google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 音楽という名の光 山下達郎ライブ@大宮: ひとくちメモ

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2012/04/30

音楽という名の光 山下達郎ライブ@大宮

昨日は待望の山下達郎ライブを聴きに大宮ソニックシティへ。ボクにとっては2009年3月21日の大宮以来、3度目の山下達郎ライブだった。

Tatsuro20120429

今回はこれまでで一番いい席が取れて、演奏者の表情やギターの指使いまではっきり見えた。

新作を引っさげての全国ツアーもこの日をいれてあと5日を残すのみ。7ヶ月に及ぶ今ツアーでは、私の実家がある山口県徳山市(現・周南市)の周南市文化会館もがツアー日程に入っていて驚いた。

そこはボクが中島みゆきライブを初めて立ち見で見た場所であり、また高校時代に自主製作映画でここにオフコースを観に行ったテイで撮影に使った場所でもある(笑)。高校時代に来てくれてたらボクの人生も変わっていたかもなぁ。それだけ大規模なツアーだったということだね。

新作を引っさげてと書いたけど山下達郎さんのコンサートは新作プロモーション色が少なく、ライブはライブとして別のコンセプトで選曲されるので、コンサートそのものがベスト盤のようなものになってる。ライブで何年もやってなかった曲を演奏してみたり、いまの自分が歌うべき場所と歌を常に意識してステージが構成されてる。

●選曲の苦労話にひとくちメモ的納得感(笑)

もともと音楽マニアな人なのでリスナーの気持ちをよーく知っている。そして山下達郎に求めるクオリティの高さも充分知っている。ただファン層が幅広く、聞きたい曲も多いがゆえにセットリストでは毎回悩むと話されていた。

もはやどれを演奏するかではなくどれを演奏しないかという消去法になってしまうとか。きっと過去のセットリストともにらめっこしながら、何年もやっていない曲でいまの心境やライブのコンセプトに合致するものに絞り込んでいくのだろう。

その話を聞いて、ちょうど一昨日、このひとくちメモで「自分で弾き語りたい吉田拓郎20選!」をやっていたボクは俄然納得した(笑)。こっちはただブログネタで20曲選ぶだけだが、実際に7ヶ月間の演奏旅行をする楽曲選びという作業は途方もなく大変だと思う。

あくまで新作プロモーションというお仕事感覚でやるミュージシャンなら新作から8割やって、後はかつてのレコードセールス順に“お約束”の数曲でもやれば2時間のライブは構成できるだろう。だがヤマタツはそういう仕事はしない!

新旧すべての楽曲が同レベルに存在し、コンセプトに沿って選択し練り上げて3時間超のライブに仕上げて来る。リスナーの飽くなき欲求に応えるべく考え続けてくれているのがヒシヒシと感じる。だからライブパフォーマンスがすばらしいんだと思う。悩みはコアなファン層と新規ファン層とどちらにも楽しめるステージにすることだそうだ。もっともコアな人々はほっといても行くわけだけど(チケットが入手できればの話だがっ!)。

●一貫したこだわりをガラパゴスと呼ぶ!

選曲だけでなくそういうこだわりが随所にある。セットも毎回楽しみのひとつだ。会場の扉を入ると巨大なセットが目に入る。今回はステージに近かったので開演前の舞台下からまじまじと見上げてみた。

コンセプトは「アメリカの田舎町のストリート」で達郎さんの歌う足許には石畳が敷かれていた。舞台左手にある「MUSIC INN」のなかに飾ってあるギターの銘柄とか、そういうのもそのうち達郎マニアによって明らかになったりするのだろうか(笑)。

今回初参加のサキソフォン奏者宮里陽太さんもこだわりの人選のようだった。都城市から通ってる(?)とか。その地元へのこだわりもいいっすね。

ボクはサックスソロのときに思わず左耳に手を当ててしっかり音を聞いていた(これはとてもよく聞こえるけどずっとやってると難聴になりそうだから要注意です)。達郎さんのカッティングギターとサキソフォンの緊張関係がビビッドに身体に入ってきた。

こだわりといえば会場選びにも相当こだわりがあるのは有名な話。隣のスタジアム(さいたまナントカアリーナ)では絶対にやらないと断言された(笑)。ナマ声でも最終列まで声が届くレベル、3000席クラスの音楽ホールをこよなく愛するのが山下達郎だ。

音楽ビジネスとして効率がいいのは巨大スタジアムだ。一度に1万人超を入れて回収すれば、3000人収容のホールで数回やるより出演者のギャラも経費も1回分で済む。しかしそれでは山下達郎の音楽は届ききらないのだろう。分散コードや歌声の細かいニュアンスまでひとりひとりの観客に届けたいわけだ。

ボクが「自分で弾き語りたい山下達郎20選!」を企画しないのも分散コードの連続ゆえに弾けないからなのだが(笑)、まさにそのニュアンスの機微がアリーナ規模では届かないということだね。ただアリーナを否定はされておらず、あれはパーティ、お祭りと割り切った盛り上がり方はありえる。

個人的には来月、そのさいたまナントカアリーナにKARAを観に行ってしまう私だ。確かにKARAはお祭り気分だ。ただ大会場でスパークルのカッティングギターを聴いてみたい気がしなくもない…。もちろんそのときはお祭り気分で。

また海外進出は毛頭考えていないとも。何度もそういう話はあったそうだ。そりゃそうだろう。どこに行っても通用すると思う。しかしそれも自分の仕事じゃないと断言される。「海外に行く暇があったら大宮に来る!」は超名言だったなぁ。ヤマタツファンの中心層は20~50代の男性なので、日本で頑張ってるコアでマニアなファンに常にベクトルが向いているわけだ。

舞台装置、会場選定、国内至上主義、そしてなかなか終わらない演奏(笑)、すべてが音楽へのこだわりの産物であり、それをグローバル化を否定するガラパゴス化と呼ぶなら呼んでみろというスタンスを貫き通している。不遇の時代からずっと好きな音楽を作り続けて来た自信と裏づけがあったればこそだろう。もしヤマタツが売れなくなってプロデューサにでもなっていたら、このこだわりゆえに会社と衝突するのは必至だ。今後もミュージシャン山下達郎の音楽を聴き続けたい。

●歌詞へのこだわり

ツアーパンフの充実振りもすごい。27000字。楽曲の歌詞について様々な思いがエッセイ風に綴られていた。歌詞解釈マニアの私としてはうれしい限りだ。昨今、歌詞分析や歌詞解釈が静かなブームなのかな。私の妄想解釈がメディアに何回か呼ばれたりするくらいだもんな。

山下達郎さんも歌詞を作るうえでは“妄想”して書いているという話がパンフに載っていた。まさに妄想とは感性の産物、意識してみる夢なのだ。アーティストが描いた妄想を、私はさらに自分の妄想で解釈する。これが私の歌詞解釈の極みであり、妄想コラボレイションなのである。アーティストとの違いはギャラくらいのものだろうか(笑)。

冗談はさておき、おそらく大衆歌謡の歌詞解釈ブームがあるとしたら、これも2011.3.11とかかわりがあるように思う。ポスト3.11の「日本」を意識したときに、大衆芸能における日本語の歌の力が小さな支えとなる場面は多いのかもしれない。

人間は言葉によって生き、言葉によって考える。政治家もそうであって欲しいが、いま言葉が信用を失いつつある。だが大衆芸能は常に人々に寄り添い、そのときの環境や体調、気の持ち方次第で心に小さな光を点せる。

「希望という名の光」(Ray Of Hope)という3.11以降に発売されたアルバムによって、そして今回のライブツアーによって、少なくとも会場にいた私は満たされた。山下達郎が「希望」を光と歌い、私はその「音楽」に光を見つける。

その光は物理的に誰かを救うことはできなくても、気持ちの切り替えスイッチを押す手助けをしてくれる。行動のきっかけになってくれることもある。高ぶる気持ちを落ち着かせてくれることもある。サウンドの力ももちろんあるけれど、いまの日本は言葉に光を当てたくなる時代なんだと思う。

MCでもプロポーズの歌詞についての話なども少し聞けておもしろかった。そこでは「そんなのはポップスの歌詞なんだから」といった発言もあり、基本サウンドの人ではある。でもそれは歌詞をないがしろにすることにはつながらない。

ポップミュージックの歌詞はどのように解釈も出来るところに大衆性があるのだ。だからこそ時代を超えることも出来る。境遇の異なる人にも伝わる。そしてその違いを語り合う楽しさもまたあるわけだ(と、また自分を正当化してみたりして)。

サウンドの人だなと思ったのはギタリスト佐橋佳幸さんとのギター掛け合いセッションのとき。今回表情まで見える席だったからわかったのだが、ギターセッションしているときに山下達郎さんの表情が完全にギター少年に戻ってた。口をとんがらがせてギターの高音に没入するのがギター少年の永遠のスタンダードだ(笑)。そこから逃れることは出来ないのだ!

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