google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 健康のために運動すべきか否かをディベート思考してみる: ひとくちメモ

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2012/01/15

健康のために運動すべきか否かをディベート思考してみる

今日は万歩計をつけとけばよかったな。100歩も歩いてない。ソファに座ってオットマンに足を乗っけて日がな一日過ごした。足の踏み場もない部屋を片付ける予定だったが、足を踏み出すこともなく過ごしたからまったく問題なかった。問題意識のないところには行動もないのだ!

歩いたのは寝床から起きてソファへ向かったとき、トイレに行ったとき、電話がきたとき、飯食ったときくらい。電話は携帯だったけど充電中だからコンセント挿したままにしたくてそこまで歩いた。飯も炊いてあるご飯と冷蔵庫の適当なおかずをレンジでチンするだけ。

さっきまでソファで寝落ちしてて身体が痛い。自宅でエコノミーシンドロームになったらまずいと思い、パソコン部屋に来て書き始めたから、もしかしたら100歩くらいは歩いてるかも。運動したな。

昨日も似たような状態だった。力尽きた休日はこんなものだ。一週間が長すぎる。しかし健康のためには平日は出歩くことにしてる。それが健康への最大限の気遣いだ!それなのに医者はやれ歩けだの運動しろだの食事制限しろだのうるさい。

●健康のために運動するのは論理的か?

そもそもどうして「健康のために」という健康ファシズムがはびこっているんだろう。ジョージ・ポットマンの平成史で調べてもらいたいくらいだ。

しかしとりあえず身体を動かさないかわりに頭を動かそうと考えて、「武器としての決断思考」(瀧本哲史著・星海社新書)のディベートの作法で「健康のために運動すべきか否か」を考えてみることにした。もちろん私は「健康ファシズムは否!」の立場だ。

健康のために運動すべきだという輩の健康メリットはどんなものだろう?

内因性:運動不足で内臓脂肪が蓄積すると長生きできない。

重要性:このまま成人病になって寿命が縮むことは大問題だ。

解決性:運動によって健康体になれば長生きできる。

こんな感じだろうか。健康でいることは長生きすることだという勘違いがあるように思えてならない。ちょっと恣意的でしたかね?しかし健康の究極の目的は長生きすることにあるんじゃないか?原発の全廃が人類の存続のためというのと同じで。人類が存続しなくていいなら原発は問題ない。

私の立場からは、これらに反論しなきゃならない。

内因性への反論:運動に時間を取られて、いま生きているこの時間を最大限活用できない。食べられるいま食べ、楽しめるいま楽しまないで長生きしてどうする?運動で手に入れた未来の時間をいまと同じように生きられるのか?

重要性への反論:運動にまわす時間があるなら、いまを楽しもう。いまできることを賢明に楽しもう。たとえ健康で寿命が伸びてもいまほど楽しめなければただ生きてる時間に意味がない。

解決性への反論:健康でない原因は運動だけとは限らない。ストレスの多い企業戦士は日常ストレスに加えて運動しなければというストレスを抱え込みさらに疲弊する。長生きできない原因も健康だけとは限らない。運動中に事故にあうこともある。健康に気をつけて何かをしている時間はいまの自分にはムダな時間であり、それによって失う現在の機会損失の価値と未来に健康で長生きする価値(未定の価値)とは万人が同じではない。

こんな感じ。

健康で100歳まで生きることが出来ました。さて、ラーメン二郎のブタWを食べに行けますか。という話しだ。

ま、ここから先のそれぞれへの反論は各自勝手にやってもらいたい。そんなこと考えるのは時間のムダで人生の浪費だという方には、まさにその浪費こそ健康のための運動と同じなんだよ!と一言付け加えておく。

でも現代の健康ブームとは違うアプローチでの栄養理論と健康を説く柴田博先生ファンでもある私なので、柴田先生の御説には従う自分もいたりする。一ヶ月で1kgやせろというクスリ大好きな医者には従わないけど、肉を食べながら10年で8kgくらいはやせようかなと思ったりしてる。相場観と同じでタイムスパンが違うと出てくる答えも十人十色だ。

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コメント

 
最近、運動でもして減量しようと考えているのですが、
考えられる理由は2つ。

(1)見た目とウエストに見合ったズボンをはくため

ウエストに合わせて今のサイズを上げてしまうと、
脚全体の見てくれがよろしくない。


(2)おいしいものを食べ続けるため

健康じゃないと、美味しいものも美味しく感じない。
食事も一点豪華主義みたいなのがいいのかな、と。

 

投稿: たまご | 2012/01/16 00:57

こんばんは。今年もよろしくです。

一応「健康のために運動すべきか否か」に沿って反論してみますと、

(1)への反論

これは健康とは無関係ですね。見栄えを良くするためにウエストを細くすることと、健康のために運動することとは無関係ですから。最近は不健康なほどウエストを細くしてしまう若者が多いそうです。ご注意を!

(2)への反論

これは運動とは無関係ですね。タバコやお酒でも味覚は鈍るので、運動して健康になる以外の方法があります。健康で美味しく食べ続けることに異論はないのですが、そのことと健康のために運動することの是非とは直接関係ないですね。

投稿: ポップンポール | 2012/01/16 23:00

 
うへぇ、や、やられた。ディベート万歳(?)。


好きなだけ食って飲んで、運動しないできたわけで、
いきなり運動しなきゃ、というのも腑に落ちない。

運動すると血圧とか尿酸値とか、食事制限にかかわる
数値が改善するとかなら、(2)はいけそうですかね?

 

投稿: たまご | 2012/01/17 00:17

様々な健康を示す数値そのものが本当に健康の定義を満たしているかどうか、例えば厚労省の「食事摂取基準」は浮世離れしたデタラメだと柴田博博士はおっしゃってるんですけど、メタボの基準にしても相当怪しいと思ってるんですよ。

私が自分に反論してみると、健康を考えなくとも誰もが多少は運動しているのではないか。逆にまったく動かず生活することは不可能ではないか。何も長距離を走ったり毎日健康を意識して歩いたりすることだけが運動ではなく、日々の生活での気分転換に多少なりとも身体を動かしているだろう。その延長で健康に生活できるレベルを知り維持することによって、結果的にやりたいことをし続ける期間を長く保てる。予測不可能な未来の時間を確保するために運動するのではなく、全力で生きるいまの楽しい時間を長く維持するために運動を始めるほうがよい。いまやりたいことを楽しみながら同時に出来る運動を考えれば一石二鳥だ。とかなんとかいいそうです...。

投稿: ポップンポール | 2012/01/17 00:50

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