google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2012年6月

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2012年6月の10件の記事

2012/06/30

等身大の吉田拓郎 『午後の天気』

天気というのは不思議なものだ。単なる自然現象なのに、なぜかそれが心象風景とつながっている。同じ天気でも気の持ちようで良くも悪くもなる。子どものころ、マラソン大会当日の雨は「なんていい天気なんだ」と歓喜したものだ。

時間というのも不思議なものだ。淡々と流れているだけなのに、なぜか速く感じたり遅く感じたりする。これほど平等な現象もないはずだが、マラソンで走る数キロが「なんて途方もなく長い時間なんだ」と絶望したものだ。

吉田拓郎の新作『午後の天気』は、どんな気持ちのタイトルだろう。人生も後半に入った等身大のミージシャンが、生活のなかの素直な気持ちをパッケージングしている。そんな気がした。

1曲目の「僕の道」の素直さとリラックス感が心地いい。こんなにシンプルな新曲を拓郎の声で聴けるのがうれしい。

そういえば昔、「さんまのまんま」に出演した吉田拓郎が「金持ちになったんだから、金持ちの歌をうたいなはれ」と明石家さんまに進言されると「誰が聞きたいんだそんな歌(笑)」と応えるようなくだりがあった。

金持ちの歌かどうかはともかく、拓郎ファンの明石家さんまが等身大の吉田拓郎の歌を聴きたいというメッセージを伝えたかったんだろうなと思っていた。『午後の天気』はそんな明石家さんまの進言にも充分応えていると思えた。

人生の天気は様々だが天気は気の持ちようだ。気の持ち方ひとつで良くも悪くもなる。人生の午後は平等だが時間も気の持ちようだ。気の持ち方ひとつで密度が濃くも薄くもなる。

吉田拓郎の1983年の作品「マラソン」にこんな一節があった。

♪人はいつか走れなくなるまで はるかな夢を抱いて旅を続ける

そこから約30年。『午後の天気』もまた旅の途中だ。等身大の生活のなかにいくつも旅はある。

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2012/06/23

LOVE沖縄の旅 2012年初夏(3) 自然音

LOVE沖縄2012有機農園トマト

日本返還40周年の小笠原諸島母島に行ったとき自然音を録音してきたんだから、日本返還40周年の沖縄でも当然フィールド録音をする気はありました。相棒の録音機ZOOM H2とリアルヘッドバイノーラルマイクは常に持ち歩いていました。

ただ今回はひとり旅でもなくスケジュールは人任せだったので、フィールド録音をする時間はあまり取れないだろうと思っていました。それでもいくつか録音できました。ロケハンなしの一発勝負ばかり!これも旅の思い出です。

いつものようにココログは1MB超のファイルがアップできないので、簡易画像をつけたYouTube版を作りました。バイノーラル録音なのでイヤホンで聴くと臨場感が増します。

最初はこの波の音からどうぞ。

辺野古にある米軍基地キャンプ・シュワブと沖縄の基地反対運動の象徴的存在となっているテント村の間にある海辺で録音しました。ちょっと風がありましたが凪状態の静かな海でした。

ここに滑走路を作ってしまうという神経が理解できません。辺野古には弾薬庫もあり、駐留部隊は核兵器や化学兵器の整備能力を持っているそうです。近海で戦争が起きれば確実に狙われることでしょう。ジュゴンも住むこの海から、軍用機の爆音によってこの波の音がかき消されないことを願っています。

次は滞在先のひとつだった沖縄北部の農園です。夜更けに真っ暗闇のなかに突っ立って録音しました。

数歩歩くだけでいろんな“演奏”が聴けました。まるでカエルの野外フェスのようでした(笑)。昔はこういう音が自然と聞こえて来ましたが、地方都市レベルでもあまり聞こえません。文明の進化と引き換えに無くなってゆくかもしれない大地の歌声です。それって進化なんでしょうかね?しかし後戻りの出来ないところにボクたちは来てしまいました。だから出来るだけそういう自然音を残していきたいです。

次は同じ農園の朝の自然音です。屋内で布団にもぐって録音してます。画像は音声と関係ありません(笑)。でも一応自分で撮影してきた素材ばかりです。

アカショウビンの鳴き声が好きです。でもなかなかナマで聴く機会がありませんでした。今回のは録音前にはもっと良く鳴いていたのですが、準備をしていたらあまりいい状態では取れませんでした()。「ヒュヒュヒュヒュヒュ」と聞こえましたが「キュロロロロ」と書くほうが一般的かもしれません。

今回のは「遠くでアカショウビン的な声も聞きながら自然の音で目覚める贅沢」がテーマです(笑)。野鳥は鳴く時間がだいたい決まっているので、鳴き声でいま何時くらいかがわかります。そういう生活もあこがれるな。

この農園は有機野菜を作られていて、海外からのワーキングホリデーも受け入れていらっしゃいました。労働時間と引き換えに食事と寝床を提供する契約だそうです。人気があって順番待ちだとか。私たちが訪問したときは、香港から若いカップルが(観光がてら)働きに来てました。

夕飯のときにはこの香港のカップルだけでなく、もう何ヶ月も日本に滞在して旅をしているハワイ在住のご夫婦などもいらっしゃって国際色豊か。日本語、英語、漢字筆談などで盛り上がりました。

私はハワイの紳士が京都のトンカツがめちゃウマだったとおっしゃったので、トンカツにチョコレートを挟む“チャレンジメニュー”もありまっせ!とブロークンな英語でディープな日本食をオススメしておきました。(>何の話やねん!)

動画にも登場しますが、ここでの夕飯のイノシシ鍋こそが今回の旅の目的だったのでした。また記事先頭のタイトルバックにあるミニトマトは、朝取れたばかりの有機栽培トマトです。大きさで選り分けてパッキングするのを手伝いました。

...が、そのパックは我々へのお土産になりました。何から何までありがとうございました!朝沖縄北部で取れた有機栽培トマトをその日の夕飯に埼玉で食べました。距離がこんなに縮まる文明ってヤツは、とんでもなくすばらしいものでもあります…。悩ましい。

以上3本がとりあえず今回公開できるレベルの録音です()。

この農園はガジ丸さんのお知り合いだったから訪問できましたが、なかなか自分で見つけていこうと思っても行けませんね。ガジ丸さんサマサマです。

長期滞在で沖縄に行くならコンドミニアムなんかでゆっくりするというのもいいでしょうね。探してみると結構いいコンドミニアムが見つかります。例えばこんな感じ。安っ!

コンドミニアム シーサー今帰仁
コンドミニアム シーサー今帰仁

今回はいわゆる観光をほとんどしていないので、いつかゆっくり余暇と観光をしたい。Kさんからは離島巡りをしろと言われていますが。いずれにしろ、ゆっくり出来る時間が欲しい…。

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2012/06/17

LOVE沖縄の旅 2012年初夏(2) 基地

LOVE沖縄2012辺野古

今回の旅の目的は「猪を食べること」でした。それ以外について私自身はノープランでした。でも沖縄大好きなKさんやそのお友達のガジ丸さんが出発前にいろいろと考えてくれて、それに乗っかった感じでした。

最初はちゅら海水族館に行ったり観光地めぐり的なイメージをしていましたが、この旅の直前にガジ丸さんが沖縄にある独立系映画館の「桜坂劇場」で上映していた『LOVE沖縄@辺野古 @高江』という2本組の映画をご覧になったことで状況が変わり、1日を辺野古の基地移設反対テントと、高江のヘリパッド増設反対テントの激励に充てました。

映画『LOVE沖縄』は沖縄で先行上映されていたもので、タイトルには“米軍の新基地建設に抵抗する人びと。そこには沖縄への深い愛がある”という想いがこめられているとのこと。東京でも上映されれば必ず観に行きたいと思います。その予行演習として現地に行けたことは良かったなぁ。

ガジ丸さんは平和運動家でもなんでもない一般の沖縄の自然を愛する方ですが、この映画を観て沖縄人として基地反対で頑張っている人々を激励に行きたいと思われたそうです(詳細は「ガジ丸通信」へ)。

辺野古2012沖縄の人が基地で働き、沖縄の人が基地に反対する。現場で押し問答するのはウチナーンチュ同士であり、米兵の姿は見えません。目に見えるアメリカーは低空飛行する軍用機とその爆音に震えるウチナーンチュの姿です。その矛盾や葛藤そのものが米国、そして日本政府による沖縄差別の一端を表してもいるように思えます。

●辺野古から日本を振り返る

辺野古にはお昼ごろに着きました。雨が心配でしたが、ついたときにはいい天気でした。辺野古の海は静かでした。テントではいくつかのパンフレットをもらい、いま何が進められ、どのようにそれを阻止しようと頑張っているのかを詳しく説明していただけました。

目の前にあるこの海が埋め立てられ、10mもの高さの滑走路で覆いつくされる。それを想像するだけでも現場に行った意味はあったと思います。以前、北方領土を目の前にして湧き出た愛国心と似たものを感じました。

右翼思想を持つ友人とはまったく意見が合わない私でさえ「愛国心」という3文字を思い出す風景、それが北方領土と沖縄の基地です。ただどちらもアイヌの土地、琉球の土地であり、日本との遠さも同時に感じてスッキリとはしません。

先ごろ、米国の上院歳出委員会は2013年度(2012.10-2013.9)の在沖縄海兵隊のグアム移転関連予算(約21億円)を凍結し可決しています。コスト試算が議会に提出されないから予算審議が延期されるわけです。そのコスト試算は日米の政府にやる気がなければいつまで経っても出てこないような気がします。

日本からもっと働きかければグアム移転は進展していたかもしれません。まさに最低でも県外以上の結果を民主党政権は残せたかもしれません。「最低でも県外」と最初に言ったのは鳩山由紀夫元首相でした。

●鳩山由紀夫元首相に謝る

私は「最低でも県外」を反故にした鳩山氏を罵りました。期待が大きかっただけに憎しみも頂点に達していました。

2010.03.20:沖縄県内移転のうた
2010.05.20:うそやまつきお首相

しかし、辺野古で鳩山発言について聞くと意外な答えが返ってきました。鳩山さんのあの発言のおかげで工事が延期になり時間が稼げたため、あの発言には一定の評価をしているそうです。そしてその後の鳩山バッシングは、県外移設されては困る勢力にとって都合のいい動きだったとも。

つまり当時の私はまんまとそれに乗せられて鳩山バッシングをし、辺野古移設推進派に都合のいい大衆のひとりだったわけです。マスコミに踊らされた自分を反省しました。まさにウチナーンチュ同士を争わせる差別的な勢力のワナにはまっていました。鳩山由紀夫さん、政治生命を絶てとまで罵ってごめんなさい。「最低でも県外」をもっともっともっと発信し続けてください。

●高江の座り込み5周年!

辺野古を後にしてさらに北部の高江を目指しました。映画「LOVE沖縄」で紹介されたもうひとつの場所です。

高江2012

高江のテントに入ったとたん土砂降りの雨になりました。

今回の旅ははじめから天気予報は雨でしたが、活動中はほとんど降ることなく、屋根のあるところに入ると降り出すことが多かったです。久高島の神に嫌われているKさんと違って日頃の行いがいいからです(笑)。

高江についてはあまり、というよりほとんど知りませんでした。しかし住民は2007年7月2日からここで座り込みの反対運動を続けています。あと少しで丸5年になります。

その足跡は「やんばる東村 高江の現状」サイトにある"Voice of TAKAE"という手書きのパンフレット(PDF)をご覧ください。

村を取り囲むようにヘリパッドを建設しようとしている米軍。そしてここには先日も墜落事故が報道された欠陥機オスプレイも配備されようとしています。

やんばるの森は沖縄の水がめともいわれる貴重な森林です。たとえ民家でなくともこの森に訓練機やオスプレイが落ちるだけでダメージは計り知れません。

私はテントのなかで「森は海の恋人」運動を思い出していました。森を失うことは海を失うことでもあります。住民を危険にさらし自然を破壊し、何のための基地なのかさっぱりわかりません。

また足尾鉱毒事件での田中正造翁の言葉で坂本龍一氏が脱原発で引用されていた「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」もあてはまるように思います。

豪雨でもあったので、雨が弱まるまでテントのなかではいろいろと話すことが出来ました。

私はこういう運動でよく聞く「座り込み」という方法がいまいちピンと来ていませんでした。実際にはどういうことをしているのか率直に聞いてみました。

すると高江ではノグチゲラ(特別天然記念物)の孵化期である6月までの工事停止期間は日中だけですが、それが明ける7月からは24時間体勢で座り込み(テントでの監視)を始めるそうです。

以前、朝の4時ごろに抜き打ちで工事会社が重機を入れようとしたことがあったそうです。なかに重機が入ってしまえばヘリパッド建設が進行してしまうため、それを阻止すべく、重機を入れられるゲート前でまさに文字通り座り込みを行うそうです。そういう戦いを5年間続けられているわけです。

米軍さえいなければ平和だったやんばるの森に争いを持ち込んだ軍隊…。沖縄の軍隊は人権問題であり自然破壊であり、地政学的緊張の発火点になりえます。もし戦争になれば基地や軍備がある場所は狙われます。いい事はなにもないです。

高江のテントではこれまでの反対運動の記録映像のDVDやTシャツ、手ぬぐい、書籍、パンフレットなどを各々購入しました。これもカンパの一部になります。

私もずっと基地の沖縄県外移転または基地の撤廃と、これ以上の拡張を反対する立場を表明していましたが、こういう機会に現場で頑張っている人々と話が出来たのはとても大きな経験になりました。ウチナーンチュのガジ丸さんのおかげで、これまでにない濃い旅になりました。

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2012/06/10

LOVE沖縄の旅 2012年初夏(1)

Love沖縄の旅2012

●猪を食べに沖縄へ

今年は沖縄県が日本に返還されてちょうど40年。小笠原諸島の日本返還40周年の2008年6月に小笠原諸島母島の旅をした私なので、今回も沖縄返還40周年記念で「ぜひ沖縄に行こう!」という気持ち...だったわけではありません。

沖縄は琉球としての歴史もあるわけで、日本、米国、琉球を考えるとき、素直に「日本返還」と喜んでいいのか正直わかりません。

そんな年の5月にKさんから「猪を食べに沖縄へ行こう」というお誘いのメールがあって心が揺れました。猪に惹かれたのはもちろん、その場所が北部の農園だったこともあり「自然がいっぱいだろうなぁ」とフィールド録音魂にも少し火がつき、「せっかくなら日本返還40周年の沖縄に行ってみたい」という気持ちがフツフツと沸いて来たわけです。

●34年ぶりの沖縄へ

沖縄旅行は初めてではありませんでした。実に34年ぶりです。両親の勤めていた会社の社員旅行に家族で参加したのが最初です。その当時の家族写真が見つかりました。

沖縄1978年02月06日守礼門

家族の足元にある「めんそうれ」の文字盤に昭和53年2月6日と書いてありました。返還の6年後の沖縄です。ちなみに赤と黒のストライプの服の子どもが私です。このストライプは沖縄らしく天然記念物クロイワトカゲモドキをイメージした...わけではありません

その後国内・海外いろいろ旅行しましたが、沖縄は近くて遠いところでした。

●平日夜発の快適さ!

個々のエピソードはそれぞれ個別の記事にしたいので、ここでは全体スケジュールだけおさらい。

5月31日(木)羽田空港20:00発のANA139便で那覇に22:35着。平日の夜出発はあわただしくなくていいですね。羽田で飯も食って明日からのプランなどもいろいろダベりながら飛行機で2時間半。あっという間でした。小笠原の25時間半とはえらい違いです(笑)。

ついたらモノレール(モチロン初乗車)で数駅移動しホテルへ。沖縄3泊でしたがホテルはこの日だけでした。もう23時ですけれど、居酒屋は結構やっていてホテル近くの居酒屋へ。メニューから売れ筋3品を注文し、バイトの気さくな女子大生が注文を持ってくるたびにいろいろお話ししながら閉店まで泡盛を飲みました。

島らっきょうとか海ぶどうとかミミガーとかラフティとか超定番ばっかり食べちゃいましたが、六本木や銀座でしか食べたことのない沖縄料理の超定番も現地で食べるとさらに美味しいさぁ。

●6月1日天気晴れのち雨

翌朝は朝8時にKさんのお友達のガジ丸さんが迎えに来てくださいました。ガジ丸さんはウチナーンチュで非常に濃いHP「ガジ丸の島 ガジ丸が語るウチナームン」を毎週更新されてます。私も愛読者のひとりになりました。

ガジ丸さんの車で斎場御嶽(せーふぁうたき)へ。ここは別記事で書く予定。天気予報は常に雨でしたけど、結構いい天気で、さすがに島の天気だなぁと思いました。

その後、久高島に向かう予定でしたがなんとこの日から祭事で島の北部は全面通行止とのこと。しかもフェリーの本数も少なく、行ったとしても島に1時間しか滞在できません。それで久高島行きはあきらめました。

久高島通行止めのお知らせ

この祭事はハンザナシーと書かれていました。帰宅してから購入した「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」(集英社新書)によると、この祭事は旧暦の4月と9月に行われる祭祀で、ニラーハラーの神々が来訪し、島を祓い清めてシマ人に平安をもたらす厳粛な祭祀とのことです。

そのような厳粛かつ大規模な祭祀なので、その祭祀が行われる場所は観光客を含む一般人は通行止めになってしまいます。

まさにその日に当たってしまったというのも、日頃の行いが悪いKさんのせいです(笑)。Kさんは前回も時間が合わず島に渡れなかったそうで、みんなに「神様に嫌われとる!」と言われてました。三度目の正直で次回はぜひ渡りたいものですね。

しかしポジティブに考えるならば、そういう神事のときに沖縄に偶然来ていることが珍しいわけで、「通行止めのお知らせ」すらありがたいもののように見えてきます。そもそもが行き当たりばったりの旅がしたいわけなので、ハプニングは大歓迎なのです。

島に渡れないので、観光地のひとつ「おきなわワールド文化王国・玉泉洞」へ向かいました。実家の山口県にある秋芳洞とも異なる大きな鍾乳洞でした。ここでドライフルーツをたくさん買込みました。まだ食べ切れません。ドライフルーツ大好きなんで。

やばい。この調子で書いていたら終わらない。ちょっと端折って。午後から夕方にかけて雨が降りましたが車で移動中で助かりました。夜は雨もやみ、夕飯を檀れいさんもご訪問されたことがある「糸ぐるま」で。

私がドラマの「八日目の蝉」の大ファンだと知っているKさんがこのお店をチョイスしてくれました。Kさんは前回来たときにこのお店で檀れいさんを見かけて私に電話してきたんですよ。そういうことするから久高島に渡れない...わけではないと思うけど。うれしかったです。

「糸ぐるま」さんでは珍味の「にがな和え」なども食べました。女将さんがとっても暖かい方でした。国仲涼子ちゃんがバイトしていたというぜんざい屋さんもなにげに近いです。この日はガジ丸さんの実家に泊めていただきました。

翌日以降はまたその記事で詳しく書くことにします。翌日は辺野古・高江という基地反対テントへ激励に行き、夜は農園で国際交流しながら猪鍋という、普通の観光旅行じゃ出来ない体験テンコ盛りです。こんな旅が出来たのもKさんとガジ丸さんのおかげです!ジモティープランな旅っていいですよね。

最後に久高島行きのフェリー乗り場で撮った猫ちゃんの写真を。他じゃ使わないだろうから。小鉄と名付けました(笑)。

久高島フェリー乗り場の猫の小鉄

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2012/06/02


辺野古です。

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なんだかいい天気だよ。

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2012/06/01


夕飯は沖縄家庭料理の糸ぐるまさんで。うまし!女将さんの気遣いが嬉しいお店でした。

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オヤツタイム

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てんぷら屋さんでさかなといかともずくのてんぷら購入。うまし!そして安し!

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はいさい!朝からパワースポットに来てます。いいとこだなぁ。今度は録音に来たいな。

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