完全マスターハングルシリーズに惚れた!の巻
ゴガクルでハングル日記を書き続けて一年になります。去年の10月2日が最初の日記でした。たった1行のハングルの(それもちょっと文法的に疑問な)日記でした。通信講座で初級を半年ちょっと学んだ頃でした。
外国語作文には辞書は欠かせません。知らない単語は辞書がなきゃ話しにならないので。また最低限の初級文法も必要なので、初級教科書を一通り終えたくらいからはじめたのはちょうど良かったように思います。
文法をまったく知らない段階に学び始めた高揚感だけで日記を書き始めると、毎日書くプレッシャーのほうが強くて続きませんね(笑)。経験済みです()
これまで参考書はあまり使ってきませんでした。理由は初級すぎるために教科書そのものが参考書だったこと。とてもいい教科書だったのでそれで事足りてたんです。
でも初級Ⅰ、Ⅱの2冊をやり終えて、さぁその次と考えたとき、なにか指針になる参考書が欲しくなりました。2冊の教科書を最後までやり遂げた達成感もあり、やはり何かコレッという参考書を決めて全部やってみたいと思ったわけです。
同じ教科書の中級に進むことを最優先に考えたのですが、実際このレベルになるとロールプレイ中心の記述になり独学でやるにはちょっとムリがある教科書のように思えました。私のスタンスとしては読み書き重視なので。
初級で基本中の基本文法を理解したその次は何が必要だろう?と考えると、基本文法では出てこなかった文法を読みたいというのがひとつ。また日記を書くにあたって表現の幅を広げられる言い回しを増やすことがひとつ。
読み書き中心の独学だから、ある意味自然な流れでこのふたつを満たす参考書を探すようになりました。いろいろ買いましたけど、ゴガクルで作文をしているときに一番よく使っている参考書が「完全マスターハングル文法」です。
●三位一体!完全マスターハングルシリーズ
「文法」今年の5月に買ったときに一回紹介してます。その後、ずっと重宝してます。特に作文するときに、使いたい語句へのアクセススピードがとても速いです。見出しのハングルとその日本語訳と両方の索引があるので、日本語の索引で探せます。
さらにその文法事項が初級レベルの使い方と中・上級レベルの使い方で分けて説明されていたり、似た表現が集められていたり、編集に一貫した論理があるんです。それを著者のイム・ジョンデさんは「モウム(모음)」というキーワードで説明されています。これでストレスが少なく使うことが出来ます。
この文法書の姉妹編ともいえるのが同じ完全マスターハングルシリーズの「会話」と「単語」です。どれもイム・ジョンデさんの「モウム(모음)」によって編集されているので「文法」を入り口にした私にはとっても合ってるように思います。
「会話」は日本語の言い回しを見出し語として、そのハングル表現を説明されています。例文がとても活き活きしていて面白いです。「彼、行くって」「行こうが行くまいが俺は知らないよ」みたいな感じだったり。また、意味の解説が初級と中・上級とに分けられていて、例文もそのレベルに合った語彙で丁寧に作られてるように思います。こちらも作文をするときにあると便利だと思います。
私がもっとも苦手な単語帳ですが、完全マスターの「単語」は毎日数ページずつ読んでます。読書に耐えられる単語レファレンスと言ってもいいかも。こちらも初級と中・上級とで意味を分別してくれて、重要単語の要所要所にきめ細かい解説が載せてあります。コーパス的な考え方で選ばれた5000語の見出しと例文まで含めて1万語レベルの習得をめざす内容になっているそうです。
●100日間、毎日4ページ×3冊読むのは苦か?
どれもざっくりと1冊400ページ前後ありますが、毎日4ページ×3冊読むと約100日で一回読み終わりますよね。毎日日記を書き続ける苦労と比較してどうでしょうか。ゴガクルの日記を1日も落とさず1年と数日毎日書いている私ですが、毎日12ページの参考書を100日、つまり三ヶ月ちょっと読むことはそれほどでもないように思えます。
2回目はもっとスピードが上がるでしょう。知ってるとこは飛ばして読めばいいわけですから。3冊を朝昼晩に分けて読んでもいいですよね。ティータイムに読んでもいいし、それこそトイレで読んでもいい...。しかもこの3冊なら何ひとつ無駄がない読書体験になると思います。
ちょっとした空き時間の読書だから、どんな参考書でもいいんでしょうけど、私はイム・ジョンデさんのファンになりました。他と違う教本を作ろうという意欲が誌面に表れてると思ったからです。
●私の嫌いな勝間和代の各論に賛成!
勝間和代さんが複利計算をしていて思いついたという1日0.2%の努力という有名な説法があります。NHKの番組でも同じことを話されていたので、ご本人もお気に入りなんだと思います。毎日0.2%ずつ努力やチャレンジを続ければ、1年後にはその改善が2倍になるとか。その経験が次のチャレンジにつながるというのです。
私は一時期に大量のビジネス本を出して俄かに有名になる著者を信用しないので、この方の総論にはあまり与しないのですが、このわかりやすさは素直に受け取りました。知識が複利で増えていくかどうかなんて量れないんですけど、日々の努力は大切です。それも難しく考えないで出来る努力が継続の基本だとも思いますね。
●まさかのDHCが版元だった
出版社はDHCです。コンビニで売ってる化粧品の会社です。最初は同じ会社名の別会社かと思いました。化粧品の会社がどうしてこんな参考書を作れたのかが不思議だったのです。
でも沿革を見ると創業者の吉田嘉明CEOは、委託翻訳業務から会社をスタートされていました(1972年)。会社名の由来は大学翻訳センター(Daigaku Honyaku Center)の略称らしいのです。化粧品事業は創業後8年目(1980年)に開始したようです。そのさらに12年後(1992年)に出版・教育事業を開始されていました。
この流れを見ると高度経済成長の時代から一貫して女性をターゲットにした商品展開をされているように思えます。誰もが外面も内面も磨く時代に寄り添って成長したのがDHCだったというわけですね。そういう目のつけどころの違う出版社だから出せた参考書のようにも思えます。内容が良くなきゃ女性は使いませんからね。
私は毎日ダイエットサプリメントを飲んだりはしませんが、毎日完全マスターハングルシリーズを読んでます(笑)。
●ゴガクル日記1年を振り返って
10月末(明日)まで続けると丸1年1日も休まずに日記を書いたことになります。間違うことの恥ずかしさとか、間違いを指摘されたときのうれしさと悔しさのない交ぜ感とか、回答にちょっと質問しただけで逆ギレされたりとか、回答の意味がさっぱりわからないけど聞きかえせない感じとか、いろんな経験をするのも公開日記の現実です。
特に文章だけのコミュニケーションは限界がありますね。たぶん語学をやりながらのネットコニュニケーションは超初心者どうしか、かなり熟練した人どうしとか、同じ学習レベルで進み方もテキストも同じ人どうしなど、一定の条件がそろわないとなかなか学習者どうしでのコミュニケーションで上達はしないように思います。
それか完全に割り切って語学の話はあまりしないというのがいいのかも知れません。よくある語学学校のサロン的雰囲気のアレです。それはそれで息抜きになります。同好の士感覚で楽しめればとてもいいことですね。
でも時間がないなかで同好の士とのコミュニケーションに時間を取られすぎると語学に割ける時間を減らすことになり本末転倒です。上達してしまえばそれもまた楽しめる余裕が出てくるのでしょうけど。またいろんな質問に応えてくれる相手のスキルもわからないし、やはり体系的なバックボーンがないのは不安です。
私にとってゴガクルでの日記はとにかく毎日間違ってもいいからハングルを書くというその一点だけです。語彙を知るために辞書を引き、参考書を開くきっかけのひとつです。もちろんそこで知り合った全国の学習者の方との交流も大切ですが、それは語学という範疇とはすでに別のものとなっています。
時間のないなかで他の方の日記にコメントすることもほとんどなくなり、コメントされることも少なくなりました。日記には通常15分程度をあてることにしてます。そのなかでのやり繰りだと、どうしても作文だけになってしまいます。それでもコメントしてくださる最初期からの数人の皆さんのコメントではドラマやイラ韓の話題で息抜きさせてもらってます()。でも皆勤おめでとうとかはもういらない感じ...。それが当然なボクだから(<おっとオレ様発言!?
)
そういいつつwataruとKeona Keahiの2つの日記を書いてますけれど、日本語タイピングはまったく苦にならないので、日本語だけの日記は1000文字書いたって15分の範囲内です。ハングルで書いた後、日本語でスラスラ書くと開放された気分になるのでこれも気分転換ですね。
今後のゴガクルには、システム的な機能追加(日記の装飾文字対応や日記以外のフレーズ・語彙のオリジナルノート作成など)とか有料でもいいから添削機能などを求めたいですが、人件費が発生すると難しいでしょうね。
●googleカスタマイズ検索でゴガクル日記点検
最近、Googleのカスタマイズ検索で自分の日記の全文検索が出来るようにしました。このブログの左サイドバーにそれを設置して、間違った表現を入れて検索すれば自分の間違った過去の日記が検索されます(笑)。
参考書を読んでいてすっかり間違えて覚えていた文法事項(例えば았을/었을 때 を ㄴ/은 때 と書いているなど)を点検したりしてます。あまりに恥ずかしいものは書きなおしたりして。
3冊の参考書を読み終えたとき、どんな感想を持っているかわからないですけれど、年末までちょっとやってみたいと思ってます。同時進行で「キムヨナのように」も読み終えたいと思って毎日時間の許す限り少しずつ読んでいます。
中級というのはものすごく広い範囲を指します。この上は上級、つまりほぼ生活に困らないレベルしかないわけです。だから自分のことを中級とは思ってません。初級がまだまだ数年続くという感覚です。
特に読み書きに偏っていて、聞き取りはメディア中心で、会話は最後の最後という学習方法を選んでいるわけで、コミュニケーションそのものがすでに欠落してるってことですね(笑)。だけどこれは趣味でやってることなので学校英語とはまったく意識が違ってモチベーションは落ちてません。それがとても気持ちいいですね。「好きこそものの上手なれ」って言いますが、まさにそれですね。
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