キムヨナの号泣をはじめて見た日
金ヨナが金ヨネ。願掛けのときから結局こんなダジャレしか思い浮かばないオレと違って、キムヨナはSPもFPも圧倒的な演技だった。しかしリンクのうえで感極まったキムヨナを見たのは初めてだ。オン・オフを完全に切り替えられるキムヨナがはじめて素の自分をスケートリンクの上で見せた。それがバンクーバーオリンピックだったと思う。
思えば今年の五輪はドラマチックな五輪だ。映画や小説の世界に、まったく異なる物語が同時進行してゆく手法がある。その物語は異なるふたつのストーリーでありながら、その通奏低音に相似形の感情の起伏だったり、ある種の倫理や論理だったり、といったものが流れる一種の群像劇だ。
例をあげると、最近では村上春樹の「1Q84」や、個人的に好きな作品では遠藤周作の「死海のほとり」など。映画やドラマでは数え切れないほどある。大人の世界のメインストーリーと子どもの世界のサブストーリーとが同時進行のような構造だ。
そんな感想を抱いたのはキムヨナと浅田真央との切磋琢磨の歴史はもちろんだが、もうひとつ、ニュース番組におけるトヨタのリコール問題と冬季五輪との交錯を見たときだった。
創業家出身の豊田社長が公聴会に呼ばれた映像と、日本が“ノーゴールド”となりそうな冬季五輪との交錯。歴史のうねりを確かに感じた。それは何かを指し示すメルクマールではなく、ただゆっくりと沈みゆく太陽を眺めている心境だった。
そんな大きな物語を一方で感じながら、最高のアスリートと最高のダンサーとの夢の競演を感動とともに見た。この時間を共有できた喜び(FPは録画だったけど )。
キムヨナのコーチ、ブライアン・オーサー(カナダ人)は現役時代、“ブライアン対決”と呼ばれたカルガリー五輪(1988年)で銀メダルに泣いた。彼はミスタートリプルアクセルと呼ばれていた。ジャンプに重点を置く選手だった。
そんな故郷カナダで開催された今期オリンピック。オーサーコーチは最初にして最高の弟子キムヨナを連れて戻ってきた。トリプルアクセルを封印し、勝てるプログラムを伝授して。そして念願の金メダル。
現役時代に技術指向だったコーチと組んで、圧倒的な表現力のキムヨナが挑んだ初五輪。対戦相手もまさに別次元のワザが復活した浅田真央。舞台は整った。そこでふたつの物語が記憶に残る最高の舞台を創りあげた。
ふたりの初五輪は終わった。いや、まだ終わっていない。明日はエキシビションがある(朝9:00テレ東)。キムヨナはポップなナンバー「ドント・ストップ・ミュージック」を封印し()、メダリストにふさわしい格調高い楽曲として「タイスの瞑想曲」を披露するらしい(中央日報)。
また今夜NHKでは急遽このふたりの特番「浅田真央 キム・ヨナ “史上最高の闘い”」を組む。これも見逃せない(見逃したらNHKオンデマンドで見られるかも)。
この先、キムヨナはプロ転向するのだろうか。個人的にはこのまま続けて欲しい。プロ転向すると日本でのメディア露出は減りそうだから()。しかし大きな目標を達成したいま、プレッシャーから解き放たれてさらなる芸術性を高めたいという思いもあるかもしれない。そんな日も念頭にいれつつ、韓国語講座の費用を支払った私であった(笑)。アーヤーオーヨーからのスタートだ!
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コメント
悲しいトラバにコメントする義理はないけれど、五輪は思ったより難しいものでなかったという韓国人選手の発言に「練習してきたから」という部分が抜けているので補足しときます。
投稿: ポップンポール | 2010/02/28 10:10