詞を書き、そこにシュプレヒコールという言葉を選んで挿入したことの意味をあれこれ考える。
私がねこみみのコラムに書いた「世情」が臆病な猫だった70年代と、いま毎週金曜日に首相官邸前で自主的にシュプレヒコールをやっている市民のうねりと、似て非なる現象だ。70年代は日本そのものが高度経済成長のなかで若い時代の叫びだった。しかし成熟した日本がいままた立たされている岐路には、成長という後押しはなく、破滅か否かという二者択一に迫られての叫びだ。
中島みゆきにピアニシモで歌ってくださいと告げた“あの人”のリクエストに応えて、ピアニシモで歌った中島みゆき。その歌詞には、
大きな声と同じ力で ピアニシモで歌ってください
という核心を衝いた言葉が出てくる。現代は70年代のような成長はない時代だが小さな声でも届く時代だ。それはたった一度出てきたシュプレヒコールという言葉から連想される「世情」の時代の空気にも想いをめぐらせつつ、現代社会の小さな声による連帯感をも視野にいれて、現代の「世情」が歌われたのではないだろうかと思った。
中島みゆきが云われたはずの言葉が、聴いているとだんだん中島みゆきにピアニシモで歌ってくださいと言われているような気分にもなってくる。それは「ピアニシモで歌ってください」という言葉そのものがリスナーに向けた比喩表現でのメッセージのようでもある。
パーソナルを象徴する“猫”こそ出てこないが、小さな声が届く距離感という意味でも「ピアニシモ」の“近さ”がうれしい。この距離感がコンサートで「世情」を歌うことにした中島みゆきの現在を象徴しているとさえ思う。
●「常夜灯」に見える中島みゆきの揺れ
アルバム「常夜灯」には、ピアニシモを封印していたかのように歌う大きな世界観、難解な比喩を意図した部分と、元来中島みゆきの持っていたちいさきものへの洞察力や親近感とがせめぎあっている。これは「36.5℃」を初めて聴いたときと真逆だが似ている感覚かもしれない。
私にとって、中島みゆきのメタモルフォーゼはいつも予想を裏切りながら続いてきた。今回のアルバムもそういうエポックな一枚のようにも感じる。原点回帰のような雰囲気を漂わせ、私小説のようでありながら作家性を充分に感じさせる。
3.11後の世界を思わずにはいれられない「リラの花咲く頃」と「倒木の敗者復活戦」。先だって上柳昌彦さんのラジオ番組にご出演された際、上柳さんは「倒木が東北に聞こえた」とおっしゃっていたが、中島みゆきさんははぐらかしていた。特定の固有名詞や場所ではないとかなり意識して話されていた。詩人としてイメージを限定させたくないということだと思う。
だが受け取る側にはそこに自由があり、やはり時期からイメージするのは震災であり原発だ。特に「リラの花咲く頃」での祖国を離れても咲くリラの花は原発事故で土地を離れて生きる人々の歌に思える。リラ(ライラック)の花言葉は友情、初恋、若き日の思い出。リラの花の寄り集まって咲くイメージが浮かぶ。
「常夜灯」はアルバムタイトルとして最初に感じたのはヘッドライト・テールライトにも通じる人類の光なのかということだった。しかしまったく異なる女歌だった。それが嬉かった。まさに中島みゆきのピアニシモな世界観だったからだ。
ただ「常夜灯」をラストソングの「月はそこにいる」とあわせてみると、これは常夜灯=月という連想も成り立つ。常に空にある月明かりを常夜灯に例えているのかもしれない。そしてあの人とはいまや空にいる人であり、月明かりがあるうちは(つまり永遠に)泣かないし哀しい女の歌だと妄想すると、かなり闇が深い女歌だ。
常夜灯はLEDだったとしてもいつか切れるが、月ならば悠然とそこにいる。小さな比喩と大きな比喩と変幻自在な声色と。魔女中島みゆきは健在である。
ちょっと重くなってしまったから話題を変えて終わろう。「ピアニシモ」のシュプレヒコールにドキリとした後、「あなた恋していないでしょ」にギクリ(笑)としたのは上柳さんと同様だったが、私はこのセリフをバーのママに言われたいという感想ではなく、瀬尾一三さんの洗練された編曲じゃなく、もっと昭和歌謡の匂いのする編曲で日吉ミミのような声の歌手に歌って欲しいと思った。
気をつけなさい女はすぐに 揺れたい男を嗅ぎ当てる
と歌う中島みゆき。「常夜灯」に揺れる中島みゆきを感じた私はここでも一本取られた。だが中島みゆきを揺れさせたい男でもある。もっとピアニシモで歌って欲しい。必ず伝わる。
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コメント
小熊英二の「いちご白書をもういちど」解釈にびっくりしたことを思い出しました。歌われていたのは「ノンポリ」学生のことだったのに「運動家」だと誤解していたのです。
この記事については、中島みゆきの登場が「あさま山荘事件」以後だということを申し上げておきたいと思いました。学生運動など、とっくの昔に終っていた時期なのです。彼女がギターを弾き始めたのは、フォークソングがプロテストソングだった時代。そして「時代」で実質デビューした頃には既に政治的季節は終っていたのです。
投稿: オコジョ | 2016/06/22 00:35
オコジョ様、ご指摘ありがとうございます。
あさま山荘は1972年ですよね。世情は1978年で6年後です。ただ発表時期と創作時期とは必ずしも一致しないということは押さえておく必要があります。
70年安保の挫折感は相当なものだったのでしょうか。私はその世代じゃないので現実を見ていないのですが、学生運動へのあこがれというか、そういうものがある学生ではありました。叱られるかもしれませんがほとんどファッションとして捉えていたバブル世代かもしれません。シラケてる時代に反抗したいみたいな…。
中島みゆきという作家は時代や場所を特定されることをとても嫌う人だと思ってます。時代や世情を書いた頃もそうだったかどうかまではわかりませんが、でもおそらくリアルタイムな世相を歌うプロテストソングの歌い手ではまったくなく、一つの物語の仕掛けとしてシュプレヒコールといった現象を捉えていると思います。
もし同時代に作っていた(あるいは私のようにその時代に思いを馳せながら作った)としてもあえてホットな現場には提出せず、時をずらして発表するような作家だというのは妄想が過ぎますでしょうか。
でも時代的にはまだ早すぎて(というか忘れられないギリギリの時代を選んで)70年安保とか学生運動の時代をリスナーが思い出すことを否定はしない、そういうタイミングの発表なんじゃないですかね。
それを21世紀に歌うことで楽曲がまったくことなる表情を見せる。そういう楽曲なんじゃないかと思ったりします。同時代のプロテストソングではこんな風には残らなかった気がします。
投稿: ポップンポール | 2016/06/22 01:04