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7 posts from January 2012

2012.01.24

IU ジャパン・プレミアム・スペシャル・ライブ

昨年暮れの「IUは高音だけじゃない。少女時代が脚だけじゃないように」でちょこっと書いたIUライブの抽選に当たったので、なんとか時間をやりくりして駆けつけた。IUの日本初の単独プレミアムライブだ。オーチャードホールに来たのは坂本龍一ライブ以来だと思う。何年ぶりだろう...。でもさすがにオーチャードホール。音響は良かったと思う。IUのボイスも管弦楽に負けてなかった。

しかし実質45分くらいで終了...。あっという間だった!オーチャードホールに37人の管弦楽+ギター+ピアノを入れての日本初ショーケース。このスケールならもう少し聴きたかったが無料のお披露目ライブだからこんなものか...。

サプライズで「良い日(Good Day,좋은 날)」の日本語詞版を初披露してくれた。三段ロケット高音歌唱も生声で披露してくれた。テレビ番組では裏メロを歌うことも多くなっていたから良かった。日本語版は3月21日にシングルとして発売されるようだ。K-POPはハングルで聴きたいほうなんだけど、この詞はうまくメロディに乗っていて違和感があまりなかった。今日のライブの模様もDVDで付くらしい。今回はそのための公開収録と考えたほうが良さそうな気がした。

MCはすべて日本語だった。カンペを見ながらだったけど、なかなか素直なトークで感情表現が豊富。IUは根が早口だしおしゃべり好きなのか、あるいは美空ひばりや松田聖子ばりに耳と音感がいいからか、覚えが早いようだ。「マジで」とか「お水タイム」とか、かわいらしさ全開の日本語。教えてる先生がいいんじゃないかと思った。IUらしさを引き出す日本語表現がわかってる。

後半は古家さんとのトーク。古家さんはほんと韓流イベントには引っ張りだこだな。このときはIUもハングルだったからさらに早口に。IUが話している内容もほとんど聞き取れなかったけど、形容詞はなんとなくわかった(笑)。昔IRISイベントでイ・ビョンホンの「21日」だけ聞き取れた頃とくらべれば多少はボクの耳もハングル慣れしてきたかな。

アニメの「夏目友人帳」のファンだというIU。IUは温泉好きということだが、アニメや音楽の趣味も結構渋いな。なんだか妙に納得してしまう。IUという世界観にマッチしてる。コリーヌ・ベイリー・レイが好きだったりもするそうなので、「プット・ユア・レコーズ・オン」のカヴァとかして欲しいなぁ。そういう品のある楽曲もIUの魅力が出せると思う。

アンコールではギターの弾き語りでラビング・ユー。IUはウィスパーボイスもなかなかいい。もう少し年齢を重ねるともっとよくなっていくように思う。ボクはなにげにウィスパーボイスが好きなのだ。ヴァージニア・アストレイツイン・ピークスのジュリー・クルーズ、日本人ではbiceなどなどが大好きなウィスパーボイス症候群なのだ(笑)。

帰ってきてさっそくIUジャパンオフィシャルファンサイトにも登録した。次回はぜひフルスケールのコンサートを聴きに行ってみたいものだ。

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2012.01.22

遠藤・今野がK-POPファンだと知ってうれしかった『観察眼』

昨年6月、初めてナマで少女時代のステージを観て「まさに少女時代の時代だった!」と書いた。そのなかに「テヨンはサッカー日本代表に例えれば遠藤保仁のような選手だ」とも書いていた。ボクはテヨンファンであると同時に遠藤保仁ファンでもある。

前著『信頼する力』も読んでいるし、今月の新刊で今野泰幸選手との共著『観察眼』もすぐ読んだ。だが実はサッカーの試合は一度も観に行っていない...。全然興味のないプロ野球ですら生涯に5回くらいは球場で見てるのに。横浜ベイスターズ優勝の瞬間も浜スタにいた...。

クラブチームがいくつあるのかも知らない。日本代表メンバーの名前も言えない。次のワールドカップがブラジルであるのも著書で知った。そもそもボランチってサッカー用語はいつからあるの?くらいのもんだった。しかし今野選手のガンバ大阪移籍とタイミングをあわせたかのように出版されたこの新書を読んで、ちょっとガンバ大阪の試合を見てみたいなと思えた。

●個人プレー指向だった私はK-POPでチームに目覚めた(笑)

子どものころは野球よりサッカーが好きだった。今でも中学時代に練習で石津君にあげたロングパスの軌跡は記憶に残っているが、運動するのが嫌いだった(笑)。マンガ児童が文学少年になり音楽青年に成長していまがある。ボクの人生にチームプレーはなかった。やって来たスポーツは、陸上の短距離と砲丸投げ、剣道、水泳、テニス、柔道などで、剣道の団体戦がチームといえばチームだった。

それが影響してかスポーツや芸能人を見る視点も個人中心だった。テレビでやるスポーツはチームスポーツが多いが、そういうなかでも個人技中心だし、個人のファンになることはあってもチームを好きになるという感覚はあまりない。大相撲の千代の富士、バレーボールの益子直美、柔道の福見友子、野球のイチロー、フィギュアスケートのキムヨナ、そしてサッカーの遠藤保仁。

しかしK-POPにはまってから、チームを応援するという感覚が徐々にわかりかけている。ジユンのいる4minute、テヨンのいる少女時代、ナルシャのいるブアガルなどなど。人から入ってチーム全体を好きになるという感覚はある。そしてそのチームのなかに好きなメンバーが増えていくという循環もある。

だからいまサッカーも遠藤のいる全日本の試合は見たいし、著書で知ったさまざまな知識をもとに遠藤のいるガンバ大阪の試合も見たいと思うのだ。人に注目するとライブ感覚が大切になるから。

●ダッシュダーッシュダッシュ!のキャプテン翼君とはひと味違う遠藤流

数少ないテレビ観戦のなかで見た遠藤選手って、チンタラ走ってるのがよく映ったりしてて、セットプレーのときだけ「オレの出番だ!」とまるで村田英雄先生のように出てきて、他のメンバーも「先生、お願いします!」みたいな感じで、コーナーキックを放つととんでもなくいいボールをあげて得点が決まる。そういう選手だと思っていた。コーナーが俺の人生さ!みたいな。オレはなんて失礼なんだろう...。

しかしこの著書を読むと、南アフリカワールドカップのときにFIFAの公式サイトのデータで走った距離は遠藤選手が一番多かったと書かれていて、かなり意外だった。そんなバカな!とまでは思わなかったが(笑)、ご本人も「たぶん、普通の人には俺がそんなに走っているようには見えなかったと思う」と書かれていた。まさにそうは見えないのだ。

いわばテレビ視聴者には『観察眼』がまったくない。言い訳するとテレビカメラはボールを追っかけるので、遠藤の事前の動きまではわからないのだ。敵にすら見えていない遠藤の先回りがテレビカメラで追えるわけがない。映らないからわからないのだ。映ったときにはチンタラ走っているのだ...。

でも楽にやっているようにみえて運動量が一番多い理由も書かれている。常に周りが見えていて先を読んで動けているからダッシュする必然性がないのだ。同じ到達点にダッシュで行くと不利な体勢になるが、早めに考えて動けばより有利にボールを受けられる。自分のいるべきポジションが早いタイミングで取れている証拠なのだった。

ますますすごい選手だなと思ったな。言うはやすしだが、なかなか出来ることじゃないですわ。猛ダッシュで走り込んでいるほうが見ていてわかりやすいし、ダメでも「がんばったんだから仕方がない」という言い訳大好きサラリーマンにはウケるだろう。だが、そういうポーズを排して合理性を重んじるのが遠藤流といえそうだ。キャプテン翼の歌のように燃えてダッシュしないのが遠藤流なのだ。だからブーイングにも強いしバックパスを恐れないんだろう。

●今野泰幸選手のナイスアシスト!

そんな遠藤選手がK-POPファンだと知ったのもこの本だ!今野選手の章で「ヤットさんもK-POPが好きで」と重大証言(笑)。もっとも有益な情報だったなぁ(happy02)。「ヤットさんも」ってことは今野選手もK-POPが好きなんだなぁ。ガンバ大阪、いいっすね(笑)。K-POPとコラボして欲しいな。

でももう一歩踏み込んで、少女時代の誰が好きなのか、そこをぜひ教えてくれ(笑)。遠藤をテヨンだと言ったこのオレにそっと教えてくれ。テヨンじゃないのかなぁ。次の著書もきっと読むからそこで明かしてくれ(笑)。

せっかくだから今野選手も少女時代に例えておくと、センターバックだからスヨンか?スヨンは背の高さはチームトップでそこは今野選手とは異なるけれど、スピーチもテヨンと同じくらいしゃべれるしモノマネも得意だ(笑)。少女時代のまさにセンターバックで魅せるメンバーだ。

ガンバ大阪には今年もうひとり、オレと同じ苗字の田尻健選手(ゴールキーパー)もユースから昇格した。つまり今年のガンバ大阪はオレ的にすごいチームなのだ。サッカー全日本でオレがほぼ唯一ファンと名乗れるのが遠藤選手。そして遠藤選手のいるガンバ大阪に共著者の今野選手が今年移籍し、同姓の田尻選手が今年J1昇格。

こういうのも何かの縁だ。ガンバ大阪に注目してぜひ試合を見たいと思う。それを今年の目標のひとつにしよう。せっかくだから優勝しようぜ!

ガンバ大阪と少女時代とでコラボしてくれたら大阪に観に行くぞ(笑)。遠藤・今野のモチベーションアップのためにもなんかイベント企画して欲しい。田尻選手はマンネ(末っ子)なので仮ソヒョンとしておこう。オレが少女時代に例える条件には全日本入りする必要があるので頑張ってほしい。オレは何様のつもりだ...。

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2012.01.15

健康のために運動すべきか否かをディベート思考してみる

今日は万歩計をつけとけばよかったな。100歩も歩いてない。ソファに座ってオットマンに足を乗っけて日がな一日過ごした。足の踏み場もない部屋を片付ける予定だったが、足を踏み出すこともなく過ごしたからまったく問題なかった。問題意識のないところには行動もないのだ!

歩いたのは寝床から起きてソファへ向かったとき、トイレに行ったとき、電話がきたとき、飯食ったときくらい。電話は携帯だったけど充電中だからコンセント挿したままにしたくてそこまで歩いた。飯も炊いてあるご飯と冷蔵庫の適当なおかずをレンジでチンするだけ。

さっきまでソファで寝落ちしてて身体が痛い。自宅でエコノミーシンドロームになったらまずいと思い、パソコン部屋に来て書き始めたから、もしかしたら100歩くらいは歩いてるかも。運動したな。

昨日も似たような状態だった。力尽きた休日はこんなものだ。一週間が長すぎる。しかし健康のためには平日は出歩くことにしてる。それが健康への最大限の気遣いだ!それなのに医者はやれ歩けだの運動しろだの食事制限しろだのうるさい。

●健康のために運動するのは論理的か?

そもそもどうして「健康のために」という健康ファシズムがはびこっているんだろう。ジョージ・ポットマンの平成史で調べてもらいたいくらいだ。

しかしとりあえず身体を動かさないかわりに頭を動かそうと考えて、「武器としての決断思考」(瀧本哲史著・星海社新書)のディベートの作法で「健康のために運動すべきか否か」を考えてみることにした。もちろん私は「健康ファシズムは否!」の立場だ。

健康のために運動すべきだという輩の健康メリットはどんなものだろう?

内因性:運動不足で内臓脂肪が蓄積すると長生きできない。

重要性:このまま成人病になって寿命が縮むことは大問題だ。

解決性:運動によって健康体になれば長生きできる。

こんな感じだろうか。健康でいることは長生きすることだという勘違いがあるように思えてならない。ちょっと恣意的でしたかね?しかし健康の究極の目的は長生きすることにあるんじゃないか?原発の全廃が人類の存続のためというのと同じで。人類が存続しなくていいなら原発は問題ない。

私の立場からは、これらに反論しなきゃならない。

内因性への反論:運動に時間を取られて、いま生きているこの時間を最大限活用できない。食べられるいま食べ、楽しめるいま楽しまないで長生きしてどうする?運動で手に入れた未来の時間をいまと同じように生きられるのか?

重要性への反論:運動にまわす時間があるなら、いまを楽しもう。いまできることを賢明に楽しもう。たとえ健康で寿命が伸びてもいまほど楽しめなければただ生きてる時間に意味がない。

解決性への反論:健康でない原因は運動だけとは限らない。ストレスの多い企業戦士は日常ストレスに加えて運動しなければというストレスを抱え込みさらに疲弊する。長生きできない原因も健康だけとは限らない。運動中に事故にあうこともある。健康に気をつけて何かをしている時間はいまの自分にはムダな時間であり、それによって失う現在の機会損失の価値と未来に健康で長生きする価値(未定の価値)とは万人が同じではない。

こんな感じ。

健康で100歳まで生きることが出来ました。さて、ラーメン二郎のブタWを食べに行けますか。という話しだ。

ま、ここから先のそれぞれへの反論は各自勝手にやってもらいたい。そんなこと考えるのは時間のムダで人生の浪費だという方には、まさにその浪費こそ健康のための運動と同じなんだよ!と一言付け加えておく。

でも現代の健康ブームとは違うアプローチでの栄養理論と健康を説く柴田博先生ファンでもある私なので、柴田先生の御説には従う自分もいたりする。一ヶ月で1kgやせろというクスリ大好きな医者には従わないけど、肉を食べながら10年で8kgくらいはやせようかなと思ったりしてる。相場観と同じでタイムスパンが違うと出てくる答えも十人十色だ。

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2012.01.13

現実社会でもディベート思考のコウモリ野郎が大嫌いだ(笑)

前の記事にも書いたが、星海社新書という新しい新書シリーズがある。これが結構売れていてボクも3冊くらい読んでいる。ボクよりももっと若い世代向けの啓蒙書といえる。

その主張は明快で「自分の頭で考えろ!」という主張だ。それが出版物からビンビン伝わってくる。ボクなんて言ってみれば考えることが趣味みたいなものなので、嗜好に合ったのかもしれない。

売れてるなかに「武器としての決断思考」という本がある。著者が京大の一般教養で教えてるというディベートの作法を書いた本だ。

こういう作法は知っているのと知らないのとでまったく思考方法が違ってくるので知らないより知っているほうがいい。

そういう前提でボクはディベートというのが嫌いだ。ゲームとしては面白いし、この本が薦めるように意思決定のための思考方法として活用するメリットは高い。

しかしディベートのルールのひとつでありキモでもある「賛成か反対はクジ引きで決める」というのが嫌いだ。

例えば「原発をすべて停止すべきか否か?」という議論で、ボクの立場は「Yes」以外にありえない。

現実社会の諸問題について決定するときにディベート的にやられたらたまらない。現実社会の意思決定において、どっちの立場も取れるようなコウモリ野郎は信用できない。

ディベートではその議題のメリットとデメリットを論理的に検討することに意義があるが、コウモリ野郎にはその背景にある「自分自身のおいしい生活」にとってのメリットが最重要課題だ。

議題のメリット・デメリットなんてどうでもいいそんなコウモリ野郎がディベートのスキルを身につけて、あえて悪用して世論操作を企むことがある。それは厳密にはディベートではなくなっているが、スキルのない人々にはまともな議論に見えてしまう。

そういうコウモリ野郎はカネや名声で簡単に転ぶだろう。ボードメンバーにしてやるから原発に賛成しろ、教授にしてやるから原発を推進しろといわれたら、簡単に賛成にまわっておいしい生活を手に入れるだろう。

ディベートのスキルとはそのような諸刃の剣だ。しかしあらゆる知識は似たような原理を持つ。だから知ったうえでどう行動するのかのほうがより重要だし、知識と行動原理とはセットで成長しなければ意味がない。そういう意味では「武器としての決断思考」は言い得てると思う。使い道が重要なのだ。

東大エリートがダメなのは行動原理のない知識ばかりだからだ(といって語弊があればダメな東大エリートといってもいい)。賢い頭が簡単に悪知恵に堕ちてゆくようなエリート社会を創り出してきた学校教育・大学教育にも致命的な欠陥があるだろう。

ディベートは論理の欠陥をつくには有益な作法だが、最終的な意思決定はディベートの勝敗と別次元にある。自分の主張の論理的欠陥を補うためにディベートを活用するというのが正しい議論のあり方だ。

ディベートを悪さの武器にしない人間になるべきだし、悪用する人間に勝るディベートスキルを身につけることが重要だ。フォースとともにあれ...。

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2012.01.11


題して月と工場萌え。極寒のディナークルーズ!

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2012.01.08

ホワイトカラーが「仕事をしたつもり」という既得権益から下山できるか?

五木寛之さんがテレビでインタビューに応えられていたタイミングもあり、昨年のひとくちメモ「『下山の思想』は降りてゆく生き方だった」という記事へ多くのアクセスをいただいてます(記事からamazonでご購入いただいた方もありがとうございます!)。

下山する感覚をポジティブに捉えることは字面からは難しいかもしれませんね。なにか良い例がないかと思っていて見つけた新書がこれ。「仕事をしたつもり」(海老原嗣生著・星海社新書)です。

星海社はいま元気な出版社ですよね。明らかに若者を新しい価値観に導こうという意志があります。その価値観も、押し付けがましい倫理や道徳、あるいは怪しげな宗教やスピリチュアルではなく、「現実社会で生き抜くためにモノを考えろ!」というメッセージになっているように思います。出版物からそれを感じます。

本来出版社とはそういうものでしたよね。なんでもございじゃなく、主張を出版物に込めて世に問い、それが受け入れられることで新しい価値を創造する。何十万部売れることが目的ではなく、届くべき人々に数千部(出来れば数万部^ ^;)届けて行動を促し、そこから異論・反論・共闘の波紋を生む種となる。巨大産業には不向きだけど大志を抱いた編集バカの集団ではなかったか。バカ編集者の集団じゃだめなのよ~。

●いまだ惰眠をむさぼるホワイトカラー大国ニッポン

日本はいつの頃からかモノを考える必要がなくなった国です。あるいはモノを考えると損してしまう国です。それは郵政民営化に反対した若い政治家の城内実氏がコイズミにパージされたとき(2005年)にも感じました。あれから6年経っても基本的になにも変わっていません。

2008年にも採り上げましたが日本生産性本部の労働生産性の国際比較レポートというのがあります。2005年時点で日本はホワイトカラーの生産性(就業者1人当たり名目付加価値)がOECDの先進7カ国中最下位(12年連続)だったわけですが、いま2009年のデータでもまだ最下位ばく進中なわけです。ブルーカラーは今回も2位を堅持しており、この面ではこの国はなにも変わっていません。政治も成果を出せていないといえるでしょう。

2008年のひとくちメモでは「この国は生産性の低い人間ほど偉そうな態度をとる。」と書きましたが、今回紹介する「仕事をしたつもり」はまさにその実態を描いてくれてました。サラリーマンとは仕事をしたつもリーマンであると。これこそがまさにリーマンショックだよ(笑)

ただこの国が残念なのは、そんな仕事をしたつもリーマンこそが「普通」であるということです。誰もが仕事をしたつもリーマンであるために、本当に仕事をしてしまうとムラから追い出されちゃいます。まさに原発安全神話ムラと同じようなことが日常の会社組織にもあるわけです。東電をけなすことなんて普通のサラリーマンには出来ません。明日は我が身なわけです。

●普通のサラリーマンが「仕事をしたつもり」という既得権益を持っている

この本では、そんな仕事をしたつもリーマンから抜け出そうと啓蒙しつつ、一方で抜け出してしまうと損する現実も描かれています。効率化を率先して推し進めれば、それを実現した彼らはパートやアルバイトで賄えるようになり、勤務時間は減り所得も落ちる...。適当に惰眠をむさぼって残業してるほうがカネになる。もっとも仕事してる本人は惰眠をむさぼっている意識などなくマジメにやってると思ってる(信じてる)というところがキモでした。

成果は上がらないけどマジメな人っていますよね。学生時代にもいました。そのまま教材で売れるんじゃないかというくらいにノートをめっちゃキレイに作っているのに成績が平凡な人...。でもマジメさという美徳は誰も非難しないし、受験勉強だったら誰も被害を受けないからそれでよかったんです。

企業にとってはそんなマジメ君は扱いにくい存在だと思いますが、日本企業はそういう人にとにかくやさしいんです。仕事するよりネクタイしめて朝早く来て残業もして会議ばっかりやって結論先延ばしの報告書を見事に作れるのが美しい仕事したつもリーマンの姿だと思います。ムラの誇りかもしれません。本当は埃なのに。

しかもそのようなマジメ社員はそれがまさか「仕事をしたつもり」だとは思ってもいません。それこそが仕事だくらいに思ってます。それはある意味、普通のサラリーマンが持っている「既得権益」ではないかと思いました。ここで「下山の思想」とつながってきます。そんな既得権益の不条理に気付き、まずは自分がその既得権益から降りることが出来るか否か。そこが日本の未来にとってもポイントになろうかと思います。

●仕事をしたつもりに気付いたら気付かないフリをする?

この本を読んで、日本企業のムラ社会のなかで目覚めたらマズいんじゃないか(笑)。途中からそう思いながら読みました。すると、この本はそういう倒錯したリーマン社会で上手くやっていくには、「仕事をしたつもり」をやめて「仕事をしたフリ」を出来るようになれというんです。

つもりとフリのこの違いは、言い換えれば自覚するかしないかの違いです。2時間で出来る仕事を7時間かけてやっていたことに気付いたんだから、仕事は2時間でやっちゃって余った5時間を自分のために有効活用できるじゃないかというわけです。

余った時間には自己投資をしよう。会社に頼らずに生きるスキルを身につけるとか、もっと仕事の全体像を考えるとか、できることを考え実行しよう。そのためにしなければならないことは「保身をやめる」ということだといいます。

なるほど!保身とはズバリ既得権益を守ることではないですか。ムラ社会で生き抜く最大の拠り所。つまり神です。だから“保神”かな(笑)。それに引きずられるといつまで経っても仕事したつもリーマンからは抜け出せないようです。

「全社一丸となって」とか「全社一律に」とかそういう呪文の好きな“保神”は一見論理的で正論なので始末が悪いですが、その正論はマジメで成果の出ない完璧ノートと同じようです。それを言っとけば安全・安心なのです。そんなチャレンジがないところからはイノベーションも起こりえないでしょう。

個々人が自分の既得権益=仕事したつもりを自覚し乗り越え、それを受け入れられる組織(風土)が出来れば、もう仕事したフリもする必要がありません。堂々とチャレンジできるようになるでしょう。これこそが「下山の思想」の根幹と同じだと思えるのです。

●下山の思想も降りてゆく生き方もチャレンジが基本!

最初に紹介したひとくちメモ「『下山の思想』は降りてゆく生き方だった」という記事から「降りてゆく生き方はまちづくり映画だった」という記事へのリンクを辿っていただけた方も多く、その先で数分立ち止まって読んでいただけてるみたいです。

映画「降りてゆく生き方」(主演:武田鉄矢)はロードショー公開をしないで各地で主催者(町や村で上映会をやりたいという一般の方)を募り口コミで広がっている映画なので、なかなか見る機会は少ないかもしれませんが、自治体などに呼びかければ逆にどこでも上映会が開催可能な映画のようです。そういう人々の輪の広がりをテーマにしている映画なので上映会という手法がマッチしてますね。

下山の思想も降りてゆく生き方も、チャレンジが基本になっていると思います。登るだけがチャレンジではないですね。降りることでその成果が確定するんだから。降りなければその登山は失敗なのです。

自戒を込めて言えば、私自身も何かを発案して新しいモノを作るときが一番楽しいです。多趣味なのもそのせいで、取り組んでいるときが一番たのしい。映画の舞台裏(楽屋話)が本編より好きだったりします。

しかしそうやって出来上がった成果物がアートや音楽だったらそれでいいですが、例えば住み良い街づくりだとか、新しい業務フローだとか、新規事業の開発だとか、出産育児だとか、作り上げた先に永く続いてゆく必要のあるものは、その持続性(サスティナビリティ)こそが下山の過程だといえます。

下山の過程で社会は成熟し新しい課題も見えてくるものです。この成熟してゆく過程を無視し、猪突猛進していればいつか倒れます。熟練工が工具を大切にメンテナンスしながら使い続けるように、この成熟した日本社会の質を高めてゆく時代なのではないでしょうか。そのためにムダな既得権益を捨ててチャレンジすることは有意義じゃないでしょうか。

若い人には「まず自分の頭で考えよう」というメッセージがもっとも価値があるように思います。本当に考えなくても生きていけそうに思えるほど成熟してますよニッポンは。でも考えないで楽に暮らしていると、考えなきゃならないときに考え方がわからなくなります。

民から考える力を奪い統治する手法を愚民化政策といいますね。民主党は自民党以上にこれを目指し始めてるのかなと思います。格差社会にもっともマッチする権力の使い方ですから。野田首相は民に何も語らなくなったでしょう。考えさせたくないんです。考えないで憶測や疑心暗鬼でデマや噂が流れるのは彼らには都合がいいんです。これが成功してしまうと格差が確定してしまって、本当にもう数百年立ち上がれなくなります。だから考えることをやめないよう注意したほうがいいと思います。老婆心ながら。

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2012.01.01

福島第一原発の底を見せるのが最優先の年明け

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」というのは一休さんの言葉ですが、正月にはだいたいこの言葉を思い出します。

というのも子供の頃アニメの一休さんを見ていて、こうふれ回る一休さんに人々が石を投げつけている情景があり、そのあまりの理不尽な大衆の行動に衝撃をうけたから。

いつもとんちで大人気の一休さんなのに、たかだか正月の気分を害したくらいで石を投げつけるという大衆の心変わりの怖さがトラウマのようになってしまったのでした。

実際の一休和尚は拾った頭蓋骨を杖にくくりつけて正月に家々を回ったそうですから、偏屈なおっさん以外の何者でもありません。さすが顔が忌野清志郎に似てるだけのことはあります。

そんなボクだから、コイズミ政権の時代の年賀状に「あけましたがおめでたいですか?」と書いたことがあります。何がめでたいのかよってスタンスだったんですけれど、10年近く経ったいま、それ以上に深刻な日本の現状があります。

まぁあそこで壊れたんだからこうなるのも時間の問題だったとも言えるのですが、民主党のモラルハザードは“想定外”でした。いやある程度は想定していたけど、ここまで変節してしまうとは。

民主党政権ってのは恐ろしいです。いや政党政治が崩壊した日本に新しい秩序を見出せない現実が恐ろしいのです。

日本をモラルハザードさせたコイズミ政権でさえ底でなかった日本。いまだ民衆は底なし沼を必死にもがいていて、財界・政界・官界は既得権益を守るために必死で蜘蛛の糸を登っています。

底なし沼に消えそうな人々はとりあえず消えてくれって言ってるかのような民主党政権。野田のいうドジョウ内閣とは、沼に埋もれて息絶えるドジョウや権力者にペロッと食べられてしまうドジョウが支える政権という意味だったみたいです。

そんな日本ではありますが、いまや全世界的に負のスパイラルにはいってしまい出口が見えません。こういうときはやはり違う視点で世の中を変えていく必要があるでしょう。

これまで正しいと思われた行いやルールをすべて疑っていく。登山のルールと潜水のルールは違うんだと認識する。それがてんでばらばらではダメだから、そこにオピニオンリーダーが現れるかどうかですね。

大概こういうときに現れるリーダーは強権的なんですけれど、そうじゃない視点が出てきたら救われるかも。もっとも私はネガティブな人間なので救われないほうに一票いれてしまいますが。崩壊現象ってのはなかなか止まらないものですから。それでも生きていかざるを得ない。こんな時代には文学や思想が育ちます。そっちを期待したい。

具体的なことは何も書けません。八方塞というのが限界です。せめて物理現象くらいは本当のことを伝える政治を取り戻したい。

ロボットでも何でもつかって福島第一原発の中に入る努力をしろ。トライしないでなんで冷温停止状態なんていえるのか。ラジコンカメラでも何でもいい。HALLUC II を政府が買い上げたっていい。とにかく格納容器の底を見せることが今年前半のもっとも単純かつインパクトのある政治課題だと思う。それなしに新年は明けないかもしれない。

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