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6 posts from May 2011

2011.05.29

昼間から飲め!いや呑め!全部呑め!

Daytime_drinking金曜日の夜、シネマート新宿で「昼間から呑む」という超低予算悶絶ロードムービーを観てきた。翌土曜から明日の月曜の上映まで協賛会社から「にっこりマッコリ」(DOZがCMしてるやつセヨ!)が振舞われるのだとか。まさに昼間から呑みながら映画が観られるわけだ(笑)。

最近は毎日ゴガクルでハングル日記をつけているのでこっちのブログがおろそかになりがちだが、日記の日本語部分は本来ブログに徒然なるままに書いていたようなことが多い。

だったら日本語部分をブログに加筆・転載すればいいじゃないか。効率的だしアフィリエイトも貼れるし(bleah)。というわけで今後はそんな転載記事が多くなる可能性大。せっかくだから日記でやってない自分のハングル日記の日本語訳も入れてみる。間違いの指摘等あればご教授歓迎。そのうちlang-8にも転載し始めるかも...。でもそこでは日本人に日本語を修正されちゃうって噂も(笑)。

pen
5월27일(금요일) 비가 왔는데,보고 싶은 영화를 보러 신주쿠까지 갔다.그 영화는 "낮 술"라고 하는 한국 영화인다. 재미있는 영화였는데,아직 생각한 걸 한글로 잘 쓰지 못하기 때문에 이 후에 일본어로 쓰겠어.

영활 본 후에 늦은 식살 해서,전철을 타고 집에 돌아왔다.전철 안에서 WALKMAN를 듣고 싶었지만 전지가 다 되고 듣지 못했다.


전지:電池
다 되다:尽きる
지 못했다:~できなかった 

pencil
5月27日(金曜日) 雨だったが、観たかった映画を観に新宿まで行った。その映画は「昼間から呑む」という韓国映画だ。面白い映画だったが、まだ思ったことをハングルでうまくかけないので、この後日本語で書くつもり。

映画を観た後、遅い食事をとって、電車に乗って家へ帰ってきた。電車の中でウォークマンを聞きたかったが、電池が切れてて聞けなかった。


「못」 は、したいと思いながらも残念ながらできないというニュアンスになる。「~できない」にこのニュアンスを含めたいことはよくあるので今回はあえて2箇所で使ってみた。

そのひとつだが(笑)、"낮 술" の邦題は「昼間から呑む」というなんともインディーズ臭のするタイトルになっている。100万円ほどの制作費で作られた低予算映画だけど、面白かった。金がなくても面白い映画は作れるのだ。

私は恥ずかしながら学生時代は映画製作研究会で、高校時代にも映画を撮っていた(監督は別にいて、脚本と選曲と編集と宣伝ビラ担当だった)。この「昼間から呑む」はなんだかそんな映画仲間が作ったような映画だった。

なにか大事件が起こるわけでもない(いや事件は起きてるか?)、淡々と男が一人放浪するはめになり、行く先々で出会った人々と酒を飲む映画だ。その旅先で出会う人々がなんともクセのある顔ばかり。こういうのも一種の“ふれあい”というのだろうか。いわねぇなぁ(笑)。あまり出会いたくない旅先での出来事。

●ただ“飲む”んじゃない。全部“呑む”んだ(笑)

ロードムービーともいえる。低予算映画にロードムービーはよく似合う。古くは「イージーライダー」や「俺達たちに明日はない」から始まり、「ペーパームーン」「パリ、テキサス」「カリフォルニア・ドールズ」「ストレイト・ストーリー」などなどロードムービーの傑作はたくさんある。日本映画では「旅の重さ」も忘れがたい。

それらと比べると「昼間から呑む」は小粒だが、才気ある若者達が楽しんで作った映画だなということが画面から伝わってくるようだ。

エンドロールの音楽は、途中のバスのなかで出会った因縁の(?)女性がイヤホンで聞いていた超個性的な音楽だったのだろうか。この音楽もまさにインディーズ臭にあふれ違和感ビシバシだったが(笑)、作中のBGMはアコースティックギターの音色でなかなかよかった。

それにしても韓国の田舎の風景は中国地方によく似ている。この風景にも癒された。

日本語のタイトルもいいね。最近は横文字をカタカナに換えただけのタイトルも多いけど、やっぱり日本語でうまいタイトルがついてると記憶に残る。

「呑む」が「飲む」じゃないんだなこれが。まさに。酒はもちろん飲むんだけど、薬も呑むし、出会った人々の提案や思惑もひっくるめて全部呑んじゃう主人公...。そこがこのロードムービーの真骨頂!呑んだばっかりに話が転がっていくわけ。

ラストもとっても良かった。この後主人公はどう行動するのだろうか!?観客はそう思いながら、あるいは仲間とその後をいろいろ語り合いながら、また呑める(笑)。そんな映画だ。

公式サイト情報では、バスで隣り合った個性的な音楽を聴く女と、主人公に金を貸してやった運転手とは実生活で夫婦なんだとか。この夫婦、妻は「トンマッコルへようこそ」のイ・ラニ、夫はポン・ジュノ監督作品「殺人の追憶」のシン・ウンソプと、どちらもオレが大好きな韓国映画に出演していた。

まったく気付かなかった。ものすごいインパクトだったのに...。画面に出てきたときのインパクトが強烈すぎた二人だけに、実生活で夫婦というだけでまた酒が呑める。

韓国語学習という意味でも非常に良かった。日常会話オンパレードだし。とくにペンションをやってる先輩が酔っ払ってしゃべるスピードが遅くて聞き取れる(笑)。ろれつが回ってないけど聞き取れる。それがうれしくてまた呑める。

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2011.05.23

wataru의 일기 5월23일(월요일)

今日のゴガクル日記を転載・加筆します。왜요? 그건 ゴガクルにはアフィリエイトがないからさぁ(笑)。いいねボタンはいいからアマゾンの画像リンクをポチっとして本を買ってください!なーんて、うそうそ。参考にしてください(wink

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5월23일(월요일)

오늘 아침 전철이 늦었대요.
인신 사고로 늦었대요.
비가 오고 있었대요.
비는 내일까지 안 멈춘대요.

今朝電車が遅れたそうだね
人身事故で遅れたそうだね
雨が降っていたんだってね
雨は明日まで止まないそうだね

趣向を変えて4行詩を書いてみた。
どーってことない日常スケッチだけど。
ただ4つの短文が並んでいるだけともいえる。


오래간만에 한글을 공부하기 위해서 책들을 3권 샀어요.

久しぶりにハングルを学ぶために本を3冊買いました。

ひとつは「韓国語文法 語尾・助詞 辞典」だ。全部韓国語で書かれた韓国ネイティブ版は前からあったけど、それが翻訳されたもの。奥付をみると2010年2月18日となっている。

私が韓国語をはじめたちょうど一週間前が初版発行だった。その当時買ってもきっと使いこなせないで終わったと思う。リーディングのお供に最適な辞典(参考書)だと思う。または韓流ドラマを語尾中心に耳を澄まして聞き取り、この辞書で探してみるというひとり遊び、いや探求も可能かもしれない。

もっともいいのは敬語のレベルが記されているところかも。例えば今回の詩の語尾「대요/ㄴ대요」は「親しい間で敬意が高い」とある。文章を書く上でこのレベルをそろえることが韓国では大切なのかも。

もうひとつは「完全マスター ハングル文法」という本。こちらも辞書的な参考書だが、「リファレンス」という言い方で評価している先達もいて、全般的に結構評価が高そうだったので。

2004年が初版で私が購入したものは2008年の13刷だった。ロングセラーといえる。またCDに例文がほとんど入っているという評価も参考になった。この手の本で例文がCD化されてればいいのにと思うことがあったので、それが解決されているところに好感を持った。

最後は「日本語から考える!韓国語の表現」で、この日本語から考えるシリーズは韓国語だけでなく他の言語版がいくつか出てる。これは息抜き用に購入。読み物として読めるから。


今回購入した3冊はどれも個性豊かな参考書だ。韓国語の教材がたくさん出版されるご時勢で、それは非常にありがたいけれど、類書がなさそうで、内容もしっかりしている教材をみつけたときは胸が躍る。

そのかわり使い方が限定される感じもあるので、いつでも手のとどくところにおいて、何冊も同時に検索することになる。それはそれで面白い作業なのだが、部屋は確実に狭くなっていくのだ...。

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以上が日記でした。私はいまハングルをはじめて1年と3ヶ月ほどです。昨年の秋から、ゴガクルでとりあえず毎日ハングル日記を書いてます。

ほんとの初心者用の教材は雨後のたけのこのようにたくさん出ています。でもその先があまりないように思いませんか?学習者自身も“その先”が、いったいどんなレベルなのか、いまいち掴めませんよね?私の現在がまさにそこです(think

紹介した3冊は、初心者からもう一歩前進したいという時期に出会った3冊というわけです。中級というレベルはとにかく幅広い。おそらく中級の先はネイティブなんです。だから広すぎる。初級に毛が生えた程度の私も初級を修了してしまったらもう中級かもしれないわけです。ネイティブに近いベテラン中級とは話が合いません!

韓日・日韓辞典があれば、細かい文法はともかく、言いたいことはいえそう。しかしそこからいったいどこにフォーカスして学んでいくべきだろうかと悩みます。もちろん学校に通っていればそれなりにカリキュラムを組んでもらえるけど、独学(座学)で出来ることは何だろう。そのひとつが「語尾と助詞」ではないだろうかと思ったりします。もちろんリーディングやリスニングと相互乗り入れしながらですけれど。

日本語も「語尾と助詞」でニュアンスがちがうわよね?ちょっと間違えただけでオネェかとおもわれちゃうわ。助詞もそうよね。文脈の方向性を決めるのに助詞の役割は大きいのよねぇ~。作文をするときにここに気をつけながらできればより表現力が高まるような気がするのである。

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2011.05.22

うなぎ食ったどー!

鹿児島産のうなぎ一本と寿司で腹いっぱい!だが、まだなくならない。ちょっと休憩。

いつまで旨いものが食べられるかわからなくなった日本なので、いまのうちにエンゲル係数をあげて生きるのだ!もう失うものはないからさぁ。

ボクらが生きてる間には、二度と素晴らしい自然は蘇らないと思う。いくら人類への罪を謝られたとしても。

ま、謝る気もサラサラない原発テロ軍団なんだろう?彼らの冷酷さで炉心を冷やせればいいのにね!

いっそ炉心に飛び込んで穴くらいふさいでみろ!原発バンザイと叫んで玉砕しろ!それが推進派の生きざまだ。バカヤロー!

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2011.05.10

"김연아처럼"을 읽다 (1)

韓国書籍 キム・ヨナのように:世界を胸に抱えた子供たちの夢2月19日から読み始めたキムヨナ自伝(子ども用)。今日ようやく第一章を読み終えた。ハングルリーディングの練習のためなので、あらすじや語彙をゴガクルの日記に書いていたが、今日2011年5月10日の日記にこれまでの日記をリンクしておいた。これでいつでもあらすじが読める。

ハングル初心者の作ったあらすじなので間違いも多々あるとは思うけど、大筋はつかめると思う。2ヶ月で1章というペースなら1年で1冊制覇ということなのだが、すでに一ヶ月近く遅れている。地震のせいとは言わない。今年は中級に進むべき年なのだが、時間的制約などもあるので、当面NHKのラジオ講座応用編とこのキムヨナ自伝(こども用)のリーディングを中心に据えてやることにした。一冊まるごと読み終えた暁には全ページインデックスを作りたい。あとあらすじをまとめた私家版翻訳本(非公開)も。

●キムヨナ自伝も3回読む

1回目は大枠を取る為にあまり細かいことにこだわらず読み進む。これはすでに第2章に入っている。わからないところは飛ばして読み進むだけだから楽といえば楽だ。わからない単語には線を引いておく(2冊買っているので、学習用は書き込みまくりなのだ)。

2回目は精読。これがゴガクル日記にあらすじを書くための作業と重なる。あらすじをまとめるには1回目よりも辞書を引く頻度がかなり多くなる。文法的な読み込みも出来る限り丁寧にやる。そのうえであらすじにまとめていく作業を行なっている。これが今回第一章完了したわけだ。

3回目はおなじみの写経だ。とにかく文章を写す。すでに2回読んでいる文章をノートに手で書く。意味はそれなりにつかめているので、ハングル文字に慣れるという意味合いもある。「書いて覚える」のが基本だ。これはまだ第一章の真ん中あたりだが、そのうち2回目を抜いてしまう可能性もあるので、そのあたりは調節しながらやっていく予定。

●単語帳で覚えるのはやめた

単語を単語帳で覚えるという方法は早々にやめた。まったく頭に残らないので。やはり文章のなかで文脈とともに読み書きするほうが定着率が良いように思う。

ただし、ある程度それで自信がついた頃に単語帳や単語CDなどで腕試しするのはいいように思う。覚えている単語のほうが多い(はず)というのが次のモチベーションにつながるから。単語帳は覚えるためではなく、覚えたはずの単語を確認するために使うもののような気がする。それであまり覚えてなかったらすぐに単語帳から遠く離れて(笑)、リーディングに戻るべきだ。単語帳はモチベーションアップ用と割り切りたい。回り道のようだけど覚えられないんだから仕方がない。

●NHKラジオ講座もしゃぶりつくす

今年のNHKラジオ講座(応用編)はシャドーイングに重点を置いている。それだけになかなかハードルが高い。しかし声に出してみるのは気分もいいし、ハングルのリズムが身につくような気がする。

NHKラジオ講座も3回読む。一回目はラジオを聞きながら声を出す。二回目は前月テキストで事前準備とカンどころともちろん全文の写経。それほど長文でもないので、細切れの時間でもこの程度なら出来る。

三回目は日本語を見てハングルで全文作文。これはかなりムリがあるが、シャドーイングが出来て全文写経が出来た後なら出来てもおかしくない(笑)。それが出来る自分をまったくイメージできないが、ブレイクスルーの前にはそういう高い壁もあるんじゃないか?ま、出来るかできないかはやってみなくちゃわからん。添削するつもりでやってみたい。箸にも棒にもかからないのか、髪の毛一本つながるか、そういう見極めも必要だと思う...。

とはいえ完全独学なので、発音の間違いや文法の勘違いなどを修正できない。そのあたりはもうある程度割り切っている。留学するわけじゃなし、細かい部分にこだわる時間もそう長くは残されていない。大づかみに理解できれば充分だという程度のゆるーい気持ちで、しかしやれることはしっかりやり尽くす。

語学は音楽に似ている。楽器演奏の練習にソックリだ。たぶんギターがそれなりに弾けて譜面がそれなりに読み書き出来るなら、ハングルもそれなりに出来るようになると思う。どこまで極めるかの見極めもきっとそれなりに似ていることだろう。

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2011.05.07

原発ジプシーが復刊される!

個人的に浜岡原発の運転停止ニュースよりも驚いたのが、『原発ジプシー 新装改訂版』(堀江邦夫著・現代書館刊)が今月発売されること。3・11以前には考えられない快挙といえる。5・25発売とのこと。予約しよう。

今年の連休はルポライター鎌田慧さんの『原発暴走列島』(アストラ刊)を読んでいた。鎌田さんのルポは何冊も読んでいるけれど、原発本を読むのは恥ずかしながらはじめてだ。

“金子力発電”といわれる原発。日本にあるすべての原発建設地域を歩いてきた鎌田慧さんが、1977年から2009年までに出版された原発関連の記事を改稿され、今回の福島原発におけるレベル7の事故をうけて若干の加筆をされた本で、30年以上にわたる原発の問題点をコンパクトに読めた。

今回の大事故によってこれまで隠蔽されていた情報や実態が市民の知りたい欲求に後押しされて続々出てくるだろう。その一端に、こうして地道に警鐘を鳴らされてきた筆者の仕事が再度注目される。原発ジプシーの復刊もいまでなければありえない。

●無限の利権装置としての原発

なぜありえなかったかといえば、反原発は巨大権力からあらゆる圧力を受けてきたからだ。御用マスコミも御用芸能人も御用学者も、原発推進に加担すればそちらにカネが流れる仕組みを中曽根が創り出し、連綿と受け継いできたのだろう。最終処分場すら決まらない、いつまで経っても終わらない無限の利権を生み出せる夢の装置こそ原発だったように思う。そして利権だけが吸い上げられ、あとにはぺんぺん草も生えない。

だが原発推進派は推進派で被害者面していた。旧動燃が作っていた原発推進アニメ「プルト君」は、プルトニウムは飲んでも大丈夫といいながら、原発推進派のほうが脅しの道具にされていると訴えていた。

とりあえず、プルト君の主張も聞いてみよう。4分後くらいからはじまる「第二の誤解」あたりからに注目。7分半あたりにはプルトニウムを飲んでる子どもも登場する。

頼れる仲間プルト君

かわいいプルト君が「脅しの道具」なんていう言葉を吐くだけで、あまりにも不自然な広報だとわかる。プルト君は「皆さん、ボクはお化けではありません。ボクの本当の姿をよく見てください」とも言っているが、まさにいま、お化けでなく現実の脅威となってしまった。

鎌田慧さんの1976年の取材のとき、すでに「事故の隠蔽、労働者の被曝、障がい児の出産、原発周辺の汚染など、炉心溶融事故に至るまで、福島第一原発は、あらゆる矛盾を隠して操業し続けてきた。」とある。35年経っても東電は変わらないし、福島第一原発の事故が人災であることがよくわかる。復刊される「原発ジプシー」はそのなかの労働者の報告といえる。

「事故が起こってからでは遅い」という絶望的な思いを鎌田さんや反原発活動をされてきた人は思われているかもしれないが、しかしまだ世界は破滅していない。破滅させようとした組織もまだ延命を画策しているし、それに乗っからなければ生きられないと思わせられている市民もたくさんいる。まだ遅くない。

原発から利権をとったら不可避のリスクしか残らない。カネで自治体をシャブ漬けにし、事故は出来る限り隠し、労働者の被曝を前提にして運営し、周辺住民は何も知らされずに、花まるマーケットなんて平和そうな番組を楽しむわけだ。

ウルトラリスク・ハイリターンの賭けのリターンだけ懐に入れ、ウルトラリスクは地域住民にカネで引き受けさせようとした人々がいる。そしてカネが切れそうになると原発誘致させ、また適当にカネを注入してやる。まさに麻薬だ。これを永遠に繰り返そうという魂胆だ。オール電化住宅の住人などもその片棒を担がされていたわけだ。

日本が疲弊すれば、わずかなカネで転ぶ自治体はいくらでも出てくる。ウルトラリスクをまた差別的に引き受けさせる人々がまだ延命してしまうのか。政治もそれに加担するのか(いや主犯か?)。

日本という国家が再生できるかどうか。正念場ではある。ただスローガン的な「がんばろう日本」の受け取り方にも絶望的にベクトルが違う人々がいて、彼らにがんばって延命されては意味が無い。ご退場願う人々が巨大権力を持っている限り再生は出来ない。

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2011.05.02

ゴガクル皆勤賞揃い踏み

Gogakuru201104_s1,2フィニッシュ!ともいえるか(笑)。

最近ココログの更新をあまりしていない。4月なんて3日しか書いていない。その間なにをしていたかといえば、ゴガクルで日記を書いていた。おそらくこの半年、1日も欠かさず書いている。

ゴガクルは月間皆勤賞をトップページで紹介していて、半年前は12人だった。当時は皆勤賞とはいわず「がんばった大賞」だった。それが毎月のように人数が増え、4月には40名を越えた。

ふふっ。ゴガクル事務局は我々を甘く見ていたな(笑)。レイアウト上皆勤賞を40名までしか表示できないようになっていて、4月は一度に全員を表示できないらしい。すぐに50名まで増やす改修を行なうとか。そのうち50名も突破しちゃうぞ~。いまゴガクルは旬なのだ。

4月は語学を始める人も多く、モチベーションも高い時期だそうだ。だがゴガクルの場合は目に見える機能追加が行なわれてきたことが大きい。ユーザーの声が届くとヘビーユーザーが感じていて、それに引っ張られるように自然と皆勤賞になっていたというユーザーもいるように思う。

追加されたコメント機能や足跡機能などはブログと比較すればそれほど目新しいものではない。しかしそれが語学を独学でやっているユーザーにとって意味のある機能として有効性が実感できた。外国語でコメントできるというだけでもブログとは違うかもしれない。アラビア語でも書けるのだ。

語学そっちのけでコメントを楽しみにしている人もなかにはいるかもしれない。あるいは日本語しか書いていない日記がいくつもある。そうなるとほとんどブログやホームページと変わらないが、それでも「ゴガクル」という括りのなかにいることで語学が身近になっている。

ゴガクルを息抜きに使うことには大賛成だ。日常のなかにいかに語学を(勉強でなく)溶け込ませるかというのは語学学習者にとって大切な要素だと思う。ロンブ・カトーさんもそんなことをおっしゃっていた。

そして私はこの4月にハングルと中国語(といっても日本語ばかり)の日記で皆勤賞ゲット!ゴガクルトップページの皆勤賞紹介アイコンは再読み込みするたびに並び順がランダムに変わるのだが、たまたま並んだので記念キャプチャーしてみたわけ(笑)。

いま語学にインターネットは欠かせない。ゴガクルの更なる進化を注目したい。

個人的に今年はまずハングルのwataru君でキムヨナ自伝(子ども用)の精読(できれば年内読破!)していく予定。それと中国語のKeona Keahi君で千字文の読破とそこからインスピレーションを得たエッセイ風の日記を書いていくつもり。

ココログへの時間配分がどうしても少なくなりがちだが、ココログにはどうしても書いておきたい内容ばかりになって書き飛ばしが減るメリットもあるかも(笑)。あるいは、初心に戻って1フレーズになるかも!?ま、それはないか。もうネタが枯渇してるからな!

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