google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 2010年ポン・ジュノの旅: ひとくちメモ

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2010/05/03

2010年ポン・ジュノの旅

4月下旬にDVDBDが発売されたポン・ジュノ監督の映画「母なる証明」を見た。ものすごい映画でとにかく人に薦めたいのだが、ネタバレを気にしない私ですらそのクライマックスを書くのは躊躇する。宣伝には相当苦労したんじゃないか。

ユリイカ5月号がポン・ジュノ特集を組んでいるのだが、ある記事に「*この論考は、いわゆる『ネタバレ』をしています。」と断り書きが入っていた(笑)。

殺人犯の容疑をかけられた息子、怠慢な警察や弁護士、無実を証明するためたった独りで立ち上がった母親。これらの宣伝文句がいったいこの映画を紹介したことになるのだろうか 間違っちゃいないがミスリードでもある。「母なる証明」はそんな映画じゃないんだ。

この映画を撮ったポン・ジュノ監督は「殺人の追憶」と「グエムル 漢江の怪物」で興行的にも成功し、「母なる証明」も期待に違わない作品となった。...と書きつつ、私が観た最初のポン・ジュノ作品はBDの「母なる証明」だった。

他の映画も手元にあるがまだ見ていない。「グエムル」の公開当時には観たくて仕方がなかったのだが、怪獣映画という宣伝文句がどうにもひっかかって観なかった。おそらくそれもミスリードだったんじゃないか?正直「母なる証明」の監督が「グエムル」の監督だったことも知らなくて()。知らなかったから「母なる証明」を観たともいえる。そして「母なる証明」を観た後、やっぱり「グエムル」をしっかり観ておこうという気分になった。

私が「母なる証明」1本でポン・ジュノ監督の作家性に強い興味を抱いたように、おそらく他のポン・ジュノ作品を観た人も同じかもしれない。映画ファンのお友達takさんのグエムル評には「人間がきちんと描かれている」とあった。“怪獣映画”という宣伝にミスリードされては本質をつかめないということだと思う。

ポン・ジュノ監督が宣伝しずらい重層的かつサプライズのある映画を撮る人だとわかれば、もう宣伝文句のミスリードなんて関係なくなる。ポン・ジュノという名前が最大の宣伝効果になっている。

私にとって2006年がソダーバーグ監督の旅だった。4年後の今年2010年は完全にポン・ジュノ監督の虜だ。キムヨナからはじまった私の“遅れてきた韓流ブーム”はいま、ポン・ジュノ監督という新しい展開を迎えているのであった()。

●強い作家性を感じた「母なる証明」

「母なる証明」のDVDには監督や出演者のインタビュー映像も収録されていて大変参考になった。まず驚いたのはこの作品がオリジナル脚本であったこと。しかしよくよく考えればオリジナルだからこそのサプライズだった思う。

主演のキム・ヘジャを先生(선생님=ソンセンニン)と呼ぶポン・ジュノ監督。先生には必ず敬称の님(ニン)をつけると韓国語の通信制講座で習ったので、特典映像のポン・ジュノ監督とキム・ヘジャさんの対談で「ソンセンニン」と呼んでいるポン・ジュノ監督を観てなんだかうれしかった(笑)。

そもそも「母なる証明」はキム・ヘジャ主演で映画を撮りたいというところからはじまっているそうだ。“韓国の母”を長年演じてきたという。そんな平和そのものの母親のイメージが「母なる証明」では見事に裏切られる。

キム・ヘジャ先生は日本の女優で言えば京塚昌子のようなポジションといえるだろうか。京塚昌子がこの映画の主演だったら?と想像するだけで、その突拍子もなさが理解できる。向田邦子ドラマにおける加藤治子だったらあり得るかもしれない。

オープニングから強いインパクトで観客を揺さぶる。キム・ヘジャ先生が草原で身体を小刻みにゆすり踊り始める。その唐突さがまったく想定外の物語の始まりを予感させる。そこにオープニングの音楽が重なる。このギターがたまらなくいい。乾いているのに憂いがある。思わずサントラも購入し寝る前に聴いてる。

DVDの特典インタビューからこの映画をうまく表現できそうなことばを探した。そして見つけたのは「道徳的なジレンマを認めつつも、母性に極限はあるのだろうか」というキーワードだった。その母性の極限をキム・ヘジャ先生に演じてもらいたかったとか。そのために作った脚本だといえる。

またプロデューサはこの映画を「100%商業映画」だと言った。コントラストの低い映像で題材も明るくはないが、ストーリ展開に観客を引っ張る力がある。そして衝撃的なクライマックスと、オープニングに新しい意味を付加するようなエンディング。みごととしか言いようがない。

だが宣伝するのが難しいという思いは変わらない。いかにもジャンル映画のようでいて裏切られる。だから面白いのだが。ポン・ジュノ監督を信じるしかない。この監督は映像先行型だと思う。映像があり役者がいて勝手に物語が膨らんでいくタイプのようだ。魅せ方の技術とこだわりの核になる作家性がブレないから、どんな設定の映画であってもポン・ジュノ色に染まる。それが信頼につながる。

最後の最後に息子のトジュン(ウォンビン)が母に「落としちゃだめじゃないか」というセリフがある。ここはシナリオ段階では「遠くに捨てて来い」だったそうだ。この違いの大きさ 監督がメイン脚本家でなきゃ出来ない変更のようにも思う。細部への配慮、全体構想力のバランス、そしてフットワークの軽さが光ったエピソードだった。

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