google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 「無知の涙」を読む前のガイドブックとして: ひとくちメモ

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2010/05/30

「無知の涙」を読む前のガイドブックとして

今朝『永山則夫 聞こえなかった言葉』(日本評論社)を読み終えた。巻末の年表を読むと今日5月30日は、永山則夫の死刑確定後に出版された『異水』(河出書房新社)の発売日だった。1990年刊行だからちょうど20周年になる。この年の5月8日に死刑が確定。それから7年後の1997年8月1日に48歳の永山則夫は刑死した。

永山則夫の著書ではもっとも有名な『無知の涙』も購入しているが、その前に『永山則夫 聞こえなかった言葉』を読んだのは個人的には良かったと思う。著者の薬師寺幸二氏は現役の家庭裁判所調査官で永山則夫と同い年だという。映画「裸の十九才」も1970年の公開当時に鑑賞されている(当時薬師寺氏は20歳の大学生)。1970年は第二次安保闘争や三島由紀夫の割腹自殺の年だ。

著者は映画のナレーションで流れた「私は生きる、せめて二十歳のその日まで」という永山則夫の言葉を20歳で聞き、家裁調査官になった後も同時代にまったく違う人生を歩み連続射殺魔となった永山則夫のことが頭を離れなかったようだ。そして調査官としての経験を積んだ2006年、家裁調査官として永山少年と対話するというシミュレーションを通して、永山事件へと続かざるを得なかった少年の心の闇や今日的テーマでもある少年犯罪の再発防止について述べられている。

永山則夫との対話シミュレーションを書籍にしたという部分がウリのような宣伝文句だったが、実際は対話シミュレーション部分は少ない。それがかえって信頼感につながっている。架空の対話よりも、永山則夫が残した小説群を調査官らしい分析を加えながら読み解くその冷静な筆致に好感が持てた。

また非行少年と犯罪少年との傾向の違いや、少年の置かれた法的立場が単に年齢だけで輪切りにされている危うい現状を説明しながら、当時の調査官の判断の是非、環境的な限界等についても現場から述べられている。

永山則夫が小説を書いた時期は死刑囚ではなく無期懲役の時期だった。この時期の永山には刑死から解放され生きる希望が芽生え、その発露としての小説があったという。永山の小説執筆を薬師寺調査官は「奇跡の生き直し」と捉える。

死刑宣告によって自身の「生」をはじめて意識し、その後東京高裁の無期懲役判決によって過去を振り返り更生へのステップを歩み始めたのではないか。著者は永山則夫が無期懲役の約10年間だけ小説を書いてきたところに焦点を当て、「死刑囚でなかった期間の作品であるからこそ、“犯罪者が更生”に向かうために何が必要か」というテーマへのヒントが隠されていると思う。」という。

●死刑と無期懲役との狭間で

もし永山則夫が無期懲役のまま執筆を続けていたら、永山事件について執筆していただろうか。したような気がする。生きていれば今年61歳になる永山則夫は生き直しを通して自身の少年時代を振り返った。その延長に連続殺人事件があり死刑判決があり無期懲役がある。

生き直した永山則夫と連続射殺魔永山則夫との間にある断絶は避けて通れないはずだ。たとえそれがマルキシズムに影響された敵としての資本主義社会への挑発であったとしても、永山則夫には最後まで語る(語らせる)責任があったように思えてならない。しかし再審での死刑確定によって永山の小説執筆も途絶えた。核心にたどり着くまえに司法は粛々と刑を執行してしまった。

死刑の社会的意義を考えずにはいられない。永山則夫の死刑執行は、ちょうど神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)のあった年だ。この事件と永山の死刑執行との関連性は様々に論じられたが真相は分からない。

社会病理としての凶悪犯罪者という視点を持つと、罰としての死刑は社会にとってどのような意味があるのか疑問が残る。なくならない凶悪犯罪をこれからも極刑への恐怖で抑止するのか、次の凶悪犯罪を防止するために過去の経験を活かすのか。

凶悪犯罪は確かにレアケースであり、そこまで行った犯罪者は更生の余地もなく抹殺するしかないのかもしれない。だがその凶悪さの原点の在り処をしっかり引き出すことが、凶悪犯罪につながる微罪の連鎖を防止する鍵になるかもしれない。

それは貧困や家庭環境などの表面的な部分だけでなく、どのような環境であっても凶悪犯罪という結末を迎えるにはそれ相応の動機が必ずあるはずだと思う。そしてその原点を知る数少ない機会が、いまだなくならない凶悪犯罪そのものである(でしかない)という現実認識を持つ。ゆえに死刑制度の存続に反対とまで言い切れないながらも死刑執行には懐疑的な私です...。

本日22:00からの教育テレビでは「死刑裁判の現場 ある検事と死刑囚の44年」という興味深い番組が放送される。死刑について考えるきっかけにしたい。

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コメント

たまたま、テレビで永山則夫のことをとりあげた番組を
放映していたので、薬師寺幸二さんの『永山則夫聞こえなかった言葉』を読みました。深く考えさせられる本でした。彼の場合は無期懲役の期間がもっと長かったら
もっと社会がいろいろ学ぶことができたのに、と残念です。家庭における愛の大切さを痛感しました。
コメントを読ませていただき、ありがとうございました。

投稿: 山川紘矢 | 2010/07/17 11:35

山川紘矢さん、コメントありがとうございます。

その番組見たかったです。昨年のETV特集(ギャラクシー賞受賞)も見逃していて()。

永山則夫の時代は戦後の高度成長の時代でしたけど、貧困や家庭の問題が単に国が豊かになるだけでは解決されないということも物語っているようにも思います。

凶悪犯罪につながる微罪はあらゆる精神的貧困から発生する可能性がありそうですね。

国家もそろそろ経済成長以外の成長戦略を描く教育福祉行政に傾斜して欲しいと個人的には思っていますが、経営破綻に向かう日本の現実は永山則夫の時代以上に危機的な環境のように思えてなりません。

投稿: ポップンポール | 2010/07/17 12:36

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