google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2010年11月

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2010年11月の9件の記事

2010/11/28

中島みゆきとゆかいな(?)動物たち

11月25日、昨年のBS熱中夜話「中島みゆき」でご一緒させていただきましためいめいさんと中島みゆきTOUR2010を鑑賞してきました。コンサート後は番組Dのカトちゃんと、遠方より上京されていたBS熱中夜話中島みゆき第3極幹事長(?)たまごさん、中島組組長(?)クサさん、組員(?)タイコさんが合流し楽しいオフ会をさせていただきました。

みゆきさんにとって3年ぶりのコンサートツアーです。最新作とこれまでの曲とがいい塩梅でセッティングされてました。やっぱりどうしても昔の曲に反応してしまう自分がいるんですけど、それは付き合いが長いから。どの歌も中島みゆきさんのいまなのです。1月にもう一回行きます。

最新アルバムは「真夜中の動物園」というタイトルです。動物園といえば故・川村かおりさんの「ZOO」を思い出します。「動物園」というキーワードにはアーティストの感性を捉える響きがあるのでしょうか。

今回のアルバムにはタイトル曲としての「真夜中の動物園」という曲がありましたが、この曲以外にも動物が出てくる曲が案外多いと感じました。ちょっと挙げてみましょうか。

『真夜中の動物園』
真夜中の動物園 :はるかな国で消えた渡り鳥の迷子が
            /あれはシロクマの親代わりだったヒトさ
ハリネズミだって恋をする :傷つきやすいということが言い訳になってハリネズミ
サメの歌 :サメよサメよ落し物の多い人生だけど
ごまめの歯ぎしり :ごまめの歯ぎしりでしょうね、たぶん
鷹の歌 :と呼ばれていた人が這うように命を運ぶ
負けんもんね :小蟻が山を牽いている
雪傘 :雪の上逃げる小ギツネみたいに

7曲です。全12曲ですから、58.3%の楽曲に動物が出てきます。蟻も生き物ですし入れました。ごまめは小魚と考えてます。ごまめの歯ぎしりっていえば故・高田渡を連想しちゃいました。曲名なんだったかな?みゆきさんとは曲作りの目線の高さに共通項を覚えます。

58.3%動物が出てくるアルバム。まさに動物園です(笑)。しかし動物園にいそうなのはシロクマくらい。あとは檻のなかで生活できない動物ばかりです。さらに「真夜中の」がミソです。真夜中の闇によって檻の内と外との境界線がなくなるのです。そこに遠い彼方から逢いたい相手、逢えない相手が逢いに来る。そんな場所としての「動物園」なのです。

真夜中の動物園は現世と黄泉の国とをつなぐ闇の世界。神有月の出雲大社ような場所なのではないでしょうか。だから私ももう逢えない川村かおりさんや高田渡さんを呼び戻してみたわけです。

●初期の中島みゆきと動物たち

昔から中島みゆきさんの楽曲には動物がよく出てきました。大自然のある北海道出身だということが関係してるのでしょうか?私の主たる研究対象(?)は中島みゆきの初期楽曲群ですから、ちょっと調べてみましたのでご報告いたします。ここから何か感じとれますでしょうか?

『私の声が聴こえますか』
渚便り:カモメが一羽

『みんな去ってしまった』
トラックに乗せて:野良猫のように
流浪の詩:ママと名付けた黒猫
忘れられるものならば:とどかなかったの名が

『あ・り・が・と・う』
朝焼け:かもめたちが目を覚ます

『愛していると云ってくれ』
あほう鳥:どちらも泣かないあほう鳥
おまえの家:昔飼っていたは黒猫じゃなかったね
世情:世の中はとても臆病なだから

『親愛なる者へ』
こんばんわ:昔ここにとやさしい人がいた
泥海の中から:おまえが殺した名もないの亡骸は
小石のように:旅をとめる親鳥たち
狼になりたい:ベイビィ・フェイスのたち

『おかえりなさい』
この空を飛べたら:ああ人は昔々だったのかもしれないね
ルージュ:生まれた時から渡り鳥もわかる気で

(シングルB面)
霧に走る:今夜となりにすわってるのは小石かだと思ってるの

『生きていてもいいですか』
泣きたい夜に:まるで暗い流れを渡るひな魚のように
キツネ狩りの歌:キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ

『臨月』
友情:言葉を忘れた魚たち/たよられるのがきらいなたち

(シングルB面)
杏村から:街のねずみは霞を食べて
傷ついた翼:(翼を鳥の暗喩と考える)

『寒水
鳥になって:私は早くここを去りたいできるならになって
BGM:カナリアみたいな声が受話器をひろう
時刻表:迷える子羊は彼らほど賢い者はいないと思う
歌姫:やせた蝶々蜜を探し舞い降りている

『予感』
すずめ:すずめすずめ私の心
金魚:(心象風景・暗喩としての金魚と考える)
ファイト!:暗い水の流れに打たれながら魚たちのぼってゆく
      /ああ小魚たちの群れきらきらと海の中の国境を越えてゆく

出典はもちろん私のバイブルのこの楽譜集です(笑)。掲載順なのでシングル曲は発表順と異なります。

多く出てくる猫関連は赤太字、鳥関連は青太字、魚関連は緑太字にしてみました。その他の動物は黒太字です。

●猫について

猫は初期には多く出てきましたが、その後は減っているように思えます。もっともこの後「やまねこ」などもあるので一概には言い切れませんが、猫には「黙ってジッとしている若い女性」といったイメージがあり、若干ネガティブな存在のように感じます。その猫が「やまねこ」に変貌してから、中島みゆきの世界に従来どおりの猫の居場所が少なくなってきたのかもしれません。猫で言い表せる世界感でなくなったということかもしれません。

●鳥について

中島みゆきさんにとって「鳥」は特別な存在です。「かもめはかもめ」を出すまでもなくカモメへの感情移入は相当強い。しかしそれも初期中島みゆきと言っていいのかもしれません。かもめといえば「かもめのジョナサン」を連想しますが、中島みゆきのかもめは超人的なジョナサンから見た他のカモメに近い。

空を飛ぶことへの憧憬が強くあり、それはこの世界から飛び立つことでもあり、また“飛び戻る”ことでもありそうです。渡り鳥のように地球を寝床とする鳥もいれば、すずめのような留鳥もいます。カモメには渡り鳥でありつつ留鳥として暮らすものもいます。

鳥が比喩として出てくるとき、それは別れだったり出発だったりしますが、その距離を空想することがあります。同じ鳥としての別れでも留鳥の距離で未練を残して去りたいときと永遠の別れであるときと、どちらの心情なのかと。

しかし昨今の中島みゆきの世界には、鳥としての距離をはるかに超える距離の存在が認められます。夜会の通奏低音とも思える「決して交わらない距離」を感じます。この距離は鳥では届かないもっともっと大きな距離なのです。

夜会を通して中島みゆきはどんどん深い断絶の谷へと入って行き、交われないからこそさらに深まる絆の存在をこれでもかこれでもかと表現し続けます。それが陽炎のように追えば去りゆく存在だとしても追わずにいられず、そして逃げれば逃げるほど自分自身の確信が強くなって行く...。中島みゆきの世界感は、そんな矛盾の時空をさまようメビウスの輪のようなところまで来てしまっていて、もう鳥の世界感では生きられなくなっているかもしれません。

このコンサートツアー2010は、大きくなりすぎた夜会的世界感を鎮める効果があったようにも思います。適度にリラックスしたコンサートです。「今日以来」なんて吉田拓郎へのオマージュでしょ(笑)。ちょっとこれはテーマが違うからあとにしますが。

●魚について

魚の比喩は初期にはほとんど出てきません。「生きていてもいいですか」でひな魚が出てきます。1980年ごろなんですが、これって拓郎の「ローリング30」(1978年)の影響があるんじゃないかな?松本隆と吉田拓郎がタッグを組んで合宿して作った傑作アルバム。その楽曲群のなかに「虹の魚」という名曲があります。中島みゆきさんはこの曲大好きなんじゃないかなぁ。詞に魚が出てくるたびにそう思ってしまいます。

その後、魚は結構出てくるようになります。夜会では命と置き換え可能なほどに比重が大きくなって、「24時着 0時発」ではサーモンダンスを踊るまでになります。

「真夜中の動物園」には「サメの歌」という曲があります。「サメの歌」ってタイトルはあまりに飾りのない直接的なものですが、その後の「鷹の歌」というこれも直接的なタイトルで、この2つをあえて「○の歌」として対にしてるようにも思えます。魚と鳥、自身と他者。サメも鷹も一般的には強そうなイメージがありますが、他者である鷹に比べて、自身であるサメは鷹ほど強くない。

●「今日以来」と「今日までそして明日から」

「サメの歌」は「今日以来」ともリンクしてるように思えます。「今日以来」が拓郎へのオマージュでは?と書きましたが、それは「今日までそして明日から」との対比において、女と男の違いを考える上でも興味深い。拓郎の「今日までそして明日から」は過去を強く意識しています。「今日まで」という一区切りが付かなければ「そして明日から」もないのです。そして明日からも同じように生きていくんです。これが男。

しかし「今日以来」は今日から先のことしかないわけであります(なんで口調が拓郎になってんだろ)。サメの歌も今日以来も後悔はしてるんです。でもそれが何だって言うのと。いろいろあったけどそれはそれとして、今日以来もう愛しますと(笑)。サメのように前しか見て生きられないのさと。それが女。

いまがすべてというのは中島みゆきさんらしくって「今日以来」も「サメの歌」も好きです。サメの歌は最初「3名よー3名よー」って歌詞だと思って飲み会か?と思いました(笑)。

ついでにどーでもいいけど、武田鉄矢だったか、「今日からそして明日まで」っていい間違えて、「それじゃ1日しかねぇじゃねーか!」って拓郎に怒られてました。

●その他の動物について

猫、鳥、魚以外では、ねずみの活躍も目立ちます。今回「ハリネズミ」もいますが、「杏村から」のねずみはきっと「シーサイド・コーポラス」のねずみと同じねずみ(またはその子)なんだとひとり確信しています(笑)。

蝶々や蟻が動物なら「貝」だってという気もしましたが、まぁそこは文学的線引きと申しましょうか...。

動物じゃないですが、「小石」は結構重要な表現かもしれないです。「小さき者」への視線は動物の比喩と共通点を持ってますよね。それが他者であっても自分であっても。

初期中島みゆきの楽曲には犬があんまり出てこない。夜会で犬になったくらいなのに(笑)。狼はイヌ系ですが。

キツネは北海道っぽい。この感想が凡庸だけども()。真夜中の動物園のジャケ写真は倉本聰先生の富良野塾の敷地らしいです。

中島みゆきさんは今後歌って欲しい動物の募集はしてません(笑)。

でもキリンとかゾウとかアリジゴクとかコアラとかシーラカンスとか、創作意欲を掻き立てる動物はまだまだいそうです。これからもどんな動物が歌われるかに注目して応援してます(その感覚、ちょっとズレてる!)。

ボクがはじめて中島みゆきさんのコンサートにいったとき、最初に聴いた歌は、まだアルバム「はじめまして」発表前の「僕は青い」弾き語りでした。「はじめまして」というアルバムタイトルで中島みゆきさんは次の高みへと脱皮されたように思っています。ボクにとっても初ライブ体験含めて、「はじめまして」以前が初期中島みゆきという括りです。それはつまり“中島みゆきの青い鳥以前”という感覚なのです。

だからといって「はじめまして」以後の動物調査はいたしません(笑)。大変なんっすから。誰かやってみてください。文学部なら卒論になりえますよ!

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2010/11/23

장기하 씨에게 "정말 보고 싶었어요."라고 말할 수 없었던 날.

チャン・ギハ氏に「本当に会いたかったです。」と言えなかった日。

チャン・ギハと顔たちサイン会어제 장기하와 얼굴들 라이브를 보러 시부야에 갔어요.
昨日チャン・ギハと顔たちライブを見に渋谷に行きました。

가장 재미있고 굉장한 시간을 보냈어요.
最高に面白くてすばらしい時間を過ごしました。

하지만,하나만 유감스러운 것이 있어요.
でも、ひとつだけ残念なことがあります。

그것을 여기에 재현하고 봐요...
それをここに再現してみます...

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(사인 회에서)
(サイン会で)

나(와타루):감사합니다.
私(wataru):ありがとうございます。

장기하 씨:네.
チャン・ギハ:はい。

나(와타루):정말...
私(wataru):本当に...

장기하 씨:???(제 눈을 가만히 봤다)
チャン・ギハ:???(私の目をじっと見た)

チャン・ギハのサインたち나(와타루):정말...보고 싶어...
私(wataru):本当に..会いたい...

장기하 씨:아,응.NAME?
チャン・ギハ:あー、うん。お名前は?

나(와타루):와타루.
私(wataru):わたる

장기하 씨:W,A,T,
チャン・ギハ:W,A,T,

나(와타루):A,R,U
私(wataru):A,R,U

(장기하 씨가 CD 위에 사인을 쓰다.)
(チャン・ギハがCD上にサインを書く)

나(와타루):(장기하 씨의 사인이 씌어진 T셔츠를 꺼내서 장기하 씨에게 보이다.)
私(wataru):(チャン・ギハのサインが書かれたTシャツを取り出しチャン・ギハに見せる)

장기하 씨:Qetic?
チャン・ギハ:Qetic?

나(와타루):Yes.
私(wataru):Yes.
----------

Yesってなんやねん(笑)。終いには英語になっとるやんけオレ。というわけで、4minuteのジユンとチャン・ギハと、韓国の芸能人としか韓国語会話をしたことがないポップンポールです()。そもそも会話になってないけど!

緊張してたし、じっと見つめるんだもんチャンギハちゃんが(笑)。しかしたかが「本当に会いたかったです」の一言がスラスラ出ないんだよなぁ。一応意は酌んでくれたと思うんだけども()。通信講座の限界だね(と人のせいにしてみる)。

まだ35時間しか授業受けてないんだし仕方がない。今後場数を踏むしかないな。芸能人に会うしかない(芸能人じゃなくてもぜんぜんいいんですけど)。せめて最後に、아,시원하다! くらい言っときたかったなぁ()。

それにしてもいいライブだった。チャン・ギハも最初は緊張していたように見えたが、それを振り切るかのような突き抜けた感が初っ端からあってよかった。カタコトの日本語MCも誠実な感じで良かった。あってる?オーケー?って観客に聞いたりして。

1stアルバムの全曲やったんじゃないかな?「싸구려 커피(安物のコーヒー)」では、この前書いたトーキングパートの後のAメロのところで、「ちょっと待って」と日本語で音楽を止め、メモを取り出して日本語で歌い始めた。うまくメロディにはまってたよ。

また「멱살 한 번 잡히십시다(胸ぐら一回つかませて)」ではヒカシューの巻上公一さんが“乱入”してきて、絶叫した!この日はヒカシューと対バンだったから。

●ヒカシューのテルミン演奏に驚愕

チャン・ギハと顔たちの前にヒカシューのステージがあり、このステージもかなり面白かった。ボクは会場のど真ん中でステージから2.5mくらいの距離でみていたんだけど、ボーカルの巻上さんが操るテルミンにびっくりしたんだ。

テルミンって楽器はボクも大好きで、映画の公開された2001年ごろにいろいろ書いてます。テルミンって演奏がものすごく難しくて、指のちょっとした動きで音程が維持できなくなったりする楽器。触れずに弾く楽器なんだよね。

巻上さんは音程を保てているだけじゃなくて、エアギターのようにテルミンを弾いていた。たしかにテルミンはほっといてもノイジーな音を出してしまうんだけど、それをちゃんとコントロールしていて、相当練習してんなーと思ったよ。涼しい顔でギターやベースのメロディとユニゾンしてるんだもの。

ヒカシューの音楽は昔からふざけてるように聞こえるし、実際ふざけてるんだけど()、演奏の実力や身体や頭の柔軟さに裏打ちされたおふざけだから楽しい。32年間好き勝手やってきましたっていう“顔たち”。MCで「32年」という言葉が出たとき、若い子の「ええっ!」って声が後ろから聴こえた。どういう「ええっ」だったのか興味ある~(笑)。

ボクは底が浅い田舎の子どもだったので、'80年代は超メジャーなYMO松田聖子しか知らなかったわけですけど、いま聴くなら当時のYMOよりヒカシューだなって思う。期せずしてチャン・ギハの日本デビューとなった歌唱はヒカシューの「人間の顔」だった。自分たちのステージの前に、ヒカシューのステージに招かれて一緒に歌ったんだ。人間の顔はおっ・もっ・しっ・ろっ・い~(닌갠노 가오와 옷,못,싯,롯,이~)

●チャン・ギハと顔たちの温故知新

ライブで聴くとCDとはまったく違った感覚がどっと押し寄せてくる。まさにチャンギハワオルグルドゥルはライブバンドだ。実物のチャン・ギハを最初に見たとき、「背ぇ高っ!」と思った。韓国芸能界は高身長ばかりとは聞いていたが、インディーズもそうなのか?

このデカいチャン・ギハが動き回るんだから、ライブハウスのステージは小さすぎる。でもこの近さがうれしくもあるんだけど。チャン・ギハがボクの頭の上30cmのとこにマイクをかざしたりしてくれて。ウォーウォー叫んでしまいました。

ジャンル分けしたいわけじゃないけど、ちょっと前に「喫茶ロック」というムーブメントがあったでしょ。はっぴいえんどやピチカート・ファイブや彼らをリスペクトするミュージシャン、そういうソフトロックといっちゃうとニュアンスがちょい違う喫茶ロック。ボクが好きなバンドではMAMALAID RAGとかさ。そういう音も感じさせるのがチャンギハワオルグルドゥルってバンドなんだなぁ。

とくに弾けてない楽曲群が映像的。東洋的な哀愁と現代的な虚無感とがない交ぜになった感じ。特に今回頭に浮かんだのは映画「ロスト・イン・トランスレーション」。ソフィア・コッポラの佳作です。夜の東京をタクシーで徘徊する主人公の乾いた心象風景。このイメージとチャン・ギハの「정말 없었는지(本当にいなかったのか)」のメロディがつながった。映画でははっぴいえんどの「風をあつめて」がBGMだった。

「チャン・ギハと顔たち」のすばらしさをわかりやすく伝えたくていろんな例えを出してしまいましたが、もしこれでひとりでも多くイメージが共有できたらうれしい。単なる「韓流」という枠で捉えたくない。もっとも現代韓国から出てきたということの同時代的な意味を考えてもいるんだけど、それは機が熟していないからまだやらない。

渋谷タワレコのKARA衣装展示ライブの後、せっかくだからタワレコ渋谷店に寄った。K-POPコーナーが充実してるから。朝までは4minuteの衣装がまだ飾ってあるかと思っていたんだけど、事前に4minuteマニア(?)のあーちゃんから「もうやってないよ」という情報をもらってた。確かにポミニはなかったんだけど、かわりにKARAの衣装が飾ってあった。ラッキー(笑)。写真に撮って来ました。ク・ハラの衣装が写真の一番手前。

なんでチャン・ギハと顔たちの記事の最後がKARAの衣装の話なのか。アクセス数アップ狙いなのかKARAの記事めあてに訪れたKARAファンを潜在的チャン・ギハと顔たちファンと考えてプッシュしようという企てなのか まぁいろんな思惑がありますけれども(笑)、すべての音楽好きな人にチャン・ギハは聴いて欲しい。それがすべてです。まぁ長すぎて誰も最後まで読まないって話もありますが。読了ありがとうございました。

追記:アップしたあと3回タイトル書き直した。難しい!全体的に合ってるのかもわからん!ちょっと背伸びしすぎました(笑)。

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2010/11/21

「何事もなく暮らす」に見たインディーズの未来

あのー、今回は「また韓流の話かよ!」って思わずに読んでください(笑)。韓国のバンドの話ではありますが、音楽の深読み師(?)ポップンポールがまたひとつ新しい音楽に出会えた感動を綴る回です。韓流にはまってなければ出会ってないけれど、音楽の評価についてはジャンルとか国境とか関係ないので。

ついにチャン・ギハと顔たちの1stアルバム「何事もなく暮らす」の日本盤がリリースされた!予想以上に良かったので、あさってのヒカシューとのコラボライブに行く前にアルバムについて書いておきたい。独特なパフォーマンスでも定評のあるチャン・ギハと顔たちなので、ライブを見たらまた印象が変わると思って。音だけから受けた初々しい感想()を残しておこう。いい意味でインディーズらしさの残るアルバムだ。

彼らの「チャン・ギハと顔たち」というバンド名をはじめて知ったのは今年の夏。古家正亨さんのトークイベントが最初だった。唐突に流された1本のPV。そのインディーズバンドの映像と音楽、そして古家さんの解説によってその日もっとも興味を持ったバンドだった。

ただあまりにこのときの「月が満ちる、行こう」(달이 차오른다,가자)の印象が強烈だったので、この曲=チャン・ギハというイメージがボクの中で先入観となってしまった。今回このアルバムを聴いて、これは奇をてらったものではなく、とてつもなく真っ当なバンドだと思えてきたのだ。

●チャン・ギハのトーキングブルース

日本盤にはチャン・ギハ自身による曲の解説も含め、丁寧な対訳とライナーノーツが付いているのでその言葉の自由さや奔放さがわかってうれしい(韓国語を学習中の私の本心は韓国語で読めてうれしたがりたいのだが)。

韓国語とデジタル音楽との親和性についてはちょっと前に触れたが、韓国語の持つ音楽的な特性が、デジタルでないバンドサウンドのなかでも心地いい。ライナーノーツの安田謙一さんが書かれているチャン・ギハの演技力、話す言葉が音楽のように聞こえるチャン・ギハの表現力による部分も大きいだろう。

それがもっともわかるのは、韓国で一般的に彼らが注目されるきっかけとなった「安物のコーヒー」(싸구려 커피)という曲だろう。安田さんはラップと解説されていたが、この曲はトーキングブルースともいえる。ほとんど心情吐露のような“語り”だ。

このライブの1'42''あたりから始まるトーキングブルース(あるいはラップ)の部分だ。この“語り”が終わってAメロに戻ると、それは最初に聴いたリフレインでは既になく独特の高揚感をともなったメロディとして聴こえてくる。名曲の鉄則といえるこの表現力と形式美を備えている。もっとも詩の内容はとにかく滅入る内容なのだが()。どんよりした空、使い物にならない歯ブラシで取れない歯石、生ぬるいコーラーを飲んだらタバコの吸殻まで入っていたり...。

トーキングブルースといえばボブ・ディランを連想する。そのボブ・ディランを彷彿とさせる曲がチャン・ギハと顔たちの「何もないじゃないか」(아무 것도 없잖어)という曲だ。この曲は全編トーキングブルースっぽいのだけど、아무 것도 없잖어 という決めのフレーズのアム、ゴット、オプ、チャ、ノォというところ。ディランっぽくてぶっきらぼうでいい。

ここまで聴いてきた3曲は割とダウナーな楽曲だったかもしれない。でもアルバム1曲目の「出ろ」(나와)のギターサウンドはシンプルなフォークロックでオープニング曲にふさわしい。ゴールデンカップスの映画「ワンモアタイム」のオープニングを連想した。

歌詞は例によって普通じゃないけど(笑)。オレ様を好きなやつならどんなやつでも歓迎してやるから前に出ろって歌だ。

ゴールデン・カップスのことをボクは前に「正しい不良の育ち方」で書いた。チャン・ギハはソウル大学(日本で言えば東大レベルの最高学府)出身でインディーズ音楽をはじめた。カップスとは違うけど、ある種音楽にドロップイン(ドロップアウトじゃない!)してきたエリートだった。

チャン・ギハと顔たちはあさってヒカシューとコラボライブを行うわけだが、ボクはてっきりチャン・ギハが昔からヒカシューを知っていたのだと思っていた。しかしQeticのインタビューを読むと、最近日本に来てヒカシューを見てファンになったとあった。類は友を呼ぶってこのことだなぁ。

●ヒカシューとチャン・ギハワオルグルドゥルの親和性

ヒカシューが1979年のライブで注目に値する発言をしているのをYouTubeで見つけた。その言葉こそが、ヒカシューの音楽と同時にチャン・ギハの音楽をも語っていると思った。それはオリジナリティについて「これまでの音楽のなかでどうしようもなくデタラメでクズの部分をボクらなりに再構成したのがボクたちの音楽」というところだ。

1979年に「20世紀の終わりに」を歌っていたヒカシューの先見性(笑)もすごいが、まさか21世紀も10年たって韓国から来たインディーズ系バンドが自分たちとコラボするとは思っていなかっただろう。

だがこの30年というズレがおそらく韓国インディーズシーンの現在と未来の面白さをボクに約束してくれてると思う。韓国インディーズシーンの扉はいま世界に開かれたのだ。チャン・ギハと顔たちのような才能がこれからどのような音楽をボクらに聴かせてくれるのか楽しみだ。

最後になったが「チャン・ギハと顔たち」というバンド名について、ボクの質問にチャン・ギハ自身が答えてくれてる。Qeticのサイトで質問募集してたので応募していたら採用された。

語感で決めたというところがいい。無意識に韓国語の音楽性に惚れたってことだと勝手に理解した。日本語で「チャン・ギハと顔たち」と書くとその語感が消えてしまう。ハングルで書くと「장기하와 얼굴들」(チャンギハワ オルグルドゥル)となる。

「顔たち」にあたる「얼굴들」のㄹパッチム3連発。ㄹはRの発音になる。顔(얼굴)に「~達」の「들」をくっつけているので巻き舌3連発になる。椎名林檎の「歌舞伎町の女王」かドバトの鳴き声のような巻き舌になるのだ(笑)。オルグルドゥル~。

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2010/11/14

桜庭ななみ始動!

今朝(というか深夜)に、「桜庭ななみ『ゴーストタウンの花』再放送」のアクセス数が急激に増加してました。再放送があったみたいですね。

TBSチャンネルでも桜庭ななみの「東京少女」を再放送していて、1,2話だけ録画できていなかったボクはしっかり録画しました。メイキングもまた録画してしまった...。

それもこれも、映画「最後の忠臣蔵」の公開が迫ってきたということです!

桜庭ななみに限らず、最近はドラマも映画も、新作のメインキャストが過去に出演した作品をテレビで流してくれるのでありがたい。織田裕二の初主演ドラマ「十九歳」(1989年NHK)まで見れたのは驚きでした。制作費削減、コンテンツ不足さまさまです()。どんどんリピート放送、再放送をやってほしい。

もっともそればっかりじゃ新しい才能(演出者も出演者も)が生まれないから、再放送できる出演者の新作には新人をサブキャストで出演させ、そこから原石を見つけるといった循環も必要ですね。

日本に興味がなくなってきてるボクですけど、桜庭ななみのいる日本は好きだなぁ(笑)。初時代劇で緊張したそうですが、役所広司に「勘のいい女優」との評価をもらってました。的確な評価だと思うなぁ。

時代劇っていいよ。いま韓流時代劇「トンイ(同伊)」なしで生きられない身体になってしまった(笑)。主演のハン・ヒョジュはモチロン、イ・ソヨン、パク・ハソン、チョン・ユミ...ほんと魅力的。日本の桜庭ななみも負けちゃいられないっすよ。

ボク自身はNHK「ふたつのスピカ」のときに、「世間的にはアイドルという枠なのかも知れないが、その枠を超えて女優として観ていきたい逸材。」という感想を書いてます。あと「走る姿勢が美しい」とも(笑)。

姿勢の良さって結構重要だと思う。それは細かいしぐさにも確実に影響するから。立ち姿や素振りは顔やスタイルなど見てくれの美しさ以上に女優にとって大切だと最近思う。若い頃には気付かなかったが、健全な演技は健全な姿勢に宿るとすら思う。

正直、美しいだけの女優やアイドルってもう食傷気味...。取替え可能なんです。でもその人の骨格と関節でしか表現できないしぐさやダンスや身振り手振りってあると思うようになってきた。

これまで好きになった女優さんのことを考えると、おそらく子どもの頃から無意識にそういう部分に惹かれて来たんだと思う。この系統では、原田美枝子、石田えり山口智子深津絵里竹内結子上野樹里、みんなそう。桜庭ななみもそこに加わりそうな感じなんだぁ。“私、女優よオーラ”ってきっとそういう部分に宿るんだ。女優じゃないけど、K-POPグループ4minuteのジユンに惹かれたのもそこなんだ。ダンスの姿勢。

あと最後になりましたが、原田美枝子の映画「恋は緑の風の中」の再放送もまだまだ放映熱望中です!昔は深夜の地上波で見れたんだからCSとかでも流せるはず。1970年代特集とかやってくれ。どこでもいいから!映画館でもいい。行っちゃうよ~。

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2010/11/13

思い出のジャケ買いトークに参戦!

takさんのブログでジャケ買いの話が出ててすぐに参戦しようとしたんだけど時間がなかった!今日も時間があまりないけど、ジャケ買いトークに乗っかってアフィリエイト貼っ、いや、大好きなCDジャケットを語っとこう!

ボクにとってジャケ買いと聞いてすぐに思い出すのは常にこのジャケット!ケミカル・ブラザーズの「さらばダスト惑星」です

ロックンロールとテクノの化学変化なんてことを言われていたブレイクビーツ博士(笑)、ケミカル・ブラザーズです。このジャケットからは想像もつかない音楽ですけれども。音楽についてちょっとだけ触れとくと、1曲目が始まったときの期待感はめちゃめちゃ高いです。超かっこいい。大ボリュームでガンガン聴きたい。

で、ジャケですけれども。この土の匂いが漂ってきそうなアメリカ南西部風の乾いた感じがたまらなくいいね。電柱も車もなんだか寂びれてて。うつむいたカップルも風景に溶け込んでる。中心が空でぽっかり空いた穴のような感じ。乾いた心象風景に思える。これでアメリカンロックじゃないんだから面白いよ。

また右上のケミカルのロゴがいいよねぇ。アラビア語みたいなウニウニ感。チグハグに見えてレイヤー感ビシバシでギリギリ調和してる。

あと個人的な趣味かもしれませんがグラサンかけてる女子が好き(笑)。

そういう意味ではジャケ買いにいれてもいいかもしれないのが次のサントラ。takさんもよーーくご存知のこれです。

このジャケのかっこよさを語るのは何度目だろう。ケイト・ハドソンも可憐だったなぁ。さらに楽曲群がすごすぎる。サイモンとガーファンクルの「アメリカ」からザ・フーを挟んでの我らがトッド・ラングレン「イット・ウドゥント・ハヴ・メイド・エニー・ディファレンス」。このトッドの曲はものすごくいい。才能あるよなぁ。

K-POPにはまってる最近買った中では、韓国の超売れっ子プロデューサ勇敢な兄弟が満を持して出したフルアルバム「The Classic」はジャケ買いといえそう。

韓国のCDは規格が統一されてなくて、いろんなカタチ・大きさのジャケットが百花繚乱状態なんだけど、だからこそこのシンセジャケがバチっとはまってるんだよね。いまの日本の流通じゃなかなかできないからね。

写真だけじゃわからないけど、上半分のコンソールのツマミ部分はほんのちょっと膨らんでるんだよ。手で触ってわかるくらい立体的になってる。点字みたいな感じで。芸が細かい!2曲目、タビチ(韓国の美人デュオ)を招いての「君を描く(너를 그린다)」は名曲です。

くそっ!書き始めたら思い出が走馬灯のように蘇ってきた()。思わずCDラックから探してスキャンまでしてしまった!そんな3枚をまとめて紹介。

まずはキーボードつながりで、Dave Grusinの「The GERSHWIN Connection」(DIGITAL MASTER)なんだけど、これも鍵盤が立体的に盛り上がってる。この鍵盤部分は箱に長方形の穴があいてて、なかにジャケットと同じデザインの厚紙をわざわざいれてる。さらに小冊子がなかに入ってて、その表紙も立体鍵盤仕様という無意味に豪華な作りなんです(笑)。日本版も出てたけどそれはプラケースに普通の印刷のジャケットだったので、買うなら絶対インポートものです!

Cd_dave_grusin_gershwin

次はイタリアのショップに立ち寄ったとき、まさに何の知識もなくジャケットオンリーで買ってみたら内容も大正解だった1枚!こういうジャケとの出会いってうれしいよね。

Cd_masquerade

このジャケットめっちゃ好きだなぁ。内容はライト・クラシックというかイージーリスニングみたいなんですけど、2曲目の「VENTI D'ORIENTE」って曲がなんともかっこよくて、当時テクノ友達だった千々岩君に聴かせたらジャケも曲もかなり気に入ってくれた。

YouTubeで探したらあったよ!すげぇな。21世紀って。VENTI D'ORIENTEはこの曲です。この曲!。このYouTube、オールドシネマニアが作ってるっぽい。この曲選んでくれてありがとうーーーー!いやーいいもの見せてもらったよ。

さて、最後の1枚はオマケ(笑)。「Mondo BOSSA TRES」これはボサノバに狂っていたころに買った1枚。まったく何も考えず買ってた。いまアマゾンに一応売ってるのみて驚いた(笑)。内容は可もなく不可もなくって感じ。

Cd_mondo_bossa_tres

他にもたくさんあるけど、ここまでにしとく。CDに限らず、やはり「表紙」というのは重要なもんだと思う。ジャケに惚れたら聴く前にファンになっちゃう。でもあまりにコマーシャルな臭いがしすぎると押し付けがましく感じる。人間の感性に訴えるのはやっぱ天性の才能なんだろうな。

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2010/11/10

時間がない!

韓国語学習を始めると決めたとき、「時間がないと言わない!」を掲げてはじめたわけですが、いま時間がない(笑)。

ただ、同じ「時間がない」でも、そのココロはちょいと違う。

ほぼ韓国語で書いてるゴガクルの「おぼえた日記」に時間を取っているため、ブログのほうを書く時間がないのだ

韓国語で日記を書く。初級レベルだから出来ることは限られてるけど、テキスト、参考書、辞書、翻訳サイトを総動員して書いてる。ときには書きたいことが実力を超えてる場合もある(多々ある)。間違ってることもあると思う。でも、できるだけ毎日続けようと思って。

知らない言葉をどうしても表現しきれないときは、翻訳サイトを使って日本語から韓国語に翻訳することもある。それは最後の手段。でもそのときは、その翻訳から逆引きで辞書やテキストに戻って納得してから日記に清書するようにしてる。

習ったかどうかよりも書きたいことを書く。書きたいことを書きたいときに。とにかくそのときリアルタイムに書いたという感動体験()が不可欠だと思うから。ボクの場合は特に勉強大嫌いなんで()。趣味としてだったらのめり込めるから。過去の自己分析(笑)。

趣味だから、たとえば中島みゆき嬢の「悪女」のAメロだけ韓国語訳してみたり。同じ不規則活用の語彙ばかりを盛り込みまくった文章を書いたり。ひとくちメモ的な切り口を韓国語学習でも展開しているのがポップンポールのゴガクル日記なの(wataru名義ですけど写真でわかります )。

そうやって一応、韓国語だけでなくいろんなアイデア考えながら書いてるので時間がかかる。ブログを書くのとまったく同じ。そのうえ言葉がよくわからないわけで。でもゲーム感覚。次々とツールを獲得しながら出来ることが多くなっていく感覚が楽しい。

11月のおぼえた日記はいまのとこ皆勤(まだ10日目だけど)。ただし今月は、チャン・ギハと顔たち(ボクの質問にギハ氏が答えてくれちゃってます!)のライブや中島みゆき嬢の3年ぶりのコンサート(+第三極オフ会)とか忘年会関係があるので後半が厳しそう。時間を見つけてひと言だけでも書けるよう頑張ってみたい。そして皆勤賞をゲットするのだ(笑)。

いまもっとも旬のポップンポール動向が知りたい人は、おぼえた日記を読もう!そんな人いないでしょうけど しかも韓国語でめんごでやんす

おぼえた日記って書くだけで、他の学習者とのやり取りが出来ないのが残念。そのうちヴァージョンアップするのかなぁ。そういうアイデアもたくさんあるんだけどなぁ。そっちが本職みたいなもんだし(だったしか?)。オープン・エデュケーションという視点も交えつつゴガクルやってます。

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2010/11/05

次回の「青春不敗」で3人卒業(泣)

今日の「청춘불패(青春不敗)」も面白かったー!田植えアイドル!あんだけ完璧なダンスと歌をステージで見せるK-POPガールズだけど、この番組の気さくで飾り気のなさは魅力を倍増どころか無限大にしてるなぁ。

MTVでやってる2007年の少女時代スペシャルを見ると、サニーの成長ぶりがほんとに良くわかる。自信がつくと人は2年でこんなに成長できるものなんだ!この年になってサニーから学んだよ(笑)。

でも次回予告で「お別れ会」をやっていた。少女時代のサニーとユリ、4minuteのヒョナが海外活動が忙しくなるという理由で降板する回がもうきてしまうんですね...。

その海外ってのは日本のことだし、そのおかげで4minuteにも会えてるわけだから複雑な気分だけどさぁ。もっとこの番組でこの3人を見たかったなぁ。次回予告のヒョミンの手紙朗読だけで泣きそうになってしまった!

かわりにG7メンバーになるのは、キム・ソリ(Sori)、ビクトリア(f(x))、ジュヨン(AFTER SCHOOL)の3人らしい。ある意味第二期に入るわけだ。

ユチ里にもいつか行ってみたいな。と、ツイッターが久々にオーバーキャパシティのようなのでここに記して寝る。

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2010/11/03

ノーランズ以来なのか!少女時代

中央日報によると少女時代のオリコン1位は、海外女性グループとしては30年ぶりの快挙だという。ちなみに女性ボーカリストとしては2005年にBoAが1位を取ってる。欧陽菲菲以来だったことでボクも記事にしていた(笑)。

さて少女時代の1位だが、その30年前のグループとはノーランズだった!2位まで上がったらしい。少女時代はそれを更新して1位になったわけだ。

ノーランズかぁ。大好きだったなぁ(笑)。セクシーミュージックが好きだったな。小学生だったボクは石野真子の曲をノーランズが歌っていて新鮮な気持ちになった。実際はノーランズが元歌だったと思うのだが。

いまノーランズの曲を聴くと、ビートがK-POPの7割くらいのスピードに聴こえる(笑)。でも楽曲そのものはまさに日本のアイドル歌謡の定石ともいえるもので、筒美京平ファンのボクがノーランズのサウンド面にはまったのも当然だと思われる。

時空を超えていえるのは少女時代もノーランズも楽曲が良いということだ。美脚とかダンスとか先輩グループの活躍とか様々な要因が重ならなければ日本でこのような成功は難しいだろうが、まず楽曲ありきなのは言うまでもない。

●韓国語はデジタルサウンドにマッチする

韓国は日本同様資源に恵まれない極東アジアの一国だが、1997年の国家破産体験と日本の半分弱という人口とから、日本のように芸能ソフト部門を内需だけで消化させず、はじめから商圏をアジアに求めた。それが着実に実を結び始めたところだといえそうだ。

日本の芸能界は日本語に守られている半面、海外進出=英語圏みたいな妄想があったように思うが、韓国語も同じ環境にありながら違う道を選んだ。選ばざるを得なかった。その違いはかなり大きい。視野がまったく異なる。長く成功体験に浸ってきた日本の芸能界にはちょうどいいカンフル剤になってくれるかもと思う。もっともビジネスとしての話であって、質を伴わなければやがて廃れるのは万国共通だ。

すでに「日本進出」という言葉はそぐわない。日本もアジアツアーの一拠点に過ぎない。ボクもK-POPのCDをちょくちょく買い始めたが日本版も買っているのは4minuteくらいで、あとは韓国オリジナルかアジア版だ。サウンドとの一体感が高いため韓国語で聴くほうがノリがいい。ただし例外ももちろんあって、少女時代のGeeは日本語でもいい!

K-POPというジャンルで括られてしまうが、音楽を核としたパフォーマンスの新潮流として捉えたい。そしてそこには「韓国語」というひとつの古くて新しい“音”の世界がある。日本語にも英語にもない新しいグルーブは韓国語だから生まれてきた(量産できた)ように感じる。

「韓国語」はデジタルサウンドにマッチする。おそらくボクが韓国語に惹かれたのは語学をつかさどる左脳ではなく、音を感じる右脳の仕業のような気がしてる。流音化とブレイクビーツとをあわせ持つ変幻自在な言語だ。「右脳で鍛える韓国語」という参考書が出てもおかしくない(笑)。

●にわか韓流ペンでいいじゃないか

まぁ、固い話はどーでもいいか。いまK-POPにはまらなきゃスノビーじゃない!を合言葉に(うそ)、K-POPファンになってしまった。もとを正せばアイススケート金メダリストのキムヨナから始まった私は超亜流のK-POPファンといえる。最近はキムヨナ一家とオーサーコーチとの確執ばかりがニュースになるので、キムヨナだけを追っかけていたら韓国語学習も挫折していたに違いない()。

K-POPにはまるきっかけが4minuteの"What A Girl Wants"だったというのも異例らしい。ちょっと聴いてみる。

いま思うと、いわゆるバリバリのK-POPではない。そこが良かったのかもしれない。この3:26で4minuteファンになった。その後韓国のテレビ番組を見始めた。韓国の音楽番組は短期集中で同じ顔ぶれが出演してくるのでいやでも覚える(笑)。

音楽番組だけではリフレインの多いK-POPをいくつもの番組で曲ごとリフレインされるようなものなので、正直食傷気味になったりして音楽番組以外も見始める。バラエティ番組では、「青春不敗」との出会いがありがたかった。にわかK-POPファン(女性グループ限定)になるにはもってこいの番組なのだ。もし見たことない人はKBS Worldで有料配信してる。

4minuteのヒョナが出ていたので見始めたのだが「青春不敗」では少女時代のサニーに惹かれた。この動物好きでお笑い好きなサニーと一緒に出演してるユリを中心に少女時代にも惹かれ、ク・ハラでKARAも聴くようになり、サニーの屏風のヒョミン(T-ara)、成人アイドルのナルシャ(Brown Eyed Girls)、白紙アイドルのソナ(secret)などガールズグループ入門編アイコンとしてG7の面々はうてつけだった。

それと「M countdown バックステージ」という番組。毎週「M countdown」という歌番組に出演する歌手をゲストにトークをするんだけど、やはりトーク番組は人柄などを垣間見られていい。音楽番組は録画していて、バックステージなどで気になったアーティストをあと追いで見ることも結構ある。

そうやって見ていくと「1泊2日」とか「男子の資格」などのコーナーがある「ハッピーサンデー」のようなお笑い番組も見始めちゃって、「男子の資格合唱団」のDVDまで購入してしまった。リージョンコードが日本と韓国とでは異なるため(これを統一するだけでも商圏拡大するのにな)、リージョンフリー化されたプレイヤーも購入。韓流ドラマニアのマダムと同じ状態になりつつある。まぁ韓国旅行はまだだが...。

「男子の資格合唱団」は本当に面白かった。ミュージカル監督として韓国で20年間活動しているパク・カリン先生の人柄もよかったし、素人もプロもいっしょになって合唱コンクールを目指す姿は感動的ですらあった。

ヴァラエティ番組のいいところはテロップがガンガン流れるところ。ハングルテロップと音声とで韓国語の実習になる(笑)。まだまだほとんど聞き取れないわけだが、そのうちこれがブログを書きながら聞き取れるようになるだろうか。なりたいなぁ。

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포미닛! ポミニ! 4minute!

전지윤은 정말 멋있어!思わず叫んでしまいたくなるくらいポミニが好きだ なかでもジユンペンの私は、新宿シークレットライブに引き続き、ラゾーナ川崎のイルミネーション点灯前夜祭イベントもジユンサイド(왼쪽)でポミニのステージを見た。ラゾーナでは歌はなかったけれど間近でポミニを見ることができた。案内にフォトセッション有りと書いてあったのでツリーのそばで輝いているポミニを撮影。コラージュ写真で報道しておきたい。

ラゾーナ川崎は水谷豊さんとも握手できた特別な場所だった。夏の握手会以来のジユンとの再会だったので、白いダブルスーツにジユンの髪と同じ金色のネクタイを締めて参上したのだが(笑)、ジユンの目にとまっただろうか!?ほんとは手を振って「ジユーン!」と叫びたい衝動に駆られたが出来なかった。熱狂的な女子高生に戻りたい...。男だけど。

イルミネーション点灯式のカウントダウンは韓国語だった。「십,구,팔,칠,육,오,사,삼,이,일」とカウントダウンしていくのだが、練習で表示された일(イル)のカタカナが(イー)になっているというハプニング。おかげでポミニから発音教わっちゃったよ!ポミニのハングル講座受けてぇー(>アホです)。

ラゾーナ川崎のイルミネーションは綺麗だったけど4階まで全部光るとか、そういう瞬間があってもいいのにな。ステージに向かう観客が熱いので、ツリーだけだとちょっとショボイ感じがぬぐえなかった。後ろを振り向いて4階までがイルミネーションハウスになったらかなりいいと思ったんだけど。予算が12倍くらいになっちゃうな。

この日予定されていた新曲披露も諸般の都合で中止されていた(プレスリリースの修正で事前告知はあった)。新曲「FIRST」の初生ステージになるわけだから、無料イベントでってことはもちろんありえない。ただ歌がまったくなしってのは残念だったなぁ。新曲「FIRST」の日本語ボーカルはジユンの奔放さがよく出てる楽曲になってる。いつか生で聴きたい。

4minuteのジユンの声はアイドルらしからぬハスキーでブルージーなボイスだ。歌声が耳に残る。さらにダンスではベジェ曲線で描いたかのように美しいラインを生み出す天性のものを持ってる。かと思えばIMMMの間奏ソロダンスのようにボーイズを従えたハードなダンスも感動的だし、デビュー当時からラップもこなす。出来ることのふり幅が大きい。伸びシロがある。

韓国のアイドル界は韓国の競争社会を反映したかのようにとにかく練習量がハンパじゃないらしい。それはジユンに限らない。みんな高水準のパフォーマンスが出来るという前提のなかで勝負している。それがK-POPパワーを理解するうえでも大前提だと思う。そのうえでオレはジユンのパフォーマンスがとびっきり好きなのだ。

K-POPの範疇ではダンスチューン中心にならざるを得ないが、ジユンには韓国インディーズシーンとの交流とか世界中の幅広い音楽を吸収して、さらなる表現力の進化を目指して欲しいっ!それが出来る才能があると思う。

今日はさいたまスーパーアリーナでK-POPのお祭りがあり、そこにも4minuteはご出演。チケットが取れなかったので行かないけど、ラゾーナ川崎のフォトセッションで満足できた。

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