3人の中村伸一トークライブでちょっとポジティブ・シンキング
今日の「3人の中村伸一+αトークライブ」のことを書こうと思うのだけど、本題の前に個人的なことにちょっと触れたくなった。ネガティブシンキングな私ごとですが(笑)。
3.11以降の日本において「絆(きずな)」という言葉の肌触りが変わった。ボクにとってそれまでの「絆」とは正直なところ高知東生高島礼子ホームページ(当時)のタイトルでしかなかった()。そんなボクだけでなく、「絆」にちょっと気恥ずかしい思いをもつ都市生活者は多かったと思う。ヤンキーの特攻服のイメージとも言える。
9月に仙台から塩釜、石巻、奥松島、南三陸町、気仙沼、陸前高田を巡って来た。仙台、石巻、松島以外は初めて訪れる土地だった。街が丸ごと無くなった陸前高田市を少し歩いた。すでに瓦礫がかなり撤去され、あの震災を知らずにそこに立つと、あたかも宅地造成されたばかりの新しい住宅候補地のように見えるのではないだろうか。それほど整然と何も無い。
だがここにはまぎれもなく日常生活の時間が流れていた。ここから見えるはずの無い遠くの学校が見渡せるようになったというこの場所に連れて来てくれたのは、この地で仕事をしていた友人だった。ここから歩いて数分のところに希望の松と呼ばれるようになった一本の松の木がある。
海のすぐそばにあるこの松の木。街が全壊したほどの津波のなかを生き延びた一本の松の木だった。ここに街があったころ、誰もこの松の存在に希望を見出すことはなかっただろう。だがいま、この松の木にさえ希望を託したくなる人々の思いを、ほんの少しでも共有したいと素直に思った。
この場所に来ないで希望の松の話だけを聞いていれば、おそらくボクはもっと違った感想を抱いただろう。美談には必ず裏がある世の中だ。ひとつのアイコンとして有名になってしまった松の木を食い物にしようという輩だって既にいる。そのようなネガティブな風になって流れてくる裏側のビジネス臭ばかりを嗅いで、そそくさと回避していたことだろう。
同じ松の木でも、その環境やあり様、そしてそこに対峙した人々の思い、それらによって見え方は変わる。何かを突き動かす力になり得る。それはネガティブな勢力にもポジティブな勢力にもなりえる。それを見極める目も必要だ。現場にいることが重要だ。
だが誰もがあらゆる現場を体験できない。だから現場力のある人の話を聞きたい、と思う。現場を知っている人の話は具体的で実感を伴うだけに力がある。ときに面白く、また時に心に沁みるのはそのためだろう。
●中村伸一の「絆」は既に同姓同名を超えている
3人の中村伸一を素因数分解すればただのオッサンだ。中村伸一から中村伸一という名前を取ったら、このトークライブはただのオッサン三人衆の四方山話になってしまう。だがそれが感動的に面白いのは、既に全員が中村伸一という名前だからではなく、そのポジティブな仕事ぶりに共感できる存在だからなんだと思う。
2年前の第一回トークライブは、ただただ爆笑の嵐だった。名前がいっしょというだけで会場押さえてトークライブをやっちゃうなんて!というノリだった。だがライブが終わった後には、笑いだけでない3者3様の伝えたい思いが強く残った。それをそのときのボクは「相互信頼」と表現してみたくなってブログに長々と書いたのだった。
そのブログ記事を中村伸一隊長がご自身のブログで「すごいまとめ力だ!」と褒めてくださった。影響力のある隊長なので、その後「3人の中村伸一トークライブ」を説明するときにこの記事を紹介してもらえてると聞いて、何事にもネガティブなボク()もちょっとうれしかった。
●長生きの秘訣!ポジティブとネガティブは3:1が黄金比
今回は朝ネガティブなブログを書いて出てきてしまったためか、妙に「ポジティブ」という言葉がグサグサ突き刺さってくるライブだった(笑)。こんなボクも昔はポジティブ人間だった。学生時代は某タレントの講演会やクルージングパーティを主催したり(バブル丸出し!)、IT系のプレゼンで東京都から賞もらったりした。2年前にはBSで中島みゆきさんを語らせてもらった(中島さんってとこがちょっとポジティブじゃない過去も醸し出してるかもしれんが)。
だけど一方でいわゆる「ポジティブ・シンキング」の大宣伝が大っ嫌いでもある。アンタのポジティブってベクトル間違ってね?的な、マツコ・デラックスが女性ファッション誌記者を嫌悪するのとまったく同じ視線を送りたくなる履き違いポジティブ野郎もたくさん見てきたからだ。ナンシー関を師とあおぐボクがポジティブなんてケッというのは当然の帰結だったのだ()。
そんなすねた野郎のボクにとって「ポジティブ」という言葉は諸刃の剣だ。だけどライブではポジティブは善であるという流れだった。中村伸一院長が「ポジティブとネガティブは3:1で生きるのが黄金比」という外国の研究発表を紹介された。自分はどうだろうと会場に問いかけられた。自分がネガティブに生きてると思う人という問いかけに3人くらい手があがった。ボクもそこで手を挙げた。
●25%ネガティブの意味を考える
笑顔で生きるほうが楽しいし、長生きしそうな気はする。だけど頭ごなしの「ポジティブ」に懐疑的なことは自然なことだとも思う。ポジティブにも良いポジティブと悪いポジティブがあるのではないか。コレステロールじゃないが(ちなみにコレステロールには良いも悪いもないと柴田博先生が言ってた)。
では何が頭ごなしじゃないのか、というところで中村伸一という生き方が登場するわけだ。一生仲間と旅して暮らす未来がしっかりイメージできてる隊長のポジティブ人生、若い頃の失敗とその後の経験を武器に一生働きたい所長のポジティブ人生、分かり合えないことを理解するところからはじまる絆で現実を変えていく院長のポジティブ人生、そこにあるのは、ごまかしの100%ポジティブ野郎にない、25%ネガティブがしっかり見える生き方のように思う。
3:1の黄金比を見たときに、75%のポジティブに目が行く人と25%のネガティブに目が行く人といるはず。もちろんボクは25%、4分の1のネガティブを考えてしまう。いまネガティブが75%で生きていたとして、これを25%に持っていく生き方が出来るだろうか。
●中村伸一それぞれの25%ネガティブ分析
実はこの日、サプライズゲストでもう一人の中村伸一さんが登場した。福岡で税理士をされているという中村伸一さん。所長が偶然見つけてアポナシで事務所を訪ねてできたつながりだとか。今日は福岡から顔見世だけのために6万円かけてご登場というインパクトはなかなかすばらしかった(笑)。
この中村税理士(今後は社長というニックネームになりそう)は、経営者としては1:1だとおっしゃった。これはなかなか鋭いように思う。つまりネガティブとはリスク管理であり、50%ずつの両にらみの感性が確実に必要ということだと理解した。中村伸一所長の言葉でいえば、ビジネスバランスということになるだろうか。
あるいは隊長は常に客観視している自分が頭のうえから自分を見ているイメージを語られた。この客観視というのもリスク管理だと思う。自分たちで作る旅をアレンジするという仕事は常に未知との遭遇であり、100%ポジティブではダメなんだと思う。リスク管理が必須であり、常に安全確保を頭に入れておくのだろう。
また院長は、本気すぎ、頑張りすぎ、肩に力が入りすぎという過度な気合がミスを起こすという冷徹な部分を常に意識している。これも医師としての自分を客観視することによるリスク管理だ。
そう考えると、25%のネガティブ要素はリスク管理と言い換えられそうな気がする。そして75%ネガティブに生きるボクのような人間はリスク管理過剰なわけだ。だから一歩踏み出さない。そこは安全だけど新しいパースペクティブやパラダイムを逃しているのだろう。1歩踏み出せば1:1になるかもしれない。もう一歩進んで誰かとつながりを持てれば2:1に出来るかもしれない。
●正しいポジティブ・シンキングのために
勘違いエセポジティブ野郎との一番の違いは、100%ポジティブの独りよがりでなく、25%リスク管理が出来るポジティブ・シンキングだということになるかもしれない。
これはネガティブ人間には朗報だ。我々ネガティブ人間はどうやっても100%独りよがりな勘違いエセポジティブクソ野郎に死んでもなれない分だけ、正しいポジティブ・シンキングが可能だからだ。ポジティブな面を少しずつほぐしていけばいい。どの中村伸一もそんなポジティブを見せてくれる(だからといって世の中村伸一がすべてそうだと言っているわけではない)。
●おわりに
トークライブの内容を織り交ぜつつ、自分勝手に書いてきてしまった。だってオレのブログだろ(笑)。あ、やばい、悪いポジティブ野郎が顔をちょっと出しちゃった。
トークライブの内容をもっと膨らませた内容を知るには各々の著書を読んでください(笑)。所長はまだ著書がないとおっしゃっていましたが、iTunesやポッドキャストでビジネスバランスについて情報発信されてます。
ボクも秋葉原の書店で中村院長の新刊を買わせていただきましたよ。ライブ前に買っとけばサインもらえたのにと思いつつ。でも偶然、著書の編集の方がボクのお隣に座られたので院長をご紹介していただけて、ほんとにうれしかったです。ちょっとポジティブになれました()。
実はボクの祖母は前回のトークライブの5ヶ月前に病院で他界しました。亡くなった日は建国記念日でしたが、実家に戻るその日ボクは翌日からの段取りをして帰らなきゃと早朝東京にいて仕事してから山口県に戻り、すでに柩に入った祖母と葬儀場で対面しました。91歳だったので大往生でしたが自宅でというわけには行かず、もし自宅だったとしても見取ることまでは出来なかったと思います。そのことがずっと気になっていたので、その後のトークライブや著書でのお話しをある意味「夢」のように感じます。
中村所長はボクと同郷で妹とも面識があったなんてほんとに驚きましたが、今年またお互いの仕事先で出会ってたという山口県の狭さが、いやシンクロニシティの高さにまたビックリしました。山口県もいいとこいっぱいあるし、山口の宣伝マンとしてこれからも山口県をお願いします(?)。若気の至りで保守的な土壌に嫌気がさしたりした頃もありましたが、故郷があることの幸せをいま感じています。ネガティブだから顔には出せませんが...。
中村隊長のお話はいつ聞いても面白いしグッと心をわしづかみです。元ヤンキーだけに「絆」も板についてて(?)。隊長の旅の経験もまだまだ増えていくいっぽうなわけだから、これからも面白い話が次々に生まれてくることでしょう。12時間トークって吉田拓郎を超えますね(笑)。年齢的にも存在的にも中村伸一ファミリーの兄貴分としてこれからも毎日誰かを喜ばしていかれることでしょう。限界オヤジに限界なし!
それと今日の会場でボクと話してくれた編集者のIさんと後ろの席だった19歳のT君。話しかけるなバリヤーのなかで生活しているネガティブなボクなのですが()、こんな機会に話ができてよかったと思ってます。どうもありがとう。
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