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2011.04.09

さくら心中は錯乱心中だったのか!?

とうとう最終回を迎えたさくら心中。最終回はジェットコースタードラマだった前半と同じ勢いで、みんな幸せになっていくなか、桜子だけが不幸だったなぁ。

いま書きながら思ったのだが「ジェットコースターのようにみんな幸せになる」というドラマはあまり見たことがない。最初からどんどん幸せになって幸せを競い合ってそれでも誰も脱落せず幸せの行き着くとこまで行ってしまうというそんな縁起のいいホンが書ける人はいないものだろうか?

そんなの誰も見ないか...。人の不幸は蜜の味というからな。嘘のような幸せはほんとにうそ臭いからな(笑)。誰もが不幸を求めてるんだ。幸せの絶頂にいてもmore!more!ともっと先を求めてしまうのが人間の業というもの。
だからほどほどに幸せを感じつつ悩みもあるくらいがちょうどいい。

●嗚呼!ケンちゃんが幸せになってゆく

今回、「ケンちゃん!いいのかそれで?『さくら心中』」へのアクセスが妙に多いので、締めの一文も書いておこうと思ったわけだが、ケンちゃんが思いのほか幸せな結末で物足りない(笑)。

高利貸しでうなるほどの金持ち(それも祖父の遺産を引き継いだだけ)なうえ、さくらと不倫(さくらの論理では不倫ではなかったが)したうえ、その不倫はなんの波乱も起こさず(陸雄が嫉妬したが丸く収まったわけだし)、最後は囲っていた芸者(陸雄の血のつながらない姉)を身受けしてすでに赤ちゃんを授かっている。

ケンちゃん、なんでも手に入れちゃうんだね...。幸せって言葉はケンちゃんのためにあったんだねぇーーー!

ケンちゃんにはぜひ地獄に落ちて欲しかったけど、桜子が不幸を一身に背負わなければ話に収拾がつかないだろうからこれはこれでよかったんだろうな。

ボクのシナリオでは、さくらに振り回されたあげくケンちゃんが陸雄と関係を持ち、さくらの樹の下で男二人の心中騒ぎというのを考えていたんだけど外れたね!コメディじゃないもんね!

ありえる線としては、陸雄とさくらが心中してさくらだけがまた生き残り、さくらは何食わぬ顔でケンちゃんと幸せに暮らすというのも考えたんだけど、さすが親子3代女だけ生き残るというのはやりすぎだもんね。

●さくらの精神と肉体との分離は秀逸な対比だった

ほんとにお騒がせ女に育ってしまったさくら。しかしそれも仕方がないと思うのだ。さくらの境遇をここで一度おさらいしておきたい。

3歳までは売り飛ばされたり買い戻されたりしていた。祖母も母も心中騒ぎを起こして相手の男性だけ死んでる。そしてそれを売りにした小料理屋を営業している。さらに母の桜子は夫の父と再婚していた。しかも前の夫は桜子のかつての親友と不倫関係にあり、その家族と二世帯住宅で暮らした。母の恋敵にはめられて強姦されそうになり、それがトラウマとなって男性恐怖症に...。

さくらが新興宗教に走らなかっただけ立派だったと思う。あのエキセントリックな性格は確実に新興宗教行きだ。たぶん幹部になれるだろう。しかし陸雄の100%プラトニックな結婚という提案に乗って陸雄と結婚し、お騒がせぶりをエスカレートさせていく。

さくらがおかしくなっていったのはプラトニックゆえだと思う。このドラマは一貫してエロ礼賛ドラマだ。そんななかでプラトニックを貫こうとすることは悪なのだ。悪は精神的にもおかしくなっていくものなのだ。そしてエロ(=性=生)がトラウマとなったさくらは、心中(=死)へとまっしぐらに突き進む。

ここには精神的ジェットコースターが存在している。このドラマの秀逸なところは登場人物の行動学的ジェットコースターぶりだけではなく、精神的にも性と死、生と死の間をジェットコースターのように行き来する人々の葛藤がこれでもかというくらい薄っぺらく描かれているところだ。

エロへのトラウマの果てにあったのは陸雄とのプラトニック結婚生活とケンちゃんとの肉体関係。精神と肉体との完全分離へとさくらは突き進んだ。その葛藤の末に精神の力によって陸雄と心中未遂を起こすのだ。そして失敗する。

心中失敗によって「憑き物が落ちたように」正気を取り戻したさくら。新興宗教心中教から脱会できたわけだ。死への挫折が生への復帰を成功させた。

●陸雄という男の人生

こうなってくると、困るのは陸雄だ。精神が肉体と一体化したさくらに陸雄はいらない。いや、まだいるかいらないかわからない存在になってしまった。そうなると陸雄は不幸になってもいいはずなのだが、ここに小説家としての成功という飛び道具が出てきた。

この飛び道具もひとえに桜子=不幸を際立たせるための仕掛けだ。明らかに不幸なはずの陸雄が、一転して小説家としての成功を約束される賞を受賞するのだ。

この成功を機に、陸雄は東京へ出て行く。もちろん単身でだ。さくらは気持ちの整理がついたら東京に出て行く予定だが、正気に戻ったとはいえ性格までは直らない。この女が東京へ行くことなどないと思う。去るもの日々に疎しだ。

だが陸雄も小説家として成功し、東京で別の生活を始めるだろう。さくらを必要としない生活を。それがいい。子どもの頃の思い出を引きずってあんなヒステリック&エキセントリック女と暮らすことはない。世界はその程度には広いし、陸雄には明るい未来が広がっているのだ。正直、陸雄に一番感情移入しやすい(笑)。オレもヒステリックな美女が好きだった時期があったがもう懲り懲りだ!!!

●そして桜子が主人公だったことを思い出す

おおとりは桜子だ。オレも笛木優子主演だから見始めたわけで。桜子は桜の木と心中した、と書けばブンガク的かもしれない。

「さくら心中」は桜子という女の一代記だったのかもしれないが、それもまたジェットコースターのようで,終わってみれば特に感慨もない一代記だ...。

最後は若いものどもをぜんぶ幸せにして独り死んでゆく桜子。「しあわせ」って「幸せ」って書くけど「死逢わせ」でもあるんだよ。“なんちゃってブンガク”の類いを語ってしまったなオレ。

だがみんなを幸せにしたのは実は桜子ではなく、桜の木の功績なのだ。そして死に行く桜子の前で桜子のことを「桜の精だった」と言っては近しいみんなが納得してる図。そこに美学があるようなないような...。みんな桜の木真理教に入っちゃった!死んだのは桜子なんだよー。もっと人として悲しんでよー!

木の精と聞いて、ヤン・シュヴァンクマイエル監督の「オテサーネク」を思い出した。シュルレアリストの映画なので非常に特異な映画ではあるが、そこにある母性の狂気には、さくら心中と通じるものがある...かなぁ?これも書いてみたかっただけ。

いや、しかし昼ドラというジャンル的にはもちろんアリ!こんな世界感もあっていい。笛木優子はこれからも好きです!

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