google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2010年10月

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2010年10月の6件の記事

2010/10/30

キム・サムスン最終回に出てきた詩

ドラマ「私の名前はキム・サムスン」は2005年制作の韓国ドラマだった。10月にケーブルテレビで毎日再放送をやっていたので見ていた。遅れてきた韓流ブームの私にとっては願ったり叶ったりだった。

以前韓国大好きっ子のS嬢に「誰のファンなんですか?」と聞かれて「キム・ヨナ」と答えたら、「ええっ、あんな太目の女優が好きなんですか!?」と驚かれた。S嬢はキム・ヨナをキム・ソナと聞き違えたのだった。

しかしそのときネットで検索して、キム・ソナという女優が「私の名前はキム・サムスン」というドラマで主人公を演じるために太ったというエピソードを知り、ボクの脳に「キム・ソナ」がインプットされたのだった。

その後フジテレビの番組で、日本語でインタビューに応える細いキム・ソナを見た。これがあの太ったキム・ソナなんだと驚き、彼女が日本で育った過去にまた驚き、親近感を持った。そういう流れのなかでの再放送だったので、最初から録画体勢は万全だった。インタビュー情報からピアノが弾けるのも納得!

韓国では最終回の視聴率が50.5%だったとか。キム・ソナ、ヒョンビン、チョン・リョウォン、ダニエル・ヘニー、みんな魅力的な役者だった。

最後の最後までヤキモキさせる展開。韓国ドラマの男はなんでいつもバカで言いたいことが言えないヤツばっかりなんだろうと「春のワルツ」に次いで思った。そしてサムスンのように正論とも愚痴とも言えることをズバズバ言う正直な女性に弱いわけだ。

最終回には印象的な詩が出てきた。傷心のキム・サムスンがたまたまバス停に貼られていたポスターに見つけた言葉だ。韓国の書誌情報などを見ると、どうもスピリチュアル系の名言のようではあったが、初級レベルの韓国語でもそこそこ読めそうな内容だったので写経(笑)してみた。

사랑하라 한번도 상처받지 않은 것처럼

춤추라,아무도 바라보고 있지 않은 것처럼.

사랑하라,한번도 상처받지 않은 것처럼.

노래하라,아무도 듣고 있지 않은 것처럼.

일하라,돈이 필요하지 않은 것처럼.

살라,오늘이 마지막 날인 것처럼.

(알프레드 디 수자)

以下和訳(テレビの字幕から)

恋せよ 傷ついたことがないように

踊れ 誰も見ていないかのように

恋せよ 傷ついたことがないように

歌え 誰も聴いていないかのように

働け 金が必要でないかのように

生きよ 今日が最後の日のように

(アルフレッド・D・スーザ)

なかなか良い詩ですね。

写経しながら思ったんだけど、習った文末表現をこんな詩のように連続して使いまくるってのはなかなか有効な暗記方法のように思えた。今度ゴガクルのおぼえた日記でやってみよう!

쓰라,외우고 있은 말인 것처럼.

ㅋㅋㅋ!

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2010/10/22

ジュークボックス #nisemeigen

偽名言 『世界にたったひとつしかない最高のジュークボックス知ってるかい?サカザキコウノスケっていうんだよ』 吉田拓郎 #nisemeigen


もう偽名言ブームが去ってるのでtwitterには書けませんでした...。

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2010/10/16

谷亮子柔道引退 政治で1本取ってくれ!

ここ数日、「遅すぎた金メダル!やったぜ福見友子」へのアクセスが増加してるので、なにかあったかなと思ったら、どうやら谷亮子引退のニュースがらみでのご訪問らしい。

谷亮子引退について、現在同じ-48kg級の世界ランク1位である福見友子選手がコメントをだしていた。これがまた、福見らしいいいコメントだったんで引用しておきたい。スポーツ報知から。

「谷さんの存在が自分を成長させてくれた。これからも偉大な存在であることは変わらない」「小学生の時に一緒に写真を撮ってもらったこと。そこからがスタートでした。ただ、対戦できるようになってからは雲の上の存在だった」「別の世界に行っても特別な谷さんでいてほしい」

日本中、あるいは世界においても、現在活躍中の女子柔道選手にとって谷亮子の存在はあまりにも大きかったことだろう。そのあまりの大きさが放つまぶしい光は、その裏側に大きな影も作った。その影のなかでたくましく育ったのが福見だったと思う。

世代交代というのは、どの世界でドロドロしたものがある。ビジネス界においても政界においても、いつまでも辞めない老害社長や老害政治家の話はよく聞く。スポーツは実力の世界だという建前だからまだ見えやすい面もあるが、かつての谷と福見との問題のように、「世界での実績」という現在の勝敗と無関係かつ不透明な基準が残っている柔道界でもあった。

●世襲でない政治家谷亮子を応援する

世代交代のカギを握るのが常に去り行く側、栄光の座にあった側にあるのは間違いない。去り際の清さも含めてその業績、それこそ「実績」の評価にも影響する。谷は当選した直後こそ政治家になっても「柔道で金メダルを目指す」と公言したが、ここで柔道引退という決断をしたことは評価したい。

たとえそれが小沢問題という背景や民主党支持率の低下傾向のなかでの状況判断(あるいは党からの要請)だったと深読みしたとしても、後進に道を譲り政治の世界で働くという方向性は至極真っ当で納得できる。

スポーツを通しての世界貢献はやりがいのある仕事だと思う。スポーツはいま世界言語といってもいい。もちろんスポーツも巨大ビジネスとなり、ここにも光と闇があるわけだが、清濁併せ呑みつつ公益性を最優先してブレずに前進していく意志を持った政治家を切望したい。

それが出来る、その資格があるのが谷亮子議員だ。政治の世界は世襲議員や元タレント議員も多いが、「世界での実績」は政治の世界でこそ活きるだろう。山本一太のように、「柳腰」って言葉が適切か否かみたいな議論をいまだに吹っかけるバカがいるなかで、もっと視野の広い真っ当な仕事をして欲しい。

現場で仕事をするのが政治家だ。金メダルのように分かりやすい基準がなくブレやすいのも政治だ。しかしこれからの長い政治家人生のなかで、いくつもの金メダル級の仕事が出来る世界でもあると思う。

党内事情や揚げ足取りのバカ政治家はほっといて、成し遂げるべき仕事をひとつ見つけてはひとつ解決していく、地力のある政治家を目指して欲しい。国民にほんとうに伝わるのはそういう姿勢だ。柔道では福見ばかり応援してきた私だが、世襲でない政治家谷亮子に期待したい。

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2010/10/13

小中学生はこの機会にチリ共和国を覚えよう(笑)

チリのサンホセ鉱山落盤事故から68日目にしてついに救出作戦が佳境に入ってきたようですね。700mの地底に取り残された作業員を救う大事業に世界中が注目してます。

穴を開けてカプセルを通す。シンプルイズベストというか、これ以外ありえないよなぁ。こういうときに珍アイデアとか試す必要もないし。作業員のウエストくらいは測ったかもしれない。カプセルに入れる体型になるのを二ヶ月間待っていたという噂はもちろんない。

こういう希望の見える大作戦はいいよね。ひとり引き上げるのに20分程度かかるというから、なんだかんだで1時間に1,2人というところだろう。長丁場だけど全員の無事を祈りたい。

それにしても、この事故が起こるまでチリ共和国について一時でも脳裏をかすめたことがあっただろうか...。ウィキペディアをツラツラ読んでも何も思い浮かばない。長細い国だってのは知ってる。イースター島とかマゼラン海峡とか?そのくらいだ。言っとくがチリ・ソースはチリのソースじゃないらしい(笑)。

前に辺境の地で暮らす日本人を訪ねるテレビ番組で観たような気がする。あと南極に行くのにチリの南端から船に乗るとか。ものすごく曖昧な情報しか持っていない。

地球儀なんかをテレビの横に置いておいて、こういう機会にチリ共和国について学習する家庭があるとも聞く。確かにこういう機会でもないとチリについて考えることはないかも。いい機会なので小中学生はこの機会にチリ共和国の地理なんかを覚えてしまおう!大統領の名前とか隣国とか。ボリビアの大統領も救出現場に来ているみたいだし。

でもあまり調子に乗って地球儀に穴を開けて作業員を救い出そうなんてことは考えないように。そう考える前に、地球と救出カプセルフェニックス号のサイズの比率を計算すれば算数の勉強になるから、それやってみよう!

その結果、地球に対するフェニックス号の大きさが把握できたなら、それと同比率の物質が自分の身体基準で何かあるかを探そう。チリならぬ塵みたいなもんだ。顕微鏡が必要になったりして理科の勉強にもなる。まさにチリのニュースから総合的な学習が始まるってもんだ(笑)。そうやって縦割りの学校教育を逸脱して楽しむ術も覚えよう!

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2010/10/10

日本への興味が薄れてる

日本のドラマが大好きだったけれど、韓国のドラマを見始めて急速に日本のドラマへの興味が薄れてる。せっかくのブルーレイディスクもブルーレイにコピーできないCATVの韓国番組ばかり溜まってて、DVDディスクを大量発注せざるを得ない...。

まぁ、もともと熱しやすく冷めやすい性質なので、これもまた一過性なのかもしれないが()。

もしかすると作り手との世代間ギャップが開いてきて共感できなくなってきてるのかも。現場の監督とかプロデューサなどには同世代が多いだろうけど、想定視聴者の枠からこっちが外れ始めてるのかもしれない。韓国ドラマは外国製というクッションがあるし韓国への興味も手伝って世代を気にせず見られるのかも。

13年前にビバヒルファンの集いをボクんちでやったんだけど、先日、そのときのビバヒルファンの人ともそんな話題になった。いまビバヒル(ビバリーヒルズ高校白書・青春白書)をみても、それほど面白くないのだ。外国ドラマであっても、そういう要素はある。飽きっぽいだけだって言ってるようなもんだが。

ドラマだけなら、いまの自分が楽しめる対象で存分に楽しめばいい。しかし「日本に興味がない」となると、生活全般に関わってくる。

もともとボクはスノッブ野郎なので、衰退していくものに興味がない。これは意識して嫌うわけでは決してなく、ただただ興味も一緒に衰退していくだけなのでどうしようもない。それを今回のように意識したというのは、まだ興味を持っていたいという願望の現われで救いがあるほうだと思う。

こうして書いておかないと、日本の政治にも文化にも経済活動にもぜんぜん興味関心が沸かなくなりそうで怖い。しょせん日本を捨てては(あるいは日本に捨てられては)生きられない日本中毒患者なのだから。

●日本の歴史を観光目線で学びなおす

そこで韓国とも親和性のある日本を探すと、古代へ行ってしまうわけだ。聖徳太子は実在しなかったんだって(『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』より)!へぇー。そんな興味だ(笑)。陰陽師とか陰陽五行説なども韓国と親和性の高い日本だ。

そんな古代~中世の日本と現代をつなぐキーワードを探す。そのひとつは“観光”か。パワースポットなんていう切り口が最近ブームだが別にスピリチュアルを持ち込まなくてもいいと思う。今月の雑誌『選択』10月号の巻頭インタビューで東洋文化研究家(日本学)のアレックス・カー氏も「古来日本は観光の国だった」と興味深い発言をされている。

アレックス・カー氏は35年間日本に住んでいた日本マニアだったが、2000年代早々にバンコクへ引っ越したらしい。すでに日本には彼の求める美がなくなってしまったから。彼は日本を旅して四国の祖谷(いや)に住み着いたほどの日本(という島の美を追求する)マニアだった。

ボクも祖谷渓に行ったことがある。ちょうどカー氏が日本に見切りをつけた頃だ。それでもまだ日本という群島奥地の美しさを残す場所だった。旅の途中にここを見つけて住み着こうという発想(覚悟)はすごい。日本人では平家の落ち武者くらいだろう(笑)。そんな人が見限った現代日本。経済発展と引き換えに失った価値が、日本再生のキーワードを「観光」としてみたとき、停滞からの脱却のまさに鍵になるかもしれない。

ボクやカー氏以外にも「日本への興味が薄れている」人々は少なからずいそうだ。外国から見た日本への興味も相対的に薄れているようだ。日本という島国の価値を忘れた日本人にも責任はある。鎖国する意志があるなら別だが、経済発展のためという大義名分のもと行なわれてきた国土破壊が頓挫しそうな今こそ日本再生の機運を高めるチャンスかもしれない。もっともいまだに経済でしか価値を測れない人が圧倒的に多いので困難ではある。

ボクは山口県人であり秋芳洞などの観光地とアジアからの観光誘致には興味がある。守り育てるという観光立国のあり方もあっていいと思う。山口県のなかの秋吉台ではなく、アジアのなかの秋吉台という視点。地理的な連続を意識した観光のあり方。ドラマのロケ地観光なども再発見と連続性という意味では悪くない。共感の和が守り育てる観光につながる。それがグローカル(グローバル+ローカル)の生き方かもしれない。韓国語の学習が役立つ日が来るかな?

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2010/10/05

民主主義という握り箸

最近デスクトップPCを開く機会がめっきり減り、もっぱらノートPC(それもB5サイズ)を開いている時間が長い。それでブログ更新頻度が減っている。ツイッターなら隙間時間を使ってできるけど、なかなかノートPCのキーボードで文章を打つのは億劫だ。ケータイほどではないけど...。いまもノートで打ってる。

たまには何か書かないとと思って思いついたのが民主主義を疑うというしょーもないテーマ。

なんかいまの民主主義って居心地悪くて、なんでなんだろうと思ってるところ。

例えるなら、躾のなってない子どもたちの“握り箸”を正すオトナがいなくて、だれも正しい箸の持ち方を知らないまま、大多数の“握り箸”こそ民意だといって、“握り箸”という正義がまかり通っている感じ。

識字率も高く、学校教育も高度化して、そこそこ賢い人々ばかりの平和な社会。本当に豊かでつまんない悩みばかりで嫉妬深くて、歴史上稀に見るいい世の中なんだと思う。それでも人間はなにか争いや悩みごとを作り出さないと生きていけないようだ。

そこそこ賢いからこそ見えない“握り箸”があるような気がする。あるいは、謙虚になったとたんにエセ宗教やらトンデモ業者にはまったりして、バカ丸出しになってしまう人々もいる。俯瞰でみればそれもまた豊かで退屈な日常のアクセントかもしれない。そういう不幸をあえて苦しむゲームのなかで人生をやり過ごすみたいな。

強いリーダー待望論も、幻想を追い求める少年少女のような無邪気で賢い市民の娯楽のひとつだ。波紋さえ起こって日常に変化があれば喜んで受け入れるが、それ以上の干渉は許さない。そんな態度がセーフティゾーンにあることを知ってるから、安心してバッシングも出来るし、応援することもできる。無責任の幸せが末期日本にはある。

強いリーダーにみっちり躾をされるのはいやだけれども、自分の生活に干渉しないヤツならマスコミと一緒に徹底的に遊んで捨てる。市民の要求はただひとつ。「娯楽を提供して!モアモアモア!」それだけ。見えない命も、聴こえない声もあるけど、見ないし聴かない。楽しくないから。自分が切られなければオッケー。切られないためならなんでもする。そういう正義が平和の中に内包されてる。

くそっ!パンとサーカスのまんまやんけ。歴史は繰り返すってことか?パックス・ジャポニカも遠い昔の話なのに。

でもそれが握り箸民主主義の本質だと思う。最大多数の最大幸福ってヤツはそういう小ざかしい人々にもっともフィットする思想なんだろうなぁと思う。サンデル教授じゃないけど違和感ある。

「握り箸でも食えりゃいいじゃん!」って声が聞こえる。そういう誘惑は実に強力な魅力を持ってる。だからこそ握り箸を突破してメタレベルの正義の存在を求めなければ、もっと大きな危機に直面したときに対応できなくなる。

もっとも人間には寿命があり、たかだか100年弱の時間のなかで存亡の危機や価値のパラダイムシフトに当たる可能性は少ないのかもしれない。悩ましいことだ。当たればいいな。パラダイムシフトのほうに。

とりあえず、こんなもんでいいかな。ゴミのような言葉の破片を撒き散らしてみました!

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