等身大の吉田拓郎 『午後の天気』
天気というのは不思議なものだ。単なる自然現象なのに、なぜかそれが心象風景とつながっている。同じ天気でも気の持ちようで良くも悪くもなる。子どものころ、マラソン大会当日の雨は「なんていい天気なんだ」と歓喜したものだ。
時間というのも不思議なものだ。淡々と流れているだけなのに、なぜか速く感じたり遅く感じたりする。これほど平等な現象もないはずだが、マラソンで走る数キロが「なんて途方もなく長い時間なんだ」と絶望したものだ。
吉田拓郎の新作『午後の天気』は、どんな気持ちのタイトルだろう。人生も後半に入った等身大のミージシャンが、生活のなかの素直な気持ちをパッケージングしている。そんな気がした。
1曲目の「僕の道」の素直さとリラックス感が心地いい。こんなにシンプルな新曲を拓郎の声で聴けるのがうれしい。
そういえば昔、「さんまのまんま」に出演した吉田拓郎が「金持ちになったんだから、金持ちの歌をうたいなはれ」と明石家さんまに進言されると「誰が聞きたいんだそんな歌(笑)」と応えるようなくだりがあった。
金持ちの歌かどうかはともかく、拓郎ファンの明石家さんまが等身大の吉田拓郎の歌を聴きたいというメッセージを伝えたかったんだろうなと思っていた。『午後の天気』はそんな明石家さんまの進言にも充分応えていると思えた。
人生の天気は様々だが天気は気の持ちようだ。気の持ち方ひとつで良くも悪くもなる。人生の午後は平等だが時間も気の持ちようだ。気の持ち方ひとつで密度が濃くも薄くもなる。
吉田拓郎の1983年の作品「マラソン」にこんな一節があった。
♪人はいつか走れなくなるまで はるかな夢を抱いて旅を続ける
そこから約30年。『午後の天気』もまた旅の途中だ。等身大の生活のなかにいくつも旅はある。
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