カンニングペーパーを作れ!ただし持ち込むな!
ゴガクルで11月の皆勤賞をとったご報告(自慢?)は済みましたが、同じゴガクル通信メールに「みんなの学習法が知りたい!アドバイス大募集」というコーナーがありました。通信講座の欠点は孤独感ですよねぇ()。秋のなくなった2010年の日本ですが、秋風が身にしみます。うんうん。
とりあえず何でもコミットしてみたい私なので(笑)、英語を始めて一ヶ月の質問者さんに、韓国語をはじめて9ヶ月のwataru先輩として()、アドバイスを書き込んでみました。本当はもっとアニキ風を吹かせた文体にしたかったんですけどNHKのサイトなので自重しました。ま、人に説教垂れるほど学習は進んでないんですけれど。今日も頑張らねば。
そこに、カンニングペーパーを作れ!って逸話を書いたんですが、この話は中学2年のときの理科の先生のことです。中間テストの前日に松田聖子のコンサートに行った我々を(正確には担任だったクラスの石田君だけを)叱った先生でごじゃいます(笑)。
そのココロは、カンニングペーパーを手作りするってことは、自分で要点をまとめ整理しノートを作る行為だってことなんです。そうやって自発的に学習することが出来るカンニングペーパー作りは学習効果が高いとジョークを言ってらしたんですねぇ。だからどんどん作れ。ただし持ち込むな(笑)。
なかなかしゃれたこというよなぁ。シンプソンズに顔が似てただけのことはある。
あと長くなったので推敲中に端折ったことを補足しておくと、数学と語学とはまったく学習法が違うってことですね。
数学って体系の学問で、あみだくじみたいにしっかり基礎から辿っていかないとゴールに辿りつけません。高校数学までなら、それはそれで白黒はっきりできて出来る子はいいのですが、どこかでつまずいてそこに本人が気付いていない(あるいは教師が見過ごし放置する)と、どんどんわからなくなっていきます。
しかし語学はどうも理詰めじゃないようです。将棋か囲碁かで言ったら囲碁に近いイメージの世界のようです。文法という論理の体系はあるにせよ、初学者は漠然とこの言語世界の雰囲気を察知し、あらゆる知覚で見るもの聞くものすべてを平等に捉えようとします。
しかし現実世界で想像してみると、玄関を出て学校なり会社なりに着くまでの期間、目に見えたり耳に聞こえたりしたすべての現象を記憶したりしません。記憶したりしないんだけれども、思い出そうとすると、あそこの角にはタバコ屋があったなとか、毎朝小鳥が鳴いてたなとか、それなりに覚えている。
そしてそこに「意味」が加わると、その現実世界が必要な情報として脳にインプットされる。タバコ好きならタバコ屋の場所は定着するし、探鳥会の会員なら小鳥の種類まで記憶する。共通しているのは目的地や中継地までの道順は確実に必要で、それが文法だということですよね。
忘れることを恐れないというのは、漠然と反復すれば記憶される脳を信じる行為ではないだろうか。そう考えることで恐れを克服できるんじゃないか。そうやって歩いてるうちに、知らない道を覚え、知ってる道順が広がり、おいしい店なども覚え、街全体の達人になると、そういうことですよね。逆にいえば、常に通っていなければいつまで経っても覚えないということでしょう...。
最近、こう長文を書いていて、どうしてスラスラと日本語が出てくるんだろうと思うことがあります。なぜかな漢字変換を自然にしているんだろうとか。母語と外国語は同列ではないけれども、しかし慣れや習慣として外国語に馴染める環境こそがもっとも重要なんだろうなと思います。
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コメント
解く というところだけに目を向けると
数学も語学なのだと思うわけです。
何を答えると問題が提示され、問題の中からヒントとなるものを見つけ、理詰めに解法を考える時、その道筋をひらめくためには途中のたばこ屋の裏にあった郵便ポストやだったり小鳥が鳴いていた場所の梅の木が重要な意味を持っていたと気づくことが重要だったりするんですよね。。
問題がなにかを理解できるか?
解を論理的に説明できるか?
それこそ語学の地道な積み重ねがないとできないわけで…
まあ近道はないってことッすね(^^;
カンニングペーパーだって一瞬では作れませんから。
投稿: くっきも | 2010/12/05 21:30
学問に王道なしで、毎日続けることが大切なんでしょうね。
試験勉強には王道がありますから、あれは学問じゃないんでしょう。そんな勉強ばっかりに血道を上げてると線の細いエリートになっちゃう。
カンニングペーパー作りながら地道に図太くやりたいもんです。何事も。
投稿: ポップンポール | 2010/12/05 21:51