入れ替わりドラマの進化形「シークレットガーデン」
“入れ替わりって設定は無限の可能性がある。いろんな二人の入れ替わりシチュエーションコメディが見てみたい。”
そうひとくちメモに書いたのは2007年7月10日のこと。「食わず嫌いはダメ!パパとムスメの7日間」という記事だった。ちょうど4年前の今日のことだった。
その思いが想像以上に出来のいいドラマ「シークレットガーデン」で現実のものとなり非常にうれしい!韓国でヒットしたこのドラマがいまKNTVで放映されてて今日は最終回の前の週だった。
最終回のひとつ前が良いことこそ名作の条件だと「名門私立女子高校」以来主張し続けている私だが、シークレットガーデンもまさにこの条件が当てはまった。もっとも韓国ドラマは週2本なのであと2話残しているわけだが、実質それは最終週1本とカウントできるので、もう揺るがない。
それにしても入れ替わりシチュエーションがこんな風に進化するんだなぁと関心・感動して見ていた。辞書なしじゃ読めない韓国語のノベライズ本(1,2巻)も買っちゃったし。かなりはまったドラマだ。
●入れ替わりの定石をブレイクスルーしたドラマ
入れ替わりドラマはどうしてもその入れ替わりの仕組み(謎解き)やいつ元に戻るのかがストーリーの柱になりやすく、その間は入れ替わることによるドタバタコメディ風になりやすい。もちろんその面白さは鉄板で、演じる役者もこのシチュエーションでしかありえない演技が要求され、そこがまた見どころでもある。
シークレットガーデンもそういう面白さが存分に発揮されているが、それをあっさり途中でタネあかししちゃうところが新しかった。これはまさに逆転の発想、刑事コロンボシステムに匹敵する発想だと思った。
視聴者には入れ替わりのタネをあかし、途中でお互いに近い2人の人物にその入れ替わり状態を見透かされてまさかの告白までしてしまう。その告白した事実がさらに伏線となって終盤戦に突入し、「自らの意志で入れ替わる」という展開まで用意され、そのシチュエーションがまたドラマチック!
宣伝用のドラマ紹介文などにはファンタジーラブロマンスと書かれていることが多い。間違ってはいないけど、もっとドラママニアな目線でも充分鑑賞に堪えられるプロットのしっかりした作品だった。だからそういうデートムービー的な軽い作品だと勘違いしてパスしちゃわないようにして欲しい(って誰に言ってんだか?)。
●二隻の舟を超えるファンタジーの力
例えば私の好きな中島みゆきの世界観には、「決して交わることの無い断絶の果てにも愛が存在する」というようなものがあると思う(個人的見解です)。
そこにある「断絶」というある種のリアリズムは、それを乗り越えたいという願望を一つの作品として結晶させる。状況が絶望であってもその先に希望を目指すのが中島みゆきの持つひとつの世界観だと思ってる。
だがリアリズムの世界ではその希望がほぼ実現できない。だからこそ中島みゆきは精神世界(御伽噺)を使って自身の内面で乗り越えようとする。それはある種のファンタジーといえる。
断絶の先を目指すには今のところファンタジーしかありえない。そして入れ替わりの物語というのもまたひとつのファンタジーであり、断絶を埋める希望なのではないかと思うのだ。
シークレットガーデンがドタバタコメディなのは前半だけであり、最後には生と死をも乗り越えようとするファンタジーとなる。入れ替わりというシチュエーションは断絶を乗り越える魔法であり、これを極限まで突き詰めて見せたプロットが、まさにドラマ王国韓国らしいと思った。
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