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2011.02.11

「八日目の蝉」「八百長」「連合赤軍」でアクセス増

今朝は今日の午後放送される「イ・ビョンフン監督の世界」を録画予約しようとBS-hiをつけたら、ドラマ「八日目の蝉」の再放送をやっていた。もう5話目まで進んでいたが、思わず見入ってしまった!そして最終回の文治さんと薫との別れのシーンでは、またウルウル来てしまった。何度見ても名作だ!

なんだか毎日ハングルで日記をつけているから、どうもハングル訳する前提の文章っぽくなってるな(笑)。ひとくちメモの文体ってどういうんだったっけかな(coldsweats01)。

去年のこどもの日にこのブログで書いた「文治さん!『八日目の蝉』最終回」へのアクセスが最近多い。ドラマが終了した直後からずっとそこそこのアクセス数が続いていた記事で、こんなに長くアクセスされ続ける記事は珍しいなと思って喜んでいた。また1回の滞在時間がどれも結構長くて(だいたい1分半から4分くらい)、それがさらにうれしかった。間違って来ちゃっただけなら数秒だからさ...。

自分自身もこの記事が好きだ。素直にいいドラマだったってことだけを書けてる。たぶん「八日目の蝉」は作品にものすごいパワーがあるんだろう。原作もドラマもそれぞれの持ち味を活かして名作になってた。だからこそ、今度の映画にも大変期待している。

ドラマは全6回でも短いと思ったけれど映画はさらに凝縮される。「八日目の蝉」をどうディコンストラクトしてくれるのか。薫を井上真央が演じるのも興味深い。新しいキッズウォーが始まる(>古いねどうも!)。

●大相撲を支えてきた八百長

「八日目の蝉」ほどじゃないが、ここ数日は「若貴ケンカのゆくえ」にもアクセス急増(笑)。こちらはもちろん大相撲の八百長問題がらみでのアクセスだ。2005年の記事でなにをいまさらって(笑)。でもブログ内検索をして気付いたのだけど、ひとくちメモではなにげに「八百長」というキーワードをたくさん使ってる(笑)。

それにしてもテレビ局の変わり身の速さはすごいな。八百長の証拠(関与力士のメール)が出たとたん、次々と過去の八百長関連情報が放送されている。そんな映像があるならもっと早く流せよと思うが、このタイミングこそがテレビマンの生きる道なのだろう。

二宮清純氏も、2005年当時には八百長のやの字も言えなかったのに、先日のテレビでは本丸は大相撲賭博とまで言及していた。時代は確かに変わった。清純のしゃべりもややゆっくり目になっていた(笑)。

現理事長で我が山口県出身の放駒親方(元大関魁傑)は現役時代に八百長してなかったと言われている稀有な力士だ。週刊文春によると、その弟子の横綱大乃国(芝田山親方)は千代の富士の優勝記録達成を見て「あんな記録なんて意味ない」と悔し泣きしたという。千代の富士の連勝記録を破った大乃国との一戦も見ておこう。ここまでの物語があったことを忘れずに。

この涙も八百長も含めて大相撲サーガなんだよなぁ。分かるかなぁ。わかんねーだろうなぁ。シュビドュワー。当時の私は千代の富士が大好きだった。大乃国は強いけどなんだか動きがぎこちなくてつまらないと思っていた。フィクションがリアルに勝っていた時代だったのだ。それが大相撲人気を支えていた。

ガチンコ勝負だけになったら大相撲は滅びる。見ていてつまらないから。もちろんマイナー格闘技として続けることは可能だろう。シューティング相撲とか名づけて...。ただし15日連続試合なんて殺人的なことは出来ないからいまのような興行は打てない。

華麗な大相撲の八百長ドラマに“幻惑”されていたのが大多数の観客だった。アントニオ猪木の試合に熱狂するのと同じだ。まったく同じだ。大相撲は権威を纏っていた分だけプロレスより長生きできた。それだけのことだ。魔法を解いたら華麗な世界は消えてしまう。当たり前だ。冷めたB級グルメのようなものだ。

嘘でもいいから愛してるといい続けなきゃ長続きしない夫婦生活という名の八百長も同じだろ。だが言い続けていればそこにはまたドラマが生まれるかもしれない。人間は物語を求める生き物だし、よい物語を紡げば自分自身もその物語に酔ってしまう。そこに幸せがあるのだ。

●連合赤軍という哀しい青春物語

連合赤軍の映画の記事も先週からアクセス増加。これは永田洋子の獄死(病死)によってだと思う。最高幹部だった永田が死に、ここでも一つの時代の終わりを感じる。

同時代に見聞していない連合赤軍事件を“総括”出来る立場にないけど、「たまたま生きた時代状況のなかでたまたまその場所にいた未熟な若者達による集団事件」はどの時代にも形を変えて起こり得るし、そこへの想像力だけは失うべきでないとも思ってる。

赤軍事件ほどフィクションのような現実はなかなかない。しかし彼らの頭の中はずっとフィクションだったのではないかと思う。現実とフィクションとの境目のなくなった自分自身に酔っていたのではないかと思う。そしてそれを後押しする(あるいは抑制できない)環境が整ってしまったのだ。

フィクションのように殺人をしてしまう。集団リンチをしてしまう。それはあの時代独特のものでは決してなく、いまの若者のなかにもフィクションのような殺人を犯す素地はあるはずだ。新興宗教が後を絶たないのもその一例だ。だがそれを抑制しようとする勢力が強いほど、逆説的にそのフィクションは大きく膨らんで行きいつか暴発するだろう。

この記事に貼り付けていたYoutubeの動画が削除されていた。もったいない。あさま山荘に立て籠もった連合赤軍の若者に母親が拡声器で声をかけているニュースだった。それだけでも泣ける。そこにある複雑な思いこそリアルな現実だった。同じ映像があったので再度リンクしておきたい。

若者の物語はどちらにでも変化する。それをうまく誘導できるオピニオンが必要なのだ。テレビにそれはムリだろう。だから衰退する。時代のオピニオンが正しいとは限らない。しかし人は正しいからついていくのではなく、魅力があるほうへついていくのだ。笛吹きが正しければ運がいい幸せな社会になれる。人間とはその程度のものでしかない。

この3つ、「八日目の蝉」も「八百長」も「連合赤軍」も、共通点があるとすれば「道徳への挑戦」もしくは「道徳から逸脱した生き方」かもしれない。道徳といって座りが悪ければ一般常識とか良識とでも言えばいいだろうか。

たぶん私がどちらに惹かれるかと問われれば反道徳、反体制だ。アンチであること、少数派であることへの憧憬は昔からある。瑣末なことを言えば、左利きで生活してきたことと無関係じゃないとも思う。

しかしそれも行き過ぎると嫌悪感を抱くのは根が小市民だからなんだろう...。

先の3つのキーワードでは「八日目の蝉」だけが正真正銘のフィクションで、だから名作に仕上がっているともいえるか。フィクションの世界の悪に魅力があるのは映画の歴史が証明してる。リアル社会との混同をせずに暮らせれば平和だ。

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