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2012.04.21

「事務ミス」をナメるな!

日々事務ミスには悩まされている。ボクは元プログラマーでもあり物事の手順を考えるのが趣味みたいなものなので、『「事務ミス」をナメるな!』の著者のお話にはまったく同感した。

ヒューマンエラーは努力と根性では防止できないし、ミスを起こしやすいポイントはいくつもあり対症療法的な取組になりやすいが、ミスの入り込む隙間を少なくする手順の構築は可能だ。

だがあらゆる組織やグループには抵抗勢力が必ずいて、昔ながらのやり方を変えたくない人々の坩堝でもある。そういう人物や集団を説得していくことから始めなければならず、最初のハードルが非常に高い。

職人芸でミスなく仕事をしている人々には、システム変更に対するものすごい不信感があったりする。手順を変えることは自分自身の仕事を否定されたとまで思う人もいるだろう。

そもそも仕事というものは(第三者から見れば)ミスがなくて当たり前なのだ。だから日々ミスのない仕事をしていれば評価はプラスでもマイナスでもない。ミスしたときにマイナス評価になるだけだ。

そういう考えから入るとミスを起こさないためのシステム開発は完璧に作動してもプラスにはならない。せいぜい評価ゼロの継続でしかない。

そういう意識から変える必要に迫られているのが現代社会だ。リスク管理という視点がますます重要になる仕事環境において、凡ミスの防止は急務であり、ミス撲滅のための継続的な取組をシステム化しなければならない。

実務的に考えればシステムの変更によって防げるミスは多い。ミスの発生ルートそのものを根絶し得る場合もあれば、ヒューマンエラーへの注意喚起を促すアラートを示すだけの場合もある。組織においてはそられの取組をしっかり評価する仕組みも必要だろう。

またそのシステム変更によって負荷が増える人々をいかにケアしていくかも重要な要素だ。手順の見える化と同時に成果の見える化も必須事項だと思う。

●お客様は神様でも信頼できる仲間でも信用しない

ミス防止のためにあえて非合理的に見える手順を入れる場合もある。よく引き合いに出したのは昔のカセットテープ録音だ。録音ボタンと再生ボタンを同時に押さなければならない。録音ボタンだけでいいように思うが、あえて再生ボタンも押させることで間違うリスクを低減していたわけだ。「録音する」という動作を意識させるために2つを同時に押すという非合理的な手順になっていたのだ。

ま、いまや「カセットテープの録音ボタン」が通じないわけだが(笑)、例えばHDDレコーダでもキャンセルとOKの位置をあえてパソコンなどと逆にしたり、スポーツウェアでもポケットのジッパーを下から上に引き上げて締める仕様になっていたりする。

つまり無意識の動作と逆をユーザーにさせることで動画を消したり、ポケットからモノを落としたりするミスを防ごうとしてくれているわけだ。もちろんその動作に慣れてしまうと同じことではあるが、日常の便利さとあえて逆の動作で意識付けをしていく効果はある。

先日見かけたのはチケットの発券のために10桁以上の数字を押させる画面があり、そのテンキーの並び順がランダムになっている機械だ。いつものテンキーのつもりで押すことが出来ず嫌でも数字を探して意識しながら押さなければならなかった。非常に面倒なのだが、これも間違い発券のリスクを重く見たのだろう。また物理的なボタンではなく画面上のボタンだから毎回ランダムに表示でき慣れることがない。

いろんな場面でいろんな担当者がリスク回避について考え始めていることは確かなようだ。ヒューマンエラーの起こしやすさからすれば、もっとも信用できないのが一般消費者であり、そういう一般人を相手にする場合は訴えられるリスクもあって、慎重なエラー回避策を日々検討しているのだろう。だがこれが組織やグループでの仕事となると、情報共有も進んでいる(と思っている)し、まだまだリスク管理が甘い。プライドの高い組織ほどその傾向にあるように思ったりする。

●手順化は“ボクの愛した数式”

私自身は仕事のうえで自分自身のミスを減らすために細かい手順のマクロ化や業務フロー化を行い続けてきた。モットーとしているのは「自分自身も信用しない」ということだ。自分をひとりのユーザーと想定し客観視することから始める。構築したいまのことを忘れてしまっているであろう未来の自分へのメッセージとして手順とコメントを残し続けている。「博士の愛した数式」の博士のように。

それらは特に評価を意識することなく自分のためにやっていることだから、ユーザーたる自分自身が納得できるシステムになっている。こんな改善をずっとやっていると、この仕事が他の仕事とどうつながっているかへの視野も広くなる。問題点の発見にもつながる。だが自分だけに見えていて、つながりのある別の業務従事者に見えていないと話が通じにくい。ときにケンカになったりもする。そこに組織のヒエラルキーなどを持ち出されるともう事務ミスから学ぶチャンスは闇に葬られてしまうのだ。

他人に自分の仕事をゴチャゴチャいわれたくないという感情は誰にでもあるだろう。だから結局、他人のミスを念頭にいれて、そのミスが起きたときに自分自身のシステムにアラートを出し、みつけたミスをひとつひとつ指摘しては直させるということをやっている。牛歩の歩みだが、具体的にミスの発生過程とその後のミス発見過程をいちいち示すことで、新たなシステムの必要性を実感させることも必要なのだ。

ただし、このような事務ミスをナメているダメ経営者は多い(wobbly)。彼らもまた「博士の愛した数式」のようなものだが、彼らは博士のようにメッセージを残さない。昨日のミスはすぐ忘れて今日もまた同じミスを繰り返す。そして重大なミスが起きたときだけ関係者に責任を負わせ逃げてしまうのだ。卑怯だがよくある光景だ。彼らは自分自身を信用している。それが誤りの始まりといえるだろう。経営を根性でやってミスらないことを祈る。

というわけで、この文章のなかにも一箇所タイプミスがある(笑)。二箇所はないつもりだが大丈夫かな。

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