google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 佐野元春 '80年代ポップソングのメッセンジャー: ひとくちメモ

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2011/06/19

佐野元春 '80年代ポップソングのメッセンジャー

ポピュラー音楽のソングライターこそが現代の詩人だと思っている。佐野元春はNHK教育テレビのザ・ソングライターズのリードでそう語っている。ポップソングは時代を超えたポエトリーであると。

昨日、佐野元春のデビュー30周年記念ライブを観てきた。10列目の真ん中の席で、久々にアーティストの表情までハッキリと見えるライブだった。友人がファンクラブなのでもしかするとここ20年で一番多く観ているアーティストかもしれない。

アニバーサリーということもあり、ハートランドやホーボーキングバンドの面々とデビューから今日までの楽曲をちりばめたとてもうれしいライブだった。

佐野元春といえば"SOMEDAY"。この1曲がブレイクスルーだったし、この30年歌い続けて来た。その間、どのミュージシャンもそうだと思うが、代表曲をあえて避けたり演奏に飽きたりする。佐野元春もこのコンサートでそんな時期があったことを吐露しながら、しかしこの曲を30周年で歌えることの喜びも充分に伝わってきた。

佐野元春の音楽、とくに"VISITORS"(1984年)の頃、ラップミュージックを日本の大衆芸能に導入した衝撃。それは佐野の持つ編集感覚と新奇性が発揮された音楽だった。

1984年というのはジョージ・オーウェルの小説「1984」では全体主義の統制に支配された絶望的な時代だが、実際には人類史上稀に見る繁栄の時代だった。とくに音楽にとってはすばらしい音楽の多様性が日本で花開いた時代だった。

それは'60年代アメリカ、'70年代イギリス、それらを貪欲に取り入れながら新しい日本の'80年代ポップスがもっとも輝いた時代だったと思う。

いま、当時の佐野の音楽を聴くと、当時の空気がそのままパッケージされた音楽だと感じる。鮮度そのままにしっかりと構築された当時の手法・技法をいまに伝えている。

懐かしいと思う。ただそれが懐古趣味なだけのポップミュージックにならないのは、おそらく佐野のソングライティングがエモーショナルな発動だけで作られたものではなく、論理的に構築された技法だからだと思う。それが佐野元春の持ち味でもある。なんだか藤子・F・不二雄先生の描くラインを思わせる佐野のソングライン。

そしてSOMEDAY。譜割の難しい楽曲だが、その困難さも含めてリスナーのSOMEDAYへの渇望やもどかしさを表現しているように思う。2ndアルバムにこぼれたことも運命の1ピースだった。SOMEDAYという楽曲が佐野自身のSOMEDAYを呼び寄せた。

大衆芸能は時代を超えたポエトリー。佐野元春の職人的なソングライティングこそが、普遍的な大衆芸能となり得るとボクは思っています。

音楽は決して感情の発露などではなく、化学変化を誘発する薬のようなもの。その調合が出来る才能こそが現代のソングライティングであろうと思う。

薬は人を助けるけれどその成分は涙などではない。涙で薬は作れない。これは音楽を超えて様々な場面や仕事でも言える。その芸術家が薬を調合しているのか、涙を飲ませているのか。プロフェッショナルかどうかを見極めることが出来る。

最近、素人が感情の赴くままに行動することを尊いかのように捉える風潮もあるが、そのような行為は決して成功する試みとは思わない。初動は感情の発露でも、そこから作品に昇華させる方法論に作家性がある。

佐野元春がソングライティングにこだわるのは、感情と作品の間のどこかにある作家性の在り処を見つけたいからではないかと思う。そもそも作家性とは何なのかに興味がある。

何ごとにおいても感情を抑えて継続する力こそがプロフェッショナルとしての成功への道だと思う。そのようにして調合された、あるいはパッケージングされた音楽の効能が、ライブではまた観客のエモーショナルな世界に還元される。

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