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6 posts from February 2011

2011.02.28

ケンちゃん!いいのかそれで?「さくら心中」

いやはや、まさか二連荘で書きたくなろうとは我ながらビックリだ(笑)。「さくら心中」がいま熱い!熱すぎる!

記憶喪失のヒロト(桜子の心中相手)の記憶が戻ったとか、そんなヒロトと桜子の逢瀬をまた目撃してしまった桜子の義兄の苦悶とか、心配のボルテージを徐々にあげながら演じている石野陽子とか(なんでここだけ女優名やねん!)、エロおやじ特有の嗅覚でヒロトと桜子との絆の強さに身震いするほどの興奮を覚えている桜子の現在の夫・櫛山のじいさんとか、そういう並み居る強敵を抑えて、いまオレの“さくら妄想”第一位に君臨するのは、東京でスレた大学生になっちゃったケンちゃんだ!

いい!ケンちゃんいい!あんなにいい子だったケンちゃんが、いかにもアバズレっぽい女子大生風のガールフレンドといちゃついてる画はすばらしい!ケンちゃんが子ども時代ってほんの一ヶ月前だったから(笑)、記憶も鮮明で、この堕落加減がたまらないなぁ。

あの家庭に育って好青年じゃ世間がゆるさないよねっ。こりゃ高利貸しを継ぐ日も近いかな。ケンちゃんにはもっともっと堕落して欲しい。いっそケンちゃんが地獄に堕ちて欲しい。

そして陸男さん。字が間違ってました、陸雄さんです。いまはまだ貧乏な田舎育ちで純粋さが消えませんが、悪い友達(ケンちゃん)とケンちゃんのエロじいさんがパトロンなんだから、純粋でいられるわけがない!小説の題材に囲まれて生活している陸雄さんもきっとこの後事件を起こすに決まってる!

もうオトナのグロさとか、当たり前すぎてさ(笑)。これからは堕落の低年齢化が大切ではないだろうか諸君!そこにさくらがどう絡んでくるのか。そして桜子の元夫と愛人の子はもう出てこないのか?そんなバイプレイヤーに興味津々な今日この頃です...。

昨日、笛木優子ファンのI嬢にさくら心中の件でいろいろ報告していて思いついたのだが、このドラマでもっとも正常なのは実はエロじじいの櫛山唯幸(神保悟志)なのではないだろうか!?

終始一貫してエロい。ただエロい。もう下半身のことしか頭にない。昔西武の東尾はエロと野球しか頭にないと言われたが、櫛山のじいさんもエロとカネしか頭にない。似ている。

しかしこれだけ人格が変わり立場が変わりしているせわしない若い者どもと異なり、超然とただエロいじいさんは神々しくさえある。真正面からのドアップなんて、モーゼの十戒を思わせる(笑)。

色と欲という人類の根源的な苦悩を体現しているのが櫛山のじいさんなのだ。だからこそヒロトと桜子の心中未遂にとてつもなく興奮してしまうのだ。櫛山の負のパワーがあるからこそ、桜子が純愛に見えてしまうのだ。それほど純愛でもないのに。エロじじいなしに成立しない純愛がそこにあるのだ。

そして心中とは何かと考える。かつてシェイクスピアのハムレットの「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」というセリフを「生から死へ、もしくは存在から無へ」と訳したのはヴォルテールだった。櫛山からの逃避。それは人類の業からの逃避であり、無へ帰ろうとする行為なのではないか。だからなんだ?いや、ただ言ってみたかっただけ。

うーん、ケンちゃんのスレっぷりにオレが興奮してしまった。陸雄くんとケンちゃん中心にこのドラマが進行することはないと思うが、そのあたりもズブズブに描ききって欲しい。

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2011.02.17

嗚呼、桜子が壊れていくぅー!さくら心中

このところ韓流ドラマや韓国バラエティばかり見ているオレだが、唯一とも言える必見の日本ドラマが「さくら心中」だ!

奥様以外の社会人にはなかなか見れない時間帯、月~金曜の昼1:30からの30分ドラマ、いわゆる昼ドラだ。オレも笛木優子主演でなければきっと見なかったと思うけど、毎日こんな濃いドラマをやってるんですねぇ。日本のお茶の間って。

それにしても「さくら心中」はすごい(笑)。ストーリーの先が読めない。人間関係はどこまでぐちゃぐちゃに出来るかに挑戦してるのだろうか!?

その昔、ジェットコースタードラマというジャンルがあった。「もう誰も愛さない」とか。嗚呼、あのドラマも山口智子だったから見てたんだった。狂気を持つ女優が好きだなぁ...。「さくら心中」はその昼ドラ版といえば分かりやすいかも。

その昔を知らない世代にはわからないと思うが、昨日いい人だったのに翌日は別人のようなワルになってたり、兄弟だと思ってたら実は違ったり(と思ったらまた本当の兄弟だったり)、とにかく出演者の性格や生活環境や相関図がジェットコースターのようにめまぐるしく変化していくのだ。

「さくら心中」もドラマの最後が心中なのかと思いきや、最初の一ヶ月で2組が早くも心中する。

まず桜子の育ての親(父親)が心中で死ぬ。父の相手の女性は不倫相手だったが、実は桜子の実母で生き残った。

次に早くも桜子自身が心中未遂をしてしまう。脚本家の意欲を感じるよね(笑)。どうだ!主人公をもう心中させちゃうよ!見たかコノヤロー!って感じだ。

心中相手の男(ヒロト)は小さい頃生き別れになった親違いの兄。兄妹同然に育った兄...のはずだったが実は桜子と血のつながった兄だった...はずだったが実は血はつながっていなかったらしい。その相手の男も死んだ...はずだが実は生きてる可能性も今週から否定できなくなってる。

そのヒロトとの間に桜子は子どもを宿しており、それを隠して高利貸しの息子と結婚させられる。その夫とは一度も交わることなく心中相手ヒロトの子ども(さくら)を生んでしまう。さくらはすぐに売り飛ばされるが、桜子を自分のものにしようとする夫の父の策略で買い戻され、桜子も同居することに...。

こうして文章にするのが苦しい。相関図を描きにくいことこの上ないのだ(笑)。

先週までは桜子(笛木優子)が不幸ないい人だったのだが、今週はちょっと強く(悪く)なっている。もともと嫌いだったが結婚させられた自分の夫が、他の男と心中未遂した桜子に興味をなくし愛人と同居を始めた。その愛人は桜子の元親友で桜子の血のつながらない兄と結婚して献身的に生活していたが桜子とその子のさくらが原因で離婚し桜子の夫の愛人になったのだ。

しかし桜子はなんとそんな状況を受け入れ自宅の2階を夫と愛人に明け渡し、夫の父と夫の前妻の子(ケンちゃん)と自分の子さくらの3人で1階に暮らし始めた。これも2世帯同居というのだろうか?そしてなんと桜子が野心を持って夫の父に「結婚してください」と言い出したのだ。

登場人物は少ないのに、その立場がどんどん変わっていく。時間もどんどん進んで、今週はもうさくらが大きくなっていた。この先どうなっていくのだろう...。

タイトルは「さくら心中」だから、桜子の娘のさくらが心中することになるような気がする。ではその相手はだれなのか?いまさくらは桜子の元夫の前妻の子ケンちゃんを兄同然に思って育ってきている。桜子と兄との関係と同じなのだ。

桜子の心中相手は、育ての親に引き取られる前の家で血のつながらない兄妹として暮らした兄ヒロトだった。実はさくらにもまったく同様の血のつながらない兄がいるのだ。桜子が生んだあと売り飛ばされたことは書いたが、そのときに暮らした家でさくらのたった一人の理解者で兄同然の陸男さんという男の子がいたのだ。この陸男さんとさくらとは年頃になって再会するのではないか。そして陸男さんとさくらが心中することになるのではないか!?

理由はなんだろう。陸男さんはさくらのもうひとりの血のつながらない兄ケンちゃんと一時仲良しだったが、先週ケンカ別れしている。それから数年経っている設定なので、この二人の境遇の違いが背景にあるような気がする。

ケンちゃんは高利貸しの息子で金持ち。陸男さんは桜同様に売り飛ばされた先の家で貧しく育った。子どもの頃のケンちゃんはとってもよい子だったが、成長してもいい子とは限らない。それがジェットコースタードラマだ。ケンちゃんが家業を継いで高利貸しにでもなるか?そしてさくらとケンちゃんと陸男さんの三角関係に...。

もう見てない人には何がなんだかわからなくなってきてるだろうからやめるが見逃せない!笛木優子のジェットコースター人生に今後も期待したい。

まさか途中で桜子が亡くなってさくらが主演になったりしないよね?ヒッチコックの「サイコ」じゃないんだから。でも何が起こるか分からないジェットコースタードラマのゴールをこの目で見届けてやるーっ!

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2011.02.12

億の金になって~八百長共同幻想論~

満のお歌の前で 泣かないでください
そこに作者はいません 作ってなんかいません

1000の風が 千の風になって
商標登録されて 流布してるだけです

というわけで、今日朝日ニュースターの「週刊鉄学」を見ていたら、新井満氏が“自身”による訳詞・作曲の「千の風になって」を歌い、この歌の誕生秘話を披露されていた。

この番組だけを見るといい話なんだけど、南風椎(はえ・しい)さんのブログを合わせて読むとちがった様相を呈してくる。

それが最初に替え歌にしたようなプチ・スキャンダラスな話だ。ネットではパクリだという説が流布してるけど、個人的にはパクリとはちょっと違う気がした。

ちょっとしたボタンの掛け違い、それが修復不可能な感情のもつれに発展したように見える。両者の考える道義の重さには雲泥の差があり、新井満氏側の考える程度の謝罪で南風椎氏側は到底納得できないだろう。商標登録までされてしまったらしいし。

だが、売れたモン勝ちの芸能ビジネスに身をおく新井氏側にしてみれば、カネ儲けに走るというコンセプトに照準をピタっとあわせた瞬間から道義なんて屁でもなくなったということなんじゃないだろうか。この問題は著作権の問題ではなく、千の風が億の金に見えたとき人はどう行動するかという行動経済学の対象となりそうだ(笑)。

他人のアイデアをパクル人はたくさんいるし、それで世の中渡っていく人もいる。昔ある有名な日本人数学者が、他人のアイデアをパクリまくってテレビに出まくっていた。最近もCMに出てたけど、著作権上の問題さえなければそういうことを平気で出来る人はいるのだ。そしてそういう人は使い勝手がいいもの確かだ。

「週刊鉄学」で新井氏本人が「千の風になって」という歌について語ってくれたおかげで、この歌になにか胡散臭さを感じて好きになれなかった理由がなんとなくわかってよかった。

でも初めてこの歌を聴いて感動する人がたくさんいることも確かだ。それが「八百長」の根源なんだよ。うまい八百長は人を感動させることもできるんだ。その裏にある話は当事者には大問題でも、一般大衆は知らずに感動していたいのさ。

吉本隆明じゃないけど、共同幻想なんだよ。八百長共同幻想論(笑)。そこに論理や倫理は存在しない。

新井満氏が最初から売らんがために動いたのか否かはわからないけど、売れると思った瞬間からの動きはあきらかにビジネス臭が漂っていくし、その胡散臭さも私には千の風になって届いてきた。

裏側を何も知らずに感動する小市民の幸せ。大衆をバカにしてるといって騒ぐ必要もない。バカになって楽しめばいいわけだし。大相撲も歌謡曲もその胡散臭さを含めて飲み込むものだ。へんな詐欺にあってバカを見るより歌舞謡曲、芸能の世界で騙されてるほうが幸せだ。

ただその裏側を知ってしまったら、その感動が怒りに変わることもあるだろう。最初から胡散臭くて好きになれない良識もあるだろう。そこは嗅覚や感受性の問題で、鑑賞者の意識や眼力が高くなれば、おのずとパクリビジネスなんてカネにならなくなる。パクる人間はカネの臭いしか感じていないから、鑑賞者の意識が高くなることだけが、パクリ防止に有効なのではないか。

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2011.02.11

「八日目の蝉」「八百長」「連合赤軍」でアクセス増

今朝は今日の午後放送される「イ・ビョンフン監督の世界」を録画予約しようとBS-hiをつけたら、ドラマ「八日目の蝉」の再放送をやっていた。もう5話目まで進んでいたが、思わず見入ってしまった!そして最終回の文治さんと薫との別れのシーンでは、またウルウル来てしまった。何度見ても名作だ!

なんだか毎日ハングルで日記をつけているから、どうもハングル訳する前提の文章っぽくなってるな(笑)。ひとくちメモの文体ってどういうんだったっけかな(coldsweats01)。

去年のこどもの日にこのブログで書いた「文治さん!『八日目の蝉』最終回」へのアクセスが最近多い。ドラマが終了した直後からずっとそこそこのアクセス数が続いていた記事で、こんなに長くアクセスされ続ける記事は珍しいなと思って喜んでいた。また1回の滞在時間がどれも結構長くて(だいたい1分半から4分くらい)、それがさらにうれしかった。間違って来ちゃっただけなら数秒だからさ...。

自分自身もこの記事が好きだ。素直にいいドラマだったってことだけを書けてる。たぶん「八日目の蝉」は作品にものすごいパワーがあるんだろう。原作もドラマもそれぞれの持ち味を活かして名作になってた。だからこそ、今度の映画にも大変期待している。

ドラマは全6回でも短いと思ったけれど映画はさらに凝縮される。「八日目の蝉」をどうディコンストラクトしてくれるのか。薫を井上真央が演じるのも興味深い。新しいキッズウォーが始まる(>古いねどうも!)。

●大相撲を支えてきた八百長

「八日目の蝉」ほどじゃないが、ここ数日は「若貴ケンカのゆくえ」にもアクセス急増(笑)。こちらはもちろん大相撲の八百長問題がらみでのアクセスだ。2005年の記事でなにをいまさらって(笑)。でもブログ内検索をして気付いたのだけど、ひとくちメモではなにげに「八百長」というキーワードをたくさん使ってる(笑)。

それにしてもテレビ局の変わり身の速さはすごいな。八百長の証拠(関与力士のメール)が出たとたん、次々と過去の八百長関連情報が放送されている。そんな映像があるならもっと早く流せよと思うが、このタイミングこそがテレビマンの生きる道なのだろう。

二宮清純氏も、2005年当時には八百長のやの字も言えなかったのに、先日のテレビでは本丸は大相撲賭博とまで言及していた。時代は確かに変わった。清純のしゃべりもややゆっくり目になっていた(笑)。

現理事長で我が山口県出身の放駒親方(元大関魁傑)は現役時代に八百長してなかったと言われている稀有な力士だ。週刊文春によると、その弟子の横綱大乃国(芝田山親方)は千代の富士の優勝記録達成を見て「あんな記録なんて意味ない」と悔し泣きしたという。千代の富士の連勝記録を破った大乃国との一戦も見ておこう。ここまでの物語があったことを忘れずに。

この涙も八百長も含めて大相撲サーガなんだよなぁ。分かるかなぁ。わかんねーだろうなぁ。シュビドュワー。当時の私は千代の富士が大好きだった。大乃国は強いけどなんだか動きがぎこちなくてつまらないと思っていた。フィクションがリアルに勝っていた時代だったのだ。それが大相撲人気を支えていた。

ガチンコ勝負だけになったら大相撲は滅びる。見ていてつまらないから。もちろんマイナー格闘技として続けることは可能だろう。シューティング相撲とか名づけて...。ただし15日連続試合なんて殺人的なことは出来ないからいまのような興行は打てない。

華麗な大相撲の八百長ドラマに“幻惑”されていたのが大多数の観客だった。アントニオ猪木の試合に熱狂するのと同じだ。まったく同じだ。大相撲は権威を纏っていた分だけプロレスより長生きできた。それだけのことだ。魔法を解いたら華麗な世界は消えてしまう。当たり前だ。冷めたB級グルメのようなものだ。

嘘でもいいから愛してるといい続けなきゃ長続きしない夫婦生活という名の八百長も同じだろ。だが言い続けていればそこにはまたドラマが生まれるかもしれない。人間は物語を求める生き物だし、よい物語を紡げば自分自身もその物語に酔ってしまう。そこに幸せがあるのだ。

●連合赤軍という哀しい青春物語

連合赤軍の映画の記事も先週からアクセス増加。これは永田洋子の獄死(病死)によってだと思う。最高幹部だった永田が死に、ここでも一つの時代の終わりを感じる。

同時代に見聞していない連合赤軍事件を“総括”出来る立場にないけど、「たまたま生きた時代状況のなかでたまたまその場所にいた未熟な若者達による集団事件」はどの時代にも形を変えて起こり得るし、そこへの想像力だけは失うべきでないとも思ってる。

赤軍事件ほどフィクションのような現実はなかなかない。しかし彼らの頭の中はずっとフィクションだったのではないかと思う。現実とフィクションとの境目のなくなった自分自身に酔っていたのではないかと思う。そしてそれを後押しする(あるいは抑制できない)環境が整ってしまったのだ。

フィクションのように殺人をしてしまう。集団リンチをしてしまう。それはあの時代独特のものでは決してなく、いまの若者のなかにもフィクションのような殺人を犯す素地はあるはずだ。新興宗教が後を絶たないのもその一例だ。だがそれを抑制しようとする勢力が強いほど、逆説的にそのフィクションは大きく膨らんで行きいつか暴発するだろう。

この記事に貼り付けていたYoutubeの動画が削除されていた。もったいない。あさま山荘に立て籠もった連合赤軍の若者に母親が拡声器で声をかけているニュースだった。それだけでも泣ける。そこにある複雑な思いこそリアルな現実だった。同じ映像があったので再度リンクしておきたい。

若者の物語はどちらにでも変化する。それをうまく誘導できるオピニオンが必要なのだ。テレビにそれはムリだろう。だから衰退する。時代のオピニオンが正しいとは限らない。しかし人は正しいからついていくのではなく、魅力があるほうへついていくのだ。笛吹きが正しければ運がいい幸せな社会になれる。人間とはその程度のものでしかない。

この3つ、「八日目の蝉」も「八百長」も「連合赤軍」も、共通点があるとすれば「道徳への挑戦」もしくは「道徳から逸脱した生き方」かもしれない。道徳といって座りが悪ければ一般常識とか良識とでも言えばいいだろうか。

たぶん私がどちらに惹かれるかと問われれば反道徳、反体制だ。アンチであること、少数派であることへの憧憬は昔からある。瑣末なことを言えば、左利きで生活してきたことと無関係じゃないとも思う。

しかしそれも行き過ぎると嫌悪感を抱くのは根が小市民だからなんだろう...。

先の3つのキーワードでは「八日目の蝉」だけが正真正銘のフィクションで、だから名作に仕上がっているともいえるか。フィクションの世界の悪に魅力があるのは映画の歴史が証明してる。リアル社会との混同をせずに暮らせれば平和だ。

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2011.02.05

ゴミ捨て日は定期的に

なにから手をつければいいのか わからないまま時は流れて
溜まるだけで消え行かない 燃えないゴミの山

ゴミがあんまり溜まったから ただ掃除をすると言えないで
たぶんもうすぐ 足の踏み場 無くて たそがれ...

あの日 あの時 あの場所で ゴミを捨てていたなら
ボクんちは いつまでも 快適な住空間

燃えないゴミが出せるその日を 忘れたまま掃除しないで
せんないけど 燃えないゴミは 日曜に出せない

明日になればゴミがきっと 今よりもっと増えてるはず
そのすべてが部屋のなかで 時を超えてゆく

ゴミを捨てる燃えないゴミ その日を待ち続ける
やわらかく ゴミをつつむ プチプチを巻き

あの日 あの時 あの場所で ゴミを捨てていたなら
ボクんちは いつまでも 快適な住空間

 今 ゴミのひとつが崩れた...
 テープ止めて 壁に寄せて
 僕は忘れないその日を
 ゴミを捨てる日は木曜日

ゴミを捨てる燃えないゴミ その日を待ち続ける
やわらかく ゴミをつつむ プチプチを巻き

あの日 あの時 あの場所で ゴミを捨てていたなら
ボクんちは いつまでも 快適な住空間

燃えないゴミが出せる日を忘れたまま掃除しないで
ゴミをつつむ プチプチを巻き

あの日 あの時 あの場所で ゴミを捨てていたなら
ボクんちは いつまでも 快適な住空間


こんな歌を作ってる暇があったら掃除しろ!!!!

ふぁーーーいdash

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2011.02.04

偽名言『八百長のない大相撲なんてただのデブの殺し合いじゃなぁい?本当にそんなの見たいのぉアンタたちぃ!』 マツコ・デラックス #nisemeigen

というわけで、久しぶりの偽名言をタイトルにしてみた。

オレにとっての八百長論の回答はひとつしかない。デブの殺し合いは見たくない。

これだ!

今回の偽名言を誰に言ってもらおうかと数秒考えて、マツコ・デラックスしかいないと持った。

なぜなら、マツコ・デラックスの女装はいわば八百長だからだ(笑)。

八百長とは生活の糧であり、それがあるから名勝負も生まれる。

女装していないマツコ・デラックスにタレントとしてどんだけの価値があるだろうか。

その言動の鋭さと面白さとぶっちゃけ感は女装あってこそ活きる。

女装とマツコ・デラックスのタレント生命は切っても切れない関係だ。

大相撲と八百長もまったく同じと言っていい。

八百長とは人情相撲であり、そこには角界に生きる男達のドラマがあった。

勝ち越したヤツが、あと一勝で勝ち越せる同僚に勝ちを譲ってやる。

あ・うんの呼吸で持ちつ持たれつやりながら、数多くの場所を盛り立てる。

それが大相撲だ。その生き様をこそ鑑賞すべき神事なのだ。

ただし、今回の携帯メールでバレた下っ端力士はいただけない。

そこに人生が見えない。あれは八百長ではなくただの裏取引だ。

八百長はそんなドライでチープなもんじゃない。

相手力士の家族や郷土の誇りを互いに認め、かばい、助け合う。

スランプのときもあるだろう。物入りのときもあるだろう。

それら生活すべてを土俵にあげて、ドラマを見せるのが大相撲だ。

八百長をやめたらどうなる?

まわしにカミソリいれたり、大銀杏の下に鉄板埋めたりするヤツが出るぞ。

ただでさえ八百長のヤの字も知らない外人力士が増えている。

そんな大相撲を救うには、八百長はタブーのままそっとしておくことだ。

タブーを明かせばすべて正しいなんて、天皇のいる国の神事じゃ通用しない。

正論を畳み込むことだけが正義じゃない。

そんな幅の狭い日本人ばかりになってしまったのか?違うだろ。

いまこそ大相撲を保護すべきだ。人情相撲を擁護すべきだ。

大相撲をスポーツだと勘違いしているアホな現代人こそ頭を冷やせ!

どーせ相撲なんて興味ないんだから黙っとけ。

八百長のない暮らしをしてるヤツなんて何の面白みもない。

どーせブスの学級委員長みたいな人間だろ。

もっと心に余裕を持ち、他人の痛みのわかる大人になろうぜ。

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