停電が計画できないことは良くわかった
今朝から首都圏では、東京電力による「計画停電」という聞きなれない施策が実施されるはずだった。いや、もしかすると実施されたのかもしれない。「計画停電」ということばの持つ響きと現実社会の物理的な動きとの乖離によって情報が混乱している。
今回の「計画停電」の最初の説明では「首都圏の市区町村を5つのグループに分け、各グループごとに輪番制で数時間の停電を実施するもの」と理解した。菅総理大臣自らがこの説明をして地域住民の理解をもとめた。
●さいたま市は第1グループかつ第2グループ?
さいたま市に住む私は、さいたま市が第1にも第2にも入っており、区まで発表しなければ分からないじゃないかと思った。最悪のことを考えれば、第1、2のどちらの時間も、その時間のあいだ中停電し続けるものとばかり思っていた。
しかしどうもそうではないらしい。そのグループ内のさらに一部地域で、またその時間内のさらにどこかの時点でのみ停電するかもしれないという程度の話らしい。そしてそのグループ内での地域も時間も、停電になってみなければ分からないということだ。
つまり「計画」とは言っても、かなりゆるい範囲かつ時限の括りであり、その間そのグループに入っていれば、停電になるかもしれないですよという注意喚起でしかないようだ。お上(東電)にとっては計画かもしれないが、ユーザビリティのある命名とはいえない。
つまりさいたま市は、第1グループでもあり第2グループでもあり、一日のほぼすべての時間帯において、突然停電するかもしれませんよと言われているわけだ。なんのためのグループ分けかといえば、それもまたお上の都合でしかない。
●需給バランスは計画できない
「需給バランス」という言葉も出てきた。電気は蓄電できるものと考えていたが、ニュースでは作り置きは出来ないといっていた。自転車操業のようなものか。
つまりその「計画停電」の時間帯の需要が高まるという予測のもと、供給量を確保するためにバランスをウォッチし続け、実際に供給不足になる前に「プチッ!」と停電にするということのようだ。
電力需要は実社会の動きによって変動するから、予測は出来ても実態はそのときにならなければわからない。供給不足の判断は需要によって決まるから、これもそのときにならなければわからない。
わからないことだらけなのは確かだ。それで東電の判断も確固としたものを示せないのだろう。ならば「計画停電」などという内部だけにしか通用しない言葉で説明し始めないほうがよかった。
すべてが予測に基づく注意喚起でしかないのなら、そういえばいいのだ。計画という確固とした言葉と、停電という身構えさせる言葉とを使い、大雑把なグループ分けをしても、対外的にはあまり意味がない。
●計画ということばが誤解を招く
計画すると言われれば計画通りに推進されるものと思ってしまう。JR東日本はその計画に基づいて運休した。もちろんそれは正しい判断だろうし、計画停電が発表されなければJRも決断できなかっただろう。
だがそのような話は公式発表でやるものではない。どちらも公的な企業なのだから内部でしっかり話し合って情報共有してもらえればいい。その席で「計画停電」というだけなら問題ないだろう。
ものは言いようということだ。内向きな言葉ではユーザーに伝わらない。誤解も招く。危機管理には言葉の取捨選択も含まれるのではないか。殺す側の論理・殺される側の論理にならえば、停電する側の論理でなく停電される側の論理で言葉を発してもらいたい。
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