億の金になって~八百長共同幻想論~
満のお歌の前で 泣かないでください
そこに作者はいません 作ってなんかいません
1000の風が 千の風になって
商標登録されて 流布してるだけです
というわけで、今日朝日ニュースターの「週刊鉄学」を見ていたら、新井満氏が“自身”による訳詞・作曲の「千の風になって」を歌い、この歌の誕生秘話を披露されていた。
この番組だけを見るといい話なんだけど、南風椎(はえ・しい)さんのブログを合わせて読むとちがった様相を呈してくる。
それが最初に替え歌にしたようなプチ・スキャンダラスな話だ。ネットではパクリだという説が流布してるけど、個人的にはパクリとはちょっと違う気がした。
ちょっとしたボタンの掛け違い、それが修復不可能な感情のもつれに発展したように見える。両者の考える道義の重さには雲泥の差があり、新井満氏側の考える程度の謝罪で南風椎氏側は到底納得できないだろう。商標登録までされてしまったらしいし。
だが、売れたモン勝ちの芸能ビジネスに身をおく新井氏側にしてみれば、カネ儲けに走るというコンセプトに照準をピタっとあわせた瞬間から道義なんて屁でもなくなったということなんじゃないだろうか。この問題は著作権の問題ではなく、千の風が億の金に見えたとき人はどう行動するかという行動経済学の対象となりそうだ(笑)。
他人のアイデアをパクル人はたくさんいるし、それで世の中渡っていく人もいる。昔ある有名な日本人数学者が、他人のアイデアをパクリまくってテレビに出まくっていた。最近もCMに出てたけど、著作権上の問題さえなければそういうことを平気で出来る人はいるのだ。そしてそういう人は使い勝手がいいもの確かだ。
「週刊鉄学」で新井氏本人が「千の風になって」という歌について語ってくれたおかげで、この歌になにか胡散臭さを感じて好きになれなかった理由がなんとなくわかってよかった。
でも初めてこの歌を聴いて感動する人がたくさんいることも確かだ。それが「八百長」の根源なんだよ。うまい八百長は人を感動させることもできるんだ。その裏にある話は当事者には大問題でも、一般大衆は知らずに感動していたいのさ。
吉本隆明じゃないけど、共同幻想なんだよ。八百長共同幻想論(笑)。そこに論理や倫理は存在しない。
新井満氏が最初から売らんがために動いたのか否かはわからないけど、売れると思った瞬間からの動きはあきらかにビジネス臭が漂っていくし、その胡散臭さも私には千の風になって届いてきた。
裏側を何も知らずに感動する小市民の幸せ。大衆をバカにしてるといって騒ぐ必要もない。バカになって楽しめばいいわけだし。大相撲も歌謡曲もその胡散臭さを含めて飲み込むものだ。へんな詐欺にあってバカを見るより歌舞謡曲、芸能の世界で騙されてるほうが幸せだ。
ただその裏側を知ってしまったら、その感動が怒りに変わることもあるだろう。最初から胡散臭くて好きになれない良識もあるだろう。そこは嗅覚や感受性の問題で、鑑賞者の意識や眼力が高くなれば、おのずとパクリビジネスなんてカネにならなくなる。パクる人間はカネの臭いしか感じていないから、鑑賞者の意識が高くなることだけが、パクリ防止に有効なのではないか。
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