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2011.06.17

今年は大正100年

今週たまたま出掛けた先で昭和86年と書かれたカレンダーを見た。

あと14年で昭和100年なんだ!

2025年かぁ...と感慨にふけっていた。

だが大正元年からカウントすると100年だということに気付いた。


祝いたい気もするが、祝えるような時代かという気もする。

明治から考えると143年かな。

江戸時代は1603年からだから285年続いたのか。

そこまで長くは無いが、明治・大正・昭和で143年。

明治維新で確かに一つの国家が亡くなり、新しい国家が生まれた。

それから143年。

また国家が失われてもおかしくない程度の時間は流れた。

最近、国家とはどのように滅びるのだろうと考えることが多い。

ローマ帝国は、唐は、ソ連は...。

歴史の勉強をしたいわけじゃない。

この日本という国が、明治維新以来の官僚国家が、消滅の危機にある。

そういう漠然とした不安感、焦燥感を覚える。

パックスロマーナの終焉。
パックスアメリカーナの終焉。
パックスジャポニカの終焉。

終わりの始まりは既に通過した。

10年後に日本があるとして、首都はまだ東京なのか。

終わりの終わりがどのような地平にあるのかに興味がある。

日本の極北。そこにはどんな景色があるのだろう。


政権交代によるパラダイムシフト。

そんな夢物語を信じることが出来たのは数年前までだった。

信じるというよりも蜘蛛の糸にすがるような気持ちだった。

しかしそれが簡単に悪夢に変わった。

悪夢に変わった後に天変地異だ。そして原発事故。

この順序は重要だ。

政治の崩壊が先であり、震災・人災は歴史の流れを少し早めた。

信任を得られない政治が未来を描けるはずもない。

だが無意識に滅びていく国家などあるだろうか。

壊れた政治がどのような社会を生み出すのだろうか。


例えば現行制度から逸脱し新政府を樹立しようとする勢力はないのか。

例えば日本から独立しようとする国家が出てくる可能性はないのか。

例えば他国と結んで新国家をこの島に樹立することはできないのか。

そのような勢力に民が賛同すれば新しい別の国家を宣言できないのか。

あるいは日本という国家が既に「ない」と考えることが可能ではないのか。

現政権は既に失われた国家の幻のうえにいかにも実在するかのように「ある」だけではないのか。

もしそうなら、別の政権も「あり」の状態にできるのではないか。

だがそういう政権は結局ファシズムを生むだけなのか。

いろんな思いが浮かんでは消える大正100年だ。

ちょっと呑み過ぎたかもしれない。せめていい夢を。

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