« November 2011 | Main | January 2012 »

11 posts from December 2011

2011.12.30

ヘッドライト・テールライトでもうたバナー

たった今CXの「うたバナー」観ました。私のこと、中島みゆきマニアというテロップになってましたが、もっと濃いマニアを何人も知ってるので恐縮です。どっちかゆうたら中島みゆき語りマニアですねん(笑)。というか何でも深読みしながら妄想の世界に入っていくマニアですねん。

今回の特番では「地上の星」の1番の歌詞をサラっとなぞった部分だけが放送されましたけど、収録のときカップリング曲の「ヘッドライト・テールライト」のこともかなりしゃべってたんですわ。そこはカットになってましたので、んじゃ「ひとくちメモ」に書いてから帰省しようと思いまして(笑)。

というわけで、もうひとつのうたバナー、ヘッドライト・テールライト編です。この歌は「地上の星」との対比をものすごく意識して書かれているんで、単なるカップリング(昔風に言うならシングルB面の歌)ではなく、組曲のような雰囲気なわけですよ。そしてものすごく強い意志の表明、メッセージソングなんですわ。

番組用に提出した「ヘッドライト・テールライト」の深読み原稿もいま手元にあるのですが、いま番組を見て「地上の星」の解釈も自分自身さらに理解が深まり、「ヘッドライト・テールライト」のほうの揺れていた解釈が若干クリアになりました。だから大幅に書き換えました。「ヘッドライト・テールライト」の深読みがあのまま放送されなくて良かった。まだまだ甘かった!

●地上の星との関連性について

「地上の星」がメタファのオンパレードだったのに対して、ヘッドライト・テールライトはわりとストレートにわかりやすい言葉が多いですよね。英雄と忘れられる星とが対比されていたり、見果てぬ夢やあどけない夢などわかりやすいイメージが出てきたり。

でもサビのリフレインが「ヘッドライト・テールライト」であることに最初は違和感を持ちませんでした?この物質的・人工的なふたつのライトのリフレインは何だろうと。地上の星にはペガサスやヴィーナスがいたんだから、ここでも神話のメタファや壮大な宇宙の光り輝くものが照らしてもいいんじゃないかと。

「地上の星」の詞作について、番組では中島みゆきさんご自身の言葉が引用されてましたね。名もなき人々に“光を当てる”という考えから、何も自分が光を当てなくても自ら輝いているのは彼ら自身じゃないかというインスピレーションを得て詞が紡ぎ出されていったとか。だからこそ「地上の星」なんだと。

ええ話やなぁ。でもそうであるならば、「ヘッドライト・テールライト」は言葉は悪いけど凡庸な感じといいましょうか。タイトルだけ見るとヒット曲にならなさそうな感じがある。B面として捉えればわからなくもないくらいの感じ。ライトの名曲は他にもありますからね。いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」とか(笑)。

それでもあえてこの曲が「ヘッドライト・テールライト」でなければならない理由があるはずなんです。だって中島みゆきさんですから。

そこではたと気付いたのは、「地上の星」が彼ら自身ならば、「ヘッドライト・テールライト」はそんな地上の星が生み出した実績のメタファなんじゃないか。そんなアイデアではないだろうかと深読みしてみたいんです。

つまり、

「地上の星」=名もなき人々
「ヘッドライト・テールライト」=地上の星たちの実績

という構図ですね。

●ヘッドライト・テールライトは何を照らすのか?

地上の星たちは、いま同時代を生きる民で、つばめ(メディア)に見つけてもらわないと見つからない存在ですね。もっとも彼ら星たちは見つけてもらおうとして輝かしい仕事してるわけじゃありません。輝くような仕事をしていてもあくまで謙虚です。

彼ら地上の星は、いま僕たちが享受しているこの文明の豊かさを支えてきた名もなき地上の星たちです。そこに光を当てた、本当に光る星を見つけたのがNHKの「プロジェクトX」であったわけです。

そんな地上の星が生み出す「光(実績)」は、人類が自ら発明した現代文明を象徴する光でなきゃなりません。そこで、あえてカップリングでは現代文明の日常の象徴としてのヘッドライト・テールライトだったのではないかと思うんですよ。

ヘッドライトもテールライトも、乗り物をイメージさせますよね。ある意味現代日本(当時)の象徴です。終わりなき旅をする乗り物。では、この乗り物は何のメタファだろうと考えるに、現代文明そのものではないかと思うわけです。

現代文明という乗り物が人類の進化という道なき道を走っているんです。乗っているのはいま生きている地上の星としての民であり、照らされている者、照らしたい者もまた地上の星たちだと思うんですよ。

現代文明を生み出した人類はもはやたいまつの炎ではなく、新しい光を手に入れました。人工の光を手に未来へと進んでいる。前方にはまだ見えない僕らの未来、後方には次世代を担うべき若者の未来。

そのふたつの未来は現代文明を象徴する地上の星たちの日常の光で照らされなければならないんですよ。いまならLEDで照らさなきゃなりません!

●ポジティブな中島みゆきの現在を象徴する光

中島みゆきさんの意思の強さを感じるのは、テールライトも過去ではなく未来を照らしているところです。ここが世代を超えてウケる才能なんだよなぁ。

これまでの業績や思い出を懐かしむ光でなく、はるか後ろについてくる次世代の「あどけない夢」を照らしているんです。ここがすごい。テールライトさえも過去を振り返らない。このポジティブさはいまの中島みゆきさんを物語るものだと思いますね。

余談になりますが、30年以上前に「サーチライト」という曲を作られてます。初期の傑作アルバム「あ・り・が・と・う」に収録されてますが、その炎はろうそくでした。ろうそくを集めて自分を照らし、振った男に見つけられようとするんです。

私はそのネガティブな情念の炎にもグッと来るわけですが、ヘッドライト・テールライトで「地上の星の未来を照らす」という超ポジティブな文明賛歌にも圧倒されますね。いま中島みゆきは圧倒的にポジティブなんですよ。

中島みゆきさんのなかには、発展していく未来は地上の名もなき星たちの見えない努力によって永遠につないでいくんだ、という確信があるんだと思いますね。だからこそ、そんな未来を信じたい人に支持され続けているんだと思うんですよ。

「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」はセットでなければならず、ふたつでひとつなんです。決して交わらない運命の断絶というテーマが中島みゆき世界の根本的なエネルギーだという確信がボクにはあるんですけれど、この2曲だけは切っても切れないカップリングでなければならない必然があるんです。

やっぱ深読みって長くなるよね(笑)。また語る機会があったらいいな。やっぱこの2曲はセットで辻説法したいよね(笑)。

●ポスト中島みゆきは?

もうひとつ余談ですけど、ポスト中島みゆきって考えたことありますか?私はポスト中島みゆきは中島みゆきだと思ってます。そういうファンがたくさんいるんじゃないかな。

これまでのアルバムタイトルの変遷で象徴的だったのは、15作目「中島みゆき」です。新人歌手でもないのに「中島みゆき」(1988年)というタイトルで出してくる。ぶっ飛びましたね。昔っから知ってるよ!ってね(笑)。そんな思い出も既に20年以上前ですが、いまだに中島みゆきは変化し続けます。

「中島みゆき」は何度もデビューしてるんです。それまでのキャリアをリセットしてる。昔ながらのファンや関係者は絶対にそれまでの業績をリセットしたりしないんですけど、中島さんのなかではリセットされてる。仕事においては現在と未来しかないんです。

ヒット曲を生み出せる息の長いアーティストは何人かいますけれど、一番難しいのは「物語」を続けることだと思うんです。芸能の世界はどうしても新しいお披露目に目が行きがちで、プロデューサーは常に新人アーティストのポジションを探しています。うまくポジションにはまって売り出せたらヒットするかもしれない。でもそのポジションも安住できません。飽きられたらそのポジションが足かせになってしまいます。

運よく新しく世に出たアーティストは新鮮で目を引きますが、それを継続していくのが大変なのは会社と同じ。常に新しいテーマを掲げ、新しいビジョンを持ち、新しい物語でユーザーを説得しなきゃ生き残れません。変化することはそれほど難しくないけれど、その変化でユーザーを説得するのはとても難しい。たいがい絵に描いた餅は見抜かれてしまいます。歌謡曲がなくなり、歌の世界が多様化するにつれ、さらに物語は成立しずらくなりました。

中島みゆきさんが何世代にも渡って支持され続けているのは、今回深読みした2曲のように未来を信じるポジティブな姿勢を持って、常に説得力のある物語を作れている証しではないかと思うんですよ。過去の成功体験に固執せず、自身の意識をリセットできるチャレンジャーなんじゃないでしょうか。常に正解だけを出し続けるなんて誰にも出来ませんが、そこを調整しながら要所要所で説得力のある物語を提示できる。ファンが思う以上に過激なチャレンジャーですよ。たぶん。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2011.12.29

또 2009-2010년의 김연아를 보면서 지내는 연말.

タイトルは最初日本語で書いていたんだけど、ハングルにしてみようと思って書いてみたら何気に書けたのでハングルにしてみた(笑)。ハングルもコウモト 씨に負けず、少しは進歩してるかな?日本語では「また2009-2010年のキムヨナを見ながら過ごす年末」です。

浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく』(朝日新書)を読んだ。書店で平積みになっていて、久々に活字で「キム・ヨナ」の文字を見たのでうれしくて購入(笑)。読み終えてアマゾンでこの本の評価を見ると恐ろしく低い。長年のフィギュア・スケートファンには物足りない内容だったようだ。

キム・ヨナの出現によってフィギュアスケートを見始めた俄かファンのボクでも知ってる情報は確かに多かったけれど、知識の披露会をやってるわけじゃないので、そういう説明的な部分よりも、スポーツジャーナリストとしての著者の主観の部分を読むほうが楽しめる。

フィギュア・スケートファンにとっては既知の情報ばかりで主観の部分は深みがないという多くの批判が、逆にフィギュア・スケートという競技の特殊な排他的環境を浮き彫りにしるような気がして、それらの批判的な評価群も面白かった。確かにジャッジというのは難しいものだ。書評というジャッジには基準すらない。それでいいとも思う。

スポーツジャーナリズムにはどんな競技にも往々にしてこういうことがあるだろうね。一家言持っているファンたちと、ファンとしての視点でなくジャーナリズムとしてどんな切り口で向かうのかという視点とは、めざす方向が異なる。

特に本書は著者も書いているように「アームチェア・ディテクティブ」という手法で書かれている。過去の情報を読んでは仮説を立てて考える。現場に行かない(五輪には取材で行っているようだが)。机上で推理して書かれた文章だ。

竹中労を敬愛するボクにとって嗜好性の高いある種のジャーナリズムは主観でいいと思う。主観礼讃!それがたとえ深みのないものでも、あさっての方向を向いていても、そこから喚起される内なる情動(批判も含む)に読書の価値を置きたい。そこには読み手自身の潜在的な主観との出会いがあり、それを引き出してくれた読書に意味はある。

だから主観をこそ読んで、共感したり批判したりする道具にすれば買って損することなどないのだ。おそらくそうなることを望んで(あるいは予感して)書かれている本だ。これもボクの主観だけど。そういう読書、考える読書と言ってもいいが、をする者にはとっかかりやタタキ台となればいい。充分楽しめるはずだ。

●2009年グランプリフランス大会をもう一度見た

ボクにとってキム・ヨナの最高の演技は、2009年グランプリ開幕戦のフランス大会で見せたショートプログラム007だった。すべての始まりがそこにあった。いま振り返ると、フィギュアにというよりキム・ヨナという一大プロジェクトに魅せられていたのだと思える。

松田聖子プロジェクト、IUプロジェクト、キムヨナプロジェクト...。昔から、どうもそんな“チームの成果”が見えたときに感動を覚えてしまう性質のようなのだ。メディアで中島みゆき「地上の星」の解釈をする自分を客観的に見るときも、そのような性質が根底にあるようでならない。

だから有吉先生が「怒り新党」のなかで「チームで何かを成し遂げる映画が好き」と言われたとき妙に共感した(笑)。

ショートプログラムの007が生まれたのは偶然ではなく、北米大陸で開かれる五輪に向けてこの曲でなければならなかったのだろう。コーチはカナダ人で人脈もあり人気も高いブライアン・オーサーでなければならず、振付師もカナダ人のデヴィッド・ウィルソンでなければならなかった。

そして開幕戦のフランス大会で完璧なショートプログラムを披露することが、オリンピックを頂点としたあのシーズンの壮大なプロジェクトの序章として必然だった。五輪での200点越えを確実なものにするために。そしてプロジェクトはまったく計画通りに進み、キムヨナもそのプレッシャーに負けず千載一遇のチャンスをものにした。

2009-2010年のシーズンはキムヨナ五輪物語の最終章だったといえる。それはしっかりプロデュースできるスタッフと演じきれる役者キムヨナがいて初めて完結する物語だった。緻密に計算されたダンスはK-POPにも通じる。キムヨナの金メダルとK-POPの広がりは同時代を象徴するエポックだと思える。

あらためてGPフランス大会からオリンピックまでのVTRを見直してみて、物語の完結としてバンクーバーオリンピックが最高の舞台だったことは間違いない。しかしボクにはやはりフランス大会のキムヨナ007こそが、この物語のクライマックスだったように思う。

●浅田真央の五輪の「鐘」が心に沁みた2011年末

バンクーバーオリンピックでキムヨナに敗れた浅田真央の「鐘」もあらためて見た。浅田真央はトリプルアクセルを成功させ、トリプルアクセルに縛られ得点で泣いた。

得点の計算はスポーツには欠かせない要素だったが、それを本意でないとはいえ捨てたような形になった「鐘」。踊った浅田真央と独自の美意識を持つタラソワコーチのコンビは、五輪時点の加点システムを味方に出来なかった職人芸の世界だったが得点では表せない別の物語を残した。

大震災のあった今年あらためて「鐘」を見直すと、その芸術性の高さと音楽との融合の意味が少しわかったような気もする。浅田真央の鬼気迫る表情を見ると、大震災後に見た荒涼とした東北の風景と重なり自然と涙が出た。そんなプログラムだった。

浅田真央の「鐘」は早過ぎたのかもしれない。だが五輪での「鐘」がなかったらいまそれを見ることもかなわない。時代は選べない。キムヨナと浅田真央が同時代に出会い、同じシーズンにキムヨナはSPで007を踊り、浅田真央はFPで鐘を踊り、五輪で対決することになり、その記憶が震災後のいまこうして蘇る。

いま、それらはみな必然だったんじゃないかと思えたりする。キムヨナの世界選手権復帰を日本で観る機会も震災で途絶え、3万円以上した裏チケットだけがいま手元に残っているが、それだけは夢であって欲しかった...。これも現実だ...。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2011.12.25

「下山の思想」は降りてゆく生き方だった

2009年の秋に「降りてゆく生き方」という映画に感銘を受けた話を書きました。「降りる」という一見ネガティブな言葉に新しい価値をもたらした日本映画で、いまの日本にもっとも必要な感覚かもしれないと思っていました。

その1年半後の今年、大震災が、そして原発人災事故が起こりました。ある意味第二の敗戦です。3.11以降、ポスト震災、ポスト原発人災事故の世の中を生きることになった“残され島の人々(by 未来少年コナン)”としての私たち。

ポスト震災、ポスト原発人災事故の時代に、著名人や文化人と呼ばれる人たちが何を発言するかに興味を持っています。日本の言説が新しい価値を生み出せるのか、世界を目覚めさせる言葉を持てるのか、これまでの言説に嘘がなかったか。政治に希望を失くしたこの国だからこそ、その危機から生まれる言葉(あるいはその反射としての外圧)に期待してしまいます。

そんなときに書店で見つけた新書が五木寛之さんの『下山の思想』でした。最初「しもやまさんって誰だっけ?」と思ってしまいましたcoldsweats01)。でも違った。下山とは「げざん」、つまり山を降りることです。登山に比べて下山という言葉にいかに疎いか、書店の平積みに教えられました。このエッセイも最初からそこを突いてきます。シンプルでいいタイトルですわ。

●登った山は降りなきゃ完結しない。

「下山の思想」は結構軽いエッセイでした(笑)。すぐに読み終われます。

そのエッセンスとしては...

登山はずっと登り続けることは出来ず登ったら降りなきゃいけない。

普通の人は登ることには興味があるけれど降りることは頭にないことが多い。

でも降りなければ登山は完結しない。

登山のときには登ることに一所懸命で周りが見えていない。

下山するときは遠くの景色から足元の高山植物まで良く見える。

下山することでまた次の登山に出かけることが出来る。

戦後60年ひたすら登り続けてきた日本も10年前あたりから下山にはいった。

震災は下山途中の大雪崩とも考えられる。

ではこの事故からめざす復興の道はどこへ続くのか。

またここから同じ山を引き返し登り続けるのか?

それとも安全に山を降り、次の山に向かって英気を養うのか?

という感じでした。下山は終わりじゃなくて始まりへの準備行動だという感覚がいいなと思って。最初の登山でめざした山から下りる過程が思索の時間になり次につながると。次の山はきっとより豊かな体験と新しい思索をもたらしてくれるだろうし、そのような登山をまためざさなきゃ人としての進化(深化)がないような。そんな気がしました。

●降りた先にある次の山に向けて

日本はH22年(2010年)までの統計で12年連続で自殺者が毎年3万人を超えているそうです(警察庁統計「平成22年中における自殺の概要資料」)。H10年(1998年)に3万人を越えましたが、統計にある昭和53年(1978年)からでも毎年2万人が自殺しています。H22年はその半数以上が健康問題に起因するそうです。

五木寛之さんは警察発表で3万人なら現実はもっと多いはずだろうと書かれています。ボクもそう思います。しかしこの12年で36万人超が自殺している先進国ってなんでしょうか?

その原因をマクロに捉えることは難しいけれど、この国がもしまだ山に登っているとしたら、めざす頂上に何があるんだろうか。その山とは何だろう。アメリカ型の市場主義経済なんでしょうか?

バブル時代(1980年代後半)を日本登山の頂上と捉えてみると、戦後40年前後で一気に頂上に到達し、そこから下山を始めて約20年の中腹にいるともいえます。その過程で阪神淡路大震災やオウム真理教サリン事件(1995年)や今回の大震災と原発人災事故(2011年)などの大雪崩にあっています。

この下山の過程で登ってくるときに見えなかった様々な景色を見ることが重要で、その景色のなかにある人間の営みへ戻っていく感覚こそが大切だろうと思います。ここからまだ20年しっかりと安全に下山していく自覚が必要だと思うわけです。エコノミックアニマルがルネサンスにパラダイムシフトしていく時代といいましょうか。ちょっと凡庸な言い方ですけれど(笑)。

日本の復興が、市場至上主義の山の中腹から振り返ってまた同じ山に登り始めるのか。一度里に戻って違う山をめざすのか。

おそらく民主党を選んだときは別の山が見えていました。しかし民主党が魅せていた山は単なる絵空事でペラペラの広告でしかありませんでした。安全に降ろすことも出来なくなり、雪崩の後でうずくまってしまいました。キチンと下山しなければ後にも先にも行けません。

●既得権益という山を降りながら世の中を眺める

いま日本はそんな年末を迎えています。この山を既得権益と置き換えても面白いかもしれないですね。例えば登山中のサラリーマン社会での出世や部分最適な組織の行動様式は既得権益の拡大を目的に動きました。登れば登るほど既得権益が拡大しおいしい生活が出来るというインセンティブです。

既得権益は他人には渡したくないものですから老害経営者も増加しますし、その既得権益クラブに入れても大丈夫なメンバーが社畜として増加します。それの普遍化・システム化が現代の労働組合と言ってもいいでしょう。東電をイメージすればわかりやすいです。

しかし下山の時代には、それら既得権益と思われたインセンティブが必ずしもメリットばかりでなく、リスクと直結する時代かもしれません。モラルハザードした経営者と様々な企業犯罪が横行し、より大きなリスクを背負わされるだけで既得権益クラブには入れない中間管理職(ただし民主党の手法のように「入れますよ入れますよ」という追えば逃げるニンジンを目の前にぶら下げられています)。

これまで日本の経営者(特にサラリーマン経営者)がリスクを深く考えずに来れたのは晴天の登山をさせてくれた山があったからです。頂上だけ見て登っていればよかったわけです。でもいま経営者はリスクにさらされて右往左往するか、早くそのリスクを譲って逃げ切りたいと思っています。

そうなるとリスクのバケツリレーがはじまります。そのバケツを受け取ることこそが出世の階段を登ることといえます。もちろんリスクを取ってリターンを得るのは市場の原則ですから、これで正しく回せる組織も出てきます。しかし既得権益の美味しい蜜の誘惑は手ごわく、入れないはずの既得権益クラブにムリに入ろうとすれば必ず人の道に反します。バケツを渡してすらまだ手ぶらで登ろうとあがく者もいます。みっともない。でもそんなかつての優良企業が露見したのも今年のトピックスでした。

そのような登山指向をやめて生きるのが下山指向とも言えそうです。なにもそこで既得権益を守る人々のためにリスクを取って登り始めなくても、別の価値を求めて下山するほうが魅力的だったりします。流行ことばで言えばナンバーワンよりオンリーワンとか断捨離指向でしょうか(笑)。下山指向が増加すれば既得権益は崩壊します。そこに未来はあると思っています。

もちろん別の山に人気が集中すれば、また40年後にはそこに既得権益の山が出来るでしょう。その途上を生きているならばボクの発想も異なるでしょう。しかしいま生きているこの時代を「下山の時代」と捉えるならば、その認識を元に行動するのが、時代に敏感肌のボクにとっては一番自然かなと思ったりしてます。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2011.12.24

打ち切りの危機どころか年末特番!イラ韓SP

打ち切りの危機が世界一快適な韓国への旅をお届けする大韓航空さまのタイアップによって復活できたという「イラッとくる韓国語講座」がまさかの年末特番だ!

ユンスア先生もシブがき隊の「スシ食いねぇ」を朗読させられてる場合じゃないっつーの(笑)。でも「スシ食いねぇ」のハングル訳を期待しちゃったな。それ、オープニングにはハングルレベル高すぎかな?

特番紹介ページのリードにはこう書いてあった。

---------------------------
次長課長の河本が韓国で一人旅!
イラッとくるフレーズの韓国語はどこまで通用するのか!?
ひっそりやってる旅系語学バラエティ。

---------------------------

ひっそりやってる旅系語学バラエティって、なんて自虐的(笑)。ひっそりどころか放送してという要望が地方各局に投書されまくってるんじゃないですか!?

とはいえ、レギュラーは深夜3:30からだからねぇ。首都圏が一番遅い時間帯らしい。なんでやねん!

そういえば、オープニングトークでいつもイラッとしたりさせたりしてる森本智子アナも「おはようございます」ではじめるからな。深夜放送じゃなく早朝放送のテイなのだ。

レギュラー放送では最近、コウモト 씨のハングルが上達しまくってる。だからなのか例文もめっちゃ長くなってるよーな気がする。短い会話は自然と出てきてるし。テロップがあえて訂正する場面もほぼなくなったと思っていいだろう。すばらしい!

ボクも負けじとホントにひっそりハングル学習を続けてる。一応毎日ハングルには触れるようにして。キムヨナ自伝(子ども向け)もはやければ年内読破できそうなとこまできた。イラ韓はそんなひっそりハングル学習派にとっても心のオアシスなのだ。番組はぜひ続けて欲しい。5年連続でアジアのベストエアラインを受賞している大韓航空さまヨロシク。

だってラストはコウモト 씨の韓国デビューなんだからsign02 デビューまでの足跡を追ったドキュメンタリーにならなきゃ!キムさんはあてになんないから、ペさんの交渉力でよろしく(笑)。でもそのときキムさんはコウモト 씨と一緒に舞台に立ってるような気がする(coldsweats01)。スポンサーはもちろん腕のいいパイロットと接客態度のいいCAを擁する大韓航空さまにお願いしてairplane

そんなレギュラー放送なのだが、年末スペシャルはこの時間帯ではなく本当の深夜だ(笑)。おおば 씨はこれを足がかりに深夜1時台進出を狙っているのか?いっそスナイパーのゴルゴ11(ゴルゴ準一と読む)の勢いで午後11時台を撃ち抜いてみてはどうだろう。NHKハングル講座の裏番組だったりしたら挑発的!午前11時台の韓流奥様ねらいという線もあるが。

でもその前に今回の特番放送時間にはひとつイラっと来た。まさかボクのVTR出演予定番組の裏番組になってしまうとは。ハングル講座の前にボクとガチンコ勝負なのだ...。とほほ。ボクは2年前と同じく「地上の星」を(今度は民放ヴァージョンで)語るだけなので数分だけど。

でも大丈夫!時代はいまW録の時代。もちろん両方見るのが正解です(笑)。W録できてよかった...。実は自分の録画予約しようとして偶然イラ韓SPをみつけたのであった。裏番組とはいえ、呼ばれた感あったなぁ。もう少しで見逃すところだった。イラっと来たぞ(笑)。翌日の新幹線で帰省するんだけど、この日は眠れないな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2011.12.23

怒り新党はそこそこ納得できる世の中を目指す!?

最近韓流ばかりの私ですけど、テレビ朝日の「怒り新党」は毎週欠かさず見てます。

まず視聴者の皆さまに訴えたいのは、今週が年末最後の放送だったということであります。ここはけじめとして(?)年内に一言御礼申し上げたいと思いまして書いときます。

御礼っつても番組関係者でもなんでもなくて、このお二人の番組がはじまったことに対してファンのひとりとしてであります!

●いきなり他局のテレビ東京賛歌から…

深夜番組の制作者って視聴率だけじゃないところで勝負してる。いきなり他局の話で申し訳ないけど、最近テレ東の伊藤隆行プロデューサが上梓された『伊藤Pのモヤモヤ仕事術』(集英社新書)を読んでて、「本当に好きだ!」ってコメントはどっかに残しておかないといけないなって思ってさ。

知ってる放送作家のなかにはこういうネットコメントの類いは参考にしないって人もいて、その人はどうも視聴者ナメてんですよね。スタンスが。よく言えば昔気質。そこに怒り心頭なんだけど(笑)、伊藤Pにはコアなファンに届く番組作りとかオリジナリティを求める層を裏切らない番組作りという視聴率とは異なるもうひとつの柱があるんです。

山口県出身のボクにとってはテレビ東京(旧東京12チャンネル)は長年未知のテレビ局でしたけど、上京後は大好きになり、1999年にはテレ東を讃える文章を書いてました(笑)。もう10年以上経ちましたが、そのテレ東魂は今も不滅なんだよなぁ。

だから、そういうスタンスの作り手には見てるこっちも、ちゃんと届いてますよって伝えたいじゃん。だったら「モヤさま」のことを書けよって気がしなくもないですけど(笑)、伊藤Pの「やりすぎコージー」を礼讃し続けていた時代もあるんで、今日のところはそのココロの部分だけイントロに使わせていただいて、テレ朝の「怒り新党」への愛を伝えたいんですわ。

●マツコ幹事長と有吉政調会長とのタッグ実現

去年の夏、Twitterで偽名言(#nisemeigen)が流行りましたね。有吉政調会長の発信だったと思いますが、私もちょこっと乗っかってみました。Twitterを使って面白かった数少ないうちのひとつです(笑)。

その後、今年の2月にまったく偶然マツコ・デラックスさんが吐いたテイの偽名言も作りました。そしたら4月から、このお二人がメインパーソナリティの深夜番組がはじまったじゃないですか。やっぱキテルネ、オレ。いや、マツコ&有吉!と思った次第です。

ひとくちに毒舌といいますけれども、単なる悪態じゃないのがこのお二人ですよね。常日頃ボクが怒り心頭なのは、素人で浅はかでただの悪態ついてるだけなのに毒舌家気取りのヤツ。オレか(笑)。そういうんじゃなくて、芸としての話術や筆力を使って世間を翻弄するけど、裏にあるホンネの部分を芯に置いてブレずに演じられる人っていうのかな。

うまく言えないけど、このお二人が様々なテーマについてどう感じどう表現するのかに何か惹かれるものがあるんです。そしてそれが同じ意見でも違っていてもそれなりに納得できる。たぶん“それなりに納得できる”というこの部分が政党メタファとしての「怒り新党」というノリにフィットしてるんですよね。

●政党メタファと女装が教える“それなりの納得感”の大切さ

現実の政党政治には個々に異論・反論あっても“それなりに納得できる”って部分がどんどんなくなってる。政治なんて100%賛成・反対はありえないんだから、“それなりに納得できる”って部分が必要だと思います。

それこそ話術・筆力・人間力でそれなりに納得させてもらわないと困るんだけど、最終的に数の論理だけで押し切る政党政治がそういう機微をなくしちゃってる。政治家の想像力がどんどんなくなってる。そんな世の中だから、怒り心頭に達することが多々あります。

マツコ・デラックスの言葉の選び方が好きですね。ちょっと変わってる。ちょっと角があるんだけど丸い角。その異物感がゴツって触れるけど嫌な感触じゃない。「ねぇねぇ、それ何キャンペーン」とか出版界の臭いがして好き(笑)。ネガティブ・キャンペーンを張られることへの異常な恐怖心。そして「命」へのこだわり。

女装男性であるがゆえの感性をもっとも感じたのは、タラコやイクラが食べられないという話でした。「ひとつぶひとつぶが命なのよ!あー怖い怖い」と身をすくめたときに、その無邪気すぎる自身の優しさを信じて疑わない姿勢にウソがない人だなと思いましたね。

ボクは多くのニューハーフタレントとの違いをそこに見ましたね。女装は女になることじゃなく、男が女装してるとこにまぎれもない真実があると思ったんです。ある種「女装」という行為は男であることの宣言なんですよ。最初から男であることをぶっちゃけてあえて女装という。

そうなると普通の男でもない、ましてや女でもない、だからといってニューハーフでもない、新たな言説の源たりうる性別を超えた第4のセグメントなわけです。だからトークがぶっちゃけても、ぶっちゃけたマツコ・デラックスの異質性が差別化につながる。それが共感の有無とは別次元でなんとなく納得できちゃう。それはマツコ・デラックス的なる新しいイデオロギーかもしれない(笑)。政党メタファとここでつながるのだ。ここまでのボクの言説、それなりの説得感あるのかな(delicious

●竜兵会で鍛えられた有吉政調会長のバランス感覚

竜兵会ってヤクザじゃないよ。太陽さまが率いる飲兵衛集団。太陽さまって宗教でもないよ。いまや大御所のいじられキャラ、ダチョウ倶楽部の上島竜兵先生です。

竜兵会の飲み会中継番組(うそ)「ダチョ・リブレ」が大好物です。もともとはネイチャー・ジモンからダチョ開眼した私ですが、どんどん竜兵会のほうにはまって行く自分がいました。根がインドア派だからね(笑)。

有吉弘行の強さは、やはり浮世の頂上とどん底を両方見た者の強さかもしれないな。そんな有吉のジェットコースター人生の前に、頂上もどん底も経験してないけど息の長い太陽さまが現れました…。

奇しくも今週の放送で有吉政調会長が好きな映画は「個々に得意技を持つメンバーが集まって集団で何かを成し遂げるストーリーが大好き」と発言されてましたね。それって竜兵会じゃないですか!何かを成し遂げたかは疑問ですけれども、集まってワイワイやる楽しさの極みではあると思うんですよね。

竜兵会での有吉のポジションは、竜兵会の社内報によれば、竜兵会の暴れん坊でチンピラ社員で人望なし社員タイプらしいです。でも上に取り入るのがめちゃ上手い。有吉を取り合ってケンカをしてしまう太陽さまとリーダー肥後の逸話とか。そういう役回りを演じてる。そんな「オヤジ転がし」の異名を取る有吉には人たらしの技術があるんでしょうね。

いま「人たらし」って時代のキーワードですもんね。それもポジティブに使われだして。これ女装に似てるんですけれど、人たらしは詐欺じゃないんです。ウソじゃなくてホンネをしゃべりながら、話の方向性を技術でコントロールして思う方向に持っていくと。自己実現の手法といいましょうか。

すぐにコロって行っちゃうダチョウの面々と、一筋縄でいかない竜兵会メンバーと、その狭間で常にどちらをもそこそこ納得させる有吉のポジション。この鍛錬はなかなかのものですよ。そんな環境をちゃんと吸収して熟成させてきた有吉弘行がその成果をアウトプットさせ始めている時代かもしれません。

●大好物満載の「怒り新党」

ボク、なにげにテルミン好きなんですよ(笑)。夏目アナが読み上げる視聴者からの怒りの投書のBGMってクララ・ロックモアのテルミン演奏ですよね。この浮遊感がいいよなぁ。怒りのエネルギーが妙な感じに中和されて。

それと「新・3大○○調査会」も好き。ジャッキー・チェンが良かったなぁ。マツコの伊藤みどりへの食いつき加減もすごかったけど。作ってる連中は絶対同世代だな(笑)。日本3ケイといえば「谷啓、すまけい、真梨邑ケイ」でしたが、こちらももうかなりの年月が過ぎました。そろそろ新しい三大モノが欲しい時期です。

ボクも怒りメールか新3大候補を投書したいと思ってるんですけど、今年は実現できなかったんで、来年あたりシレっと投書してみようかな。でもそこそこ納得できるネタって結構難しい。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2011.12.21

今年の紅白は外来語表記の歌手が14組

今朝ツイッターにも書いたけど、今年の紅白には外国人歌手が3組しか出ない。少女時代、KARA、東方神起の3組だ。1990年の紅白には9組も外国人歌手が出ていた。今年の3倍だ。

それなのにやれ韓流だの、日本人だけでやれだの、外野がうるさい。別にいいじゃん。ただの歌番組だろ。レディー・ガガがもし出たらそれを批判したりしないんだろ。シンディー・ローパーが出たとき批判したのか?

それどころか外国語表記のアーティストは14組もいる。アンジェラ・アキとポルノグラフィティもいれてだけど(笑)。こっちのほうを国粋主義者は問題視すべきだ。西洋かぶれだと。

もちろんオレは批判しないけどね。ただの歌番組だから。というよりオレもKeona Keahiでwataruでポップンポールなんだから(笑)。でも最近ポップンポールをハングル表記できてうれしかったりして。

でもそんなひと言で仕事を棒に振っただけでなく離婚しそうな元俳優も今日テレビでしゃべってた。反原発で干された山本太郎と比べたらめっちゃかっこわるい。もう芸能人じゃないんだから出さなくていいのに。

とにかく西洋かぶれ風の日本人は問題視しないくせに韓流かぶれ風な者だけを問題視するかのような昨今の言説にはまったく論理性がない。ケツの穴が小さいというお下劣な日本語も当てはまるかもしれない。小さくてもいいんだけどね。所詮しょうもない話で。

自分が安全な位置にいてどーでもいいところに攻撃を加えるのが好きなジャパニーズ(=日本人と日本語で書くのが憚られる人々だから外来語にしてみた)を見ていると、この国はまだまだ未開の民族なんだなとあらためて思った一日だった。オレも未開のポップンポールです。ウッホッホー。

「絆」を大切にするのはいいが、内向きの「絆」ばかりを強調されると興ざめする。右翼にはえてしてそういう面があって、それによって救われる人がいることもわかるけど、内向き志向の「絆」の押し売りは結局「絆」から遠ざかっていると思う。もっとおおらかでいいよ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2011.12.19

IUは高音だけじゃない。少女時代が脚だけじゃないように #IU

韓国で国民の妹といえばキムヨナだったけれど、もう一人の妹がIU(アイユー)だ。ボクはIUも好きなので日本デビュー盤発売記念ということで、持ってるCDのジャケットなどを集めて記念写真を撮ってみた heart04

IUのCD

韓国での人気も高く、先月末発売された限定盤はほぼ売り切れ。閑古鳥の鳴いている韓国音盤市場としては非常に注目度も高かったようだ。

ボクも某ネットショップで予約していたけど、予約なのに入手できず。即決オークションに切り替えてなんとか入手できた。そのオークションはちょうどタイミングよくアップされた数時間後に一番乗りで即決できたが、その後Twitterで「まだの人は急げ」と書いたせいかその数時間後に全部落札された。

今年の1月26日のゴガクル日記にIUのことを(日本語で)書いていたので引用してみたい。

pencilpencilpencilpencilpencil

最近IUをテレビでよく見る。ワイドショーにもよく出てる。韓国の番組だけど。かなり肝の据わった18歳だ。しゃべり声は結構低音でガハハと豪快に笑うが、歌うと超高音を発する。可愛いだけでなく歌もうまい。去年の大ヒット曲「いい日」を聴いて松田聖子のデビューの頃を思い出した。実力に楽曲の良さも揃うのが聖子やIUの引きの強さか。今年日本に来て欲しい歌手No.1だ。

pencilpencilpencilpencilpencil

韓国の松田聖子になるポテンシャルを秘めていると思ったけれど、その思いに変わりはない。聖子も18歳ごろデビューしたがかなり肝の据わったアイドルだった。ガハハ笑いも似てる。

周りに流されてしまう若いアイドルは五万といる。だが自分のポジションを知り強い意志を持って仕事を創造できるアイドルは少ない。もちろんそこにはスタッフの力、裏方の能力も欠かせないわけだが、その裏方のパワーを引き出す何かを持っていることが重要だ。ビジネスだけでない魅力が必要だ。

これまで高校生アイドルだったIUだが、大学受験はせず音楽一本で生きる決心をしたそうだ。韓国は超学歴社会だといわれ、パトカーで受験会場に駆けつける受験生のニュースがいつも流れる。芸能人も芸能コースのある大学に通うケースが多い。IUならそういう道もあっただろうが、そこに価値を見出さなかった、逆に時間のロスと考えたところが稀有だ。

「勉強嫌い」とジョークで言えるアイドルはいても、生き方を貫けるかどうかは別だ。自分の持っている天賦の才能に賭けようという覚悟を感じた。

もっとも本人はそういう覚悟だとかストイックな面を強調することなく、純粋に自信がないからやめたと言っている。それはそうなんだろう。音楽が好きだから子どものころからオーディションを受けまくり、いくら落ちても「自分はどうせいずれ歌手になるんだから大丈夫」と思い続けてきた。ずっとそのために学んできた。そして「良い日」でブレイクした。

IU自身にとっては、せっかく歌を歌って聞いてもらえる場が与えられているんだから、そこに集中するのは自然なことなのだと思う。子どものころからそうやって生きてきたのだ。その音楽への純粋な姿勢が周りを動かす。松田聖子が松本隆を動かしたように。

キムヨナとデュエットした“ICE FLOWER”という曲の貴重な動画もYouTubeで見ることが出来る。このツーショットはキムヨナファンでもあるボクにはとてもほほえましい。

視聴率的には苦戦したといわれるキムヨナのスケート番組「キス&クライ」の主題歌として録音された曲らしい。

しかしキムヨナも歌が上手いな shine 特にAメロの終わりのところ(0:28~)のこぶし(ビブラート)は天性のものだ。リズム感だけでなくこの表現力もまさにキムヨナの演技に通じるものだとあらためて思った。

IUはキムヨナより3歳くらい年下だが、こうして並んでも引けを取らないな。大物感がある。ヨナオンニとか呼んでいるのだろうか!?

IUの歌唱力については「良い日」で聞かせた3段階高音ロケット弾ばかりがクローズアップされる。韓国音楽界において不満があるとすればそこだ。IUに限らずいわゆる聴かせるタイプの歌手はとにかく高音が重視される。

もちろんそれもひとつのファクタではある。しかしそれはいわばフィギュアスケートにおけるジャンプのようなもので、総合力がそこだけにあるわけじゃない。

ボクがキムヨナや4minuteのジユンに惹かれたのと同じく、IUにも彼女らと同様に陰陽道の“陰”の部分がある。ダンスでいえばつなぎの動作、演技で言えば間の取り方、歌唱でいえばサビ以外の部分などに“陰”があり、そこをしっかり自分のものに出来る才能に惹かれる。

ちょっと話はそれるけど、少女時代KARAの違いもそこだと思ってる。日本じゃKARA人気もすごいのであまりここを強調するつもりはないし、人気というのはまた別物だと思うけれど、純粋に技術とか歌の実力の差は歴然としてる(KARA解散騒動のあった裏方との問題もあるかもしれない)。

ただ日本では少女時代も美脚から入ってしまう貧困さなので(それはそれでもいいんだろうけど)、ちょっと残念。もっと音楽として深くコミットしてみる価値はあると思う。

IUも来年には新作を引っさげて日本でライブを行うそうだ。抽選だから当たればいいのだが...。実はオジさんファンも多いIUだけにその客層も気になる(笑)。

12月に発売された日本盤の初回生産限定特典DVDもすばらしい。単純にPVを並べただけじゃなく、IUへのインタビューのつなぎにPVを挟む構成になっていて、番組を見ているような感じだ。とってもいい。こういうひとつひとつのモノづくりがリスナーに伝わる。それこそジャケットの紙の選定からだってリスナーは無意識に感じ取るのだ。

その積み重ねは裏方の責任でもある。スタッフとアーティストとの関係が大切なのは今も昔も変わらないだろう。そこまでひっくるめてリスナーは敏感に感じ取る。IUというひとつのプロジェクトなのだ。まさに松本隆が言った「松田聖子プロジェクト」と同じ意味合いで捉えてみて、いい仕事をしてるなと思うのだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2011.12.11

変な原付アナ松丸友紀30歳を愛す!

志村さん以来の完璧なダッフンダ他局だけどどや顔サミットに出て欲しい(笑)。そんな完璧なダッフンダを披露したテレビ東京が誇るべき女子アナ松丸友紀(30)がいま乗りに乗っている…。

見かたによってはあまりの強風に乗りすぎて糸の切れた凧状態の女子アナの姿にも見えるが、年に一度のお祭りだ。許せ!ゴッドタン松丸プロデュースはこうでなくては。ある意味、谷桃子に匹敵するポテンシャルを秘めているのは松丸友紀(30)かもしれない。

昨日はボクも某民放テレビの年末特番に出してもらえるというので収録に向かった。会議室でのインタビューで面白かったけど荷物が多くて疲れていたから早く寝た。そして朝起きぬけにゴッドタンの録画を見たら、一発で目が覚めた。松丸友紀(30)のコスプレオンパレードで。動画目覚ましとか作ってくんないかな>テレ東clock

●松丸友紀(30)その向上心のベクトル

なんでも吸収してしまうスポンジのような向上心が、おぎやはぎ、バナナマン、劇団ひとりというクセのある芸人集団に囲まれて悪い影響を受けている(笑)。この展開は優等生が不良仲間に入っていく様を見ているようだ。

松丸友紀(30)は、この日の体験をどんなポエムに記しているんだろう。

TOKYOは寂しく変な街…ダッフンダ!とか?

でもそんな松丸友紀(30)が好きすぎて困る!

ここまで書いて、松丸友紀(30)のブログを確認に行った。そこには衝撃のご発言の数々が!さすが期待を裏切らない松丸友紀(30)だ!

注目したいご発言をピックアップしてポエム風にならべてみる。


自発的にあれやりたい!と言っているわけではありませぬ・・・

私は一体どこに向かうの~~~~~~~~!!!!!

はぁ・・私も谷桃子さんのようになれればなぁ・・・

さすがです!師匠!!

そろそろ新たな衣裳が欲しいのは事実。

ましゅまろ☆ブログ2011.12.08より)

自ら谷桃子を師匠と呼ぶ女子アナ松丸友紀(30)だが、一体どこに向かうのかこっちが知りたいぞ!

と言いつつ、松丸アナへの愛を何度も何度も表現してきたこの「ひとくちメモ」を松丸で検索して読み直してみると、松丸アナを語るときになにげに谷桃子を引き合いに出している自分に気付いた(笑)。

なんだ。オレのなかじゃもう谷桃子と双璧なんじゃん。どっちかっていうとレギュラーエンジェル松丸アナが東の横綱って感じっすよ!

●原付には原付のよさがある!ゴッドタン

それにしても今回の松丸プロデュースは、初っ端から名言続出。松丸友紀(30)が「いつか私もあやぱんみたいになるかもしれない」と本音をしゃべれば、バナナマン設楽から「積んでるエンジンが違うんだよ」と突っ込まれ、劇団ひとりからは「この原付!」と罵られ、そのうえナレーションまで「原付アナ」と言い出す始末…。

いいじゃないか原付!原付でも公道走れるんだし。ま、この路線で突っ走るとセグウェイになっちゃう危険性もあるけどね☆

沖縄でセグウェイに乗ろう!

オレの松丸友紀(30)はよぉ、原付は原付でもスーパーカブなんだよ。オレが乗ってるカブ110のような原付二種だな。それもただのスーパーカブじゃないよ。お笑い色にペイントされたカスタムバイクだぜ!

だってそうだろ。自分ではビジネスバイクだって主張してるけど、見た目は完全にレジャー用のカスタムバイクなんだから。でもいざとなればニュースだって読めるんだよ!

ダンスが好きで韓流も好きで笑いも好きで変なポエムも好きで原付も好きなボクは松丸友紀(30)が好き過ぎて困る。どうしてくれる松丸友紀(30)!?

とりあえず司会してる「木曜8時のコンサート~名曲!ニッポンの歌~」をチェックしよう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2011.12.10

NHKで畠山重篤さんご出演の番組を連日放送

畠山重篤さんは牡蠣師だ。カキ養殖のプロで「森は海の恋人」を提唱されていて、日本の汽水域を守り育てるプロともいえる。

森も海もアイドル!」を提唱している私ポップンポールにとっても、畠山重篤さんは特別な存在。日本の山(森)を守ることが海洋国家日本にとっての生命線でもある。

震災後、無事だったというニュースを聞いて安堵したけれど、そこから再生への取り組みが始まった。

震災から8ヶ月、NHKのカメラが畠山重篤さんや気仙沼の牡蠣の再生を追った番組「プロフェッショナル仕事の流儀」を来週月曜(12月12日)に放送する。再放送は15日。

その前日、つまり明日12月11日にはNHKアーカイブスで新日本紀行などNHKが記録してきた東北の海とそこに生きる人々の生活を放送する。震災から9ヶ月経った現在の畠山重篤さんに話を伺いながら進行されるそうなので、これも貴重な放送だ。

海は多くの命を奪ったけれど、海は再生への道でもある。森と海がつながっているのと同じように、この畏怖すべき自然と人間の営みは切っても切れない「生」のつながりだ。自然の中で生かされていることを忘れそうな現代ニッポンで、生の在り処をもう一度考えてみたい。必見!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2011.12.04

ツイログ始めました。Twilog를 시작했어요.

ツイッターでつぶやいた内容をブログ形式で表示できるツイログに登録しました。

hitokuchimemoのツイログ

ツイッターの過去のつぶやきははかなく消えゆくものかと思っていましたが、こういうプログラムを作ってくれる人がいるんですね。

ツイッター側の仕様で過去データの履歴は3200件程度までしか遡れないらしいのですが、ボクの場合は2009年から始めてまだ2000件もつぶやいてないのですべての履歴が取れました。またそれらの検索も出来るので便利です。

自己満足ですけど(笑)。これによってツイッターでの記録も検索可能な状態で残せるようになったので、ココログとあわせて活用していけそうです。やってることは今後も変わらないでしょう。興味の趣くままに。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2011.12.03

ポップンポール旋風を巻き起こせ!住所不定無職

こなさん、みんばんは!ポップンポールです。「知ってるよ!」とツッコミを入れてくれる読者が何人いるかわかりませんが、まぁ松田聖子も自分のコンサートで「松田聖子です」って自己紹介するくらいですからいいじゃないですか。

しかしなんでいまさら「ポップンポールです」と名乗ってしまうのか。それはこの住所不定無職というバンドが発表したアルバムのタイトルを見てくださいよ!

TOKYO POP'N'POLL STANDARD NO.1 FROM TOKYO

これですわ。これ!長生きするもんですね(笑)。

ついにポップンポールがメジャーデビューですわ(lovely)。タワーレコード渋谷店にいったらポップンポールのポップがたくさん立ってるらしいですわ(11月16日現在)。住所不定無職のブログに写真が載ってましたよ。「キラッキラなポップンポールが鳴り響く!!」って書かれてます。うれしいなぁ。他人事じゃない感じだよな(笑)。

今回のアルバムタイトルはちゃんと(ちゃんとってこともないけど) Pop'n Poll なんですよ。このスペリングにこそ、ポップンポールの奥義があるわけで住所不定無職を大リスペクトしてしまいます!

最近はK-POPやK-Rockばかり聴いている私ですが、今年買った日本人アーティストのアルバムって、川本真琴ちゃんとこの住所不定無職くらいなんですよ。

あ、細野晴臣さんの新作「HoSoNoVa」も買ったな。レコ大優秀アルバム賞おめでとうございます!そういえば細野さんには住所不定無職低収入って歌があったな。あ、チャン・ギハと顔たちの対バンだった怒髪天も買ったな。怒髪天といえば、某NHKの番組に某ルートでプッシュしてみたんだけど、リーゼントはダメなんて素っ頓狂な返答が...。まだ昔のNHKなんだねぇ。あ、...他にもいくつか買ってるな(笑)。ま、いいか。

川本真琴ちゃんの「フェアリー・チューンズ」を聴いたときに、住所不定無職というバンドのことを知ったんですよ。でも、そのときは「ふーん」という感じでした。やっぱJ-POPに疎くなってるよね。

そしたら、まったく予期しないところから「TOKYO POP'N'POLL STANDARD NO.1 FROM TOKYO」ですよ!予期しないところというのは、つまり「3人の中村伸一トークライブ」ですわ。異業種でご活躍されている同姓同名の中村伸一さんが集まっての講演会。そこに出かけて行ったノリで自分の名前もググッてみたりしたわけですよ。

2年前のトークライブのときもお笑いコンビのネタの一部にポップンポールが出現していたことを書きました。その後なんのコンタクトもなく2年が過ぎ(笑)、今年また検索したら名古屋のバンドPop'n Paulが見つかって、これも特にリアクションもなく(笑)、三度目の正直が住所不定無職のアルバムですわ。もうよのなか住所不定無職のポップンポールだらけですわ!リアクションはないと思いますけども。

このアルバムが浸透してゆけば、私もポップンロールなんて呼ばれなくなるかもしれません...。

●内容もすばらしかった!住所不定無職

で、重要なのはアルバムの内容なんですけど、これがかなり良い!ポップンポールだけのことはある(笑)。ニッポンのガールズポップの王道でしょ。学問には王道がないけどポップにはあるんです。でなきゃ大衆歌謡にならない。

スティーブ・ライヒやジョン・ケージみたいなポップスは聴きたくない!ポップスの王道のなかで見せるオリジナリティの輝き、それがポップスというものだとポップンポールは思うわけです。

ライブが絶対面白いバンドだろうなぁ。

ライブも見たいと思って探したけど、直近のライブはSOLDOUTだった。年末は実家だしな。12月は川本真琴ちゃんとのコラボも予定されてた。先日交通事故を起こして骨折してしまった真琴ちゃんが出演できるのか心配だけど、このコラボはぜひいつか見てみたい。

またさぁ、このMAGIC IN A POP!!!のPVどうよ。

ポップンポールの嗜好を知ってか知らずか(もちろん知らないんだろうけど)、こういうノリ好きだなぁ。

●ボクはいつからポップンポールだんだろう?

Popn_artここからは私事ですが。ボクがポップンポールを名乗り始めてからどのくらい経ったのか考えたこともなかったけど、どうやら1998年あたりからのようだった。インターネットが普及し始めて、ホームページを作ろうとしたときにハンドルネームとして使ったのがたぶん最初。だから13年くらいは使ってる。

ただ実際の構想は1990年からあったように思う。1990年に「ロックンロールの墓参り」という詞を書いてる(笑)。その当時の雑記帳(日記&ネタ帳)は第6巻になるんだけど、その雑記帳のタイトルが「ロックンロールの墓参り」だった。

その詞って「ロックンロールの墓石の上に 黒いカラスが1・2・3・4!」ではじまるんだ。たぶんそのカウントでドラムが入ってきてガンガンのハードロック調でやったらいいなと思って作ったんだ。いま思うとまるで韓国のNORAZOのような思考回路だね。そっから後の部分はいま読むとあまりに凡庸すぎるんで書かない(笑)。いや書けない。

「ロックは死んだ」という凡庸すぎるスローガンをあえて使うという言葉のアンディ・ウォーホルを気取っていた20代の頃。でもその雑記帳の最後はエリック・クラプトンのWonderful tonightをしみじみ聴いて終わってた(笑)。そして、「あまりにも軽すぎるミュージックシーンとそれにたわむれるシティユースたちから脱落したい衝動にかられている」とも書いていた。

まだバブルが崩壊するなんて思っていなかった頃。もしかするとバブルが崩壊したと思いたくない大人たちがいっぱいいた時代。そこにポップンポールの根源があったように感じたな。その頃の浮ついた世の中とは別の世界に行きたい思いがボクを逆に浮ついた名前のポップンポールにしたんだ。まったくポップじゃないボクがポップンポール。自己矛盾のひとり遊びだった。

時代は真逆になって、いま「住所不定無職」なんていう名前のバンドが、心底明るく正しいポップンポールを奏でる。大正解だな。ポップンポール的に大正解!どんどんメディアに露出して欲しい。そして東京をポップンポールで染め抜いてくれ!間違いアクセス数も増やしてくれ!ボクは「さいたまポップンポール スタンダード No.0 FROM やまぐち」としてこれからも頑張ります。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« November 2011 | Main | January 2012 »