google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 紙の本すら読まない人が電子書籍を読むわきゃない(笑): ひとくちメモ

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2011/11/11

紙の本すら読まない人が電子書籍を読むわきゃない(笑)

最近ブログ回帰傾向のあるワタクシ。もっとも今日もゴガクル日記の転載だけど。

電子書籍への違和感のひとつは、読んでいる最中に電力を消耗していることだったりする。個人的にこの急き立てられるようなエネルギー消耗読書に馴染めない。

それは電子書籍だけでなくあらゆる消耗品に対する個人的な性癖ともいえる。掃除用品(取替え式のモップとか)も使うのにものすごく抵抗がある。繰り返し使える雑巾のほうがいい。

もちろん電子書籍なんて充電すればいいわけだし、掃除用品なんて使ってナンボなわけだが、消耗していくものを見るのが根っから嫌いなんだと思う。

たぶん前に日記にも書いたキャラクターシールを買っても貼れない性質、つまりどケチ体質なんだと思う。

そんなこといえば、紙の本だって持ち歩くと折れ曲がったりボロボロになったりするわけだけど。それは消耗というより味わいとなってある段階で価値に変わる。それは革製品の味わいに似ている。我田引水過ぎるかな?

そのようなモノとしての本の味わいを失ったあげく、読むためにスイッチをオンにした瞬間から消耗を始める電子媒体の在り様そのものに違和感がある。

だが時代の流れという意味では電子媒体に取って代わる日が来るのかもしれない。ただ、紙の本さえ読まない人が増えているのに、電子書籍になったからといって読み始めるわけがない。

ベストセラーとなる内容を持った本が電子書籍でしか読めないなら売れるかもしれないが、それはごく一部の書籍であって多くの書籍は埋もれるだけだ。

あるいは物流が不要になり経費が軽くなった分安くなれば売れる本も多少はあるかもしれない。また在庫を持たなくて済むため何十年も消えずに残すという意味ではメリットもある。

しかし実際には文字だけでないギミックのあるアプリケーション的な媒体に移行せざるを得ず、制作費はいま以上にかさむはずだ。また在庫にならなくてもデータとしてただあるだけでは商売にはならない。

こんな風に考えると、紙の本は電子書籍に置き換わるから消えるのではなく、読書する人がいなくなるからなくなっていくような気がする。多くの民はそんなヒマがないのだ。

それは紙を綴じた媒体の死ではなく、マスメディアとしての出版の死として実現するように思う。紙を綴じた媒体は出版ビジネスとは別のところで生き延びることだろう。

そのかわり本や本を模したデータなどではなく、書籍でもラジオでもテレビでもない、まったく異なるメディアが新しいひとつの文化の台頭をもたらすのではないか。

ただそこまで生きていないと思うので、私自身は紙を綴じた書籍とともに一生を過ごしたいと思う次第だ。そんな風に紙の本を読みながら、毎日新しい消費媒体のギミックを考えるという生活が楽しいと思う。常に消費する側とさせる側とは違う世界を見ているものだ。

●新しい媒体について妄想する

例えば一人のオピニオンリーダーとして作家がいる。彼の作品は物語としては完成されているかもしれないが、新しい媒体にとっては物足りない。そこにオープンソース社会で育まれた様々な人々がところどころにギミックをちりばめて作品を装飾する。

それは挿絵的なアニメかもしれないし、脇役のスピンオフストーリーかもしれないし、BGMかもしれないし、書評かもしれない。著者が登場して議論をふっかけてもいい。それらが作家の作品の周辺に新しい創作のタネを蒔き、すべてがつながって行きつ戻りつしながら読者はそこに評価をくだし、それがまた作品の一部としてフィードバックされる。そこにまた別の創作物が新たに加わる。すると、そこにはその作品群による一つの銀河系が生まれる。

紙や電波媒体でもこれらは一部実現しているが、つながっていない。不連続だ。だが新しい媒体での作品は宇宙のごとく拡大、増殖し続け、さらにリンクしている。その作品群が飽きられるまで続く。飽きられた頃、その作品は古典となり、さらにその総体に対する新しい評価が生まれる。そうやって力のある作品は生き続ける...。

ただし素人の作品群ではクオリティが保てないから、そのうちプロ集団が形成される。そこには常にビジネスのタネが転がっており、タネとなる作品を作る個人や集団、それらから派生してビジネスになりそうな作品を選び装飾する集団、これらが現在のように1つのメディア企業によって作られるのではなく、すべてがオープンな競争によって作られ、同意した読者によって評価される世界...。

作品はすべてパーツとなり、パーツの集合で形作られる作品群の力によって、その作品世界がますます拡大していく。おそらく大ヒット作品群になれば人の一生なんてその作品との関わりだけで終わってしまうくらいの規模になるかもしれない。それはそれで幸せな人生になると思う。

妄想というものはどこまでも際限ない。こういう妄想の拡大こそが望みなのかも。そうやって後戻りできない地平まで走りながら、個人的には紙の読書に勤しむのが理想だ。

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