爽快な読後感 『おじさん、語学する』
先週金曜は約10年ぶりに再会した友人と飲んだ。彼は学生時代からの友人だが最初の勤務地がローマだった。その後ほんの少し日本に戻っている間に学生時代からの彼女と結婚したが、そのときのレストラン・ウェディングでは司会を私が勤めた。そしてまたすぐローマに発ち、その後アムステルダムに移ってほぼ10年、ようやく日本勤務で帰国したのだった。
この日待ち合わせした時間まで間があったので書店に立ち寄った。書店で本の背表紙を眺めながら、「これらが電子書籍になってポケットに収まり、この空間が消滅したら街はいったいどうなるんだろう」と空想しながら無目的に様々な書棚のあいだを徘徊した。
ビジネス書の棚で一冊の本に再会した。エリヤフ・ゴールドラット博士の『ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か』だった。かつて衝撃をうけたTOC理論の本だ。しかしその本には新しい帯が掛けられていた。「追悼ゴールドラット博士」という帯だった。不覚にも博士が昨年亡くなっていたことをそのときまで知らなかったのだった。
最近は家電量販店に行くとめまいがする。あまりにも過剰な品揃えと広告に圧倒されて買う気がうせる。そしてパソコンで検索し再検討しようと思うことが多い。しかし書店は家電ショップとは比較にならないほど多品種少量の品揃えにも関わらず次々と発見がある。
書物という「モノ」から発せられる知的な誘惑はパソコンの検索ではまだまだ再現不可能だ。その無目的な混沌のなかからアイデアは生まれるものだ。どこまで行っても細かい能動的選択を迫られる近未来ネット社会でこの知的遊戯が損なわれてしまわないことを祈るばかりだ。
最近は新書の出版数が増加し書店の棚も広がった。新書は出版社別のシリーズで陳列されるから、そのタイトルを横に見ていくだけで刺激がある。テーマの不連続さは論理を超越する。
この日もそうだった。最近は地球システム論の『我関わる、ゆえに我あり ―地球システム論と文明』(集英社新書)とか、宇宙の最新知識の『宇宙に外側はあるか』(光文社新書)などの新書を読んでいるので、漠然とそんなジャンルの新書を探そうとしていた。
そんなときに目に付いたのが『おじさん、語学する』(集英社新書)だった。帯には「『やり直し語学』の決定版!」とある。宇宙本を探していて語学本を手にとってしまえるところが新書棚なのだ(笑)。
●学校英語への積年のうらみつらみ(笑)
最近韓国語学習が初級の初級を終えて、この先どうすればいいか迷いながらちょっとスランプ気味だった。そんなおじさんの心のスキマにスイッチを入れてくれそうな本が「おじさん、語学する」だった。
このタイトルは気恥ずかしくて普段なら買わない。また語学書のメインターゲットはほとんどが女性だ。おじさんターゲットの語学書なんてのは企画からして通らないものなのだ。だが天邪鬼な私は「おじさん、語学する」というストレートなタイトルに「内容にひねりがあるのか?」という疑いを持って手に取ったのだった。
以前サドベリーバレースクールを紹介していた『超・学校』のように、いまいちのタイトル(失敬!)に疑いを持って手にした書物が、実は類書のないオリジナリティを持っていたという経験があったので、一度は手に取る習慣が出来た。それが奏功した(笑)。これはすばらしい外国語学習法の指南書だった。著者の塩田勉さんは「多読授業」のプロで数年来「英語再入門」の授業を行っている方だという。
私は学校英語にとにかく疑念と怨念を持ち続けて生きて来て、英語帝国主義に喝采を送りつつ、しかし外国への憧憬は子どものころから強く、そのリベンジで2010年にキムヨナ金メダル記念として韓国語を始めた人間だから、語学の教授法や教育論というものにはとにかく懐疑的なのだった。
韓国語をはじめて例えば千野栄一さんの「外国語上達法」とかロンブ・カトーさんの「わたしの外国語学習法」、野間秀樹さんの「ハングルの誕生」などを読んでいるうちに、学校英語の教授法こそが間違っていたんじゃないかという思いを強くした。それは様々な外国語学習法を読むにつれ確信となっていく。
●物語が喚起する語学指南書
私にとって「おじさん、語学する」も学校英語の呪縛から脱出し自分で語学学習法を見つけるための書物の仲間入りだ。千野栄一さんの本の紹介もチラっと出てきたりする。ジャッキーチェンが「蛇拳」で猫の動きを蛇と組み合わせて強敵に打ち勝ったように、自分らしさを自覚して語学を人生論として考えるのだ。
内容で秀逸かつ類書がない点は、物語(小説)で読み進められることにある。前段でエリヤフ・ゴールドラット博士の『ザ・ゴール』に触れたが、あの著書もTOC理論を広く伝えるために小説仕立てにしてあり大ベストセラーになったのだった。まさに今回、「追悼ゴールドラット博士」のオビからの流れで「おじさん、語学する」にめぐり合えたのは必然だったような気さえする。
物語仕立てだけど内容はいたって具体的だ。また要所要所に注の番号が振ってあり、巻末の注が非常に有益な読書案内でもあり、また章ごとに“良き学習者”として成長してゆく主人公の心構えを解説してくれている。
章ごとにもそこでのポイントが箇条書きでまとめてあったり、小見出しが学習指南の指針のようなものだったり、あくまでも小説ではなく指南書であろうとする意志で統一された編集になっている。
主人公の林家常雄はフランス人と結婚した娘の孫(4歳)に会いに行くためにフランス語を学び始める。「孫のいる年齢のおじさん」がゼロからフランス語を始めるという“ファンタジー”だ(笑)。
しかしこの「おじさん」という存在を、語学以外の知識や知恵、そして社会経験を持ったひとりの平凡で善良で少し頑固な人間と捉えれば、ゼロからの語学が万人に可能でやり甲斐のあるチャレンジだとわかる。
また日本の学校英語というものがいかに語学教育から遠いものかもよくわかるという意味では、中学生にも薦められる新書だ。どうせ語学をやるのなら楽しく、また使えるようになるに越したことはない(って普通はそれが目的なんだけど)。そのために学校に頼らず自分なりの方法を見つけて語学を身につけたほうが将来役に立つ。
現代の学校英語は私たちの頃よりもまともになっているかもしれないけれど、この新書の初版は2001年だったので、21世紀になってもまだそれほど大きくは変化していないのだろう。だから多くの日本人は10年英語をやってもしゃべれないし戦えない(交渉できない)のかもしれない。
奥付を見ると私の買った「おじさん、語学する」は2010年に出た2刷だった。初版から9年も経って増刷されているので、細く長くという感じの売れ方だ。このタイトルだとなかなか手に取りずらいけれど、ネットなら買いやすいと思う(笑)。おそらく読むべき潜在読者の手に届いていないと思う。だからこうして紹介してみたくなった。
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コメント
最近、菊間ひろみ『英語を学ぶのは40歳からがいい』幻冬舎(新書)を読みました。
発音と多読、英語表現を覚えるという習慣を説いています。多読というのは共通してるんでせうかね。
ちなみに、あと1ヶ月後に国際会議でパリなのですが、英語もフランス語もダメダメです(恥)。さすがに今からじゃ間に合わないな(慟哭)。
投稿: たまご | 2012/06/08 00:50
いいな、パリ。私が行った頃はまだユーロがなかった時代なので...。
大人の語学では「多読」というキーワードはよく聞きますね。自分なりの方法にアレンジして採り入れたいものです。
一ヶ月で間に合う方法がひとつありますよ。それは気合です!物怖じしない気合あるのみ。押忍
投稿: ポップンポール | 2012/06/08 08:00