DVD「トンマッコルへようこそ」をジャケ買い!
韓国語に興味を持たなかったら一生見逃してたと思う映画「トンマッコルへようこそ」。韓国で2005年に公開され大ヒットし、翌年日本でも公開されていたらしい。冬のソナタを秋のソナタと言い違える私だったので、おそらく韓流ブームの喧騒を意識して避けていたのだろう。当時の自分をブログで振り返ってみると、ソダーバーグ監督作品や日本映画を結構見ていた。ホームシアター用にソファも購入。つま恋で吉田拓郎と中島みゆきのデュエットに遭遇したのもこの年だった。
韓国の映画はほとんど見た記憶がない。ただ最近は「母なる証明」とか「牛の鈴音」など、韓国映画の秀作が話題になっていたので、何か一本見ておきたいと思って物色した。まったく情報を入れずに先入観なくカタログ等を見て選ぶという方法は、子どものころから新しい趣味を見つけるたびにやってきた。ここでも同じだ。ただカタログや雑誌がインターネットになっただけ。
●カン・ヘジョンのふくれっ面ジャケットで購入
アマゾンの検索バーに「韓国映画」と入れてただ眺める。ほとんどポルノじゃん()。まぁそういう選択もなくはないけど(
)。いろんな順に並べ替えたりしてみる。ブルーレイで「母なる証明」があった!だが4/23発売。すぐ見れなくて残念。これは取り置き先へ進む。なかなかグッと来るものがない。
どういうのがグッと来るのか たぶんカテゴライズしにくい作品。「あぁテレビドラマね」「これはデートムービーね」「ドンパチかな」「なんだか暗そう」そういう予定調和なイメージが(お手軽な)ジャケットから読み取れるのはアウト。それでも“ほんわか”系のドラマ(=物語で魅せそうな作品)は目にとまる。「キッチン-3人のレシピ-」とか日本のTVドラマと同じタイトルの「アンティーク-西洋骨董洋菓子店-」とか。それらはキープしつつまだまだ探した。
そうやって飽きてきた頃、いきなりカン・ヘジョンのなんともいえないふくれっ面が目に飛び込んできた(笑)。もう直感で「これか」と思ったね。そんで商品ページへ行くとコメントの数が多い。話題作だった。そこからアマゾンを離れて作品についてさらに検索。そしたら監督はジブリ映画ファンらしいじゃないか。ジブリ映画とカン・ヘジョンのふくれっ面がここでつながった。さらに岩のよこに壊れた戦闘機のある画像。こりゃ間違いないと思ったわけさ。監督はCM出身だけあって、こういう商材写真の魅せ方ひとつにも本職のワザを見た(笑)。
●御伽ばなしの風景とイノシシと
パク・クァンヒョン監督は音楽に久石譲さんを起用。ジブリ映画や北野武映画が好きだと公言している監督で、DVDの映像特典でも対談されている。たしかにジブリ映画に通じる映像感覚だった。
ジブリ映画にとっての風景画は最重要な要素のひとつ。ボクはジブリの絵職人、男鹿和雄さんの風景が大好きだ。その緑の濃さへの意志は、「トンマッコルへようこそ」にも充分引き継がれている。
CGが多用され、監督のイメージ通りの色彩を作り出すことに成功している。この色を出すにはCGしかなかったんじゃないだろうか。そういう意味ではこれは実写映画なんだけれども、かなりの部分でアニメーションの作画に近い自由度を獲得できていると思う。
監督はスタッフにジブリ映画を見せて、この映画の世界観を伝えたそうだ。映画が言葉を超えたんだね。ちゃんと伝わってる。でも「トンマッコルへようこそ」はファンタジー映画というより御伽ばなしと言いたい。横文字が似合わない。トンマッコルという村の平和さにはこの世のものとは思えないヴァーチャルな故郷アジアの安らぎがある(めっちゃ横文字やん...)。
そしてイノシシとの格闘(笑)。延々とスーパースロー画像が続く。イノシシとスロー画像を楽しめる日本映画といえば?そう、「スウィングガールズ」です。これもジャケ買い映画だったなぁ(正確には商材写真買いだったけど)。あのとき上野樹里の奔放さに抱いた感情を、カン・ヘジョンにも感じたのかも。カン・ヘジョンの顔はさとう珠緒似だけど(笑)。似てるといえばシン・ハギュンは高橋ユキヒロに似てたな。映画とまったく関係ないけど。
イノシシを食べるシーンも印象的。ここにもジブリ映画の柱のひとつ「食べる」を継承する意志が感じられたね。敵対していた者どうしが一緒にしとめたイノシシをガッツリ食べる。食べることは生きること。そして互いに近づくこと。その生命力と親和力とが見事に描かれたいいシーンだった。
●誰がために戦う
誰がために戦うと問われたのはサイボーグ戦士009だったな。それはそうと、ジブリ映画ともっとも違い、韓国映画でなければ出来なかった要素が、この映画で描かれた「戦い」の在り方ではないか。アクションシーンという捉え方では軽すぎる。
御伽ばなしの後半にあえて誰のために戦うのかを提示してみせた「トンマッコルへようこそ」は強い映画でもあった。この後半部分は賛否両論あり、もし大ヒットしていなければこの映画はこの後半部分の存在によってカルトムービーと呼ばれたに違いない。
時代設定は朝鮮戦争(1950年)の頃。朝鮮戦争の悲惨さはハルバースタムの遺作となった「The Coldest Winter 朝鮮戦争(上・下)」が秀逸だ。しかし当事者の南北朝鮮の人々にとっての現実は計り知れない。
地政学上の思惑で分断国家になってしまった朝鮮半島と、冷戦構造へ向かうなかで分割統治を逃れ繁栄出来た日本。その子孫たる我々には分断国家の現実や複雑な感情は到底理解しきれないだろう。もちろん分断された「沖縄」はある。5月に決定されるらしい米軍基地移転先によっては沖縄入りして抗議行動をしたいくらいの愛国心は持っている。
本当はみんなトンマッコルを離れたくないし、離れるにしてもほのぼのと悲しい別れであって欲しかった。だがそれを許さない現実の戦争がいまも続いている朝鮮半島にあって、全編トンマッコルで終われない強い思いがあったのだろう。
この物語は舞台が先にあり、それを映画化している。舞台版は見ていないが、きっと戦争についてもっと多くの情報が含まれていただろうと思う。この物語には反戦への思いが核としてあり、守るべき場所のメタファとしてトンマッコルがあった。となればやはり戦わなければならないのだ。侵略戦争に対するレジスタンスの映画だといえる。誰のために戦うのか。物語を超えて映画そのものが戦うときもある。
そう思えた部分では「ルナ・パパ」という映画を思い出した(感想はこちら)。そこからさらにフェリーニの「道」へと連想が続く。カン・ヘジョン演ずる純粋無垢な少女ヨイル、「ルナ・パパ」の頭の弱い兄ナスレディン、そして「道」のジェルソミーナ。純粋さを象徴するこれらの登場人物は守るべき愛すべき人々でありながら、彼らの存在によって逆にこちらの異常さにもハッと気付かされる。普通に生きている我々が戦争を起こすのだ。
韓国語を学び始めてなかったら、いやもっと遡ってキムヨナに出会ってなかったら、こんなステキな映画に出会えずにいたんだな。「韓国語へようこそ」って感じだ。原題は「ウェルコムトゥドンマッゴル」とハングルで書かれていた。外来語だ(笑)。
昨年「降りてゆく生き方」という日本映画も見た。こちらはタダの人が世の中を変えてゆく映画だった。トンマッコルに迷い込んだ兵士たちもひとつの戦争から降り新たな戦いに目覚めた。やや我田引水的にはなるが、「降りる」というキーワードがボクのあらゆる面に影響し、多くの新しい局面を迎えているように思う今日この頃。これからもこの流れに乗ってゆこう。
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