去り際の魔術師!ハーバード白熱授業
ウルトラマンはかつて「正義の味方」と呼ばれた。ボクたちはそんなウルトラマンを正義そのものだと錯覚して応援した。しかし少し大人になって気づく。「正義の味方」は「正義そのもの」ではないのではないか?ウルトラマンが味方する正義とは何か?正義の内容が変化しても常に正義に味方するウルトラマンなる存在は単なる権力者の犬ではないのか?
そんなことばっかり考えていたので大学受験に失敗したりしたのだが(笑)、もしハーバード大学のサンデル教授に出会えていたら、正義について、ウルトラマンについて、もっと深く思考できたかもしれない。
NHK教育テレビで始まった「ハーバード白熱授業」も第6回放送が終わり半分まで来た。ここまでで「純粋理性批判」で有名なカントの厳格な道徳性の理論についての講義が終わった。本格的に深めたい方にはNHKの番組サイトに参考図書が掲載されている(ディスカッションガイド)。
講義の真の価値は参考図書の読みこなしを土台として成り立つ。テレビではある種講演的な面白さに満ちている。まさに哲学のエッセンスをコンパクトに詰め込んだ講話のようなものだ。だからハーバード大学もエッセンスとしての講義の公開を許したんだと思う。知的エンターテイメントとして非常に魅力的な番組であり、マイケル・サンデル教授は優秀なスピーカーだ。
哲学講義の内容についてはとりあえず各自取り組んでいただくこととして()、どうしてこんなに面白いのかを考えてみることにしよう(サンデル風に)。
●つかんで、いじって...魔術師の職人技
まず、サンデル教授は“つかみがオッケー”な教授だ。この番組の面白さの説明で常に使われてきた「5人を救うために1人を犠牲にすることの是非」は、まさに第1回放送の“つかみ”の部分だった。そのつかみをさらに掘り下げながら授業は進む。授業の動機付けが非常にうまい。ダチョウ倶楽部もビックリだ。
そして“客いじり”だ(笑)。客と言ってもハーバードの学生たちだが。1000人もの学生相手に対話型の講義を行なうのはかなり難しいだろう。スパイダーマンの着ぐるみを着てテレビに映りに来ていたヤツもいた。
客いじりの難しさは反射神経で対応しながら、場を思い通りの方向に進行していかなければならないところだ。どんな回答が出ても面白ければオッケーな番組ではなく、授業であればなおさら。サンデル教授は手を挙げて発言する学生の話をしっかり聞き、主旨を理解し要約し、他の意見も聞きながら、対立意見どうしを比較検討して捌いていく。その臨機応変なクレバーさも魅力だ。
そして発言した学生の名前を必ず聞く。いや厳密には必ずではなく、それなりに聞くに値する発言(賛成・反対は問わない)の学生の名前を聞き、「○○はこういっているが反論がある人はいるかな?」とさらに投げかけたりする。そうやって複数の学生の意見を聞きながら授業を組み立てていく。まさにライブだ。この要約上手な才能が、哲学をコンパクトに整理するスキルと同一であることは間違いない。だからテレビ栄えするんじゃないか。
そして授業の終わり方が絶妙にうまい。「次回はこの問題について考えていこう」みたいな期待を残した次回予告をして、クルっと後ろを向く。それが1コマ終了の合図でホールを去る学生のざわめきが会場を包む。最近は拍手すら起こる。このドラマ的な空間処理!まさに去り際の魔術師なのだ。
テレビでは1コマ30分だが、「つかんで、いじって、クルっ」というこのパターンが鉄板なのだ。
●米国流正義の“見せ方”
例えばスタートレックを見ても分かるように、米国には「正義の味方」ではなく「正義の見せ方」が抜群にうまい人々がいる。正義や道徳的価値観は押し付けられると反発したくなる。しかし見事に誘導されると陶酔感すら得られる。正義や道徳的価値観を魅力的に語ってみせる技術は、きわどい人間性のバランスを突く多民族国家アメリカの文化という捉え方も出来るかもしれない。
ただそのような「正義の見せ方」は危険をはらむ。「正義とは何か」という根源的な疑問を脇に置いて正義らしきものに陶酔してしまう危険だ。その振り子がおかしな方向に振り切れたとき、米国の利己的な正義が露見することもある。
その点サンデル教授は功利主義批判の急先鋒でありコミュニタリアン(共同体主義者)というところがいい。ウォール街が象徴する強欲資本主義は強力な功利主義だが、それを真っ向批判し「正義とは何か」を学生に考えさせる。サンデル教授の講義する動機には、どんな正義があるのかを聞いてみたい気がする。
NHK教育テレビでの放送は日曜18時から毎回2コマで放送されている。次回もサンデル教授の去り際に注目しながら見ていくことにしよう()。
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