google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2010年8月

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2010年8月の9件の記事

2010/08/26

2010 Mnet 20's Choice 生放送

ある意味、今日はヒョナ・デー!

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いよいよ本日、Mnetで20's Choiceが生放送される。夏のイベントとして4回目を迎えるステージだそうだけど、ボクは初視聴なのでワクワク!

韓国から生放送なので字幕はないでしょうが()、音楽はハートで伝わるものだから大丈夫です!

このポスターとか、4minuteのヒョナがウェディングドレスを着たショットなども流れて期待感が高まってましたが、公式発表でMCがヒョナになってた!4minuteのパワフルなステージも見られるはず。

日本時間で午後6時から3時間。ま、時差はないが(笑)。

最初から生で観るのは厳しい時間帯だけど、録画しつつ観る予定。

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21:00には終わるので、その後22:00からのTBSチャンネル4minute特番も連続視聴可能ですよ!この特番の再放送はたぶん今日までなのでお見逃しなく!

ついでに言えば、その後23:20からKBS Worldで「青春不敗」の再放送もある。ヒョナ出ずっぱりの一日になるのだ。

ジユン・命のボクも今日は4minuteのファッション・アイコン=ヒョナの大活躍を楽しもう!

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2010/08/23

そして時代劇トンイにはまる!の巻

韓流ドラマのなかでも王道はやはり(?)時代劇。日々韓国への興味が膨らんでいるこのタイミングで「トンイ」を見始められたのはラッキーだったなぁ。

ちょうどKNTVと契約してすぐ月・火曜に再放送が始まった。韓国でも視聴率が高いらしい。ただし長い!たぶん全50話くらい。まぁ何度も書いているけど、子どもの頃から長いドラマの録画には慣れている(笑)。HDDの残量だけ注意しつつ録画していこう。

今朝の再放送はまだ4話目だが、すでにはまりまくっている。4話までトンイは子役だったんだけど、この子役がめっちゃええねん

子役が良いドラマといえば、「おしん」の小林綾子もよかったが、「ちゅらさん」の浦野未来もよかった。名ドラマの序盤に名子役ありってか?

トンイの子役はキム・ユジョンちゃん。すべてを奪われる運命を背負ってそれでも生き抜く賎民の子トンイを演じている。

あえてこの1~4話を例えてみるならば、おしんが主人公のカムイ伝もしくは忍者武芸帳だ()。虐げられた賎民の無念と、賎民によって組織された「剣契」と呼ばれる忍者っぽい集団。その首長の娘がトンイだ。

トンイはすべてを失う。剣契は罠にはめられ殲滅された。家族を失い追われる身に。それでも野宿をしながら夜空を見上げ、星を家族だと考えいつもいっしょだと生きようとする。ものすごいポジティブさ!

すべてを無くした賎民から王の妃に上り詰めるトンイの成功物語は、このポジティブさに貫かれているのだろうか?

5話目からは宮内楽団に雑用係としてもぐりこんだ奴婢の子トンイが成長していく。ここからが本番なのだ。楽しみでしかたがない(笑)。

毎週2日連続放送ってのも韓国では一般的な編成だけど、いいね!明日すぐ5話が観れる。そういう構成になってるから2話完結的な見方になるし、50話も結構あっという間かも。

また時代劇「トンイ」の見所のひとつとして、朝鮮の古楽がふんだんに映像化されるらしい。そういう宮廷音楽なども楽しみ。

あと韓国の竹中直人(勝手にいってるだけ!)、チョン・ジニョンもいい味だしてるねぇ。そして、なんと言っても主演のハン・ヒョジュ。おしんの田中裕子、ちゅらさんの国仲涼子、そしてトンイのハン・ヒョジュ。これですべてが伝わると思ってるんだけど、他に言うことがなにかあるかな()。

基本的に何の予備知識もなく見始めているので、今後も物語に導かれて先入観なしに観ていきたい。トンイをとっかかりにして韓流時代劇にはまると、そこにもスタートレックに匹敵する広大なフロンティアが待っているはずだ(笑)。

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2010/08/21

食べるラー油にラー油は必要条件なのか?

最初に今年の夏旅の記録を。夏旅2010は、拡大しすぎた昨年までの行程を見直しコンパクトになった。テーマは「渋滞を避ける旅2010」だ(笑)。

埼玉を早朝出発し渥美半島からフェリーで鳥羽へ渡りそこで一泊。翌日遷都1300年の奈良を観光しつつ夜は和歌山で一泊。和歌山へ行ったのは翌朝もフェリーで徳島へ渡るつもりだったから。だが前日欠航の影響もあったのか夜の時点で満車発覚!和歌山に泊まる理由がなくなったがホテルにチェックイン後だったため和歌山泊となった。

個人的にはBS熱中夜話中島みゆきナイトつながりのたまごさんが和歌山市内在住だったためメールしたところ、近くにいることが分かり一緒に飲めてラッキーだった。なぜかインディーズのバンド「相対性理論」ネタで盛り上がった(笑)。

翌朝和歌山からフェリーに乗れず、大阪経由で中国自動車道・山陽自動車道の王道を行くが、twitterで書き飛ばしたようにガラガラ...。結果的にはフェリーより速く山口県到着。同行の志士達も福岡、長崎と順調に帰れたようだった。

実家では両親と念願だった宮本常一ゆかりの周防大島の文化交流センターへ。ついでに星野哲郎記念館も観てきた。それ以外の日は例によって食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活。このダラケタ生活が昨年同様腰痛を引き起こし本日外科へ行ってきたところ。

しかしダラダラしながら考えたことがあった。それがつまり、食べるラー油にラー油は必要なのか!?という大命題なのであった(笑)。

●ご飯の友三国時代を読む(なんつって)

旅の途中、様々な土産物屋でいわゆる「食べるラー油」を見た。超メガヒット商品(となるはずが10ヶ月以上品切れ品薄状態の)桃屋の食べるラー油。量産体制が整わないためか便乗商品のオンパレードだ。どこの土産物屋にもいろんな「食べるラー油」が売られていた。

いくつか買って食べてみたのだが結構うまい。よく出来てる。本家じゃなくても充分使える。ご飯がなくてもスプーンですくってそのまま食べてしまう(親子で)という人にその話をしたところ、「食べるラー油はその存在がマヨネーズに似ている」という哲学的なお言葉をいただいた。

確かに。味が似ているのではなく調味料としての立ち位置が似ている。たとえば醤油。醤油はそのまま飲む人はあまりいない。だがマヨネーズをチューチューするマヨラーはいる。つまり「調味料単体で食える」というのがひとつのキーワードだ。

ご飯を友としたときその真価を発揮するという意味では、マヨネーズよりも同じ桃屋の「ごはんですよ」に近い。桃屋の「ごはんですよ」もそのまま食えるしご飯に良くあう。

一応分類してみたい。乾燥固形グループは丸美屋の「のりたま」を抱くふりかけ連盟。これが一方の雄だとすると、もう一方にはお茶漬け王国がある。そこは永谷園の牙城であり孤高の別次元だ!その両者に挟まれる形で半固形連合が存在しているのだ。

半固形連合の大将は桃屋「ごはんですよ」かもしれないが、ふりかけやお茶漬けほどの一般名詞化が進んでいない。だがこの連合にはカレーライスや牛丼すら含まれるといってもいいのではないか!?あるいはたまごぶっかけご飯のたまご+醤油も。これらも美味すぎる半固形連合のメンバーだ。

「丼モノ」や「レトルト」という大グループも形成されている。実はご飯の友半固形連合は大連合なのである!そこに新たなスター「食べるラー油」が出てきたことで半固形連合の裾野はさらに広がった。カレーライスを大型トラックだとすれば、半固形調味料グループは軽自動車といえる。

ギョーザ退治だけの特殊部隊だと思われていたラー油が、まさかの独り立ち!しかも他のご飯の友を圧倒する人気ぶりなのだ。

●ラー油との決別という未来はないか?

だが食べれば食べるほど、これはラー油である必然性があるのかという疑問がわく。あの食感はフライドガーリックやオニオンパウダーの貢献度が高そうだ。ならばラー油である必要があるのか?

ラー油といえばあの色と辛さ。それはインパクトがある。そして普通は単体で食べないはずのラー油をあえて「食べるラー油」と言っている。正確には「辛そうで辛くない少し辛いラー油」だ。「ラー油」は商品名としてもキャッチーだった。だが、少ししか辛くないのだ。つまりラー油のらー油たるアイデンティティを半分放棄しているのだ。

「食べるラー油」がここまで認知されたいま、残り半分の「赤さ」も不要といえないだろうか。ラー油でなくても、あの食感で食べられる調味料の地平は無限に広がっていないだろうか。塩味、醤油味、チーズ味、味噌味、どんな味でもこの食感フォーマットを踏襲すれば半固形連合の未来には広大なフロンティアが広がっているように思う。

ここまで本当に無意味な内容で申し訳なかったが、結論はラー油でなくていいからこの食感を大切に次の商品開発をして欲しいという桃屋へのエールなのである。しっとり系ふりかけという方向性も見出せはしまいか?そんな未来を夢見ながら夏休みを過ごしたってだけの話さー。

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2010/08/17

韓流、日流、ボク俺流、オーケー!?

しばらく書いてなかったので長文ですが、数日分だということで()。

1910年の日本による韓国の植民地化(日韓併合)から今年は100年目。長期にわたりNHKが朝鮮半島との2000年の歴史を振り返るシリーズを作ったり、8月15日(日本の終戦記念日=敗戦の日、韓国の解放記念日=光復の日)に両国の市民討論を放送したりした。

8月15日に『「韓流」と「日流」 文化から読み解く日韓新時代』(クォン・ヨンソク著・NHKブックス刊)を読み終えた。著者とほぼ同世代のボクは親近感を持って読んだ。韓国で日流ブームとなっている現状は、確かに日本で報道されることは少ない。

この著書のオリジナルなところは著者の体験談が随所にちりばめられているところだ。7,8歳の頃日本に転校してきた少年は、15,6歳の夏にソウルでニッポン放送の電波を探す。ちょうどぼくが山口県でオールナイトニッポンの電波を探していた頃に(笑)。韓国は軍事独裁政権後期だった。

●チョーセンジンをめぐる個人的な体験

著者が体験談を綴っているので同世代のボク自身のことも少し書いておきたい。中学生時代の山口県徳山市には朝鮮人学校があり(今はもうない)、クラスのK君らが「ヤツらが殴りこみにやってくる」なんて大声を出し集団暴行事件を起こしそうだった(実際はなにも起こらなかった)。K君は体格もよく明るく元気な男子だったが、朝鮮人学校への偏見は確かにあった。ボクは結構冷めて見ていたけど。

日本人を欧米人が「ジャップ」と呼ぶのと同じ感覚で、彼らを「チョン」と呼んでいた。ボクはそれを正したりしなかったし同調して言ったこともあるかもしれない。意地悪なあだ名は異民族だけに限ったことではなかったし。周りの親たちも声には出さないが差別意識がなかったといえばウソだと思う。付き合いのない身近な存在だったから余計にそうだったのかもしれない。得体の知れない隣人。それが在日朝鮮人だった。

日本姓のクラスメイトもいたが誰に教わるともなくその子が朝鮮人だとみんな知っている。「朝鮮人」がどういう背景を持ちなぜここにいるのかは知らないが「朝鮮人」であるということだけを知っていた。そしてそのことになにか含みがあるような大人の雰囲気を察知して子どももなんとなく接し方が変わる。著者が転校してすぐに「チョーセンジン」といわれ、植民地主義を内面化した少年であるならば、ボクも知らず知らずのうちに植民地主義に毒された少年だった。そんな時代だったと思う。

日本のオトナは何かにつけて「含みを持たせる」のが好きなんだ。社会人になってから特に実感する。日本人が最も得意な(特異な)建前と本音の使い分け。同和問題には敏感で教育熱心な土地だったが、在日問題についてはあまり学校で習った記憶がない。

●韓流ブームの日本と日流ブームの韓国

著書にもどろう。トランスナショナルな立ち位置、境界人(border-rider)として生きようと決心した著者だからこその視点、そして同世代人としてのある種の軽やかさが心地いい。

現代の韓国メディア事情と日本の韓国ブームの深化。21世紀に入って急加速しているこれらの現状を、著者の現場体験と金大中大統領以降の政策とを踏まえて考察している。

第Ⅱ部「日流」―韓国における「日本文化」―は大変興味深かった。著者が言うように日本の読者はこちらから読んでもいい。韓国では日本の小説人気が高い。その自由でクールな作風がウケているようだ。

海外からどう見られるかを気にする日本人には日本国内での韓流ブーム以上にインパクトも興味もあるニュースだと思うが、あまり紹介されてこなかった。日本のメディアにバイアスがかかっているとしか思えない(海外=欧米オンリーだからか?)。

ただ著者も言うように、そんな状況が大きく変化してゆく兆候があるのも確かだ。日韓新時代は日々進化している。キムヨナ(スポーツ)、ポン・ジュノ(映画)、4minute(K-POP)と短期間の間に虜にされたボクには特にビビッドな感覚だった。ちなみにキムヨナと4minuteのジユンは同い年(1990年生まれ)だ。

ボクがキムヨナに見たのは「勢い」と「自信」だった。それは韓国五千万人の思いを背負っていた半面、そういうしがらみから逃れてカナダでトレーニングを積み外国人コーチのもとで個人として取り組めた環境も大きいだろう。

●誤解を恐れず言う。東方神起はタイガースだと(笑)

ボクには苛烈な競争社会韓国への疑問がある。しかしそれは日本も通ってきた道だ。高度成長期にたまたま成果主義という“蜘蛛の糸”があったのだ。アクセルだけでは危険だが、韓国はいま、故障してピットインした後に、まっすぐなハイウェイを突っ走っていてブレーキを踏む必要を感じていない。

K-POPも日本でいえばGSだ(笑)。東方神起はタイガースなのだ。違うのはグローバルな市場が開かれているところだろう。そしてガールズポップもお手本があり、また受け入れられる土壌があった。情報は発信すれば入っても来る。韓国文化の強みはそんなところにもあるように思う。しがらみのないなかで、なんでもやってみようという機運とスピード(パリパリ精神?)がある。

ボクは常に草創期のごちゃまぜ感が好きだったから、きっとそんな韓国の若さに惹かれるのだろう。成熟したオトナの国ニッポンは予定調和で息苦しくつまらない。混沌としたなかでアイデアを競い合う世界が元気なのはあたりまえだ。

いま帰省中の山口県でこれを書いている。今日、大きな書店に行って『日韓併合 李朝滅亡・抵抗の記憶と光復 1910-2010』(片野次雄著・彩流社刊)を購入して読み始めた。

ついでに山口県の韓流ブームについて状況報告をしておく。書店には韓流ドラマ関連本が大量にあった!おそらく東京と遜色ないだろう。だがK-POP本はほとんど置いてない。音楽はまだまだ浸透しきれていないようだ。4minuteを山口県にも浸透させなければ!と思った(笑)。秋吉台とタイアップとか。秋芳洞も4分で見学者を魅了するだろ?오이데마세 야마구치에!(おいでませ やまぐちへ!= 야마구치에 와 주세요!)

●歴史問題についてもすこしだけ私見を

歴史問題は避けては通れない。だからまずは知ることから始めよう。韓国の歴史についてあまりに知らなさすぎる。日韓の歴史と聞いただけで耳をふさぎたくなる人も多そう。「もういいよ。どうせ謝罪しろだろ」みたいに。でも何を知ってるかといえばほとんど知らない。伊藤博文が殺されたくらいの知識しかない。

そこだけ聞いたらそりゃいい気はしない。伊藤博文は初代首相で千円札の肖像にもなってたような人だから。韓国人が嫌いな日本人の伊藤博文と豊臣秀吉は日本人が好きな歴史上の人物なので。秀吉の場合は立身出世の前半生と権力者としての後半生とのギャップがありすぎ、韓国人のよく知っている後半生の醜態をこれまた“知らない”日本人も多いだろう。

醜態には目を背ける国民性があるのかも。いいところ、楽しいところだけしか見なようにして生きる。厳しい現実には思考停止する。平和ボケというのか、身勝手というのか、でもそれが「シアワセ」だったのだ。幸せに生きる知恵ともいえる。お上もそれを利用して教育する。悲惨な現実にはもっと悲惨な現実を創造して差別し自身の現実から目を背けさせようとする。だが加害の歴史にこの幸せの法則は通用しない。そこに被害者がいるからだ。

最大多数の最大幸福の裏に生贄を必要とするシステムのなかで、人々は救いを求めて差別する。生まれる必要のなかった対立が人工的に生みだされその対立構造が憎悪の連鎖を引き起こす。権力に向かうべき憎悪が分散される。負のスパイラルだ。

朝鮮半島に限らず、日本は自らの加害の歴史を正面から見据えてこなかった。帝国主義という時代の風を正当化してみたり、窮余の一策だったと弁明してみたり、潔くない。個人的には天皇制という幻想を暴力で信じさせるシステムが論理を曲げる思考回路を組み上げてきたように思う。総無責任体制はいまも継続中だ。

あるいは加害者としての過去を恥だと思っていて、恥の上塗りはしたくないと心に壁を作って思考を停止しているのか。やったと言ってしまうと自身のアイデンティティが保てないのではないかという人もいる(首都の首長のような)。たぶんグローバル思考の訓練が足りないのだと思う。

国家が市民をも騙して戦争に駆り立てたわけで、市民のなかには国家と自分とを同一視してくれるなと考える人もいるだろう(ボクもかなりそういう面がある)。日本の市民も日本国上層部の被害者だ。それも歴史の一面として捉えておく必要はあると思う。

●暴力装置としての国家と統治ツールとしての差別

今も昔も国家とは搾取のための暴力装置であり、国民と国家とは同一でもなければ運命共同体でもない。国歌・国旗強制のアホらしさは国家の側に立つとまったく見えなくなる。侵略の不当性も同様だ。民主主義は国家の暴力から身を守るためのリスク管理手法として使えるからその面では支持する。だから民主的な憲法は権力者の手足を縛るのだ。

隙を見せると国家は自己の内面に入り込んでくる。人心を取り込もうとする。それを是とする人もいる。それはそれで自由ではある。ボクは日本人を「個人が個人主義的に全体主義を志向する国民」だと書いたこともある。それがある種の強さでもあっただろう。韓国人にも似た性向を感じることがある。ただ国家主義が多数を占めると、暴力装置のブレーキが効きにくくなるのだ。リベラルであろうとする意志が多数であるほど平和は保てるとボクは思う。

また差別の問題も根深い。日本には自国民のなかでさえ差別によって階級秩序を保とうとする根深い闇が現在もある(韓国にないとは言わない)。これが戦時の他民族であればなおさらだ。「人間の業」といってしまうとあまりにも知性が乏しい。差別を克服すべく見据える必要がある。加害の歴史の克服という面ではつながっているからだ。はじめから克服できなくてもせめて差別する自分を自覚する必要がある。

日本は特異な国だ。敗戦しても天皇制は続き、官僚機構も温存され、早々に経済大国になり、戦後の歴史こそ“神風”かと思うような奇跡的な成功を果たしたように見える。さらに唯一の被爆国でもある。原爆であらゆる代償を支払ったように思えてしまうのも致し方ない。だがここは分けて考える必要がある。被爆の歴史が消えないように、加害の歴史も消えない。どちらも日本だ。被害者と加害者のどちらの痛みも分かるはずだ。加害の痛みを認めてこそ、被害の痛みを伝えることが出来る。

アジアにおける反日教育の禍根も大きいが、近現代史をほとんど教えない日本の愚民化教育もまた未来に影を落とす。無知な両者が売り言葉に買い言葉で反応するだけじゃ進歩がない。どの国も偏狭なナショナリズムはなくならない。そこにいちいち反応していては木を見て森を見ずになる。

●日本人が解放されるきっかけとしての日韓併合100年に

韓国の植民地化問題について学校でどれほど時間を割いていたかわからないが(覚えていないレベル)、学校でゆがんだ近現代史教育をあえてされなかったことが奏功し、フラットな状態で自発的に学びなおそうという機運が高まればよいことだ。歴史認識には最低限の知識は必須だ。ディテールよりも大づかみの歴史を押さえるくらいでいい。

知らないのに韓国嫌いというのもおかしいが、知らんのに韓国好きってのもなんだかおかしい。いや好きだから自然と知ろうとする。そもそも同じ自由主義経済圏のメンバーで隣国なのにほとんど知らない。なにも専門家になる必要はない。ディテールにこだわって針小棒大にあさっての議論をふっかけるのが好きな人もいるけれど、そういうのは飲み屋でやらせておけばいい。

まだ戦争体験のある人々が生きている。それが日韓併合100年の今年だ。知ろうとする意志を持つきっかけにしたい。同時代人として。

最初にあげたクォン・ヨンソクの著書にサルトルのいい言葉があったので、その言葉と、それを受けて作家のソ・キョンシクが解説したという言葉があるので、少々長いが引用して終わりたい。

-----(引用ここから)-----
フランスの哲学者サルトルが「植民地主義は一つの体制である」、ゆえに「アルジェリアが独立することは、アルジェリア人だけではなくフランス人をも解放することだ」と述べたことに関し、在日の作家であり研究者であるソ・キョンシクは、次のように解説する。

 「植民地主義というのは一つの制度であり、その制度を支えるイデオロギーである。そのイデオロギーを無言のうちに支持する多くの人たちの文化とか思考方式とかの、その集積です。これに終わりを告げるということは、その制度そのものに終わりを告げることであり、その制度を支えていたイデオロギーや文化を乗り越えるということです」
-----(引用ここまで)-----

韓国人の解放はまた日本人の解放でもある。植民地主義というイデオロギーから解放された日本人としてポストコロニアルをどう生き、どう生きてゆくか。いま時代はそう問いかけている。K-POPに乗って

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2010/08/10

もうひとつジユンアバター


いったいオレは夜中になにをやってるんだ...と冷静になってる場合じゃない(笑)。

だって面白いんだもん!アバター作るの。

というわけで、本格的なアバター作成サイトで作ってみました。ここ

ここのパーツくらいそろってると、4minute全員作れそう!

やらないけど...

しかし難しいもんですね。アバターで似顔絵って。

もちろん写真を読み込んでリアルにできるアバターもあるようですが、そういうのはつまらない。

限られたパーツのなかで作るのがいいんじゃないでしょうか。

もう寝ます!!

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2010/08/09

ポミニのジユンちゃん風アバター(笑) #4minute

Jiyoon_icon전지윤쨩의 아바타를 만들다 봤어요

비슷해요? ㅎㅎ

하지만 스타일이 비슷하지 않아요 (

아직 서비스기능이 없어서

전지윤씨,미안해 미안해ーーー

----( 일본말 )------
チョン・ジユンちゃんのアバターを作ってみました

似てますか?ふふ

でも、スタイルが似てません (

まだサービス機能がなくて

チョン・ジユンさん、ごめんねごめんねーーー

----------
翻訳サイトに韓国語で入力しながら書いてみました。日本語を翻訳したんじゃ復習にならないからさ。韓国語講座初級Ⅰレベルではここまでかなぁ。でもそこそこ意味は通るかな?

ただ「ごめんねごめんね」は習ってませんので日本語から翻訳。もちろん4minuteが覚えたU字工事風のイントネーションでお願いします(笑)。韓国語だと「ミアンヘミアンヘーーー」かな?連音化して「ミアネーミアネーーー」かも。

アバターやサービスって外来語も適当に韓国語風の綴りで翻訳サイトにいれたらうまくカタカナに翻訳されました。あってるのかな?

あと「ふふ」って擬声語(オノマトペ)は4minute公式ブログのジユンちゃんのコメントで学びましたよ!

なにかニュアンスの違いとか文法などの間違いに気づかれた方は教えてください!

てか、ジユンに似てるかどうかのほうが大切!体は追加機能になるのかな???

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2010/08/07

雑誌の表紙になっちゃいました(笑)

Popnpoll_or_rocknroll_magazine


ここで作りました。

記念写真なんかをちょっとお遊び感覚で雑誌の表紙風に出来るサービス。有償で高精細印刷も可能らしいです。日本に送ってくれるのかは不明。

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2010/08/06

朝から韓流の番組ザッピング

twitterが朝からオーバーキャパシティで書き込めないのでブログでつぶやくことに...。

昨日、韓流チャンネルのMnetとKNテレビジョンと契約した。その結果、4minuteの出演する番組を視聴できる機会が劇的に増えそうだ!

今朝もこの2チャンネルにKBSを加えた3つをザッピングしてたら、7時からMnetでMODという番組が始まり、いきなり4minuteのスタジオライブ映像だった。

朝からふいにチョン・ジユン씨に出会える喜び

日本の音楽番組をほとんど見なくなって久しいが、これからはK-POP中心の音楽生活になりそうだ。

4minuteのチョンジユン・命なんで、浮気するわけじゃないけど()、昨日なにげなく観ていたM Countdownバックステージに出演してたナルシャ(나르샤)ってなかなかいい。

昨日はレディー・ガガみたいな髪型でしたけど、「ピリパパ」って曲は中毒性がある。

ピリパパピリパパピリパパピリパパ

このアリババをイメージしたかのような西アジア系の印象的なメロディのリフレインはヤバイ(笑)。

思わずオルンチョ指差しダンスをしながら、

ピリパパピリパパピリパパピリパパ

とやってしまったぞ。

あとしゃべりがオモロイ。さすが29歳(か27歳?)、オトナなベシャリだ(笑)。韓国語はまだ聞き取れないけども雰囲気が(

まさに韓国音楽業界は宝の山だった。

だが最後にもう一回言っとくけど、オレはジユン・命だ!

うーむ、140文字を完全に超えてしまった...。

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2010/08/02

韓国語学習はちょっと夏休み(汗)

新大久保語学院の動画通信講座で受講して来た韓国語講座。「初級Ⅰ」は明日が最終期限です。サーバダウンで一週間伸びて8月9日までは受けられるけれど、一応全20課終了しました!

ある意味、4minuteのチョン・ジユン씨との握手が卒業イベントとなりました)。なんて贅沢な卒業式でしょうか

ただ、終了はしたけど“修了”できているのだろうか

まだまだ「初級Ⅰ」です。卒業というより進級しなきゃ意味がないわけです...。

●韓国カルチャーの思い出

キムヨナへの道ポン・ジュノへの道、そしてチョン・ジユンへの道、韓国語を通してさまざまな分野に興味が出てきました。ボクの趣味を広げるパターンは子どものころから「人物中心主義」だったので、今回もそのパターンです(笑)。英語圏にもたくさん好きな人がいるのになぜ英語がしゃべれないのかはともかく()、韓国語をはじめてみたわけです。

子どものころに遡って考えるに、ボクにとっての韓国といえばまず映像作家のナム・ジュン・パイクが思い浮かびますね。YMOつながりですけれど。ビデオとテレビという“箱”を使った前衛的な作品群に近未来を感じました。

そしてテイ・トゥワ。YMOつながりですけど2(笑)。あのメガネがジユンに通じるよね(>むりやりだろ、それ!)。Deee-LiteのLove Is Everythingは夏の定番だったよ!けだるいハイファイサウンドっつーか。これ書いてたらあの頃を思い出した。今日ディーライト聴きながら寝よう(>きっと眠れなくなるから1曲だけね)。

あとアートの世界でH嬢に教えてもらったチョン・クァンヨンの韓紙アートとか。そのくらいしか思い浮かばないイルボンサラムでした。

それが一念発起して韓国語を学ぼうっていうんだからわからないもんですねぇ。まぁモノになるのかは定かでないわけですが。キムヨナ自伝を読むというコンセプトを一応の修了検定として設定しています。まだまだ道のりは遠い!

●夏休み単語強化月間を経て初級Ⅱへ(予定

さて、「初級Ⅰ」が終わったら「初級Ⅱ」に進むのが世の習い。しかし8月は夏休みで結構パソコンに向き合えない時間が多そう。そこで「初級Ⅱ」は秋までおあずけに。今度は六ヶ月だから、半年間の予定が組める期間を選ばざるを得ないわけで。もっとも動画通信講座はいつからでもはじめられるのがメリット。9月から2月という線で考えてます。

しかし一ヶ月ブランクを置くのは怖いので、単語強化月間と位置づけたい。それと初級Ⅰの復習。どう考えてもライティングが弱いので、単語を強化しつつ、その単語を使って習った文法事項をひたすら書きまくる夏にしたいと思ってます。これならテキストとノートとシャーペンがあればどこでも出来るし。

もっともそんな学習計画がうまく行った夏があったか、子ども時代からふり返ったほうがいいんじゃないか...そんな思いもなくはない(笑)。

ついでに書けたらそれを大声で読み上げたい。声を出して読める時間がこれまた少ないので。キムヨナ自伝を読むだけなら発声はなくてもいいんだけど、ジユンに一言だけでも伝えられた体験から、しゃべれなきゃもったいないと思えてきたので。モチベーションは結構あがってます。今後もあげていきたいもんです。

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