google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 成人の日と老人の餓死に思う: ひとくちメモ

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2011/01/10

成人の日と老人の餓死に思う

毎年恒例となっていた成人式で騒ぐ若者報道だが今年はあまり見かけないな。

今日のニュースで印象的だったのは60代の姉妹の餓死。

財布に90円しか残金がない元お嬢様姉妹の餓死。

まさに日本の行く末を暗示していると思った。


いまの60代は戦後高度成長期の体感世代だ。

この60代の餓死と新成人とから、ふっと永山則夫のことを思った。

永山則夫が生きていれば今年62歳になる。

永山則夫が逮捕されたときの年齢は19歳と10ヶ月。

そして死刑が確定したのが1990年のことだった。

新成人の皆さんが生まれた年に永山則夫は生きる希望を失った。


「私は生きる、せめて二十歳のその日まで」と4人を殺した永山則夫。

成人式を前になんの楽しみも知らず貧困のなか殺人鬼となり逮捕され刑死した永山則夫。

時代は怒涛の高度経済成長の大波のなかにあった。


いま日本はその大波が引き潮となって消え行く時代のとば口にいる。

豊かに思えるが自給自足で生活することは難しい。

いま自分自身収入を得る道が途絶えたとして、生きていけるだろうか。

山菜や川魚などを獲ってでも命をつないでいける環境にない。

永山則夫の時代以上に貧困が排除される時代のように思う。

ポスト高度成長もベーシックインカムが実現できるほどの豊かさはない。

ここが踊り場だとすればまだ希望はあるが、政治・行政を見ると末期的様相。

貧困問題・格差問題は今後さらに重大な局面を迎えるだろう。

第二、第三の永山則夫が生まれてしまう素地がある。


60代の餓死はもうひとつイメージさせた。

星新一の「おーい。でてこーい」だ。

この60代姉妹の餓死が、

これから始まろうとしている貧困問題の一声のように聴こえた。

だが、どんな時代でも生き抜く人間はいる。

いまはグローバル社会だ。

国家の破綻リスクを個人レベルで軽減できる道もあるかもしれない。

混沌をチャンスと捉えて強く生きて行ってください。

国はなにもしてくれない。自分で生きていく決意が必要です。

と無責任に締めくくって成人の日の言葉としたい。

2010.05.30:「無知の涙」を読む前のガイドブックとして
2010.05.23:上映後40周年目の「裸の十九才」を観る

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コメント

厚生労働省によると1995年から2005年までの11年間の餓死者は867人であった。1年間に78.8人の方々が餓死で亡くなっている。 現在は更に増加傾向にある。 経済が行き詰まれば桁外れの餓死者が出る危険性を孕んでいる。

投稿: リョウ | 2011/03/02 12:29

国力や豊かさ、幸福度を測るときに、GDPだとか経済成長率だとかそういう部分に目が行きがちですが、豊かさの指標はもっとも弱い層の水準がいかにボトムアップされているかを見るほうが真実を反映していると思いますね。

高度成長は本当に成長だったのかがようやく問われている日本社会です。菅首相の言った「最小不幸社会」という言葉は正しかったけれど、もはや全体の水準が急落していくことが見えているなかで、民意が離れ資力もない政治・行政に出来ることは少ない。

知恵を出すしかないですが、知恵のもとたる官僚組織も腐敗していて、結局外圧(IMF等)によってしか動かせなくなるとこまで来ています。外圧となればいまの増税論程度では済まなくなりますし、救済というよりは足切りによる再生の道へと進んでいくことでしょう。おそらく不公平が温存され官僚は生き残れます。

そんななか、神風(ファシズム)を期待する人も多くなり危険な臭いもしてくるでしょう。紛争のタネはゴロゴロしてるので、同様に行き詰った米国がいかに火をつけて回るか、そしてそれに日本は追随するのかが問われるでしょう。個人的には早い段階でいかに米国と離れるかがキモだと思っていますが、それが出来るなら沖縄基地問題はもっと進展していたことでしょう。

結局、袋小路というものは何もしなければ論理的に(算数的に)詰んでいくものですから、国民を観念させるのもひとつの手です。格差なく全員が「もはやこれまで」と開き直れるくらい平等に没落する(敗戦する)には預金封鎖もして全員ゼロになるくらいの劇薬が必要なのかも知れません。一揆が国内から起きる気配もないですし、焦土と化すには外圧しかありません。そのとき死なない、あるいは生きたいと思えるような個人の余力がどれほど残るかですね。

餓死はその意欲すら失くすわけですから、指標として重要でしょうね。

投稿: ポップンポール | 2011/03/03 07:57

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