キャラが立ってる映画「ハゲタカ」
映画「ハゲタカ」のDVDが届いたのでホームシアターで早速鑑賞した。なんでブルーレイじゃないんだと思っていたらブルーレイ版も明日発売らしい...。予約したときにはまだブルーレイ版が見つけられなかったのであった。ハゲタカめ!
ドラマ「ハゲタカ」は、ズラを巡って情報戦を繰りひろげる「ハゲデカ」って自主制作映画を作りたくなるくらいに好きなドラマだった(作ってないけど)。映画版もハゲでバカな上司を徹底的に描き切る「ハゲバカ」という自主制作映画が作りたくなるくらいいい映画だった(作んないけど)。ちなみにハゲだけが出場できるハゲダカールラリーを追うドキュメンタリー風カルトムービー「ハゲダカ」は予算の都合で自主制作には向かない。
それにしても現実世界のスピードは速く、2009年暮れにはドバイショックが起こり、いまなら鷲津(大森南朋)もドバイマネーを当てにできない。いかにチャンスとタイミングが不可欠かということがわかる。この映画も現実世界を炙り出すために、ストーリーが構想当初からかなり変更されたという。なんとか間に合ったという印象だ。
主な登場人物のキャラがとにかく濃い。ある意味ドラえもんに通じる神話的な型を持ってる。誰もハゲていないのは何かに配慮した結果なのか!?
映画から登場した新キャラ劉一華(玉山鉄二)は、玉山のにくたらしい振る舞いが非常にマッチしていた。まさにあんな感じのファンドマネージャはいるな。涼しい顔で自信満々なのにちょっと抜けてるあの感じ。思い出しただけで虫唾が走る(誰のことやねん?)。
だけどコイツが心底悪いヤツじゃないところが複雑...。ゲームの駒として使い捨てた守山(高良健吾)にかつての自分を見るかのように「カネを拾え!」と迫るシーンはなかなかのものだった。ほとんど一発撮りだったとか(高良のインタビューより)。すかした劉が不恰好にカネを拾う。貧しさから這い上がって来た「赤いハゲタカ」のトラウマ。ココロがカネに支配された悲劇。
だが劉と名乗るこの男はアカマ自動車への憧れをも持ち続けていた。残した再建計画書は至極真っ当なものだった。自分もただのゲームの駒に過ぎないながら、子どもの頃の夢を経済的支配によって成し遂げようとする意志の悲しさ。ちょっと美談すぎる気もする。劉は自分を鷲津だといい、鷲津は劉を芝野(柴田恭平)だという。傷ついた夢と欲望のなかでもがく姿はみんな同じだ。
そんな3人のキャラもすごいが、脇を固める役者もすごいキャラぞろいだ。「ハゲタカ」で久々に人間の役をやれたという栗山千明(六番目の小夜子、キルビル)。逮捕されない役でご両親もお喜びの遠藤憲一(湯けむりスナイパー、外事警察)、結局いちばん幸せに生きてそうな元IT社長役の松田龍平(あしたの、喜多善男)、くちゃくちゃ食う音で心象風景を表現する名悪役・中尾彬(なんかいろいろ食べる番組)。
これだけキャラが立つ面々がそろっているけれど、金融戦争は最終的な悪、つまりボスキャラというのがいない戦争だ。「アイツを倒せば勝ち」そんな終わりがない戦いであり、持ち回りで鬼をやるゲームのような世界だ。それだけにドラマ化しずらい分野でもあるだろう。
海外ドラマ「ブル」(2000年)なんかも私は大好きだったがあまりウケなかったようだ。それに比べると日本は「ハゲタカ」や「銭ゲバ」などカネの汚さにまつわる秀作が結構あるな(4つの母音+濁音で構成されたタイトルも似てる)。入れ替わりの人生という面では松本清張の「砂の器」にもつながる。日本昔話も金持ちはいじわる爺さん婆さんと相場が決まっているし伝統的に好きなんだろうな。
しかしよくよく考えてみれば、派遣労働という仕事も「誰でもない」自分がどこまで見上げても際限の無い金融戦争につながっている。劉はその戦争のなかで最下層から頂上を目指し挫折したのだし、守山はそれに利用されて職を失った。芝野も鷲津もこのゲームから降りようとしない。その先にゴールなんてあるのだろうか?どこまで行っても「誰でもない自分」のままなのではないのか。
こんな世界では誰もがゲームの駒であり流動していなければ生きてゆけない。さらに盛者必衰、バブルは必ず崩壊する。確固とした自己なんて幻想となった。より鮮明に。そんな時代だ、と時代で片付けていいのだろうか?やはり降りる必要がある。
世の中「ズラ」か「ココロ」か?世の中には2つの喜劇しかない。ズラのない喜劇とズラのある喜劇。カネの悲劇よりよっぽど楽しいハゲの世界を描く自主制作映画「ハゲダケ」をいつか撮りたいものだ。
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