google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2011年11月

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2011年11月の10件の記事

2011/11/24

禁煙よりもメタボ対策よりも地域絆力が長寿への道!

立川談志さんが永眠されました。毒舌、天邪鬼、天才、良くも悪くも強烈な印象を残して逝った稀代の落語家だったと思います。

ワイドショーでは「徹子の部屋」に出演されたときのVTRが流れていましたね。人間の腹のなかにある非常識の部分を取り出してみせるのが噺家の生き様だと。その言葉通りの生き様をずっと見てきましたが、癌が発見されたときのコメントは別の意味で印象に残りました。

「人間は死ぬときゃ死ぬ。だけど、癌は告知もあるわけだろ。ところが、交通事故なんて、いきなりあの世だ。それに比べれば、心の準備も身辺整理もできるんだから、文句はいえないよ。」

癌告知からの生き方(死生観)を、いつもの毒舌とウィットが混ざった談志流でみごとに表現されていたわけですが、この逝く日までの準備期間という捉え方が一冊の本と重なりました。

先日お会いした中村伸一院長(福井県、名田庄診療所長)の2冊目の著書『寄りそ医』(メディアファクトリー刊)です。

「ええ人生やった」と言うための準備が出来る幸せ。幸せに旅立つ準備期間としての末期医療のあり方。様々な人生との絆を重視し最後まで寄り添う地域医療モデルを日本中に広めたいという野望に燃える男、それが中村伸一医師です。

●町のお医者さん中村伸一院長

中村伸一院長は2009年1月にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介されてから全国区で知られるようになった方ですが、私自身は同年7月に「3人の中村伸一トークライブ」で初めて知りました。もし院長が中村伸一という名前でなければ出会えていなかったと思います(笑)。今月初めてご挨拶する機会がありました。イベントの流れもあるので中村先生ではなくここでも院長と呼ばせていただきます。

中村伸一院長は地域医療のプロフェッショナルです。自治医大を卒業して配属された田舎の村、名田庄村に恋をして、20年間名田庄村で地域医療を実践され続けています。いわば町のお医者さんですね。「町医者ジャンボ!!」という漫画のモデルとも言われてます。外科出身ですが現在は名田庄地区唯一の診療所で総合医として活躍されていて、健康問題のよろず相談所所長といった感じもあります。

今夏お会いする前には最初の新書『自宅で大往生』(中公新書ラクレ)を読んでいたのですが、この新書は名田庄村での地域医療の実践をベースに、日本全国にある様々なコミュニティのなかに、福祉と医療をどう位置づけるかというひとつのモデルを提言されているように思いました。

●患者から見た専門医と総合医

大病院の専門医と地域の総合医との違いは、そのまま患者側の意識や生活とのかかわりの違いと言えそうです。病院には「患者」として行きますよね。当然といえば当然なんですが、「患者」という役割はまさに非日常なわけです。ボクも2003年に1日だけ入院しまして(検査入院ですが)、その“100%患者”という非日常をたった1日味わっただけで、なんとなくへこんでしまいました。

大病院の「患者」はまさに患者そのものです。患う者を専門知識と技術で治療するわけです。患者としての我々もそれを期待して通院します。ここ一番で頼りになる用心棒であり、用がないときはあまり近寄りたくありません(笑)。

それに対して町のお医者さん、とくに名田庄村のようにお医者さんがそこに1つしかない場合、そこはあらゆる病気のファーストコンタクトの場となります。専門が外科だからといって歯が痛い患者さんを帰すわけにはいきません。またそれ以上に、日常のケアの比重が非常に高いのです。地域住民の健康な生活に積極的に関わっていく姿勢、そしてその役割を担いつつ地域=コミュニティで共生していく存在ともいえます。

その反面、コンビニ受診が少ないのも名田庄の特長のようです。ただしその実現の過程にもドラマがありました。村に一人しかいない先生が病に倒れてしまってから、村の「お互いさま」精神が発揮されたんです。詳細は著書で読んでくださいね。読みどころですから!

●地域医療とは病を治すことにあらず

恥ずかしながらこれまでの私にとって「地域医療」は身近な存在とはいえませんでした。地域医療といってまず思いつくのはキューバ医療でしたから。2009年にキューバという国のコンセプトは「生きさせる!」だと書きましたが、キューバで発達しているのがまさに地域予防医療でした。

ファミリードクターがその町で一緒に生活し、代替医療から最先端医療まで幅広く利用しながら、地域に寄り添う医療を実践するキューバ。治療の基本が各個人ではなく家族とされたことで住民参加型の福祉医療へと進化しているそうです。

私の頭の中では、そのような遠い外国の話としかつながらなかった「地域医療」を日本に振り向かせてくれたのが中村伸一院長の著書でした。地域とは田舎だけのことではなく、誰にでもどこにでもあるコミュニティのことであり、そのコミュニティの日常に保険・福祉・医療の連携を生み出すことこそが真の「地域医療」の在り方であるというのです。

今夏発売された2冊目の著書『寄りそ医』では、1冊目の新書よりも中村伸一院長のパーソナリティがよくわかります。タイトルどおり住民の生活に寄り添う医療がどのように実践されているのか、その現場の声と実践の記録が活き活きと伝わってきます。

その表現も絶妙です。中村伸一院長の心の中では矢沢永吉とバカボンパパがささやきます。ときにはアクセル全開で突っ走るロックンローラーの魂が背中を押し、落ち込みそうになったときには「これでいいのだ」と悟りの境地に導いてくれるのだそうです。

●じいさま、ばあさまと「お互いさま」

患者さんの呼び方ひとつとっても面白いです。一冊目は「じい様、ばあ様」だったのですが、2冊目では「じいさま、ばあさま」と「様」がひらがなになりましたね。これは院長もしくは編集の方が意識して校正されたのかどうかわかりませんが、寄りそい度がアップした感じがありますね。

こういうちょっとした呼び名って結構大切です。なかなか実践なくして「じいさま、ばあさま」は出てこないと思うんですよね。この絶妙の距離感が地域=コミュニティのキモではないかと思います。

都会に住んでいると隣に住んでる家族の名前も知らないわけですけど、それでもそこにはコミュニティがあります。それは好むと好まざるとに関わらずあるものです。もしかしたら大地震になって初めて助け合う人々かもしれません。それはそれで仕方がない。

だけど、それでも「お互いさま」「おかげさま」という関係をいつでも築ける心の準備があるかないかで地域医療はぜんぜん違うと思います。知らない人どうしの間にも「絆」が潜在的にあることを今年の大震災で知りました。都会の地域医療は「いざとなったら助け合える関係」くらいから始めてもいいのかもしれませんね。心に余裕を持つことにもつながりますね。

そして近所にお医者さんがいることの安心感と、そのお医者さんを地域で盛り立てていくことが住み良い街づくりにもつながっていくのかもしれません。そして地域医療の担い手である医師自身が地域によって育てられ、お互いを支えあうという良い関係を作れることが大切なんでしょうね。

●長寿コミュニティの作り方

「医療崩壊」が流行の昨今ですが、この言葉も結局マスコミ発信であってコミュニティ発信ではありません。様々な問題があるにせよ、生活に密着したところで実践的に現実的に自分の地域をどう住みやすくしていくのか、それが実は長生きの秘訣でもあるようなのです。

『寄りそい医』のなかに、スウェーデンが国家の健康戦略として取り決めた18の項目の優先順位という面白い指標が掲載されています。そこではタバコの使用削減は12番目、健康な食習慣は10番目です。

では上位はなにかというと、2位が個人をサポートする力強い社会環境、1位は強固な社会連帯と社会共同体となっており、この2つを中村伸一院長は「地域絆力」とおっしゃってます。

人間は社会的な存在だと言われますが、医学的にもそのような考え方が出来るようです。

タバコもやめた、ダイエットもしてる、だけど孤高の企業戦士で極度のストレス...。それは健康にとっては順序が逆ってことじゃないですかね。ま、戦士にとっては長生きだけが人生じゃないかもしれないですけどね...。でももし健康志向だったなら、腹の周りに巻尺巻いてる場合じゃないんですよ(笑)。

日本はもうキューバのように教育と医療を国の根幹に置くような国にはなれないみたいだけれども、地域からなら替えられるかもしれません。少なくとも名田庄村のような取組みが広がっていけば、日本各地に長寿型コミュニティを作れる可能性はありますね。中村伸一院長の著書はそのお手本に出来ると思います。だって日本中を名田庄村のようにする「全日本名田庄化計画」をぶち上げてるんですから()。

●降りてゆく生き方や全体最適との共通点も

「降りてゆく生き方」という映画をご覧になった方いらっしゃるでしょうか?この映画についても2009年に紹介しています。地域再生の物語ですが、「降りてゆく」という感覚は決してネガティブなものではなく、地に足の着いた生活実感から物事を考えようということだと思います。

地域=コミュニティを考えるとき、これからの世の中はただ規模の経済、成長するだけの経済指向では幸せになれないように思えてなりません。

病院ではなく自宅で看取るためには「こだわらない」「がんばらない」「普通でいる」これらが重要だそうです。これらはすべて降りていく生き方に共通するキーワードです。

また中村伸一院長の『自宅で大往生』と『寄りそ医』を読みながら、ふと、これはビジネス書としても読めるのではないかと思いました。そこで思いついたキーワードは「全体最適」と「ボトムアップ」でした。

全体最適についてはTOC理論の発案者エリヤフ・ゴールドラット博士の『ザ・ゴール』の受け売りですけれど、あっとほーむいきいき館の出来る過程やデイサービス開始までの過程は、理想的なボトムアップのビジネスモデルだと思います。

ボトムアップだからこそ現場(地域)の声をビビットに反映でき、さらに総合医という全体最適をめざさざるを得ない院長が音頭をとることで、理想的なアウトプットが生まれているのではないかと思うのです。専門医ではおそらくこうは行きません。指揮者は総合プロデューサーですから、ソリストとは違ったモノの見方が必要なんだと思いますね。これはあらゆるプロジェクトにいえることだと思います。

というわけで地域医療の話があっちこっちに飛んでしまいましたが、中村伸一院長自身のお話しに魅力があるので、講演会等を聞く機会があったらぜひ聞いて欲しいです(もうこれは最初のトークライブから一貫して言ってますけども)。

全日本名田庄化計画のためならどこでも話をするとおっしゃってますので、日本各地で講演会という名のトークライブをやってほしいですね。それを聞いてから読むなら『寄りそ医』がオススメです。人となりがよくわかりますから。もっと広く地域医療について一般的な知識を入れるなら『自宅で大往生』からですね。

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2011/11/20

ポップンポールのハングル表記問題が決着する!の巻

先日の3人の中村伸一トークライブのときにプライベート名刺を切らしてしまったので作らなきゃと思いつつ時間がなくて今日まで来てしまった。

前回作ったのは2年前の2010年。その前もまた2年前の2008年。その前はたぶんブログ開始前のホームページ時代(ってHPも残ってるけどもはや更新方法うろ覚え状態 )に。その頃も何回かリニューアルしてるけど、一番最初は2000年でした。そのときのデザインはこちら。

プライベート名刺2000年ヴァージョン

なんだかシンプルだったな。プリンタの非力さ(泣)とデザインの非力さ(号泣)が随所に垣間見れるかもしんない。でもその後Webデザイナーとしては特に成長するでもなく今日までやってまいりました(笑)。んで、今回の名刺2012年ヴァージョン。

プライベート名刺2012年ヴァージョン

人間10年以上経つとかわるもんですね

●ポップンポールのハングル表記問題が決着!

今回のポイントは名刺にハンドル名とQRコードを入れたこと。QRコードは前回悩んでボツにした部分だが、時代を反映させるという意味で入れてみた。

ハンドル名はハングル表記で入れたいという思いがまずあって表記を考えていたのだが、これにはハングルを学び始めた頃に一度トライして挫折した苦い経験がある。

まさに2年越しのハンドル名表記問題であった。しかしようやくここに決着した。結果的に2年前に模索してたどり着いた結論と同じ表記であった!

今回はgoogle翻訳先生にも読んでいただいたが(笑)、なかなか良い。

日本語表記だとポップンポールとなり「ポップ」の「ポッ」が「폿」か「펍」のほうが近い気もするが、もともとが外来語なのでここはやはり名前の由来であるポップス、ポップミュージックを表すPop=「팝」を尊重したいと思った。

また「ポッ」の終声ㅂが次に続く子音と影響しあう問題もあった。2文字目を븐,쁜,픈のどれにするべきなのか。発音解説を今日ほど読んだ日はなかったかもしれない(笑)。

その結果、終声ㅂとそれに続くㅍであれば問題なさそうだった。ぶっちゃけどれでもいいというか、よくわからないのだけど、ロックンロールの2文字目は큰なのでそれに対応させれば픈だろう(笑)。ここでも命名の由来を重視できてるし。

最後の폴も롤と似せたわけだけど、長音がないので「ポル」になってしまう。ただPoll(投票)というのも、英語風の名前で書けばPaulがもっともらしいはず。つまり英語表記においても不自然なままRollにあわせているので、ここもそれで行こうと決めた。

このような過程を経て、ポップンポールはハングル表記で"팝픈폴"と今日決まったわけだ。

●ポップンポール同姓同名問題に新展開(笑)

ちなみに中村伸一的同姓同名問題(>問題ってなんだよ )に絡めた話題としては、Pop'n Paulというバンドが名古屋で活動しているようだ。Web検索するとかなりの数ヒットする。

カタカナで書くとボクのハンドル名と同じなので、きっと間違えてこのブログにたどり着いちゃうPop'n Paulファンの皆さんがたくさんいることだろう。すんません、ボクはPop'n Poll です(笑)。アクセス数アップに貢献してくれて申し訳ない!

でもPop'n Paul さんは英語表記の Paul だから、ボクみたいに100万回ポップンロールといわれることもないだろうね。とはいえyahooではカタカナのポップンポールで検索してポップンロールではありませんか?なんて失敬なこときっと言われてんだよね

同姓同名というだけでトークライブをしてしまう中村伸一軍団を見習って、名古屋のバンド Pop'n Paul の動画を(勝手に)紹介しておこう!

一週間前にアップされたばかりの新曲(?)モルモットって曲はなかなかいいっす!イントロのベースとギターのユニゾンがかっこいいな。なんだか昔バンドをやってた頃の自分を思い出しちゃうね。

いつか機会があったらポップンポールの名刺交換してみたいものです。

●Pop'n Poll 懐かしのソング集もついでにリンク

ちなみに私ポップンポール(Pop'n Poll)がやっていた音楽はこんな感じです。

クリスマスソングMIDI集1998
クリスマスソングMIDI集1999
'90年代デモテープス

クリスマスソングですらもう10年以上前なんだ...。まだMP3とかなくてMIDIでシコシコ作ってたなぁ。どれもデモテープなので雰囲気だけですけども(笑)。統一性のない分裂気味な楽曲群になっております

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2011/11/13

鴨がネギ背負ってやって来るというけど、どじょうが鍋を抱えてハワイに到着か。

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2011/11/12

イラ韓を救ってくれた大韓航空を称える!の巻

いやはや、衝撃が走りましたな。イラ韓が終わっちゃうなんて、オオバ 씨!視聴者まで驚かせないでくださいよ!チェジュ島へ出発かと思いきや、まさかのビッグサイト行き...。そりゃコウモト 씨じゃなくてもドキッとしますわ~。

木曜早朝3時半の番組だけに「打ち切り」なんて冗談に聞こえないよ~。うちのイラ韓記事は最近のアクセス数トップなんですよ。こんな超人気番組が終わっちゃうわけないじゃん!

でもその理由が韓国へ行く予算がないだって...。A-CHA!と思いましたよ。マジっぽいから(笑)。いやもしかしたら本当にそんなことになっててもおかしくないみたいな。おいおいこれって黒字倒産みたいな話かよとかさ(ぜんぜん違うけど)。キム氏が新大久保にやってきたあたりからおかしいなと思ってたんだよ(笑)。

しかし番組は存続しました。大韓航空さんのタイアップのおかげで!いやーめでたい!そりゃコウモト 씨はビッグサイトに行かなきゃ。

ビッグサイトでやってた「旅博」ってあんな雰囲気なんだ~。韓国語でマジな会話とかできそうじゃん。なんか国際ブックフェアより面白そう。ブックフェアとタイアップしてやってくれたら良いのにな。

番組MCのコウモト 씨がタイアップのお礼とヨイショにまで行ってくれたんだから、イラ韓ファンのボクもやっぱ「大韓航空」さんを称えておかなきゃいかんでしょ。このブログ検索したら一度も「大韓航空」って言葉を使ってなかった。そりゃいかんでしょ!

大韓航空には思い出ありますよ。ボクは韓国旅行には行ったことがないんですけれど、大韓航空で欧州旅行(卒業旅行)しましたから。トランジットで金浦空港は利用したことあります(笑)。歩いただけですけど。仁川空港が出来る前の話です。

大韓航空の美人スチュワーデス(現CA)に日本人のミナミさんという方がいらっしゃいました。いま思い出すと北川景子似だったと思います(まだ北川景子デビュー前でしたが)。当時のコスチュームはキム・ドンスン 씨デザインに替わったばかりの頃で、とっても感じのいいCAさんでしたのでよく覚えてます。大韓航空が大好きになりましたよ。

当時から大韓航空はパイロットの腕も確かだという噂でした。なんでももと軍人さんが多いのでスクランブル発進に慣れてるから、短い滑走路でもスムースに飛び立てるし着地も上手いと聞いてましたよ。あくまでも噂ですけれど

●いよいよイラ韓は大韓航空でチェジュ島へ!

さて、大韓航空様のおかげで引き続き楽しめることになった「イラッとくる韓国語講座」ですが、ソウル、プサンの次はチェジュ島でございます。ウチの母も今年行って来ました。行きたいなぁ。

チェジュ島といえば、このドラマ「美しき人生(人生은 아름다워)」ですね。前半にはユミンこと笛木優子さんも登場してハングルを聞かせてくれます。こうい快活な役柄がもっと見たいなぁ。もっとも恋人が同性愛者の役で最終的には別れてしまうちょっとかわいそうな役でもあったけど。

チェジュ島にあるオルレ(オルレギル:大通りから民家へと続く路地のことでチェジュの方言)というウォーキングコースが有名だそうですが、23コースあるんですね。他のネット情報では12~19コースというのが多いから、その後増えてるのか、ジモティーだけが知っているオルレ中のオルレギルがあるのかわかりませんが、イラ韓の「旅博」情報では23コースでしたね。

どのオルレも結構長くて、16~17km程度あるとか。全部を制覇しに行ってる人もきっと多いんでしょうね。前に小笠原に旅しましたが、チェジュ島も世界自然遺産ですし、島好きとしてはぜひ行ってみたいです。もちろん大韓航空で!

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2011/11/11

紙の本すら読まない人が電子書籍を読むわきゃない(笑)

最近ブログ回帰傾向のあるワタクシ。もっとも今日もゴガクル日記の転載だけど。

電子書籍への違和感のひとつは、読んでいる最中に電力を消耗していることだったりする。個人的にこの急き立てられるようなエネルギー消耗読書に馴染めない。

それは電子書籍だけでなくあらゆる消耗品に対する個人的な性癖ともいえる。掃除用品(取替え式のモップとか)も使うのにものすごく抵抗がある。繰り返し使える雑巾のほうがいい。

もちろん電子書籍なんて充電すればいいわけだし、掃除用品なんて使ってナンボなわけだが、消耗していくものを見るのが根っから嫌いなんだと思う。

たぶん前に日記にも書いたキャラクターシールを買っても貼れない性質、つまりどケチ体質なんだと思う。

そんなこといえば、紙の本だって持ち歩くと折れ曲がったりボロボロになったりするわけだけど。それは消耗というより味わいとなってある段階で価値に変わる。それは革製品の味わいに似ている。我田引水過ぎるかな?

そのようなモノとしての本の味わいを失ったあげく、読むためにスイッチをオンにした瞬間から消耗を始める電子媒体の在り様そのものに違和感がある。

だが時代の流れという意味では電子媒体に取って代わる日が来るのかもしれない。ただ、紙の本さえ読まない人が増えているのに、電子書籍になったからといって読み始めるわけがない。

ベストセラーとなる内容を持った本が電子書籍でしか読めないなら売れるかもしれないが、それはごく一部の書籍であって多くの書籍は埋もれるだけだ。

あるいは物流が不要になり経費が軽くなった分安くなれば売れる本も多少はあるかもしれない。また在庫を持たなくて済むため何十年も消えずに残すという意味ではメリットもある。

しかし実際には文字だけでないギミックのあるアプリケーション的な媒体に移行せざるを得ず、制作費はいま以上にかさむはずだ。また在庫にならなくてもデータとしてただあるだけでは商売にはならない。

こんな風に考えると、紙の本は電子書籍に置き換わるから消えるのではなく、読書する人がいなくなるからなくなっていくような気がする。多くの民はそんなヒマがないのだ。

それは紙を綴じた媒体の死ではなく、マスメディアとしての出版の死として実現するように思う。紙を綴じた媒体は出版ビジネスとは別のところで生き延びることだろう。

そのかわり本や本を模したデータなどではなく、書籍でもラジオでもテレビでもない、まったく異なるメディアが新しいひとつの文化の台頭をもたらすのではないか。

ただそこまで生きていないと思うので、私自身は紙を綴じた書籍とともに一生を過ごしたいと思う次第だ。そんな風に紙の本を読みながら、毎日新しい消費媒体のギミックを考えるという生活が楽しいと思う。常に消費する側とさせる側とは違う世界を見ているものだ。

●新しい媒体について妄想する

例えば一人のオピニオンリーダーとして作家がいる。彼の作品は物語としては完成されているかもしれないが、新しい媒体にとっては物足りない。そこにオープンソース社会で育まれた様々な人々がところどころにギミックをちりばめて作品を装飾する。

それは挿絵的なアニメかもしれないし、脇役のスピンオフストーリーかもしれないし、BGMかもしれないし、書評かもしれない。著者が登場して議論をふっかけてもいい。それらが作家の作品の周辺に新しい創作のタネを蒔き、すべてがつながって行きつ戻りつしながら読者はそこに評価をくだし、それがまた作品の一部としてフィードバックされる。そこにまた別の創作物が新たに加わる。すると、そこにはその作品群による一つの銀河系が生まれる。

紙や電波媒体でもこれらは一部実現しているが、つながっていない。不連続だ。だが新しい媒体での作品は宇宙のごとく拡大、増殖し続け、さらにリンクしている。その作品群が飽きられるまで続く。飽きられた頃、その作品は古典となり、さらにその総体に対する新しい評価が生まれる。そうやって力のある作品は生き続ける...。

ただし素人の作品群ではクオリティが保てないから、そのうちプロ集団が形成される。そこには常にビジネスのタネが転がっており、タネとなる作品を作る個人や集団、それらから派生してビジネスになりそうな作品を選び装飾する集団、これらが現在のように1つのメディア企業によって作られるのではなく、すべてがオープンな競争によって作られ、同意した読者によって評価される世界...。

作品はすべてパーツとなり、パーツの集合で形作られる作品群の力によって、その作品世界がますます拡大していく。おそらく大ヒット作品群になれば人の一生なんてその作品との関わりだけで終わってしまうくらいの規模になるかもしれない。それはそれで幸せな人生になると思う。

妄想というものはどこまでも際限ない。こういう妄想の拡大こそが望みなのかも。そうやって後戻りできない地平まで走りながら、個人的には紙の読書に勤しむのが理想だ。

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今日は焼き肉です!

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2011/11/10

FATCATを青田買い

最近、新人歌手のFATCATが結構注目され始めた。今日のMCountdown(韓国と日本で生放送)のなかでも中盤にご出演!

ソロデビューした一ヶ月前あたりは、音楽番組のトップバッターばかりだったので、このスピードで新人歌手がMCountdownの中盤に歌えるのは異例の出世のような気がする。

もちろんほとんどの音楽番組に最初から出演できている時点で、かなりの大型新人なんだろうなということは容易に想像できる。

ヘビーローテーションだから聴きたくなるのかとも思っていたが、Youtubeで画像を探してしまうくらいのこの中毒性はまさにK-POPだ!

このツンツンした感じ。好きだなぁ(笑)。好き嫌いがハッキリ分かれるタイプといえるかも知れない。1990年生まれだって。オレ1990年生まれに弱いのかな?キムヨナもジユンも1990年生まれ。世代論的に興味深い。

まだまだ情報が少ないけれど、注目度が高いことは間違いない。既にアイドルが飽きられはじめている韓国だから、ソロ歌手でK-POPアイドル系のノリで出てきたのはそういう状況分析と事務所の戦略なんだろう。

それにしてもこの秋のK-POPの充実振りは素晴らしい!素晴らしすぎる!K-POPを聴き続けていて本当に良かった。K-POPがなかったらオレの音楽人生の空白が埋まらないままだったと思う。

もともとスノッブなオレの特性がK-POPを見逃すはずがなかったともいえる。そこは自画自賛してみたい(笑)。でも、韓国語をはじめたからK-POPを聴き始めたわけで、その後のK-POPブームまでは想像していなかった。

K-POPが韓国語学習やキムヨナの金メダルより先に大ブームになっていたら、ここまではまったかどうかはわからない。たぶん天邪鬼だからブームに背を向けていただろう。だけどそのうちきっと気に入ってどうしようもなくなりそれまでの遅れを取り戻そうと今以上にのめり込んでいたかもしれない。ちょうどユッコ断ちのときのように(笑)。

1990年生まれのキムヨナが2010年に金メダルを取ったというエポックで、1997年のIMF危機後の韓国が真に世界デビューしたような気もする。キムヨナの金メダルとK-POPの世界戦略とは分けて考えられないような気もする。これも世代論的な話に出来そうだ。クソっ!大学生だったらこれで卒論書けるんだけどな。それにかこつけて韓国に旅行しちゃうな(笑)。

ポップスを死ぬほど聴いてきた人でもK-POPに難色を示したりする人がいるけど、それは21世紀のポップシーンを見誤っていると断言したい。

もちろんこれは日本のポップシーンなんていうガラパゴスの話ではまったくない。純粋にポップミュージックの話をしているのだ。

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2011/11/07

安井かずみのエッセイに耽る秋もいい

今日も面白そうな本を見つけて手に取ると河出書房新社の本だった。ここんとこ面白そうだと思ってみると河出書房新社なんだよなぁ。大ヒットするかどうかは別にして(笑)。本にボクを引き寄せる引力があるんだよね。

今日買ったのは「たとえば好き 例えば嫌い 安井かずみアンソロジー」という書籍だ。

ZUZUこと安井かずみは時代の最先端、クリエイティブの最先端をかろやかに突っ走り、あっという間に亡くなった。55歳なんて早すぎると思うけど、人の何倍も駆け足で生きた人生だったかもしれない。

フランス語と英語が堪能だったそうだが、ヒットメーカーとしてその作詞の日本語センスももちろんすばらしかった。

しかし例えば同業者の阿木耀子さんや、エッセイストでは向田邦子さんほどにはボクの目に触れることがなく、エッセイも読んだことがなかったので、こうしてまとめて読めるのはありがたい。

この本は今年の夏に発行されているのだが、こういう本が出るたびに思うのは、なぜこのタイミングなんだろうということだ。

安井かずみが肺癌で亡くなったのは1994年。いまこうして出版される背景になにかあるのか?安井かずみ再発見のためのなにかがあるのか?展覧会でもあればいいんだけどな。

安井かずみのイメージはフランス映画に出てくる女のイメージだ。自立しているがひたすら愛に生きる女。ベティ・ブルーのような。勝手なイメージだけど。

彼女の語学力はお勉強のためでなく、ひたすら情熱のためにあった。そのように語学が出来れば最高だ。

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2011/11/03

3人の中村伸一トークライブでちょっとポジティブ・シンキング

今日の「3人の中村伸一+αトークライブ」のことを書こうと思うのだけど、本題の前に個人的なことにちょっと触れたくなった。ネガティブシンキングな私ごとですが(笑)。

3.11以降の日本において「絆(きずな)」という言葉の肌触りが変わった。ボクにとってそれまでの「絆」とは正直なところ高知東生高島礼子ホームページ(当時)のタイトルでしかなかった()。そんなボクだけでなく、「絆」にちょっと気恥ずかしい思いをもつ都市生活者は多かったと思う。ヤンキーの特攻服のイメージとも言える。

9月に仙台から塩釜、石巻、奥松島、南三陸町、気仙沼、陸前高田を巡って来た。仙台、石巻、松島以外は初めて訪れる土地だった。街が丸ごと無くなった陸前高田市を少し歩いた。すでに瓦礫がかなり撤去され、あの震災を知らずにそこに立つと、あたかも宅地造成されたばかりの新しい住宅候補地のように見えるのではないだろうか。それほど整然と何も無い。

陸前高田201109

だがここにはまぎれもなく日常生活の時間が流れていた。ここから見えるはずの無い遠くの学校が見渡せるようになったというこの場所に連れて来てくれたのは、この地で仕事をしていた友人だった。ここから歩いて数分のところに希望の松と呼ばれるようになった一本の松の木がある。

希望の松

海のすぐそばにあるこの松の木。街が全壊したほどの津波のなかを生き延びた一本の松の木だった。ここに街があったころ、誰もこの松の存在に希望を見出すことはなかっただろう。だがいま、この松の木にさえ希望を託したくなる人々の思いを、ほんの少しでも共有したいと素直に思った。

この場所に来ないで希望の松の話だけを聞いていれば、おそらくボクはもっと違った感想を抱いただろう。美談には必ず裏がある世の中だ。ひとつのアイコンとして有名になってしまった松の木を食い物にしようという輩だって既にいる。そのようなネガティブな風になって流れてくる裏側のビジネス臭ばかりを嗅いで、そそくさと回避していたことだろう。

同じ松の木でも、その環境やあり様、そしてそこに対峙した人々の思い、それらによって見え方は変わる。何かを突き動かす力になり得る。それはネガティブな勢力にもポジティブな勢力にもなりえる。それを見極める目も必要だ。現場にいることが重要だ。

だが誰もがあらゆる現場を体験できない。だから現場力のある人の話を聞きたい、と思う。現場を知っている人の話は具体的で実感を伴うだけに力がある。ときに面白く、また時に心に沁みるのはそのためだろう。

●中村伸一の「絆」は既に同姓同名を超えている

3人の中村伸一を素因数分解すればただのオッサンだ。中村伸一から中村伸一という名前を取ったら、このトークライブはただのオッサン三人衆の四方山話になってしまう。だがそれが感動的に面白いのは、既に全員が中村伸一という名前だからではなく、そのポジティブな仕事ぶりに共感できる存在だからなんだと思う。

2年前の第一回トークライブは、ただただ爆笑の嵐だった。名前がいっしょというだけで会場押さえてトークライブをやっちゃうなんて!というノリだった。だがライブが終わった後には、笑いだけでない3者3様の伝えたい思いが強く残った。それをそのときのボクは「相互信頼」と表現してみたくなってブログに長々と書いたのだった。

そのブログ記事を中村伸一隊長がご自身のブログで「すごいまとめ力だ!」と褒めてくださった。影響力のある隊長なので、その後「3人の中村伸一トークライブ」を説明するときにこの記事を紹介してもらえてると聞いて、何事にもネガティブなボク()もちょっとうれしかった。

●長生きの秘訣!ポジティブとネガティブは3:1が黄金比

今回は朝ネガティブなブログを書いて出てきてしまったためか、妙に「ポジティブ」という言葉がグサグサ突き刺さってくるライブだった(笑)。こんなボクも昔はポジティブ人間だった。学生時代は某タレントの講演会やクルージングパーティを主催したり(バブル丸出し!)、IT系のプレゼンで東京都から賞もらったりした。2年前にはBSで中島みゆきさんを語らせてもらった(中島さんってとこがちょっとポジティブじゃない過去も醸し出してるかもしれんが)。

だけど一方でいわゆる「ポジティブ・シンキング」の大宣伝が大っ嫌いでもある。アンタのポジティブってベクトル間違ってね?的な、マツコ・デラックスが女性ファッション誌記者を嫌悪するのとまったく同じ視線を送りたくなる履き違いポジティブ野郎もたくさん見てきたからだ。ナンシー関を師とあおぐボクがポジティブなんてケッというのは当然の帰結だったのだ()。

そんなすねた野郎のボクにとって「ポジティブ」という言葉は諸刃の剣だ。だけどライブではポジティブは善であるという流れだった。中村伸一院長が「ポジティブとネガティブは3:1で生きるのが黄金比」という外国の研究発表を紹介された。自分はどうだろうと会場に問いかけられた。自分がネガティブに生きてると思う人という問いかけに3人くらい手があがった。ボクもそこで手を挙げた。

●25%ネガティブの意味を考える

笑顔で生きるほうが楽しいし、長生きしそうな気はする。だけど頭ごなしの「ポジティブ」に懐疑的なことは自然なことだとも思う。ポジティブにも良いポジティブと悪いポジティブがあるのではないか。コレステロールじゃないが(ちなみにコレステロールには良いも悪いもないと柴田博先生が言ってた)。

では何が頭ごなしじゃないのか、というところで中村伸一という生き方が登場するわけだ。一生仲間と旅して暮らす未来がしっかりイメージできてる隊長のポジティブ人生、若い頃の失敗とその後の経験を武器に一生働きたい所長のポジティブ人生、分かり合えないことを理解するところからはじまる絆で現実を変えていく院長のポジティブ人生、そこにあるのは、ごまかしの100%ポジティブ野郎にない、25%ネガティブがしっかり見える生き方のように思う。

3:1の黄金比を見たときに、75%のポジティブに目が行く人と25%のネガティブに目が行く人といるはず。もちろんボクは25%、4分の1のネガティブを考えてしまう。いまネガティブが75%で生きていたとして、これを25%に持っていく生き方が出来るだろうか。

●中村伸一それぞれの25%ネガティブ分析

実はこの日、サプライズゲストでもう一人の中村伸一さんが登場した。福岡で税理士をされているという中村伸一さん。所長が偶然見つけてアポナシで事務所を訪ねてできたつながりだとか。今日は福岡から顔見世だけのために6万円かけてご登場というインパクトはなかなかすばらしかった(笑)。

中村伸一のビジネスバランスこの中村税理士(今後は社長というニックネームになりそう)は、経営者としては1:1だとおっしゃった。これはなかなか鋭いように思う。つまりネガティブとはリスク管理であり、50%ずつの両にらみの感性が確実に必要ということだと理解した。中村伸一所長の言葉でいえば、ビジネスバランスということになるだろうか。

あるいは隊長は常に客観視している自分が頭のうえから自分を見ているイメージを語られた。この客観視というのもリスク管理だと思う。自分たちで作る旅をアレンジするという仕事は常に未知との遭遇であり、100%ポジティブではダメなんだと思う。リスク管理が必須であり、常に安全確保を頭に入れておくのだろう。

また院長は、本気すぎ、頑張りすぎ、肩に力が入りすぎという過度な気合がミスを起こすという冷徹な部分を常に意識している。これも医師としての自分を客観視することによるリスク管理だ。

そう考えると、25%のネガティブ要素はリスク管理と言い換えられそうな気がする。そして75%ネガティブに生きるボクのような人間はリスク管理過剰なわけだ。だから一歩踏み出さない。そこは安全だけど新しいパースペクティブやパラダイムを逃しているのだろう。1歩踏み出せば1:1になるかもしれない。もう一歩進んで誰かとつながりを持てれば2:1に出来るかもしれない。

●正しいポジティブ・シンキングのために

勘違いエセポジティブ野郎との一番の違いは、100%ポジティブの独りよがりでなく、25%リスク管理が出来るポジティブ・シンキングだということになるかもしれない。

これはネガティブ人間には朗報だ。我々ネガティブ人間はどうやっても100%独りよがりな勘違いエセポジティブクソ野郎に死んでもなれない分だけ、正しいポジティブ・シンキングが可能だからだ。ポジティブな面を少しずつほぐしていけばいい。どの中村伸一もそんなポジティブを見せてくれる(だからといって世の中村伸一がすべてそうだと言っているわけではない)。

●おわりに

トークライブの内容を織り交ぜつつ、自分勝手に書いてきてしまった。だってオレのブログだろ(笑)。あ、やばい、悪いポジティブ野郎が顔をちょっと出しちゃった。

トークライブの内容をもっと膨らませた内容を知るには各々の著書を読んでください(笑)。所長はまだ著書がないとおっしゃっていましたが、iTunesやポッドキャストでビジネスバランスについて情報発信されてます。

ボクも秋葉原の書店で中村院長の新刊を買わせていただきましたよ。ライブ前に買っとけばサインもらえたのにと思いつつ。でも偶然、著書の編集の方がボクのお隣に座られたので院長をご紹介していただけて、ほんとにうれしかったです。ちょっとポジティブになれました()。

実はボクの祖母は前回のトークライブの5ヶ月前に病院で他界しました。亡くなった日は建国記念日でしたが、実家に戻るその日ボクは翌日からの段取りをして帰らなきゃと早朝東京にいて仕事してから山口県に戻り、すでに柩に入った祖母と葬儀場で対面しました。91歳だったので大往生でしたが自宅でというわけには行かず、もし自宅だったとしても見取ることまでは出来なかったと思います。そのことがずっと気になっていたので、その後のトークライブや著書でのお話しをある意味「夢」のように感じます。

中村所長はボクと同郷で妹とも面識があったなんてほんとに驚きましたが、今年またお互いの仕事先で出会ってたという山口県の狭さが、いやシンクロニシティの高さにまたビックリしました。山口県もいいとこいっぱいあるし、山口の宣伝マンとしてこれからも山口県をお願いします(?)。若気の至りで保守的な土壌に嫌気がさしたりした頃もありましたが、故郷があることの幸せをいま感じています。ネガティブだから顔には出せませんが...。

中村隊長のお話はいつ聞いても面白いしグッと心をわしづかみです。元ヤンキーだけに「絆」も板についてて(?)。隊長の旅の経験もまだまだ増えていくいっぽうなわけだから、これからも面白い話が次々に生まれてくることでしょう。12時間トークって吉田拓郎を超えますね(笑)。年齢的にも存在的にも中村伸一ファミリーの兄貴分としてこれからも毎日誰かを喜ばしていかれることでしょう。限界オヤジに限界なし!

それと今日の会場でボクと話してくれた編集者のIさんと後ろの席だった19歳のT君。話しかけるなバリヤーのなかで生活しているネガティブなボクなのですが()、こんな機会に話ができてよかったと思ってます。どうもありがとう。

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姓名判断で気分悪っ!

今日は中村伸一×3人のトークライブに行ってきます。前回の記事はこちら。まさかの第二弾があるとは!

同姓同名ってだけで集まってトークライブを敢行してしまう熱いオッサンたち。

ネット社会になって同姓同名を探しやすくなったのは確かですね。

ボクも出発前に自分の名前を検索してみようとしたんですが、上位のほうに姓名判断のサイトが表示されてしまいました。

見なきゃいいのに、魔が差してみてしまった!

その結果が悲しい...。

地格:理解力に長け周囲の協力もあり名声を得ます。

人格:何事にも積極的で最後までやり通す力があります。

外格:努力家で誠実な性格から周囲からの信頼も厚くなります。

総格:意志が弱く努力もしないため何をしても上手くいきません。

なんじゃこらっ!ケンカうっとんのかボケっ!

各論で持ち上げといて、総論全否定やんけ!


でも、でも、でも、その通り!

強い意志なんてない。努力なんてしない。上手くいこうと思ってない。

3拍子そろえて日々生きてますよ。

でもさぁ、

もうね、強い意志で努力して上手くいくなんて性格じゃ生きていけないよ。

何かを成し遂げようという努力なんてムダよ。

上手くいくなんて思っちゃいけませんよ。

謙虚に生かしていただいてるという気持ちが大事。

原発がぶっ飛んでも、預貯金の利息がつかなくても、生きてりゃいいじゃん。

生きる意味なんて考えるだけムダなんだよ。

生きてるんだから。

死ぬのがめんどくさいから生きてるだけさ。

最近自殺する人たちってきっと生きる意味とか考えてたんだろうなと思ってさ。

生きる意味なんて考えなきゃ楽に生きられただろうにって切なくなっちゃうね。

生きる意味を喪失したときに死んじゃうんだから。

こうやって開き直るところなんか、何事も努力しない源泉だって思うよ。

わかってやってんだよ。

逆に「意志が強くて努力するために何をやっても上手くいきます」なんて姓名判断は気持ち悪い!

そんなの喜ぶのは勝間和代くらいだよ(それとアホなカツマーども)。

降りていく生き方に魅力を感じるオレなんだから、これでいいのだ。

やばい!出かけなきゃ時間がない。ラーメン食べる時間が!空腹のまま17時まではつらいぞ!ここはひとつ強力な意志で出かけていって是が非でもラーメンを食べてやる!食べるのに成功してやる!そのくらいは上手くやってやるーーー!

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