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2012.01.13

現実社会でもディベート思考のコウモリ野郎が大嫌いだ(笑)

前の記事にも書いたが、星海社新書という新しい新書シリーズがある。これが結構売れていてボクも3冊くらい読んでいる。ボクよりももっと若い世代向けの啓蒙書といえる。

その主張は明快で「自分の頭で考えろ!」という主張だ。それが出版物からビンビン伝わってくる。ボクなんて言ってみれば考えることが趣味みたいなものなので、嗜好に合ったのかもしれない。

売れてるなかに「武器としての決断思考」という本がある。著者が京大の一般教養で教えてるというディベートの作法を書いた本だ。

こういう作法は知っているのと知らないのとでまったく思考方法が違ってくるので知らないより知っているほうがいい。

そういう前提でボクはディベートというのが嫌いだ。ゲームとしては面白いし、この本が薦めるように意思決定のための思考方法として活用するメリットは高い。

しかしディベートのルールのひとつでありキモでもある「賛成か反対はクジ引きで決める」というのが嫌いだ。

例えば「原発をすべて停止すべきか否か?」という議論で、ボクの立場は「Yes」以外にありえない。

現実社会の諸問題について決定するときにディベート的にやられたらたまらない。現実社会の意思決定において、どっちの立場も取れるようなコウモリ野郎は信用できない。

ディベートではその議題のメリットとデメリットを論理的に検討することに意義があるが、コウモリ野郎にはその背景にある「自分自身のおいしい生活」にとってのメリットが最重要課題だ。

議題のメリット・デメリットなんてどうでもいいそんなコウモリ野郎がディベートのスキルを身につけて、あえて悪用して世論操作を企むことがある。それは厳密にはディベートではなくなっているが、スキルのない人々にはまともな議論に見えてしまう。

そういうコウモリ野郎はカネや名声で簡単に転ぶだろう。ボードメンバーにしてやるから原発に賛成しろ、教授にしてやるから原発を推進しろといわれたら、簡単に賛成にまわっておいしい生活を手に入れるだろう。

ディベートのスキルとはそのような諸刃の剣だ。しかしあらゆる知識は似たような原理を持つ。だから知ったうえでどう行動するのかのほうがより重要だし、知識と行動原理とはセットで成長しなければ意味がない。そういう意味では「武器としての決断思考」は言い得てると思う。使い道が重要なのだ。

東大エリートがダメなのは行動原理のない知識ばかりだからだ(といって語弊があればダメな東大エリートといってもいい)。賢い頭が簡単に悪知恵に堕ちてゆくようなエリート社会を創り出してきた学校教育・大学教育にも致命的な欠陥があるだろう。

ディベートは論理の欠陥をつくには有益な作法だが、最終的な意思決定はディベートの勝敗と別次元にある。自分の主張の論理的欠陥を補うためにディベートを活用するというのが正しい議論のあり方だ。

ディベートを悪さの武器にしない人間になるべきだし、悪用する人間に勝るディベートスキルを身につけることが重要だ。フォースとともにあれ...。

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