google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2012年9月

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2012年9月の6件の記事

2012/09/30

新たな趣味は糖質制限ダイエットなり

ずいぶん長く生きてきて、だいたい自分の性格もわかってきたと思っているのだが、どうやら2年おきくらいに新しい趣味を見つけてははまってしまう性癖がある。

2年前は言わずもがなの韓国語学習とK-POPだ(笑)。これは今年の夏、釜山旅行したことでひとつの区切りを迎えたような気分もある。もちろん語学という趣味は初めてだし、たかが2年でものになるなんて思っていないので今後も続けていくつもりだ。

しかし今年また新たな趣味を見つけた。それがまさかのダイエットだ(笑)。これまでダイエットなんてまったく考えたこともなかった。

その第一の理由は猫も杓子もダイエットでブームにすらなっているこの世相への反発()、第二に数少ない友人どもの過剰すぎる大食・B級グルメ へのこだわり、そして第三に初診からクスリでどうにかしようとする産業医への懐疑心()などから、「ダイエットなんてケッ!」という感情に凝り固まっていたのだ。

●健康診断という名のタイトルマッチ

健康志向もほとんどない。もちろん健康診断の数値が悪いことはままある()。大腸ポリープで検査入院したこともある。だが正直な話、日常生活に支障を来たしたことなんてなかった。これまで健康診断でもっとも気にかかるのは視力低下だった。

ただ、そうは言いながらも健康診断の日をタイトルマッチのような気分で迎える自分もいる 。敵はまさしく産業医どもである。アイツらの言うようになんかやらないぞと。クスリなんか飲まないぞと。思い通りなんか動かない(by 中島みゆき「彼女の生き方」より)が、なんとか数値改善して目にもの見せてくれるぞと。

そういう歪んだ反抗心が原動力となり、タイトルマッチの前などは多少節制したりしてきた。ここまで第三者的に読むと、完全に小市民的なただのわがままだと思うがな。

そして今年もまたタイトルマッチの日が近づいて来る。一昨年まで負け続きだったが、昨年、「要精密検査」とコンピュータがはじき出しているのに、産業医が「経過観察」に手書きで書き直した結果が戻ってきた。

つまり奴等はオレを挑発しているのだ。「そんなにクスリが嫌なら一年様子を見てやろうじゃないか。どうせダメだろうけど。ふふふ」と自信満々で書き直しているのだ。この挑戦受けて立とうじゃないかと思った。

●メタボシンドロームに懐疑的な医師と出会う

しかしオレには武器がなかった。やれカロリー計算しろだの、一駅歩けだの、くそまずいダイエット食を食い続けろだの、最終的にはクスリでコレステロールを抑えるだの、それでどんだけの人が失敗してるか統計取ったことはないが、巷にあふれるダイエット話は次から次に新手法が出てきてはブームになり、あとには常にリバウンドという荒野が広がっているではないか。

オレはそれは危険だと思った。ここだけは野生の勘としか言いようがない(飽食の言い訳ともいえるが)。別に無理して食べているわけでもなく、自然に生活しているだけなのになぜ太っていくのか。そこの原理がよくわからなかったし、こういう人間は運動しても使ったカロリー以上を必ず摂取してしまうのだ。これはサガなのだ。

それにムリせず太ったんだからムリせずやせればいいくらいに思っていた。産業医が「いつまでに何キロやせるのか目標を言え!」というから「現状維持が最高!」と常に応えて来た。本当は「10年で8kg程度」というゆるーい目標はあったのだが、タイムスパンの異なる産業医には言えなかった。どうせまた押し問答になるだけだ。トレンドフォロワーの考えはデイトレーダーには伝わらないのだ(笑)。

そんなときに最初に出会ったのはメタボシンドロームに警鐘を鳴らす医師、柴田博先生の雑誌『選択』での連載記事だった。最初は雑誌そのものの信用性が高いのが良かったんだと思う。柴田先生の言説に興味を持ち著書を検索したら、若い頃より10~15kgアップが健康という著書に出会って、なんだか面白いこと言うなぁと思った。

柴田博先生の言葉で印象に残っていたのは「食事を制限するなら米を外して肉を食べなさい」というものだった。そしてそれを昨年の試合(健康診断)前に一週間だけ実践してみた。その結果が、先に書いた「経過観察手書き挑発事件」につながっている。つまりノックダウン寸前でオレは立ち上がったのだった。米を減らすことの効果を身体で覚えた瞬間だった。

●そして糖質制限ダイエットを知る

とはいうものの、試合が終わればこっちのもの。またラーメン(二郎ほか)、カレー(もうやんカレーほか)、鉄板麺(by 東中野「大盛軒」)、ロメスパ(銀座ジャポネ)と炭水化物を食べまくる日々に戻っていった。それでも食いすぎた翌日、米を抜けば最低限体重は現状維持可能だった。それで満足していた。しかし気がつけば体重は徐々に増加の一途を辿っていた。

転機はひょんなところから訪れる。先の連休中、友人宅のエアコン付け替えに伴い大型テレビの移動作業要員としてはせ参じたときのことだった。すべての作業が終わり新しいエアコンの風に吹かれながら、元の位置に戻した大型テレビを見て休憩していたら、TBSで糖質制限なるものの特集をやっていた。

最初は糖尿病患者の治療の話だったので特に見るともなしにつけっぱなしだったのだが、作家の宮本輝さんが出てきたところでちゃんと見始めた。宮本輝さんは好きな作家だったから。すると宮本輝さんが糖尿病で苦しみ、食卓からご飯を抜く「糖質制限」をはじめて絶大な効果を上げているという話だった。そしてこれがダイエットにも役立つという話だったのだ。

そこからは番組に釘付けになった。さらに見ていた友人から「こういうダイエット法も出てきたのか」的な発言があり、米を減らすことの効果は身をもって知っていた私が「ご飯を食べないってのは効果あるよ」と知ったかぶりしたことで、スイッチが入った。

自分はこれをやったことがある。米を抜いたら実際に効果があった。信頼している柴田博先生もそういっていた。それが実は「糖質制限」というシロモノであった。それをいま友人に知ったかぶりして話している。頭のなかでこういう論理展開のもと、俄然「糖質制限」をもっと知りたくなってしまったのだった。

●ドクター江部の著書で武器を手に入れた気分に

ここまでこんな長文になったことを見ても、これがオレの新しい趣味になったことを示しているように思う。既に「糖質制限」の書物は4冊読み終えている。昨日もまた別の4冊を注文した。趣味の世界に入る一番手っ取り早い方法はその分野の先達の書物を一気に読むことだ。そしてポイントとなる部分を実践することに尽きる。

今回もまさにその流れで、書物を読み、人体実験よろしく自分の身体で実験してみた。自宅で食べる夕飯は主食(炭水化物)を抜いて、その分野菜・肉・魚・チーズをガンガン食らう。朝食はこれまでどおり食べない、昼食はご飯も含め普通に食べる。食後の甘いカフェラテも飲んでしまう。

実験は夕飯だけでやるので、江部先生のカテゴリで言えば「プチ糖質制限」というやり方だ。朝食もないから「スタンダード糖質制限」にも近いかもしれない。

これを始めてまず驚いたのは、スーパーに売っている惣菜や美味しいソース類などがいかに糖質頼みかということだった。さらに一食の糖質摂取量を20g以下に抑えることの難しさと、これまでいかに炭水化物に甘えたメニューばかりを食べてきていたのかということだった。

過去の食事を思い返すとき、おそらく一食たりとも炭水化物(糖質)の少ない食事などしていなかった。昼のカフェラテなど、一本で糖質20gになってしまう。ご飯が角砂糖11個分だとか、まったく意識しなければ糖質はいくらでも身体に入ってくる。

またキューピーマヨネーズを何年ぶりかに購入した。これまでは多少身体のことも考えてコレステロールを下げる効果があるといううたい文句のやや高価なマヨネーズもどきを買い続けていたのだが、それらには砂糖が入っていた。それを見た瞬間、大げさでなく戦慄が走ったのだった。「世の中、真逆じゃん!」と思った。

そしてカロリー制限ダイエットがリバウンドしやすいからだを作ることや、糖質制限のやり方など実践面での知識を増やし始めた。実践するのはプチ糖質制限でしかないが、それでも趣味として続けることを楽しめるように思う。

●はじめてから2週間の実績

まだやると思い立って本を読み始めてから一ヶ月も立ってない。TBSの番組から今日でちょうど2週間だ。それでも効果は見えていて、いまどうしてもブレイクできなかった体重の壁をいとも簡単に突破し、2006年3月14日につけた値にまで下がった。プチ糖質制限2週間で約2kg減だ!

体重グラフをつけ始めたのは2005年のことでした。あの頃の相場は景気良かったなぁ。それはともかく、体重グラフをつけ始めただけで効果がありました。そのときの最低体重になったのは2006年4月15日で、グラフをつけ始めて以降、7ヶ月で6kg減でした。特に運動も何もしてません。グラフをつけただけです。

しかし2006年4月に底を打ったオレの体重相場は、みるみる値を戻して行った。体重グラフをつけることに慣れてしまい気が緩んだのかもしれない。一度もその底値をつけることなくつけ始めた2005年9月に戻ってしまった。体重グラフも2009年2月末で付けることすらやめてしまった。

それから3年と7ヶ月が経過し、多少の上下動はあるものの高値安定のボックス相場と化したオレの体重…。そこに「糖質制限」というサプライズなツールが登場したわけだ。あれほど落ちなかった体重がこうも簡単に落ちてしまうのか。しかも牛肉、豚肉、鶏肉、チーズ、サラミ、コンビーフなど食べ放題で。

2006年4月につけた直近底値まで後1.2kg減のところまで来た。ほんの2週間で。健康診断というタイトルマッチまではまだ一ヶ月以上もある。これはブレイクするしかないだろう。クスリなど使わなくても出来るんだというところを産業医に見せつけてやるのだ!

糖質制限のメカニズムを知って、特に糖尿病でもないのに安易にクスリで解決しようということの間違いにも気づいた。そもそも食生活によって悪化した体内環境をクスリの力で捻じ曲げて元に戻そうとするのは急激なバブル相場と同じで、体内環境を痛めつけるように思う。それよりはやはり身体の本来持っている機能を活用させることでダイエット効果もあるほうが良いと思うようになった。

以前メタボ云々を指導する産業医に「みんなマスコミに踊らされて…」と口走って怒らせてしまい、「私はマスコミに踊らされていません!そういうならもっと医学書を読んでください」と叱られたことがある。そのときのことが今も脳裏に焼きついている。

その答えが出たような気もしている。クスリ大好き産業医とは異なる流派だとは思うが、私はこの糖質制限という流派が好きだし、実際に効果が見える初めての体験だったし、この流派で戦いたいと思っているところだ。

昼だけ何でも食べるというのは逃げかもしれない。本当は全食事で糖質制限する「スーパー糖質制限」のほうが効果はあるはずだ。でもB級グルメな友人関係もあるし、そもそも10年で8kgなんて言ってるオレなので、そこだけは現状のまま趣味の人体実験をしてみたい。

オレが糖質制限ダイエットについて熱く語ったB級グルメの友人は一応聴く耳を持ってくれたが、その電話の日の夕食に東中野の鉄板麺を食いに行き、うまかったという挑戦的なメールをしてきた(笑)。

仕方がないと思う。こういう反応については、自身も糖質制限で蘇った桐山秀樹さんによる『おやじダイエット部の奇跡』というとても面白くて参考になる書物に出ていた。桐山さんの場合、目に見えて効果が出た後の本人が話し説得しても、ダイエットをやった人もいればやらない人もいた。それは各自の問題だからとやかく言えない。生き方の問題だろう。

ただオレ自身が逆の立場になったと考えてみる。大食いの友人がこんなダイエット始めたぞと言ってきたところで、オレも同調してやろうなどとは思わない。逆にその軟弱さ(笑)をさげすみ、意固地になって食べ続けていたことだろう。そういう意味では自分自身で気づき実践し実感し、いいタイミングで情報を得られたことは幸せだった。

このチャンスを逃す手はない。2010年にキム・ヨナが金メダルを取ってオレが韓国語をはじめたのも、まさにタイミングが合ったということだった。世の中はすべてチャンスとタイミングだ。その流れに乗るかどうか、選択するのは自分自身なのだ。

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2012/09/29

ドラマ「ドロクター」のメッセージを深読み

NHK BSプレミアムドラマ「ドロクター」後編の放送は先週日曜だったが、なかなか時間がとれずドラマ評を書けなかった。韓流ドラマばかり見ている昨今の私だが、日本のドラマの良質な面が堪能できるドラマになっていた。

韓国のドラマはどれも過激だし愛憎渦巻くかつての大映ドラマのようで面白いが、日本のドラマには成熟した社会の日常を淡々と描いたり、ひとつのテーマをモチーフにして静かに描きながら見る側に考えさせる作り方のドラマがある。

ドラマ「ドロクター」は地域医療という地味なテーマをモチーフに、一人の医師の実話のなかから様々な日常のエピソードを清清しいドラマとして再現することで、個人の日常とその個人が属するコミュニティのひとつのあり方を示して見せた。

今もリアルタイムで続く日常を大衆向けのドラマとして描くことは難しいことだと思う。そこで切り取られた日常の先にも、モデルとなった医師や家族、そしてコミュニティの物語は続いていく。ドラマになったことで変化することもあるだろう。

そこには様々なリスクもあると思うが、このような地域医療の実践を広く伝えたいと考えている中村伸一院長の強い思いが今回ドラマという形で結晶化したことは、他の地域住民にとっては喜ばしいことであり、名田庄村の住人と中村医師との良好な信頼関係があってこそだと思う。

私自身はこれまで、モデルとなった中村伸一医師について“講演で面白い話が出来る中村伸一院長”という一面ばかりをクローズアップしてきたが、そこにはもちろん中村院長の日常はない。日常は名田庄診療所にあり、そこにこそ本当の中村伸一院長の姿がある。

今回のドラマで描かれた住民との心温まるエピソードは、2冊の著書との相乗効果もあり、院長のオモシロ話の背景にある本当の中村伸一院長の姿を垣間見ることが出来た。

中村伸一院長が好んで使うフレーズに「右手に矢沢永吉を、左手にバカボンパパを」というものがある。

常にポジティブに向かっていく成り上がりロッカーの心意気と、落ち込んだときにはバカボンのパパのように「これでいいのだ」と状況を受け入れてくよくよしない。両方あってこそバランスが取れるということだと思う。

そんな院長の物語としてのドラマ「ドロクター」も面白いが、これは一人のヒーローの物語ではないだろう。それは頭の難病で倒れた中村伸一院長のエピソードが節目節目にインサートされていたところにも読み取れる。

「村にたった一人だけの医師が倒れた」というエピソードは、主人公医師の物語でもあるがコミュニティ側にとっての一大事(ドラマ)でもある。院長の復帰を境にコンビニ受診は減り、コミュニティ側からの無言のメッセージが医師の心にも届くのだ。病いを通してさらに絆が強まった。

「家族にとって大往生するじいさま、ばあさまを自宅で看取ることが出来る幸せ」をテレビドラマで描くことは日常の「生」を描く以上に難しいと思う。末期医療への考え方は幾通りもあるだろうし、家族にとっては人生に一度しかないその人の「死」の瞬間とどう関わるかは、“そのとき”まであまり考えたくないテーマかもしれない。

しかしそこを描かなければ「ドロクター」の真髄は伝わらないのだと思う。家逝きと医師の関わり、家族の関わり、コミュニティの関わり、それを正面から見据えるところに地域医療の信頼関係は築かれる。

誰もが逃げることの出来ない“そのとき”にも寄りそう医療。地域医療には、先端医療とは異なる精神力と細やかさ、そしてコミュニティの協力が不可欠だ。中村院長の著書のタイトル『寄りそ医』には、現代の地域医療だけが持つそんな背景が見える。

そう思うとドラマのタイトルになった「ドロクター」というあだ名も、地元のことばから生まれたなんとも微笑ましい関係性を象徴しているように思えた。

一人のヒーローのような医師の物語としてでなく、村にたった一人しかいない医者と関わるコミュニティの物語としてもう一度見てみたいドラマだ。コミュニティの側から地域医療の抱える問題点や医療との良好な関係を築くヒントにもなるだろう。

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2012/09/23

「ナツメのオミミ」でまさかの中島みゆき話!

テレビ朝日の深夜番組「ナツメのオミミ」については、ダンサーの仲宗根梨乃さんが登場したときに書いた。そのころは女性ゲストばかりだったが、今回(というかスペシャルウィーク的に2週前から)「怒り新党」の有吉弘行政調会長が初めての男性ゲストとして登場し、来週のマツコ・デラックス幹事長トークまで4週ぶち抜きでスペシャルウィークが続く。

正直、ゲスト選びに行き詰まり感が出てきたのかなと思った()。様々な分野で輝いている女性を毎週ゲストで呼ぶというのは結構大変なことだ。人選は出来ても出演交渉が常に成功するわけじゃないし。またNHKの「グラン・ジュテ」のようにロケがふんだんに出来るわけでもなく、夏目三久とのトークだけで表現しなきゃならない。

これが黒柳徹子のような海千山千のMCだったらうまく魅力を引き出せるのだろうが、この番組はまだ発展途上の夏目アナの“教育番組”だと思うので、ゲストのトーク技術に頼らざるを得ない場面が何度もあった。だからこそコミミちゃんをオープニングに入れてみたり試行錯誤しているわけだ。

でも今回のスペシャルウィークが鼎談という手法のパイロット版になったかもという思いもある。3人でやる鼎談は2人のトークとは趣きがずいぶん違う。

鼎談で思い浮かぶのはやはり『Ev.Cafe』だ。村上龍と坂本龍一の二人がホスト役で、共通して興味のある人物を招いて鼎談したこの本は、1989年出版当時ブームとなった。読むためというより持ち歩くブームだったが(笑)、私は読んだ。

「ナツメのオミミ」で鼎談をするならホストは夏目アナ一人でも、ゲストにメインゲストとその応援者とか、コンビで活動してる方とか、映画監督を呼ぶんじゃなくてその監督の組で働く照明さんと音声さんとか、有名無名問わず3人で1テーマを語るというような構成もありえるのではないか。それこそ番宣なら番宣で出てもらって、徹底的に裏話を聞いてもいいと思う。

●中島みゆきにオファーしたのか知りたい!

今回は、有吉&マツコをゲストに何を話すのかと思いきや、まさかの中島みゆきにまつわる鼎談だった。これは保存版になったな(笑)。

そもそもは「怒り新党」での有吉発言「自分の車のなかでは中島みゆきしか聴かない」に始まる。それをマツコが「中島みゆきさんのような偉大な方の話をそれだけで終わらせていいのか」と言い出した。「ナツメのオミミ」で。

この流れを見て「こりゃこの番組、起死回生の中島みゆきオファーをして撃沈したのではないか!?」という妄想が私の脳裏をよぎった。

「ナツメのオミミ」に出て欲しい“輝く女性”というカテゴリにおいて、中島みゆきという存在は必ずや企画に上るはずだ。しかしその難攻不落の城はそうやすやすとは攻略できない(はずだ)。ラジオならともかくテレビだし。

そんじゃあというわけで、中島みゆきについて二人に語らせようと総裁とスタッフは思ったのではないか。これを私は「ゴドーを待ちながらシステム」と名付けたい(笑)。

●二人の中島みゆき話に興味津々

それにしても、二人が中島みゆきを好きだというのは納得できる。そしてその好きなポイントが「勝手な解釈で自分を歌に投影できる」というマツコ・デラックスの心情吐露は核心を突いていた。まさにソコなんだよね!

有吉は上島“太陽さま”竜兵がカラオケで号泣しながら歌う「ホームにて」を好きになったという。「ホームにて」は私も数ヶ月前に歌詞解釈したばかりで大好きな楽曲のひとつだ。

上島竜兵が「ホームにて」を好きだという事実も含めて嬉しい。ちょっと太陽さまを「ナツメのオミミ」に呼んで、有吉話してくんないかな。ゴドーを待ちながらシステムで(笑)。

マツコが好きだという曲が「タクシードライバー」だったこともなんだか妙に納得できる。この納得感は何なんだろう…。

天気予報や野球の話ばかり繰り返すタクシードライバーの気配りとか、例えば「狼になりたい」の歌詞の 夜明け間際の吉野家では~ とか、中島みゆきの歌に出てくる妙な生活感とか現実感が接点となって、歌の中のフィクションと自分自身の現実世界とを結びつけるのだ。誰もがそこに自分だけの物語を作り出せるのだ。

二人が選んだ楽曲は、どちらもギター弾き語り向きの曲だった。どっちも私の「自分で弾き語りたい中島みゆき20選」で選んでいた楽曲だった。こういう目に見えなかった部分で私はこの二人に惹かれていたんだなとも思った。

解釈はそれぞれでも、その根底に流れる感性が響きあうのかもしれない。またお二人の人気があるのも日本人の通奏低音にある中島みゆき的な部分に共振する人が案外多いということかもしれない(特に業界に多いのかもしれない)。

●聴いたら泣いちゃいます?

弾き語り向きの曲はイントロのアコースティックギターの音色を聴くと、もうそれだけで中島みゆきの世界に入っていける。当分みゆき節を聴いていないときでもすぐにスイッチが入り、無性に聴きたくなる(私の場合は弾き語りたくなる)のが、中島みゆきのアコギの楽曲なのだ。

と、こんな具合についつい見ている私ですら熱く語りたくなってしまうわけだが、夏目三久!熱く語るマツコに「なんか言え!」と怒鳴られる(笑)。何も感想がない。その後トークが続き、夏目アナから出てきた言葉は「聴いたら泣いちゃいます?」だった。

いまどきの子だねぇ。まさにマツコのいうところのうんこのような歌しか聴いていないかのようなコメントだ。もっともマツコのように、うんこのような曲や映画を衝突事故的に見聞きしてしまったときこそ泣いてしまうという強すぎる感受性もめんどくさいが(笑)。それ悔し泣きだよね。

泣けるかどうかが基準になるような作品とのかかわりはあまり持ちたくない。どっちかといえばスポーツやノンフィクションのほうが泣ける。スポーツで泣けるのは、完全に他人事だからかもしれない。何の利権も手伝いもしてこなかったからこそ純粋に泣けるような気がする。

でも中島みゆきの楽曲は他人事じゃなくなる。前に「アメトーーク」の読書芸人の回でピース又吉があまりに本にのめりこみ過ぎて本になりたい(本のなかに没入したい)といったコメントをしたことがあったが、まさにあの感覚に近いと思う。楽曲と一体になりたいのだ。だから弾き語るわけだ。だからマツコも「考える」のだろう。

芸術の話をしていて安易に「泣いちゃいました?」とか聞かないほうがいい。一番バカに見える質問だから。でも夏目三久の“教育番組”としては、そこはいいくだりだった。まいっちんぐマツコ先生!(>最後はダジャレかよ!)

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2012/09/22

『ねこみみ ~猫と音楽~』発売!

本日9月22日にCDジャーナル・ムック『ねこみみ ~猫と音楽~』(音楽出版社)が発売されます!ボクも「中島みゆきの歌詞に住む猫」というコラムを書かせていただきました!

見本が届いたのですが、オビには「猫軸と音楽軸が交わる視点から見える幸せ…」と書かれてます。なんてマニアックなムックなんでしょう(笑)。でも主題が猫と音楽というなんとも大衆ウケする2大要素なので、マニアックというよりなんだかオシャレな感じに仕上がってて不思議です。

と言いつつ、ページをめくるとやっぱマニアックだわ()。音楽大好き!猫も大好き!だからコラボっちゃいたい!という作り手の飽くなき欲望が発揮されまくってます。

たぶん勢いで企画を通し、後はひたすらデータ収集という労力も垣間見え、そんな苦心の末出来上がったと思われるこの猫づくしなムックは、その全体が醸し出す妄想チックなたたずまいがボクは好きだなぁ。

カタログ好きなボクにとっては猫ジャケ100選や猫ソング100選がうれしい。特にキャンディーズ⇒電気グルーブ⇒藤圭子と続く猫ソング紹介は神だ(笑)。そして猫ソングの最後に松田聖子が来てーの、ページをめくりーの、マイコラムありーの、という流れが実にうれしい。

●中島みゆきと猫について語ることになった経緯

それにしても縁というのは面白いものですね。まさか中島みゆきと猫についてコラムを書いて出版されるなんて夢にも思っていなかったです。

中島みゆきと猫について公に言及した最初は、ひとくちメモの記事「中島みゆきとゆかいな(?)動物たち」(2010年11月28日)でした。ただし猫は他の動物たちと同列に扱っているに過ぎません。ある意味今回『ねこみみ』に書いたコラムの核の部分はこのときに書いています。

でも直接のきっかけは、春に出演させていただいたJ-WAVE東京RIMIX族「中島みゆきの歌詞の極み」でした。それもボクが話したヨタ話の部分ではなく、五郎さんとしょこたんが番組終わりにコメントされた部分でした。

五郎さんが「(中島みゆきさんの歌詞には)猫が多いって言ってましたねぇ」と、ボクがオンエア以外の雑談でしゃべったことに触れてくれてたんです。しょこたんもそれに対して「そのこと(番組では)言ってませんでしたよね」と返して、変わった人がいるもんだ的な美しい()結びだったわけです。

そしたら、まさにこの部分が編集者さんのアンテナに触れ、ボクのことを探し出されてメールをくださいました。それでコラムが実現したというわけです。

「猫と音楽」なんていうマニアックな企画を進行中の編集者さんが、あの放送で流れたたったひとことに触発されて連絡を取ってきてくれたということに、もう何の迷いもなく「これは乗らなきゃ!」と一発快諾しました。この機会を逃したら、もう中島みゆきと猫について書く機会なんて二度とないだろうとも思ったのでした。

●架空の猫づくしアルバムが実現する日を妄想する

これまでボクは中島みゆきの歌詞というよりも、「地上の星」限定プレゼンター(笑)のような発言ばかりをしていました。「BS熱中夜話」でやって、昨年末の「うたバナー」でやって、東京REMIX族でやって。すべてこの流れで来ていましたが、今回は猫がテーマです。

そこでコラムでは挨拶代わりに「地上の星」から導入して猫の話に入って行きました。ポップンポールマニアにしか伝わらないこのこだわり(笑)。ひとり上手でいいじゃないか!

コラムに関しては文字数制限には苦労しましたが、概ね書きたいように書けました。問題は「架空の猫づくしアルバム」の曲目リストのほうです。

こういう企画どうでしょうと相談したら即オッケーが出たのですが、ただ年代順に羅列するわけじゃなくて、架空とはいえ中島みゆきさんの猫づくしベストアルバムという“作品”を作るわけですから、気合いが入ります。曲順を考えるのに一ヶ月かかりました。

実際にボーナストラック以外の全部の“猫歌”をデータ化して(CDになっていない曲は録音して)プレイリストを作り、あーでもないこーでもないと並べ替えては一通り聞きます。全部通しで聴くと結構時間がかかりますし、「拾われた猫のように」はどこからをイントロと考えるかで雰囲気が変わりますし(笑)、とにかく大変苦労しました。

それでもこの順で固まる頃にはかなり納得できる曲順になったと個人的には思っています。ある意味、これは中島みゆきの歌詞の猫オールスターキャストでお送りする架空の「夜会」であるとも思ってます!

そして入稿後には中島みゆきさんにぜひ本当にこの曲順でCD化してほしいとすら思い始めてしまいました。これはボクのお得意の妄想のたぐいですけれども…。

あと、ひとこと言っておきたいのは、ボクは中島みゆきさんの歌詞をデータベース化したりはしてません。データベースから猫というキーワードを拾ってきてちゃちゃっちゃと原稿にするとか、それは歌詞解釈とはまったく異なる作業になってしまうのでやりたくもありません。やっぱり歌詞の世界にどう相対するか、それが基本ですよね★

●プロフィール写真カラー版公開(笑)

Mook_nekomimi_image最後にポップンポールマニア向けのささやかなプレゼント。『ねこみみ』に載せたプロフィール写真のカラー版です!もはや、ひとり上手を通り越してナルシシズムか?

このプロフィール写真は自分で撮ったんですけど、かなり気に入ってます。

編集者さんからは「飼っている猫の写真があったら」という依頼だったのですが、ウチは猫を飼えないマンションなので、ボツ覚悟でこの写真を撮りました。そしたら「面白いから採用!」となりました

あまりにかわいくて飾ってる小さな猫の人形と、実家の母が作って今年の春に送ってきた手作りのかわいいお地蔵さんのコラボ写真です。この二つはとても相性が良くて、この状態で自宅に飾ってます。ねこみみならぬ、お地蔵さんの“福みみ”がボクに似てるといえば似てるかも…。

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2012/09/15

『寄りそ医』がドラマ化!

昨年「禁煙よりもメタボ対策よりも地域絆力が長寿への道!」という記事でご紹介した中村伸一院長の『寄りそ医』がプレミアムドラマになりました!

NHK-BSで明日9/16(日)22:00~23:00と9/23(日)の22:00~23:00の2週に渡って放映される『ドロクター』前・後編です。

いつドラマや映画になってもおかしくないくらい様々なエピソードがあったのですが、ついにドラマ化ですよ。2時間のドラマにどのように凝縮されているか楽しみですね。

院長からは今週メールでご連絡いただきましたが、実はその前に某Iさんから情報を聞いてまして()、録画予約はバッチリしてました。

中村伸一院長の夢は“全日本名田庄化計画”でございます。それはひとことで言えば、「地域医療と地域社会との良好な関係をもとに幸せな長寿社会を作ろう!」ということだと思います。それをプロレス好きの院長がキャッチフレーズ化したのが“全日本名田庄化計画”なのです。

正直なところ地域医療、というより医療や健康的な生活からもっとも遠いところで不養生な生活を続けているワタクシですが()、中村伸一院長やその著書に出会ったことで、地域医療とか地域の総合医といった存在を身近に感じることが出来ました。

今回ドラマ化されることで中村伸一院長の地域医療の実践を知る人が一人でも増えればいいなと思っています。

「地域医療」なんて言葉が遠い世界に思えていたワタクシのような者には、それがなんだか小難しいマジメな話に思えて、なんとなく敬遠してしまいがちでしょ?でもそれは食べず嫌いだと思いますね。あるいはこれまでそんな我々と地域医療をつなぐ人や情報がなかったからだと思います。

中村伸一院長は講演会なども積極的に行われてますが、とにかく面白いです。ぶっちゃけ下手なお笑いタレントより面白かったです(笑)。でも要所要所はしっかり伝わるわけです。さだまさしや伊奈かっぺいのように、面白い話と感動する話を絶妙に取り混ぜて聴衆をグッと掴みます。

そんなパーソナリティを誰もが持っているわけではないですから、「地域医療」という世界にオモロイ中村伸一院長が登場したのは、「地域医療」というジャンルにとってもラッキーだったように思えます。こういう人がいなければ、もしかしたら地域医療はいまでもボクにとって小難しくマジメな近寄りがたい世界だったと思います。

褒めすぎたな(笑)。なんかあまり褒めるとウソくさくなっちゃうから、ここまでにしときます。ドラマ、楽しみ

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2012/09/09

漢字語中心に学ぶハングル学習のバリエーションルート

いやはや旅行記というのは一気呵成に仕上げないとあきまへんな。日が経つにつれて書くモチベーションはどんどんなくなるけど、仕上げないと気分がモヤモヤしたままになる厄介なしろものです。

そうこうしているうちにブログには他に書きたいことも出てきます。でも旅行記が途切れちゃうから結局何も書かずにTwitterなどという浮世の根無し草的なつぶやきに逃げてしまう。ダラダラ過ごしてしまうという悪循環に必ず陥ります。ま、そこにはただズボラな自分がいるだけですけどな。

前回の温泉卓球の翌日、平清盛で盛り上がる宮島に行って、夜は広島泊でお好み焼き食べて、翌日は実家に途中立ち寄って洗濯物を置いてスター本店でラーメン食べてから九州へ向かい、門司港駅で門司港タワーや駅舎を見学してから小倉で魁龍のくっさいトンコツラーメン食って福岡入り、そこで国内旅行完了の打ち上げ飲み会やって1泊し、翌朝からフェリーで釜山へ旅立ちました。

たまたま国内旅行の後の釜山旅行紀は、皆勤賞の途切れた8月24日のゴガクル日記に簡潔にまとめているのでそっちにリンクして、とりあえず旅行記はこれでおしまい!

さて、その釜山で購入した『한자 千字사전』という児童向け漢字(新千字)辞典についてだけ補足しておきます。ゴガクル日記には写真が入れられないから。

千字辞典の内容見本

千字辞典の表紙ページの内容はこんな感じで、イラストも多くて親しみやすいです。

また漢字の部首(부수)のハングル読みとか結構知らないし、部首の意味や由来(부수 설명)なんかは、逆に日本語における漢字と同じだから類推しやすくハングルの学習にもなりそうです。

さらにその漢字を使った熟語が簡単な意味と一緒に掲載されているので、そういうのをうまく活用して学んでいければと思ってます。

ただいまのところ実力的に、これをテキストにして何が出来るかというレベルにはないので、他のテキストで漢字語が出てきたときに、この辞書で関連ページを開いてみるとかそういう使い方になると思います。

●漢字語中心の語彙拡大作戦という目論み

これまでは正攻法でハングルに取り組んできました。それこそ10代の若者がやるような方法で。でも漢字語を中心に据えて韓国語を学ぶという視点でも、いろんな本が出ていたり、この効率のよさを薦める人も結構いるようです。

特に学生ではなくオッサン、オバサンが学ぶ韓国語では、漢字語の獲得で語彙数を広げるという方法が非常に理にかなっているようにも思えます。それこそ日常生活で6割もの漢字語が出てくるなら、漢字語を並べるだけで意志は通じる可能性すらありそうです。

そう思っていると、面白そうな参考書が出ていました。『漢字のハングル読みをマスターする40の近道』という本です。

このタイトルにはちょっと違和感がありました。「漢字のハングル読み」といっても、いまや韓国はほぼ総ハングル表記状態なので、漢字をハングルで読む機会は多くないわけです。使用頻度の少ない学習書のようなイメージのタイトルでした。

実際にやってるのはハングルを頭の中で漢字に翻訳する作業です。漢字語のハングル読みのなかにある共通項を見つけ出し、40パターンに分類して効率的に漢字語の類推能力をアップしようという試みでした。

ハングルを学習していると、誰でも1つや2つの法則性のようなものになんとなく気づきます。ㅎ(h)の子音で始まる漢字語は日本語だと「か行」が多いとか、ㄹ(l)音のパッチムの漢字は同じく「つ」が多いとか。

この参考書はそれにお墨付きを与えてくれるとともに、例外もパターン分類してくれているので、納得しながら覚えられるのがいいです。さらにマスキングシートやらCDもついているのでお買い得!

漢字は日本語の字体となっていて、韓国で使われている旧字体じゃないことには異論もあるかもしれませんが、そもそも韓国に漢字表記がほとんどないので、「現代日本語の漢字からハングルをマスターする近道」と考えるのがいいと思いますね。それによって「漢字語のハングルを見たときに日本語の漢字熟語を類推する近道」を手に入れることが出来ます。

漢字語を覚えることは韓国旅行レベルでは本当に威力のあることだと、今回の釜山旅行で実感しました。漢字語と固有語の副詞や動詞を少々使えるだけで、ほとんどの場合は問題なしだと思えてなりません。

わかる言葉が増える喜びはモチベーションアップにもつながりやすいので、漢字語中心の韓国語学習というバリエーションルートは非常に魅力的だと思います。こればっかりだと漢字偏重になってしまうかもしれませんが、たまには漢字とハングルをあえて筆ペンで描いてみるとか、いろいろ工夫して取り入れると気分転換にもなるように思いますね。オススメです!

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