教育テレビが面白すぎる!
最近の教育テレビが面白すぎる。昨年まで教育テレビ欄がなかったテレビ情報誌にも教育テレビの列が設けられたりして、ある種の教養情報バラエティ番組枠として無視できない存在となってきたようだ。
民放のゴールデンタイムには相変わらず小学生レベルのクイズ番組や笑えないバラエティ番組が多くて辟易している。たまに見るには面白いのかもしれないが、これだけ似たようなカラーの番組ばかりになるとテレビをつけているだけで疲れる。ついついケーブルテレビやBSに換えてしまう。
そんな状況のなかで一際目立つのがNHK教育だ。ETV特集系は昔からあったが、通常番組で特筆すべきものが次から次へと出現してくる。いやはや驚きの企画力と実行力だ。何年もまえから教育テレビが変わる芽のようなものはあったと思うのだが、その芽が育ってきたということなのだろうか。人材的にも実権を握ったみたいな。
教育テレビ50周年の記念番組はある種のリサーチだったのかもしれない。例えばそこで人気投票上位に来ていたYMO出演の「YOU」とか、オフコースのドキュメンタリー「若い広場」などを通じて、制作者は“宝の山”を発見したのかもしれない。
佐野元春の「ザ・ソングライターズ」のあと、井上陽水の「LIFE」や「こだわり人物伝」の高田渡等、ミュージシャンを採り上げることも増えた。そして先日始まった坂本龍一の「schola」に至っては真打登場って気分だ。いつか中島みゆきさんにも教育テレビにご登場願いたいと密かに期待してもいる。
また「教育テレビ」という既成概念を逆手にとって差別化できるという面もありそうだ。例えば「グラン・ジュテ~私が跳んだ日~」でモデルSHIHOの回を思わず録画した。遠藤憲一のナレーションもGoo!しかしこれは「情熱大陸」とか「波乱万丈」とかのジャンルであって、いわゆるかつての教育テレビ的ではない。
だが教育テレビで流れることによって、視聴者側にある種の能動的モチベーションを発揮させる装置になっているともいえる。娯楽番組なのか教養番組なのかは視聴者側の意識の問題だ。それを喚起しやすいのが教育テレビという“場”かもしれない。
何からでも学ぶことは出来る。民放の小学生クイズから学ぶ事だってあるだろう。民放が教養番組に近づき、教育テレビは娯楽番組に近づく。しかしチャンネルを合わせる視聴者にとって「教育テレビ」という行儀の良い場所は、まだなんとなく姿勢を正して観たい枠で、そこで放送されている内容への信頼感や安心感は高そうだ。
そうやって教育テレビの敷居を下げておいて、テレビ欄で無視できない存在にしておいて、硬派な番組を流されると眠っていた知的好奇心が呼び覚まされる(笑)。例えば日曜の新番組「ハーバード白熱教室」なんて究極の教育テレビだ
こういう番組を待ってたんだよ。哲学とか道徳、あるいは正義についての講義をこれほど面白く教えられるサンデル教授の存在そのものが興味を駆り立てる。人間の生死がかかった場面での究極の選択をとっかかりに、倫理とはなにか、正義とはなにかについて討議する。こうして文字にするとこの番組の面白さは伝わらないが...。ハーバード流真剣10代しゃべり場(笑)。全部観たい。
アニメでも「スターウォーズ・クローンウォーズ」なんてやってて、これも見逃せない。何の教育なんだ?CG技術か?ストーリーテリングか?なんだっていいけど!
いまの教育テレビはある意味ゆとり教育を実践しているのかもしれない。本来のゆとり教育の「ゆとり」とは、学校教育からこぼれてしまった大切な学びを体験する時間だった。それが単なるスカスカ授業に読み替えられ、ゆとりは休みとか昼寝と同義になってしまった。
サンデル教授のような授業は日本の画一的学校教育では出来ない。言い方をかえれば、そんな授業をするゆとりが学校にない。詰め込み教育の復活でさらにゆとりはなくなる。もっともスカスカ授業よりはマシかもしれない。
経験的には学校で学ぶから嫌いになる場合が圧倒的に多い。これも言いかえれば、学校教育からはみ出したところで学べれば好きになる。青年は反抗的な生き物なのだ。
そのとっかかりとして教育テレビには可能性がある。昔ながらの教育番組は学校教育の補完的なものだったが、その枠を取り払い「学びとは能動的なもの」という本来の姿を取り戻させてくれるかもしれない。むかしフジテレビが「楽しくなければテレビじゃない!」と言っていたが、時代はいま「楽しくなければ学べない!」ということだ。
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