google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 「われ敗れたり」米長邦雄 vs ボンクラーズ 歴史の扉を開く敗戦記: ひとくちメモ

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2012/03/22

「われ敗れたり」米長邦雄 vs ボンクラーズ 歴史の扉を開く敗戦記

いま米長邦雄永世棋聖の「われ敗れたり」を読んでいる。ついに2012年1月、将棋のトッププロがコンピュータに負けた。その対戦は「電王戦」と命名され、ニコニコ動画で中継された。

コンピュータは日々強くなっている。アマトップを倒し、女流名人を倒し(この対戦も書籍化されていて昔読んだ)、ついにここまできた。

将棋界もコンピュータの進化に協力し続けてきたという。私もその要所要所には常に注目してきたので、今回の歴史の1ページに記される対戦の記録が書籍として残ることに意義があると思う。それをしてくれるのは米長邦雄永世棋聖ならではだと思う。

負けてなお人気の米長邦雄永世棋聖。かつて泥沼流といわれた勝負師だったが、コンピュータを相手にしたときのまったく異なる思考と実践の記録は、将棋を知らなくても読み応えがある。

ちなみに私は将棋はまったく出来ない。弱いというレベルじゃなく、駒が「成る」とどう動かせばいいのかすら知らないレベルだ()。成らないときの動きはなんとか分かるといったレベルだ。

しかし将棋というゲームのあり方には興味がある。すべての手の内がさらされ、すべての駒の動きが記録され、誰もが棋譜を入手可能だ。あらゆる新手・奇手も出現した瞬間に研究されすぐに対抗策が出てくる。

だが他のボードゲームと異なり相手が捨てた駒を再利用できるという画期的なルールによって、読みの手筋が膨大に膨らむ。勝負のあやも生まれる。

ゲームとしての厳しさは尋常でない。ここまで情報を開示したなかでトッププロは勝ち続けなければならない。その精神力と知力、体力、発想力、観察力、決断力、忍耐力、それらすべてを盤上に集中させる集中力。

コンピュータはそんな棋士の姿とは真逆だ。すべての手が点数化され後半には決して間違えず、めっぽう強いらしい。米長邦雄永世棋聖も序盤が勝負の決め手になるという結論に達し、人間相手には一度も指したことのない一手を指した...。そして敗れたのだ。

その一手の意味と敗れた勝負の分析とを読むことで、コンピュータの現在や棋士の思考回路を垣間見ることが出来る。また、他のトッププロや将棋プログラム開発者など関係者が見た解説も読める。対局を離れれば協力関係にある将棋界とコンピュータ業界。非常に建設的な戦いだ。

たとえコンピュータが常に人間を凌駕し続ける時代が来たとしても、人間対人間の勝負というのはまた別の世界だと思う。例えるなら、自動車で走ればいいのにマラソンをするのはなぜなのかというような。もっともズボラな私にはマラソンする楽しみはさっぱりわからないが(笑)。

人間は所詮弱い生き物であり、その弱さを知って知恵を出すことにこそヒトとしての生き様があるのだと思う。単に正解に早く到達することが生きることではない。寄り道や回り道にこそ人生の機微があるのだ。そんな気分もありつつ読んでいるところだ。

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コメント

米長邦雄永世棋聖が今朝前立腺がんで亡くなった。享年69歳。

メディアにもよく出てくる人だったから知名度も高く、ご本人も知的好奇心が強い人だったんじゃないだろうか。

コンピュータとの対戦をこれだけ率先して出来る心の広さも好奇心の表れだったような気がする。

投稿: ポップンポール | 2012/12/18 22:38

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