偽名言『八百長のない大相撲なんてただのデブの殺し合いじゃなぁい?本当にそんなの見たいのぉアンタたちぃ!』 マツコ・デラックス #nisemeigen
というわけで、久しぶりの偽名言をタイトルにしてみた。
オレにとっての八百長論の回答はひとつしかない。デブの殺し合いは見たくない。
これだ!
今回の偽名言を誰に言ってもらおうかと数秒考えて、マツコ・デラックスしかいないと持った。
なぜなら、マツコ・デラックスの女装はいわば八百長だからだ(笑)。
八百長とは生活の糧であり、それがあるから名勝負も生まれる。
女装していないマツコ・デラックスにタレントとしてどんだけの価値があるだろうか。
その言動の鋭さと面白さとぶっちゃけ感は女装あってこそ活きる。
女装とマツコ・デラックスのタレント生命は切っても切れない関係だ。
大相撲と八百長もまったく同じと言っていい。
八百長とは人情相撲であり、そこには角界に生きる男達のドラマがあった。
勝ち越したヤツが、あと一勝で勝ち越せる同僚に勝ちを譲ってやる。
あ・うんの呼吸で持ちつ持たれつやりながら、数多くの場所を盛り立てる。
それが大相撲だ。その生き様をこそ鑑賞すべき神事なのだ。
ただし、今回の携帯メールでバレた下っ端力士はいただけない。
そこに人生が見えない。あれは八百長ではなくただの裏取引だ。
八百長はそんなドライでチープなもんじゃない。
相手力士の家族や郷土の誇りを互いに認め、かばい、助け合う。
スランプのときもあるだろう。物入りのときもあるだろう。
それら生活すべてを土俵にあげて、ドラマを見せるのが大相撲だ。
八百長をやめたらどうなる?
まわしにカミソリいれたり、大銀杏の下に鉄板埋めたりするヤツが出るぞ。
ただでさえ八百長のヤの字も知らない外人力士が増えている。
そんな大相撲を救うには、八百長はタブーのままそっとしておくことだ。
タブーを明かせばすべて正しいなんて、天皇のいる国の神事じゃ通用しない。
正論を畳み込むことだけが正義じゃない。
そんな幅の狭い日本人ばかりになってしまったのか?違うだろ。
いまこそ大相撲を保護すべきだ。人情相撲を擁護すべきだ。
大相撲をスポーツだと勘違いしているアホな現代人こそ頭を冷やせ!
どーせ相撲なんて興味ないんだから黙っとけ。
八百長のない暮らしをしてるヤツなんて何の面白みもない。
どーせブスの学級委員長みたいな人間だろ。
もっと心に余裕を持ち、他人の痛みのわかる大人になろうぜ。
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コメント
相変わらず冴えてますね。
僕はWWEのような興行にして欲しいっす。
部屋別抗争とか。
投稿: Sleepy | 2011/02/04 22:27
興行は現場がすべてですからね。しっかりした物語を作れるプロデューサが必要ですね。
でも一度タネも仕掛けも見せた手品はつまらないので大相撲の前途は...。
投稿: ポップンポール | 2011/02/05 10:11