ドラマ「ドロクター」のメッセージを深読み
NHK BSプレミアムドラマ「ドロクター」後編の放送は先週日曜だったが、なかなか時間がとれずドラマ評を書けなかった。韓流ドラマばかり見ている昨今の私だが、日本のドラマの良質な面が堪能できるドラマになっていた。
韓国のドラマはどれも過激だし愛憎渦巻くかつての大映ドラマのようで面白いが、日本のドラマには成熟した社会の日常を淡々と描いたり、ひとつのテーマをモチーフにして静かに描きながら見る側に考えさせる作り方のドラマがある。
ドラマ「ドロクター」は地域医療という地味なテーマをモチーフに、一人の医師の実話のなかから様々な日常のエピソードを清清しいドラマとして再現することで、個人の日常とその個人が属するコミュニティのひとつのあり方を示して見せた。
今もリアルタイムで続く日常を大衆向けのドラマとして描くことは難しいことだと思う。そこで切り取られた日常の先にも、モデルとなった医師や家族、そしてコミュニティの物語は続いていく。ドラマになったことで変化することもあるだろう。
そこには様々なリスクもあると思うが、このような地域医療の実践を広く伝えたいと考えている中村伸一院長の強い思いが今回ドラマという形で結晶化したことは、他の地域住民にとっては喜ばしいことであり、名田庄村の住人と中村医師との良好な信頼関係があってこそだと思う。
私自身はこれまで、モデルとなった中村伸一医師について“講演で面白い話が出来る中村伸一院長”という一面ばかりをクローズアップしてきたが、そこにはもちろん中村院長の日常はない。日常は名田庄診療所にあり、そこにこそ本当の中村伸一院長の姿がある。
今回のドラマで描かれた住民との心温まるエピソードは、2冊の著書との相乗効果もあり、院長のオモシロ話の背景にある本当の中村伸一院長の姿を垣間見ることが出来た。
中村伸一院長が好んで使うフレーズに「右手に矢沢永吉を、左手にバカボンパパを」というものがある。
常にポジティブに向かっていく成り上がりロッカーの心意気と、落ち込んだときにはバカボンのパパのように「これでいいのだ」と状況を受け入れてくよくよしない。両方あってこそバランスが取れるということだと思う。
そんな院長の物語としてのドラマ「ドロクター」も面白いが、これは一人のヒーローの物語ではないだろう。それは頭の難病で倒れた中村伸一院長のエピソードが節目節目にインサートされていたところにも読み取れる。
「村にたった一人だけの医師が倒れた」というエピソードは、主人公医師の物語でもあるがコミュニティ側にとっての一大事(ドラマ)でもある。院長の復帰を境にコンビニ受診は減り、コミュニティ側からの無言のメッセージが医師の心にも届くのだ。病いを通してさらに絆が強まった。
「家族にとって大往生するじいさま、ばあさまを自宅で看取ることが出来る幸せ」をテレビドラマで描くことは日常の「生」を描く以上に難しいと思う。末期医療への考え方は幾通りもあるだろうし、家族にとっては人生に一度しかないその人の「死」の瞬間とどう関わるかは、“そのとき”まであまり考えたくないテーマかもしれない。
しかしそこを描かなければ「ドロクター」の真髄は伝わらないのだと思う。家逝きと医師の関わり、家族の関わり、コミュニティの関わり、それを正面から見据えるところに地域医療の信頼関係は築かれる。
誰もが逃げることの出来ない“そのとき”にも寄りそう医療。地域医療には、先端医療とは異なる精神力と細やかさ、そしてコミュニティの協力が不可欠だ。中村院長の著書のタイトル『寄りそ医』には、現代の地域医療だけが持つそんな背景が見える。
そう思うとドラマのタイトルになった「ドロクター」というあだ名も、地元のことばから生まれたなんとも微笑ましい関係性を象徴しているように思えた。
一人のヒーローのような医師の物語としてでなく、村にたった一人しかいない医者と関わるコミュニティの物語としてもう一度見てみたいドラマだ。コミュニティの側から地域医療の抱える問題点や医療との良好な関係を築くヒントにもなるだろう。
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コメント
このドラマ「ドロクター」のモデルになった中村伸一院長のブログに再放送情報が載ってました!
http://natasho.blog105.fc2.com/blog-entry-99.html
平成25年1月3日(木)12時00分〜14時00分、NHK-BSプレミアムで、前編後編ぶっつづけの2時間です。
お正月は家族やコミュニティについてゆっくり考えるいい機会になるかもしれませんね。
投稿: ポップンポール | 2012/12/16 13:21