ドラマ「八日目の蝉」
日曜にNHK教育で「ハーバード白熱授業」を見て、火曜にはNHK総合でドラマ「八日目の蝉」を見る。個人的にいまもっとも熱いテレビ番組はこの2つだ。どちらにも共通するテーマはジャスティスとジャッジメント。つまり正義と審判ではないだろうか。白熱授業は全12回なのでまだ余裕があるが、八日目の蝉は全6回の半分が終わってしまったので、今回はドラマについて書いておきたいと思った。
そのストーリーも設定もキャスティングもセリフもあらゆる要素(=ドラマツルギー)に引き込まれた。不条理の連続のなかで視聴者は何が正義であり、なにをどう判断すれば良いのかを問われる。
客観的に見れば主人公は誘拐犯で逃亡生活を送る犯罪者だ。しかしこれは犯罪ドラマじゃない。安易なお涙ちょうだいドラマでもない。ヘタに触れると火傷しそうな人間ドラマだ。ベタな言い方で恐縮だが...。
妻と別れると言っていた不倫相手に子どもが出来たと報せると一転中絶させられ、その結果子どもを生めなくなり、さらに不倫相手の妻が子どもを産み、その妻に「子どもをおろしたからっぽのガランドウ」とまで罵られる。その結果、不倫相手の赤ん坊を盗んで逃亡してしまう主人公。
初回からこの「からっぽ」というセリフは強烈だった。不倫相手の妻の側の目線に立てば感想もまた違うのだろうが、主人公に感情移入するにはこのくらい貶められなければ難しいことも確かだ。誘拐犯なわけだから。
さらにこの不倫相手の夫婦とだけでなく、永遠に理解しあうことのない様々な断絶の形がいくつも登場する。「エンゼルさんの家」という新興宗教チックな共同体や、そこにしか居場所のなくなった女たちの過去。そして誘拐された子の現在...。
視聴者はその都度、いったいどこに正義があり、どちらの側に立って感情移入していくのかを迫られるのだ。完全な正義などどこにもない不条理なこの世界とどう折り合いをつけて生きていくのかを考えさせられる。裁判員制度の予習してる気分ともいえそう(?)。
不条理に明確な克服方法はない。不条理といえばカミュだが、カミュのように不条理をあえて不条理のまま受容するという、ある種の達観だけがあるようにも思える。それは矛盾を矛盾として受け入れる、無意味を無意味なものとして生きる。そんな人生そのものに直接突き刺さってくるテーマなわけだ。この受容のうえに寛容さや謙虚さが宿り、人は人として成長し判断できるようになる。
おそらくこのドラマに明確な回答はないだろう。どうすることが正しかったのか、正しければ正解なのか、そもそも正解でなきゃならない人生などあるのか。全6回ではあるけれども、その後も尾を引きそうなテーマだ。終わりが始まり。それが名作の秘訣かもしれない。
キャスティングについては、「エンゼルさんの家」はみごととしか言いようがない!やさしいおばさんかつ共同体のトップリーダーに藤田弓子、二番手で冷徹な教育係に高畑淳子。この対比のみごとさ。まさにこの手の共同体に「ある!ある!」という構図だ。
そして何と言っても坂井真紀!どこまで向上するんだろう彼女の演技力は。「実録・連合赤軍」のときも迫真だったが、今回も全身全霊といいたくなる演技だった。
欲を言えば宮澤美保をもっと見たかった。最初の映画版「桜の園」以来、結構好きなんで。
さて、逃亡生活後半の舞台は小豆島からはじまる。5年前に私も行きましたがいいところでございます。新たな展開をとにかく早く観たいドラマなのです。
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