google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 「八日目の蝉」第5話視聴直後のドキドキ感のまま書いてみる: ひとくちメモ

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2010/04/27

「八日目の蝉」第5話視聴直後のドキドキ感のまま書いてみる

いやはや、希和子(檀れい)が捕まる瞬間までのドキドキ感はたまらない時間だったなぁ。ドラマを見ていてこんなにハラハラしたのは久しぶりかも!原作小説を読んでなお、いやドラマの途中で読んだからこそのドキドキ感かな。

とうとう薫との別れのときが来てしまいました...。来る来ると思いながらの第5話だったわけですが、本当に来てしまうんですねぇ()。

でも久美(坂井真紀)との再会と別れがあったのはよかったぁ。これはドラマ脚本のオリジナル。原作では久美とはあと一歩で会えなかったから、小豆島で久美に会えたパラレルワールドはよかったなぁ。

脚本の浅野妙子さんはこのあたりの取捨選択をどのようにされてたのか興味あるなぁ。DVD化のときはそういうコメンタリーが欲しいなぁ。そしたら買う。録画してるけど買う。

パラレルワールドという意味じゃ、文治さん(岸谷五朗)と希和子とのつかの間の出会いと別れも良かった。数少ない男性陣のなかで大活躍の岸谷五朗。朴訥な島男役は見ごたえあったなぁ。

この小豆島で希和子がずっと守られて逃げおおせるパラレルワールドすら見たくなった。久美の母(吉行和子)や文治さんだったら、ずっとかくまってくれそうじゃないか。まぁそんな人々との別れがあるからドラマになるわけだけど。

最終回はどうなるのだろう。とうとう逮捕された希和子。薫と引き離されたとき、最後に希和子が叫んだ言葉が謎のまま最終回へ持ち越された。小説では大人になった薫がふと思い出すあの言葉。おそらくドラマでも重要なところで登場するんじゃないかと思う。

第1話で「子どもを生めないガランドウ」と罵られ誘拐犯となった希和子が、最後に叫ぶ言葉はこれしかないと思うから。ここは外せないと思うんだ。シチュエーションは違うかもしれないけど。

小説ではニヒルな大人の薫がその言葉を思い出し、そこに「母性」の存在を知る。ドラマだともっとエモーショナルな演出になるのではないかと思ったりする。違ったらめんごでやんす。そうやってアレコレ考えるのが楽しいんで。

そして久美と再会できたように、大人になった薫と出所した希和子がドラマでは出会えるのか出会わないのか。出会って欲しいような欲しくないような...。出会うとしてもニアミスなのか、しっかり自覚できるのか

くそーっ一週間が長すぎる!早く解放してくれ!みんな幸せになってくれ!

実は昨日韓国映画「母なる証明」のブルーレイを観てるのよ。「八日目の蝉」と「母なる証明」にどっぷりつかってる今週なのです。

ドラマ「八日目の蝉」の最初の感想を書いたとき、ジャスティスとジャッジメントというキーワードを提示してみました。「母なる証明」も「八日目の蝉」も、まさに正義と審判を迫る2つの物語!この連荘は正直きっついぜよ。でもこのきつさがたまらなく幸せなのであった!

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