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2012.03.26

中島みゆきの歌詞解釈とは上手な嘘にどっぷり騙されたい願望かも

ラジオ収録後から三日三晩考えて、ラジオが大好きな友人にも話してみて、結構あれで良かったかもという気分になってきた。ボクがやってることは歌詞分析じゃなくて歌詞解釈だということを改めて確認できたことは良かった。

KNTVでやってる韓国時代劇「根の深い木」第3話を見ていて、若き王イ・ド(ソン・ジュンギ)が自分の父である上王イ・バンウォン(ペク・ユンシク)の謎掛けに応える場面があった。そこでイ・ドは「真理はどうあれ自分がどう解釈するかだ」と答えた。

まさに王道とはそういうことだ。歌詞分析と歌詞解釈の違いもそこにあると考えていた矢先だったので、非常に印象に残ったシーンだった。

●歌詞分析と歌詞解釈との違い

歌詞分析をしてもその歌詞を超えることが出来ない。分析が有効なのはダブルミーニングの歌詞などに限られるだろう。明らかに作者の意図や書かれた背景が隠されている場合だけだといえる。

もちろんそれを知ることでその歌がより深い感動とともに聴こえてくるという歌はあると思う。昨年末のうたバナーで言えばテレサ・テンさんの歌だったり、作詞家のなかにし礼さんが自伝的小説などで書かれているいくつかの歌のエピソードなどがそれだ。だがドキュメンタリー的に迫ることの出来る歌は限られる。

それにくらべて歌詞解釈はもっとカジュアルかつ独創的だ。歌詞はひとつのお題ともいえる。それを頂戴して、その言葉ひとつひとつから別の物語を創造するゲームだ。一種のパロディともいえる。替え歌ですら歌詞解釈の一形態といってもいいかもしれない。だからボクは替え歌が好きなのかもしれない。

歌詞解釈の試みは作詞者の意図から大きく乖離するかもしれない。しかし流行歌とはそれを内包して作られる。昭和の歌謡曲にはそのような作為的曖昧さが満載されているわけだ。特に指示語や人称代名詞が何を指すのか誰を指すのか、そういう個人的なキーワードはどうとでも取れるし、どうとってもいい。

どう解釈すればどんな世界を構築できるか、そこに面白みがある。これはボクがタロット好きなところにも通じるように思う。タロットは「絵解き」であり、無作為に選ばれた複数の絵に意味(解釈)を与えるゲームだ(占いという人もいる)。

●歌詞解釈の素材としての中島みゆき

中島みゆきさんの歌詞を語るとき、その歌が私小説的であっても寓話的・御伽噺的であっても、その背景を探る週刊誌的な興味はボクにはない。だがその世界観を共有しつつ行間を埋めて物語を再構築したくなるのは確かだ。

特に中島みゆきさんの歌詞は核心部分が幾重もの衣を纏っていて、ときに心地よく、ときに力強く、ときに懐かしく、ときに絶望的で、ときに神々しくもあり、なぜか暖かい。事実が人を感動させるのではなく、レトリックが人を感動させることがある。上手な嘘に救われたりすることもある。流行歌とはそういうものだと思う。

「中島みゆきの歌詞」というタロットカードに自分なりの解釈を与える試みは、そういう上手な嘘としての比喩に騙されていく過程ともいえそうだ。騙している中島さんと騙されているボク。そこには交わることのない断絶がある。シンガーソングライターだが作家性の強い作詞者だとも思う。

歌詞解釈はこの断絶を修復する試みではもちろんない。100%自分勝手にこちら側の論理で理解していくだけのひとり遊びだ。ひとり上手と呼ばれれば本望!あなたのことをこれだけ理解してるんですよという競争ではなく、綺麗に騙されたい願望の吐露だ。ただ少し理屈をこねさせてもらう(笑)。そういう関係にあると思う。そしてやるからには上手くやりたい。上手く騙されたいし騙したい。そういう企みでもある。

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