人類の生きる意味は排泄にあり!?
人類が朝目覚めるのは、第一義的には排泄行為のためであることがわかった。
人類に限らず何らかのエネルギーを取り入れて体内処理し排泄する生物の“生きる意味”が排泄にあるとの学説が発表された。これまで人類は子孫を残すことが生きる究極の目的であり生きる意味と考えられてきたが、朝目覚めたときトイレに行きたくなることこそが生きる証しであり、単に個体の排泄が生きる意味とされたことにより、世界的にさまざまな動揺が広がっている。宗教上、倫理上の議論も噴出するものと思われる。
学説によると、あらゆる排泄行為によって地球環境は有機物のリサイクル、リユースが可能になっているという。地球という有機体の一部機能として生物が担う最大の役割が排泄にあり、これら生物は排泄なくして生きる価値がない。
排泄を終えたあらゆる生物はその生命を閉じる。子孫を残せたかどうかに限らず排泄の有無が生命線である所以だ。排泄を行うのは人類だけではないため、たとえ人類が子孫を残せず絶滅したとしても、排泄機能を持つ生物による有機物の循環が途絶えなければ地球の存続は可能だ。
この学説を踏まえ医療業界にも様々な変化が起きている。すでに医薬品業界では夢の不老長寿には排泄システムの延命こそが重要との認識のもと、様々な腸内環境改善の新薬開発競争が激化し始めた。
人類はこの重要な排泄行為を長い間不浄のものとして隠蔽してきた。そのため、食べる行為(インプット)を礼讃し、食べることを本能的な楽しみと考えるに至った。しかし学説によればこれは一種のすりこみ現象と考えられているという。
このすりこみ現象は、食事に興味を集中させ排泄機能を促進させる機能だという。この機能がもっとも突出した一部の人類は、生命の危険を伴ってでも食べ続けるという飽食の時代に突入している。また排泄物の質を高めるために健康という概念が生まれたとされる。
地球にとって人類の排泄物は、飽食による量の確保と健康的生活による質の向上とが同時に計られているともいわれている。まさに地球の意志を感じるが、そのような「意志」という概念は人類特有のものとも考えられており、単に地球による機能回復、自然治癒力の産物とするグループもある。
ただ、なぜこのような飽食や健康が発達したかの全容は未だ明らかになっておらず今後の研究が待たれる。一部研究者の間では、核開発により地球環境の有機的リサイクル、リユースが悪化し始めたことが原因だといわれている。さらに良質な排泄物を同時多発的に量産せざるを得なくなった地球の意志であるとの声もささやかれている。あるいはこれこそが機能不全の表出なのではないかと警鐘を鳴らす研究者もいる。
確かなことは、人類が核開発を進め自らの絶滅を早める行為は、地球による有機物リサイクル、リユースの循環を断ち切る行為であり、人類以外の機能不全をも引き起こすことだ。飽食ブームも健康ブームも地球にとってはありがたい排泄機能の向上といえるが、あらゆる有機物を死に導きトイレのないマンションともいわれる原発開発だけは地球の意志に反した行いといえるのではないだろうか。
●ニュース:排泄こそが生きる意味!?
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