google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg ひとくちメモ: 2010年1月

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2010年1月の13件の記事

2010/01/31

チャットモンチーと同世代に生まれてみたかった!

なにがくやしいってチャットモンチーと同世代に生まれなかったってことだね()。まぁ、時代時代にすばらしい音楽はあって、ボクが10代の頃にたまたま居合わせたあの時代の音楽を思いっきり吸収して生きてこれたことは幸せだったけど。いまチャットモンチーと同世代で、もっとピュアにのめり込めたら、なんて思う。欲張りだね。

ライブハウスのスタンディングフロアで指を突き上げながらチャットモンチーを体感するのは結構キッツイ年齢になっちゃったけど、チャットモンチーの時代に間に合えて良かったなぁとは思ってる。そんなボクにはこのライブ映像はうれしいね。自宅の大画面で堪能したよ。

チャットモンチー2009 “いま一度ライブハウスを洗濯し申すツアー”」のBDは去年発売日に届いていたんだけど、昨日まで見てなかった。去年の秋冬は、中島みゆきナイトキムヨナで突っ走ってたわけで。ようやくいま心身の欲求がバンドサウンド受容可能になって。聴きたいときにしっかり聴くほうがより理解が深まると思ってとっといた。

最初にチャットモンチーをテレビで見たときは小学生バンドかなどと失敬な感想を抱いたわけだが、すぐに3ピースバンドの絶妙なコンビネーションの虜になった。まさに三位一体。安定感のあるクミコンのドラム、ナイーブなミュージシャン魂のあっこのベース、一本筋の通った不思議ちゃん橋本絵莉子のギターとボーカル。

よく一緒にバンド出来てるよな()と思うくらいに性格の異なる(ように見える)3人だけど、それぞれの良いところを認め合ういい関係が構築できてるんだろうね。そこは精神的に甘ちゃんな不良の集まったロックグループじゃなくて(笑)、ちゃんと練習もするしチャットモンチーとしてめざす音楽が見えているということなんじゃないかとも思う。

●MCに見るチャットモンチーの魅力

作詞をリズム隊の二人が主に担当し、作曲はほとんどリーダー橋本というのもバンド論(?)を考えるうえでは興味深い。このバランスもなかなかありえない。ステージワークでも、MCなどのライブな言葉はリズム隊(なかでもクミコン)が担当し、ちょっとナルシスっぽいロッカーな発言はあっこが担当し、とにかく不思議ちゃんな語りのボーカル絵莉子...。

クミコンの語りはドラミングと同じ安心感がある。さすが教員一歩手前まで行った経歴通りのしゃべりだ。よどみない。この語りがなければチャットモンチーがメジャーなライブバンドとして成功できたかどうかとすら思う。音楽の実力だけじゃない何かが必要だから。ちょうど藤子不二雄が天才肌の藤本弘だけじゃなく社交的な安孫子素雄と二人でひとりだったように(<この例え必要?)、この社交的な明るい語りがチャットモンチーの個性に重要な要素だと思う。

それに比べるとあっこの語りはまさに「音楽だけで生きてきました!」って若者特有のもどかしさがある。そのもどかしさがベースを弾いているときのカッコよさと分かちがたいのが魅力だ。ベースを弾いているときのあっこのミュージシャンとしての美しさは群を抜いている。これがミュージシャンの姿だよね。だけどそれが唯我独尊にならずに橋本絵莉子へのリスペクトにつながってるのがすごい。ベーシストだからかな?

リズム隊のふたりに比べて、ギターかつボーカルかつリーダーの橋本絵莉子はあまりしゃべらない(つーかしゃべれない)。しゃべっても不思議ちゃんだ。しかし突飛なことを言っているようで、結構論理的だったりするのが面白い。それが受け入れられていて、ある種のカリスマ性を感じさせる。今回のDVDでの(しゃべりの)見所は最後の恒例の撮影会。そこで橋本の「せめんなよぉー」って言い回し。ちょっとイメージが変わった(笑)。

楽曲面ではアコースティックなギター&ベース&ボンゴによる途中休憩サウンドが斬新だった。アコギ大好きなので。これはある意味、路上ミュージシャン“あさひるばん”のライブハウスメジャーデビューという趣きだった(笑)。

それと「恋愛スピリッツ」はいつ聴いてもグッと来るな。このバンドサウンドのダイナミズム!絵になるなぁー。間奏でのノイジーなギターかき鳴らしのとこなんて、3人の動きがスローモーションに見えてくる。

チャットモンチーは3月からアメリカでツアーをやるという。アメリカの音楽業界のイメージって「超保守」だったのだが時代は変わるのか。ロックの神様が一番好きなタイプのチャット先生。言葉を超えてそのぶっといサウンドが受け入れられるといいな。もちろんDVD(BDも)発売されるんだよね?期待してます。

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2010/01/27

榮倉奈々があのキャラに見えてくるドラマ

いやはやCX火曜9時ではじまった「泣かないと決めた日」はものすごいな。仕事で疲れて帰宅してこのドラマを見るのは結構キッツイのではないだろうか?まぁOLとか会社員以外の視聴者なら別世界の物語として視聴できるだろうが、こういうドラマのメインターゲットって視聴率調査でいわゆるF1,F2と呼ばれる女性陣のような気もするし。

短髪の榮倉奈々はめっちゃかわいい。しかしドラマのなかの榮倉奈々は新人社員という要素を抜きにしても、なんとなくいじめられキャラになってしまいそうな性質を持ち合わせている。運も悪いし間も悪い。短髪の頭がだんだん吉田戦車の「いじめてくん」に見えてきた。

このドラマのような現実が「あるある!」って話題になるのか、「こんな会社があったらとっくに潰れてるよ!」と笑い話になるのか、視聴率とともにどういう目線で見られるのかに興味がある。普段は視聴率なんて気にしないけど、このドラマに関しては性別・年層別の視聴傾向も知りたくなった。

まぁしかし、映画「沈まぬ太陽」で描かれた某航空会社の例もあるし、ひどい企業というのはあるのだろう。組織というのはそういうものかもしれない。

榮倉奈々がどのような方法で強く成長してゆくのだろうか。個人的にはあの職場で理解されたりせず、いじめには報復を!と、いじめてくんのままのキャラで、ひとりずつ抹殺していく必殺仕事人になって欲しい(笑)。それを助けるのがキャナメちゃん(要潤)だ!キャナメちゃんは今回もいいポジションもってくねぇー!

なんだなんだ、結局かなり興味持ってるんじゃないかオレは。興味のベクトルはあさっての方向だけど...。それはドラマが進むうちに修正するとしよう。見るのは疲れるけど榮倉奈々とキャナメちゃんガンガレ目線で見ちゃうんだろうな。紺野まひると片瀬那奈というイジメがうまそうなキャスティングもすばらしい。

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無知の涙!

とうとうPHSからケータイに乗り換えた!

いやPHSも併用するから両刀使いだ!

だが本日届いた某機に呆然。

最近って充電器はオプションなんですね...。

オレ様はガラパゴスケータイの流通の仕組みすら知らないケータイガラパゴスの住人だったのだ。

ロビンソンと呼んで!

しかたがないのでネットで充電器を注文した...。

知らないって罪よねぇ。

永山則夫と呼んで!


こうやって充電器を買わせることでMNPの歯止めになったりするのか?(しないな別に)

充電器が届くまで持っていないのも同じだ。

電話番号も箱にシレっと貼ってあった。

箱をあのまま捨ててしまったら電話番号さえ知らずに過ごすことになるとこだった。

やっぱケータイ素人はショップで買うべきだったかな。

すぐ使えると思ってたので手持ち無沙汰になり、いろいろケースとかストラップとかも発注。

その支払いをしようとインターネットバンキングにログイン。

みずほ銀行の野郎、なんだかわけのわからんエラーの連続でロックアウトされた!

いったいどうなってんだ。


おれを永山則夫と間違ってないか!

ツイてない日というのは、えてしてこういうものなのだ。

そんな日は布団をかぶって寝るしかないのである。


ケータイレビューはそのうち使える日が来たらやるかも。

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2010/01/24

いまさらながら「スジナシ」の魅力を語ってみる

今朝「スジナシ 其ノ一」のDVDが届いたのでさっそく見た。この番組はずいぶん前から知ってはいたけど、ひとくちメモに書いたことがなかったので、この機会に魅力を少し語ってみたい。

番組の構成はこうだ。笑福亭鶴瓶さんが毎回ゲストを招いて、台本なしのぶっつけ本番で10~15分の寸劇を演じる。筋がないから「スジナシ」だ。舞台だけは決まっていて、お互いの役柄らしきものも一応あるが、本番が始まってしまえば、お互いの探りあいでどうにでも展開できる。まさに真剣勝負のアドリブ芝居なのだ。

現場のスタッフにも何が飛び出すかわからない芝居だが、本番開始後の笑い声は厳禁とされている。また観客も別室に入れ、芝居をモニター観劇させる。静まり返ったなかでアドリブの二人芝居を行うわけだ。

それだけでもスリリングだが、この番組はアドリブ芝居が終わったあと、芝居をモニターで見ていた観客の前に再登場し反省会をしなければならない。そこが非常に面白く、またオリジナリティあふれる部分だ。

さっきまでアドリブ芝居を強いられていたゲストと鶴瓶とが、ここではなぜあのときこんな芝居をしたのか、その心情を語り合う。極限のアドリブ芝居から解き放たれたと思った矢先、今度は極限状態にいる自分を見ながら観客の前で反省しなければならないのである。

●常に鉄板ネタが生まれる

台本のない芝居と反省会。この二段階構成にはうならずにいられない。反省会はある意味映画DVDのコメンタリーを見ているような感覚になる。将棋でいえば感想戦だ。しかしコメンタリー以上に面白いのは、いちいち芝居のリプレイを止めては「何でここであんなこと言い出すねん!」みたいに鶴瓶がつっこむのだ。観客が疑問に思っただろう場面や、まさかの攻守逆転で笑ったと思われるところは徹底的につっこんでゲストに話をさせる。

この鶴瓶のするどいつっこみで、ゲストも観客も抱腹絶倒となるのであった。ゲストはそのつっこみに「頭のなか真っ白で」とか「いや実はこうなる予定だったんで」とかそのときの思いを語る。お互い打ち合わせもなしにやってるから「そんなん伝わるわけあるかいな!」みたいな掛け合いで、さっきの芝居を素材にしたトークの華が咲く。

アドリブ芝居そのものには出来不出来がある。ゲストと絶妙の間合いが出来て台本があるかのようにうまく行く場面もあれば、まったくかみ合わないまま強引に終わらせるときも...。しかし第二部に反省会があることで、芝居のなかのあらゆる出来事がみんなで目撃したハプニングとなりトークの爆笑ネタとなるのだ。それはあたかも飲み屋で方言ネタを肴に盛り上がるような“鉄板ネタ”になってしまうのである。

●フリートークの天才と緻密な構成

思えば鶴瓶師匠は日常のオモシロ話を伝えるのが天才的にうまい。古くは上岡龍太郎との伝説の深夜番組「パペポTV」からオセロ松嶋との「きらきらアフロ」まで一貫してフリートークの面白さを追求してる(いや、きっとボクの知るもっと前からだろう)。しかし単なるフリートークではなくて、その場の持つ力を最大限にするにはどう見せればいいのかを常に考えておられるようなのだ。

「スジナシ」はそんなフリートークの天才が、偶然オモシロの神が降りてくるシチュエーションを求めて雨乞いをしているような番組だ。ここでは鶴瓶師匠は巫女なのだ(笑)。そしてかなりの確率でオモシロの神が降りてくる。ゲストはそんな巫女に自身の内面に潜む素の自分を引き出されてしまう。

ある意味地味な企画番組、それもかなり低予算な雰囲気なのに、圧倒的な支持を受けているのには真っ当な理由があると思う。ここで語れば語るほどオモシロの神から遠ざかっていくのはわかっちゃいるのだが、今流行の一瞬の爆笑だけでない、幾重にもかさなった感情の起伏が詰まっている番組構成に圧倒されてしまうのであった。

●ボクの望む頂上対決!

この番組構成と似たアイデアを一回だけ聞いたことがある。萩本欽一さん、欽ちゃんからだ。欽ちゃんは自身の野球チームゴールデンゴールズの試合を盛り上げるアイデアのひとつに、試合後に劇場で語り合いたいとおっしゃっていた(そのことに触れたひとくちメモはこちら)。どんな試合をしようとも、勝とうと負けようと、それを肴にお客さんと話すとこまでが舞台だという考え方だ。

そういえば欽ちゃんも素人いじりが真骨頂だった。笑いの素人という意味では芸能人ゲストも同じだった。そもそもコント55号とは、笑いの素人・坂上二郎さんの素の面白さを欽ちゃんがあの手この手で引き出す笑いだった。まさに即興コントであり、何が飛び出すか分からないスリリングなコントだった(そして飛びます飛びますのギャグが飛び出た )。

つまり欽ちゃんも鶴瓶師匠も素材さえあれば、最終的にはある水準のクオリティを保つ自信があるということだと思う。ただし待っていてもそうそうオモシロの神は降りてこない。そこで考えた。つねに素材を生み出す方法を。素材さえあれば成立できる空間を。そういうことなんじゃないだろうか。

フリートークの天才がその才能を常に引き出せる場を作り、ついでに交わったゲストや相手チームの魅力をも引き出し、お客さんに喜んで帰ってもらうという、まさにWIN-WINの関係性。イタリア喜劇コメディア・デッラルテから連綿と続く即興喜劇の超進化系ガラパゴスニッポン。お笑い大国の面目躍如だね(>妄想か

もう言うまでもない。欽ちゃんと鶴瓶師匠との「スジナシ」が見てみたい。お笑いコンビ笑い飯はWボケだが、この二人ならWツッコミだ。鶴瓶師匠がボケに入れるかどうか、かなり過酷なチャレンジになると思う。できれば場所は巌流島ロケで(笑)。古くは佐々木小次郎と宮本武蔵からアントニオ猪木とマサ斉藤まで。ここでスジナシ頂上決戦が見たーーーいっ!

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2010/01/23

ボクにはある意味夢の世界 ドラマ「とめはねっ!」

NHKドラマ8「とめはねっ!」は高校書道部を舞台にした文化部系スポ根ドラマだ。主人公望月結希(朝倉あき)が所属する鈴里高校の弱小書道部と名門の鵠沼学園高校書道部との対決。その両校の部長は双子の姉妹でライバル関係。この両部長がまさに文化系の女子部長そのもののビジュアルで楽しい。湘南を舞台に書道甲子園へ向けて熱いバトルが繰り広げられているわけだ。

ドラマ紹介はそんなところにして、ボクにはこの「書道」という芸術には苦い(?)思い出がある。というか、ぜひどっかの情報バラエティ番組で調べてみて欲しいテーマがある。それは、

書道部または教科「書道」を履修している人に左利きはいるか?

これだ。ボクの高校では芸術科目の選択肢が「音楽」「美術」「書道」からひとつだった。だが左利きのボクにとって「書道」の選択はありえなかった。いや現実には、高校に入るずっと以前から「書道」という選択肢はなかったのだ。

あの柔らかい筆を左手で左から右に横線を引くことの苦労がオマエにわかるか!わかるか!(>松田優作風に)

小学生の頃は習字は右手で書いていた。お絵かきが得意だったし両手で字を書く特技を持っていたので、その能力を駆使して。しかし名前を書く細い筆だけは右手では震えてしまう。そこでどうしたかといえば、先生が見ていないときに左手で右から左に横線を引いていた。「田」の二画目は一筆じゃ書けないから、横線を先に引いて右側の縦線を引いたりしていた。

●左手使って筆で「九」を書いてみろ!

Lefty_shodou「とめ」はなんとかごまかせるが、「はね」や「はらい」は単調な線になる。墨だから絵画のように重ねて細工するのも難しい。左手で書くときにいちばん難しいのは右側への「はね」と「はらい」だ。普通に右から左に書くととスタート地点が一番細くなる(笑)。

「水」なんかだと、はらいの線だけは右手で書けばいい。ほぼ縦に流れてるから難易度は低い。だが例えば「九」みたいな字!この左利き書道界でいう「死(し)のカーブ」(うそ。いま命名)の最後のはらいだかはねだかの部分。「レ」なら簡単だが「し」になると左手で再現するのは結構難しい。横線の距離が長いから。

やり方のひとつとしては右図を見て欲しい。まず縦線線部分①を引き、次に横線②を右から引いて“つなぐ”。ここがポイント(笑)。そして最後にはねだかはらいだかの部分③をストレス発散の意味を込めて下から上にシャーッと引く。これで完成だ。

ほとんどパーツの組み合わせ作業なのだ。つなぎめをいかに美しくわからないようにするかが左利き習字の醍醐味だ。つなぎめは濃くなりがちなので、濃くなったら他の線の部分も墨を足して(笑)グラデーションをつけていく。ここはお絵かきと同じだが、半紙は薄いのでやりすぎると穴が開くから要注意!これを教師の目を盗んでやるのがまた楽しい。楽しみをどこかに見出せば左利きにも書道の授業が楽しめるという教えだ。

「通」とか最悪!

しんにょうサイアク!

「交通安全」サイテー!(笑)

そんな子ども時代を経て、いまなら「左手で書を描く」というひとつの差別化によってアーティストへの道が開けたかもしれない。永田龍石さんのように。

しかし基本的には中学以降「書道」という芸術とは無縁だった。少なくとも書き手ではなかった。だから書道と青春とはもっとも結びつかない夢の世界なのである。左利きの書道部員がいたら尊敬する。

いまは創作書道の存在も知っているので、筆ペンでいかにも創作書道チックな文字を書くこともある。筆で鏡文字を書ける稀有な人材だ(笑)。

反骨精神のある左利きの小学生は、ぜひ習字や書き方の授業で鏡文字を書いてクラスのみんなを驚かせてやってくれ。みんなマネしようとしてもそうそう出来ない。左利きが筆を使う苦労をそうやって身体で体験することも価値ある教育なのだ。

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2010/01/17

キャラが立ってる映画「ハゲタカ」

映画「ハゲタカ」のDVDが届いたのでホームシアターで早速鑑賞した。なんでブルーレイじゃないんだと思っていたらブルーレイ版も明日発売らしい...。予約したときにはまだブルーレイ版が見つけられなかったのであった。ハゲタカめ!

ドラマ「ハゲタカ」は、ズラを巡って情報戦を繰りひろげる「ハゲデカ」って自主制作映画を作りたくなるくらいに好きなドラマだった(作ってないけど)。映画版もハゲでバカな上司を徹底的に描き切る「ハゲバカ」という自主制作映画が作りたくなるくらいいい映画だった(作んないけど)。ちなみにハゲだけが出場できるハゲダカールラリーを追うドキュメンタリー風カルトムービー「ハゲダカ」は予算の都合で自主制作には向かない。

それにしても現実世界のスピードは速く、2009年暮れにはドバイショックが起こり、いまなら鷲津(大森南朋)もドバイマネーを当てにできない。いかにチャンスとタイミングが不可欠かということがわかる。この映画も現実世界を炙り出すために、ストーリーが構想当初からかなり変更されたという。なんとか間に合ったという印象だ。

主な登場人物のキャラがとにかく濃い。ある意味ドラえもんに通じる神話的な型を持ってる。誰もハゲていないのは何かに配慮した結果なのか!?

映画から登場した新キャラ劉一華(玉山鉄二)は、玉山のにくたらしい振る舞いが非常にマッチしていた。まさにあんな感じのファンドマネージャはいるな。涼しい顔で自信満々なのにちょっと抜けてるあの感じ。思い出しただけで虫唾が走る(誰のことやねん?)。

だけどコイツが心底悪いヤツじゃないところが複雑...。ゲームの駒として使い捨てた守山(高良健吾)にかつての自分を見るかのように「カネを拾え!」と迫るシーンはなかなかのものだった。ほとんど一発撮りだったとか(高良のインタビューより)。すかした劉が不恰好にカネを拾う。貧しさから這い上がって来た「赤いハゲタカ」のトラウマ。ココロがカネに支配された悲劇。

だが劉と名乗るこの男はアカマ自動車への憧れをも持ち続けていた。残した再建計画書は至極真っ当なものだった。自分もただのゲームの駒に過ぎないながら、子どもの頃の夢を経済的支配によって成し遂げようとする意志の悲しさ。ちょっと美談すぎる気もする。劉は自分を鷲津だといい、鷲津は劉を芝野(柴田恭平)だという。傷ついた夢と欲望のなかでもがく姿はみんな同じだ。

そんな3人のキャラもすごいが、脇を固める役者もすごいキャラぞろいだ。「ハゲタカ」で久々に人間の役をやれたという栗山千明(六番目の小夜子、キルビル)。逮捕されない役でご両親もお喜びの遠藤憲一(湯けむりスナイパー、外事警察)、結局いちばん幸せに生きてそうな元IT社長役の松田龍平(あしたの、喜多善男)、くちゃくちゃ食う音で心象風景を表現する名悪役・中尾彬(なんかいろいろ食べる番組)。

これだけキャラが立つ面々がそろっているけれど、金融戦争は最終的な悪、つまりボスキャラというのがいない戦争だ。「アイツを倒せば勝ち」そんな終わりがない戦いであり、持ち回りで鬼をやるゲームのような世界だ。それだけにドラマ化しずらい分野でもあるだろう。

海外ドラマ「ブル」(2000年)なんかも私は大好きだったがあまりウケなかったようだ。それに比べると日本は「ハゲタカ」や「銭ゲバ」などカネの汚さにまつわる秀作が結構あるな(4つの母音+濁音で構成されたタイトルも似てる)。入れ替わりの人生という面では松本清張の「砂の器」にもつながる。日本昔話も金持ちはいじわる爺さん婆さんと相場が決まっているし伝統的に好きなんだろうな。

しかしよくよく考えてみれば、派遣労働という仕事も「誰でもない」自分がどこまで見上げても際限の無い金融戦争につながっている。劉はその戦争のなかで最下層から頂上を目指し挫折したのだし、守山はそれに利用されて職を失った。芝野も鷲津もこのゲームから降りようとしない。その先にゴールなんてあるのだろうか?どこまで行っても「誰でもない自分」のままなのではないのか。

こんな世界では誰もがゲームの駒であり流動していなければ生きてゆけない。さらに盛者必衰、バブルは必ず崩壊する。確固とした自己なんて幻想となった。より鮮明に。そんな時代だ、と時代で片付けていいのだろうか?やはり降りる必要がある

世の中「ズラ」か「ココロ」か?世の中には2つの喜劇しかない。ズラのない喜劇とズラのある喜劇。カネの悲劇よりよっぽど楽しいハゲの世界を描く自主制作映画「ハゲダケ」をいつか撮りたいものだ。

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2010/01/16

池袋Kollaboで生マッコリ

昨夜は池袋のKollaboへ。最初はニクの会(いまやN嬢もK嬢も母となり赤ちゃんが大きくなるまで休止中)で行っていたママのお店に向かったが、年末に引き続きまたもや休店中。電話も通じない。入院されているという情報もありちょっと心配な状況だ。

そのような状況だったため、次の候補をと考えて思いついたのが池袋のKollaboだった。ここはコリアンフード・コラムニストの八田靖史氏のブログ「韓食日記」で11月にいち早く紹介されていて、気になっていたお店だった。そこで私はバスに乗り池袋へ。自転車だった後輩はそのあとを追い、もう独りの後輩ともメールで連絡を取りつつ池袋集合。

昨年下見にいったときにはコースメニューもまだ固まっていない時期で結構空いていたが、この日は外の椅子に並んだ。行列の2組目だったがすぐに何組も後ろにつき椅子が足りなくなった。定着してきているようだ。

並ぶと結構待つかも。何度か他店にしようかと話し合った。じっくり腰を落ち着けて食べてる客が多そう。外から見える席は結構埋まっているけど、店員がせかせか歩いてる感じがしないから、各席の追加注文までの間が長いようにも見えた。予約して行くのがベターかも。

しばし並んで、ようやく店内に。入って左手に通された。外から見えないフロアで結構広い。席がゆったりとした間隔で作られていて落ち着いた雰囲気だった。独りで食べに来ている人もちらほらいた。

とにかく最初はビール...ということはせず、いきなり「トゥクタ」の生マッコリでボクらはニッコリ()。人間国宝の名人のマッコリは若干酸味が強くて美味しかった。

Kollaboは店名のとおり日韓の韓国料理店7ブランドがコラボレーションしているそうなので、メニューにもどのブランドの料理かが書かれてる。ボクのアタマには八田氏の韓食日記の記事が鮮明に残っているので(笑)、メニューの写真と記憶を確かめながら注文した。ここに写真が無いのが残念だけど、韓食日記で紹介されてるからいいか。あとぐるなびにもリンクしとこう。

前菜からはチヂミ盛り合わせとセンマイ刺し。この日のチヂミ盛り合わせは、エリンギ、剥きエビ、エホバク(ズッキーニ)、トングランテン(ひき肉)、ともうひとつ(白身魚かな?)。あっさりして美味しかった。センマイ刺しはボクの定番()。センマイ刺しがちゃんとしてるかどうかは重要なのだ。

白菜キムチとトッポギも後から注文。白菜キムチは焼肉好きの後輩が好きらしいので。ボクはあまり辛いのは食べないけど。トッポギは春川ダッカルビブームの頃を思い出して注文してみた。その当時(2000年)の記事で「21世紀は韓国が来る!」と予測していた私だけど、キムヨナはその予測の体現者だったのかもしれない。それはともかく、トッポギはちょい辛で日本人好みな味だった。

メインは焼肉と燻製サムギョプサル・セット。肉はどれも柔らかくて美味しかった。栗三角とレバー焼きが特に美味だった。サムギョプサルはいかにも韓国料理な趣きでヘルシーな感じ。肉を追加してもよかったなぁ。秘伝のあっさりめのタレと味噌との“コラボ”が奥行きのある味わいだった。

締めには参鶏純豆腐チゲ。白濁スープで激うま!これはイチオシですわ。コメントいらない。食べてみるしかない。

飲み物では生マッコリにカクテルがあるのもここのウリ。キウイマッコリのデキャンタを注文。カクテルグラスで飲むキウイマッコリは新鮮そのもの。若者のマッコリ回帰も分かる気がする。ただし確実に飲みすぎるのでお酒に弱い方は要注意かも。

そんなこんなで美味しい夜でした。総じてあっさりめな味付けが印象的。もちろんキムチやセンマイ刺しのタレは本場だから辛いわけだけど。また1皿の量がハーフサイズだそうで、少量ずついろんな食材が楽しめそう。大食漢といっしょだと確実に食べ過ぎると思う(笑)。

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2010/01/15

新春から松丸アナリスペクトイヤーか?

それにしても2010年のゴッドタンレギュラー放送は、新春から松丸アナいじり、いや松丸エンジェル・リスペクトな放送が続いている。予算不足のせいなのか?

だが松丸アナファンにとってはうれしいことだ。ひとくちメモの松丸アナ関連記事へもふたたびアクセスが増加中。ありがたいことだ。

それにしても松丸プロデュース王決定戦にヌッキングランキングって...。谷桃子王選手権とはまた違った趣きがあるな。「報道を目指したい」という松丸アナだが、そこはテレ東。どっちも出来る環境にあると前向きに考えるべきだろう(笑)。

露出が増える分にはジャンルは問わないぞ。でもゴッドタンは続けて欲しい...。ホームグラウンドなんだから()。コント対応力テレビ東京ナンバー1(狭っ!)の実力(天然?)はオレも認めてるぞ!

第2回松丸プロデュース王決定戦を望む!アイウェアに特化してみるとか夏なら水着とかいろいろできると思うし。松丸格言もそろそろ続編が聞きたい。書き溜めてあるのではないか?

正直、個人的にはゴールデンに移ってからの「やりすぎコージー」が失速してきていると感じ始めているいま、テレ東といえば「ゴッドタン」なのだ。イマヒガチルドレンがTBSの「新知識階級クマグス」に紅白クマグスで出てちゃダメだろ(笑)。どうせ出るならイマヒガクマグスとして出なきゃ!(デパート萌えクマグスでも可)

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2010/01/11

語学学習用にウォークマンNW-745購入

今年の初ラーメンは浦和伊勢丹でやってる北海道大物産展の「純連」ブースで味噌ラーメン(味玉付き)でした。その帰りに物産展で北洋食産の「寒風干しサーモンスモーク」と「たこの燻製」を試食して購入。激ウマ!特にたこが。帰ってググったら北洋食産のWebページでも人気らしい。思わぬ拾い物感あったなぁ(笑)。ちなみに今年初麺類は銀座ジャポネのインディアンジャンボ。オリンピックが北米大陸で開催だからね(笑)。関係ないかぁ。

関係ないといえば、ここまでの前口上はまったく関係なかったな。いつものことながら...。ウォークマンの話をしなきゃ

昨年出たウォークマンを購入いたしました。アンチiPod派ってわけじゃないけど、ポータブルプレイヤーとしてはZENからの乗り換え。いや乗り換えでもないな。ウォークマンは主に韓国語の発音を聞くための学習用として購入しました。

購入したのはNW-745/Kのゴールド色。この型番の違いを理解できるまでショップをうろうろしてしまったので、ネットで購入したいというユーザー候補の皆さんにカンタンにご説明をば。

●最後のKはスピーカ付きを表す
うえに取り出しましたるウィジェットにはスピーカ付きモデル(楕円形のヤツ)を多く載せてみました。型番でスピーカ付きを見分けるのは簡単です。型番の最後にKがついてるのがスピーカ付きって意味です。だからボクが買ったのもスピーカー付き。もちろんスピーカは取り外せます。

スピーカにはコンセント(ACアダプタ)も付いてますが無くても再生可能です。コンセントつないで使うと音量出力が低下するうえウォークマン本体の電池も消耗するらしいです。

もちろんスピーカなしモデルもあり若干安いです。専用スピーカに最適化して出力する設定では本体の電池寿命が25%低下するようです。またFMラジオ中心に聞く場合イヤホンがアンテナになるため専用スピーカが使えません。だからイヤホン使用が多い普通のポータブルプレイヤーとしての使用ならスピーカなしモデルで充分でしょうね。

後で書きますが、極論すれば語学をやるならスピーカ付きって感じです。

●640シリーズ、740シリーズの違い
スピーカ付きのKタイプにもそうでないタイプにも2シリーズあります。3桁の数字の頭が6か7になってます(640シリーズか740シリーズ)。スピーカ付きは640/Kシリーズか740/Kシリーズです。頭の6と7の違いは、7ではじまるほうがノイズキャンセリング機能付きモデルで値段が若干高いです。

ノイズキャンセリング機能がついていると、イヤホンで聴くときに割と小さめの音で聴いていても外の雑音が聴こえにくくなり聞き取りやすいそうです。ただし付属のノイズキャンセリング用イヤホンで無ければ効果がないとこが注意点。まぁスピーカで聞く分には関係ないので、スピーカ中心だったら6ではじまる廉価版モデルのほうがお得かも。

●640、740の最後の1桁はメモリ容量の違い
3桁の数字にはそれぞれ意味があるけど、744、745の違いで言いますと、真ん中の4は2009年モデルってだけです。2008年が730シリーズだったから。最後の数字は内蔵メモリの容量の違いを表してます。744は8GB、745は16GBです。ここで値段も違ってきます。

個人的には16GB程度は欲しいと思ってます。8GBが倍の16GBになっても金額の差が倍になるわけじゃないですし。画像や動画やポッドキャストも取り込めるので。そうなると645か745がイチオシということになります。

じゃあ746はないのかよ!」といわれれば「あります!」。メモリが8,16GBときたから、746は、そう32GBです。チンイツ+ドラ+裏ドラの四倍満貫子の数え役萬で32000点ドーン(なんの話やねん) でもこのモデルのスピーカ付きは見つからなかったです。無いのかな?ショップにも置いてなさそうでした。32GBでスピーカ付き(型番にするならNW-746/K)があればこっちにしたかもしれません。価格にもよりますが。専用スピーカなしでいい場合は選択肢に入るかも。

じゃあ747はないのかよ!!」といわれれば「あります!」。でもウォークマンじゃありません。ノースウエスト航空(NW)のボーイング747型機になっちゃいます。スピーカ付きで約200億円くらいです。ちょっとお高いし置き場にも苦労するのでオススメしませんね。ノイズもすごいです。持ち運びできるのはウルトラマンくらいです(でも彼にはポケットがない)。

●640、740で色も異なる
色も結構重要ですよね。ソニースタイルな生活は感覚重視なんだから。640シリーズと740シリーズでは、どちらも4色ずつありますが、それぞれ別々の色です。だからスピーカ付きタイプは全8色あるわけです。でも好きな色が640シリーズにしかないという事態もありえます。

カッコ内は私見です(笑)
640シリーズ:オレンジブルーホワイトピンク の4色

740シリーズ:(モスグリーン)、(確かに黒)、(洗ってないショッキングピンクの舞台衣装色)、(金貨の形のチョコレートの包み紙色)の4色

どうですか。私の言外の思いが伝わりますでしょうか?740シリーズって色がちょっとどうなのかな...。640シリーズより高級感を出そうと深めのメタリック感でいきたかったのかなぁという意図は読み取ったのですが成功してるでしょうか。

スピーカを外してみると本体はそれなりにいい色なんですよ。それでゴールドを買ったんですけど。黒はいいとして他は好みじゃなかったな。色をとるか機能をとるか、はたまたスピーカなしで考えるか、そのあたりは好みですからお任せします。

アマゾンでご購入いただくときのヒントとしまして、色によって若干実勢価格が異なる場合があります。つまり人気色は割引率が低い(逆もまた真なり)です。色を気にしなければ不人気色がお得な場合もありますよ。

●語学の学習用に特化した機能がある
語学学習モードという機能が付いてます。再生スピードの変更(9通り:0.5倍速、0.75、0.9、オフ、1.1、1.25、1.5、1.75、2.0倍速)、A-B間リピート(語学学習モードの状態で開始ポイントと終了ポイントを自分でマーキング出来、その間をリピート再生する機能)が重宝します。もちろん両方組みあわせて使えます。いまや時代はデジタルポータブルなので、CDやMDでこういう機能が付いている機器はほとんど見かけなくなりましたね。

また驚いたのは、問題集や参考書の付属CDでもインターネットからタイトルの取り込みが出来たこと。私が試したのは「できる韓国語初級Ⅰ」と「CDレッスン 驚くほど身につく韓国語」の2種類だけですがすんなりタイトルが取り込めました。タイトルが取り込めない参考書の付属CDもたくさんあるとは思いますが。語学系の出版社はこういう情報でも差がつくからちゃんと情報発信したほうがいいと思うなぁ。

結局語学学習って参考書や筆記用具も必要だし、ずっとイヤホンして集中するのは結構疲れるんですよ。疲れにくいバイノーラル録音された語学音源なんて無いですし。だからスピーカ付きを選んだんですわ。スピーカは別に買ってもいいんですけど、ウォークマン単体ならコードも不要だし寝転がっても聴けるし(>集中して勉強しろ!オレ)。

●ハイエンドモデルの840シリーズ
スピーカ付かなくていいからもっと高級機種をということですと840シリーズがあります。画面に有機ELを使ってます。有機ELはコントラスト比が高くて起動も速いというメリットがあるそうです。寿命は短いと聞いたことがありますが、ウォークマンみたいな使い方ならメモリとどっちもどっちかな。そういう意味じゃポータブルプレイヤーに向いてるのかも。

もうひとつの特徴はノイズキャンセリング機能がデジタル仕様だそうです。この静かさを聴いたらデジタルノイズキャンセル無しには戻れないという人もいます。でも、持ってないからわかんない。ただしこちらも専用のイヤホンが必須です。

以上でプレゼンを終わります。シェアでは一時iPodを抜いたとも言われるウォークマン。もっともモデルチェンジの時期とかいろんな要素が絡んでいるのでユーザーの選択がシェア争いに惑わされる必要などまったくありません。必要充分な機能と価格とのバランスがどうかが大切です。

数百万円の高級オーディオで水滴の音を聴いて「うーむ」とうなるわけじゃないんだし音源はどれも同じ。最優先事項が何なのかをよーく考えてみて。「みんなが持ってるiPodじゃないと仲間はずれになる」ということならiPodがいいのかもしれないし。その場合のiPodはファッションだから。あるいはウォークマンはエクスプローラ感覚で音源が取り込めるというメリットに着目してもいいかも(iPodはiTunesからしか原則取り込めない)。

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2010/01/10

抒情詩「工場萌えな故郷徳山」

ここ3年に渡って正月の帰省のたびに、新幹線の車窓から工場萌えな風景をデジカメ動画で撮影していました。すべてほぼ同じ区間(ほんの1分半)ですが、朝、夕方、夜の3パターンがそろったので、あんどうさんのご要望にお応えして()アップしておきます。アップするタイミングをいただきましてどうもありがとう。本年もよろしくお願いします。

一応静止画アップ用にタイトル画像を2008年に作っていたので()それもついでに。

車窓からの工場萌えタイトル

●2008年(朝)


大きい動画はこちらへ

●2009年(夜)


大きい動画はこちらへ

●2010年(夕方)


大きい動画はこちらへ

@nifty動画が100MB以下でないとエラーになってしまうので若干前後を切ってますが、徳山の工場が見える範囲はカヴァしてます。夜景もいいですが、まだ陽がある時間帯に瀬戸内海の島々と工場とのコラボレーションも徳山らしさではないでしょうか。音声は加工してませんので、新幹線のなかのよくある音景(車内アナウンスとか)がBGMです(笑)。

YouTubeにも他の工場萌えな人がアップしている画像があるので、そこにもリンクしておきます。こちらはなぜかBGMが中島みゆき「地上の星」でした(笑)。まぁアリっちゃアリだけども...。

それと「工場萌え」の第一人者wamiこと石井哲さんのブログ「工場萌えな日々」にもリンクしときます。すべてはここ(とタモリ倶楽部)からはじまった(笑)。

昔から実存する工場に“萌え”という切り口で迫った世界認識のアプローチ方法は様々な世界に応用可能です。工場に限らず、そのフェティッシュなたたずまいを発見することに喜びがあるのです。

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2010/01/09

2010年正月を日記風に振り返る

Yuki_20091231_22010年の正月は北日本や北陸で記録的な豪雪のようだ。山口県でも大晦日は結構雪が降った。早朝撮った写真(右)では数センチの積雪。もっとも日中には溶けていたが。

明けて2010年元旦。朝から良い天気だった。午前中は父と二人で初詣へ。初詣というよりは運動不足解消に散歩で遠出したという趣きである。最近は正月に日の丸を掲揚している家をほとんど見なくなったという話をした。子どもの頃はウチも近所も玄関に日の丸を揚げていた。田舎では日常の風景だった。旗を立てるポケットが玄関に備え付けられていたし。

今では国旗を掲揚するだけで右翼に見られる。意識はかわるものだなぁ。日の丸・君が代“強制”反対論者ではあるが、正月の国旗掲揚を色メガネで見る感覚もどうかしてる。いろんな意味でねじれてるな。

近道を通って歩き出したが普段歩かない公園の道などを回ったので遠回りになった。中1の頃、他の中学3年グループにカツアゲされた小路も通ったのでそんな話もしながら歩いた。オレはカネなんて持ってないと言ったのに一緒にいたI村君が正直者でオレが殴られた(笑)。まぁその殴り傷を母が目ざとく見つけてこの犯行は奴らの学校に通報され公になったので一件落着。カツアゲするときは証拠を残してはならない。

母は昨年亡くなった祖母の喪中だということで今年の初詣は控えたいとのことだった。祖母は私にとっても共働きの両親の親代わりのような存在だった。ブログに書きたい思い出は山ほどあったが控えてきた。いつかそんな思い出話もしたくなるかもしれない。

神社の絵馬2010年寅私にとって今年は後厄。昨年が本厄だったのをすっかり忘れていた。祖母が厄を持っていってくれたのかもしれない。祖母の永眠を知って約20年ぶりに連絡をくれた中学時代の友人もいた。ウチに遊びに来たときには必ず祖母がいて、お菓子や飲み物を出してくれた思い出とともに。

それらの中学時代の思い出と中島みゆきの思い出とはつながっていた。「BS熱中夜話」参加のお話しをいただいたとき、喪中にテレビに出ることをためらう思いが正直あった。しかし中島みゆきであれば出ても良いと思えた。そこで新しい出会いもあったし出てよかったと思う。

初詣ではおみくじを引かなかった。なんとなくそういう気分ではなかったから。帰宅途中にコンビニでお菓子と飲み物をたくさん買って帰った。前厄の一昨年には伯母が永眠し学生時代の友人も一人亡くなった。誰もが通る道とはいえ寂しくなっていくものだ。せめてゆっくりと寂しくなればいいと思う。

初詣から帰宅しても、まだ昼前だった。テレビでは実業団駅伝をやっていた。3姉妹の姪たちが起きて来た。お年玉をやらねば。お年玉も自分が昔もらったのをお返しするという感覚でいる。またもらったときの気分なども若干覚えていたりする。

いくら包むかは難しい問題だ。幸いあげる人数が毎年ほぼ変わらないため、ある時期から固定費にしようと思い、学年によって額面を決めている。だから年功序列お年玉だ(笑)。毎年全員の学年を確認できるメリットもある。ただし高校生以上は同額としている。バブル時代じゃないんだし、そこはブレーキも必要だ。

麻雀の塔3姉妹は今年初めて麻雀を覚えた(笑)。中3、中1、小4だ。ひとりは受験生だが大丈夫か?まぁオレが大学受験のときも父と妹がファミコンを買ってきた伝統のある家庭だ。麻雀に一番はまったのは小4の三女。勝負勘が鋭い。他の3人の誰かが入れ替わってもずっと打ち続けていた。中1の次女には全国テスト順位が1桁台に入る頭脳でルールと点数計算を覚えて欲しい。家族ルールからグローバルスタンダードへの鍵を握っている(笑)。長女は受験が最優先だ。2日から塾の講習だったから帰宅して仲間に加わった。本当に大丈夫か??

麻雀の休憩中はもっぱら積み木遊び。そこが子どもらしいところだ。麻雀牌は音がいいから、作るときも壊すときも独特の趣きがある。写真の塔は正月らしく末広がりの八萬牌がてっぺんに乗っかっている。偶然だが。

3日の夕方には東京行きの新幹線に乗った。4時間半で東京に着く。6時間かかっていた頃と比べるとグッと速くなった。帰る前日に、お土産で買って帰っていたケーキを開けた。浦和にあるパティスリー・アカシエのケーキだ。以前アンリ・シャルパンティエのプティ・タ・プティを買って帰ったら姪の長女が気に入ったらしく写メで撮ってくれた。

Cake_akasie_2009長女はかわいいものを作る才能がある。フィギュアに凝っていたときに作った衣装は胸元の網目など実に仕事が丁寧なのだ。そこに目をつけて褒められるオレも結構マニアックなのだが()。

こんなこともあった。3女がバレンタインチョコのお返しを手作りで作っていたのだが包装のデコレーションが物足りない。そこで妹(つまり3姉妹の母)が長女に「かわいくしてあげてぇ」と指示を出すと、ほんの1手間加えただけでデコレーションレベルが格段にアップしたのだ。本当に驚いた。

次女も絵画の才能がある。小学生の頃に書いた油彩の習作(日本の風景)は良い色を出していた。「絵を描いているときが本当の自分になれる」なんて言っていた。ちっちゃい頃から自分で物語を作っては絵を描いていた。また実家においてある我々兄妹の残した(笑)膨大な漫画・小説・雑誌コレクションを次々と読み漁っていた。

学校の先生に「どんな方法で勉強されているんですか」と聞かれてしまうわけだけど、今の論理的思考力とイメージ構想力は赤ちゃんの頃から自然と身についたのだと思う。我々が小中と読んできたモノを幼児のときに読んでるんだから(笑)。まぁまだ中1だ。先は長い。麻雀を覚えることも人生には有意義かもしれない。羽生善治名人は中学時代にプロ棋士デビューしてるわけで、中学時代は何事ももっとも吸収できる時期ではある。

そんな次女には画集を土産に持って帰った。今回はアンドリュー・ワイエスの画集。亡くなった祖母と同い年のアメリカの画家。生まれだけでなく没年も同じになってしまった。英語だけどそのうち読めるようになるだろう。

なにが言いたいのかというと、そういう美的センスの鋭い子どもたち相手だから土産に買う菓子のハードルがあがるってことだ()。そのうえ3女の食欲にも応えねばならない(笑)。出来る範囲で見た目も味も美味しいスウィーツを探したわけ。この写真は最近妹が実益と趣味を兼ねてカメラに凝っているので撮影してもらった。なかなかキレイに撮れてる。やっぱ一眼レフは違うな。いや、腕が違うと日記には書いておこう。

そんな2010年のお正月。新幹線のなかからは徳山のコンビナートが見える。徳山駅を出てから1分程度、「工場萌え」な動画を撮影しながらの新幹線だ。徳山のコンビナートはその筋では有名な工場の夜景が見える。

徳山駅は結構いい撮影ポイントかもしれない。工場と瀬戸内海の島々のコントラストがいい。文明というものをいろいろ考えさせられる風景かもしれない。考えないけど。

工場萌えな動画はこれで3パターン撮れた。そのうちアップしたいと思う。

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2010/01/06

正月番組で拾い物感のあった3人

2010年の正月番組を録画で追っかけているが、注目の3人が決定したので発表したい。ほとんど趣味の世界ですが...。

3位:上原多香子

 上原多香子のトルコ・ベリーダンスの旅は美しかったね。もともと顔立ちもプロポーションもベリーダンスに向いてるな!ブルーレイ映えする(笑)。ベリーダンスの師匠が生まれ育ったトルコの村で、再開発途上の瓦礫の町と化したなかを歩きながら故郷沖縄へ思いを馳せたり、うまく踊れなくて師匠と衣装を試着に行き、衣装を着けることによってダンサーとしてのスイッチが入ったり見所満載。この番組だけじゃなくて今後もベリーダンスを続けて欲しいです。

2位:西部邁

 佐高信氏とやっている「学問のすゝめ」の特番は、作詞家のなかにし礼さんと江戸文化研究の田中優子教授をゲストに4人で雑談。なかにし礼さんといえば歌謡曲。昨年はNHK教育テレビで非常にいい番組をされていました。テーマが歌謡曲になりそうだったので録画しましたが大正解!面白かったです。中でも拾い物感があったのは、西部邁さんの歌声(笑)。いやー、味があるなぁ。音程もしっかりしてるし歌詞もほとんど覚えてるし声も甘いし。佐高さんが「不覚にも涙が出そうになる」とおっしゃってましたが、分かる気がしました。思想を超えて届くもんだなぁ(笑)。

1位:佐藤康光

 今年は何と言っても「大逆転将棋2010」で飛び出した佐藤康光九段の「二歩」ですわ!「二歩」というのは将棋の反則技で、非常に初歩的なものです。プロ対決でも年に1,2回あるとも聞きますが、佐藤康光ほどの棋士が二歩を打つ瞬間なんてそうそう見られるものじゃないです。
 もちろん普通の将棋ではなくて「脳内対決10秒将棋」という企画での話。盤面を見ずに脳内だけですべての指し手を覚え考え打つ、しかも一手10秒以内という厳しいルールの勝負でした。佐藤九段はこの勝負にめっぽう強くここまで毎年の5連勝、すでに脳内対決永世名人と言ってもいいくらいの人だったのです。しかし今回の対戦相手は羽生善治名人!夢の対決でした。非常に緊迫した時間が流れるなかで、まさかの佐藤康光反則負け。誰もが予想しなかった結末でした。
 感想戦で羽生名人も「あそこに歩があるとは思っていなかった」というコメント。最高レベルのプロでも盤面全体までは記憶していない(取捨選択がある)ということと、その取捨のなかに共通認識となるような勝負の熱いスポットと除外ブロックとがあるんだなぁという感想を抱きました。

というわけで、この3人が思わぬ拾い物感があったベスト3でございました。次点は、ETV特集「日本と朝鮮半島2000年」の笛木優子さんです。前から知っていたから拾い物感はなかったのですが、もろにストライクゾーン()かつ韓国語ペラペラというところに憧れます!

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2010/01/03

それでも世界は踊る

2010年になりました。今年もよろしくお願いします。帰省の往路と復路で2冊の新書を読みました。たまたま書店で見つけて購入したものですが、並べて紹介したいタイトルだったので最後に表紙画像を並べてみました。

キーワードはご覧の通り「世界」です。まったく異なる分野の2冊で、ひとつは現代生物学の語り部福岡伸一氏の「世界は分けても分からない」(講談社現代新書)、もうひとつは現代社会の語り部寺島実郎氏の「世界を知る力」(PHP新書)です。

最初に福岡氏のほうを見つけて、一冊じゃすぐ読み終わるのでもう一冊探していて寺島氏のほうを見つけました。関連付けて読む必要はまったくないのですが、連続して読むとなんらかの相関をそこに見出してしまうのもまた読書人間のサガというものでございます。

さらにタイトルに「世界」とついており、一方は「分けてもわからない」と申され、片方は「知る力」と述べられております。いったい世界は分かるのか分からないのか?あーん、面白い ワシが判定してシンゼヨウ!てな調子で読み始めたわけであります。

●マップラバーとマップヘイター

福岡氏のご専門は分子生物学とのこと。それをベースに書かれていますが、とにかく文章がこなれていて読みやすいです。ちょっとミステリータッチな構成でもあり惹き込まれます。身近な事例や擬人化、あるいは美術やの逸話等を駆使して、いつのまにか分子生物学のコラムになっている。動機付けがうまいからすんなり入れました。読み物として面白いので読後感が良いです。

最後のほうはかなりのページ数を割いてマーク・スペクターというガン研究における天才(天災?)研究者の光と影の物語を紹介しつつ、実験科学の危うさと科学者の誰もが誘惑される“天空の城”について述べられます。天空の城を目指す人々の想いそのものが、第2章で視線の考察に使われたヴィットーレ・カルパッチョの絵画や須賀敦子さんのエッセイ「ザッテレの河岸で」(新潮文庫『地図のない道』に併録)と重なっていくくだりはもう見事に文学してます。

福岡氏の「世界」とは狭義では生物学の世界といえます。その世界認識の方法論にマップラバーとマップヘイターという面白い分け方が出てきます。地図が大好きな人々と地図より勘に頼る人々です。福岡氏はこの違いをジグソーパズルで説明されています。私は迷路の作成を思い浮かべました。

子どものころ迷路を作るのに凝った時期があります。「迷路を作る」というのは結構難しく楽しい作業です。いかに迷わせ最終的に一本通った筋を残すか。迷路を作る作業というのはまさにマップラバーな作業です。入口と出口を決めて、その間の経路を全体を眺めつつ複雑にしてゆきます。では迷路を解く挑戦者はどうでしょう。

どんな迷路も必ず抜けられる方法があります。それは左右どちらかの壁伝いに歩き続けることです。行き止まりも気にしません。壁は必ず出口までつながっていますから。この方法論はマップヘイターといえそうです。全体が見えないなかで壁伝いに手当たり次第に歩くだけです。でも確実に出口にたどり着きます。

ただパズルにしろ迷路にしろ決定的に実験科学と異なる点があります。必ず答えがあるのです。そういう意味ではパズルも迷路も確かなマップがあるなかで、場当たり的方法論の有効性や優位性を安心して試せる場といえます。

しかし実験科学には確かなマップがない。あるいはマップ通りの進行では発見がないとも言えます。出口のない迷路に迷い込む危険が常にあり、そこで真のマップヘイターとなれるか、嘘でもいいからマップを作ってしまうか、そういう不安や誘惑との戦いがあるわけです。

...と、ここまで書いてきて、なぜ世界が分けてもわからないのか、まったくわからないままですよね?そうなんです。どれだけ個々の章について書いても結局分からないと思うんです。もちろん全体と部分との捉え方で世界の見え方が変わるという示唆はたくさん出てきます。またエピローグではまとめのような話も出てきます。

しかしおそらくそんな表層的かつ部分的な捉え方から一歩踏み込んで(あるいは俯瞰して)みると、この新書の通奏低音のようなものに部分と全体との分かちがたさが滲んでおり、いろんなエピソードを重層的に捉えることで分かちがたい世界を表現しているかのようなのです。

分かちがたい世界を分かち、動的な全体を静的な部分として捉えることしかできない最先端科学の苛立ちを伝えたかったのかもしれません。同時に、進むべき方法論がそこにしかない以上、少しでも世界を知るためにはあえて分かつことも必要であるということかもしれません。

●ネットワークのなかに日本をどう捉えるか?

福岡氏の著書によって「世界は分けてもわからないが、分けてみなければわからない」という禅問答のような頭になっていたところに、寺島氏の大変分かりやすい世界認識の方法論はまた違った面白さがありました。なんたって最初から世界を知る気マンマンですから!

もっとも注目すべきは歴史に学ぶという姿勢でしょうか。「歴史に学べ」というのはジム・ロジャーズおじさんや藤井財務大臣もおっしゃってる。その学び方といいましょうか捉え方が寺島氏らしい新書です。

大中華圏やユニオンジャックの矢、そしてユダヤネットワーク。悠久の歴史の流れを背景とするこれらのネットワークは現代においてもしっかりと根付き、様々なビジネスや文化交流の地盤となっています。これを読むとイギリスのビートルズがインド文化に触れる自然な流れすら深読み出来そうな気分になります。

これらのネットワークというのは、世界にレイヤーをかけて見る感覚といえそうです。レイヤーというのは「層」です。単純に地図を見るのではなく、ある関係性なりキーワードなりでつないでいくと、見えなかった全体像が見えるようになります。私が昔日本地図をご当地ラーメンのレイヤーをかけてみたように(笑)、世界を様々なレイヤーによって色分けしてみることで世界を知ろうというわけです。

つまり世界を空間(地理)的な部分で切り分けるのではなく、時間(歴史)的な動きによっていくつもの層でグループ化して認識しようという試みのようです。これは「世界は分けてもわからない」という福岡氏の分子生物学にも通じる部分ではないでしょうか。

「全体知」という何かがそこにあるわけではありません。人類の関係性を“知る”ために、そして現代という歴史の最先端を“知る”ために、このような方法論を提示していただいたわけです。

それらを踏まえたうえで日本を語られているのですが、正直私には日本が孤立化を辿っているとしか思えませんでした。湯けむりスナイパー新春2時間スペシャルの「50年愛」じゃないですが(笑)、アメリカへの約50年間の片思いという形でしかグローバルな視点を持ち得なかった日本は、アメリカを含むあらゆるグローバルネットワークのエアポケットのような存在になろうとしています。

寺島氏の場合は現政権とも近いため「何とかしたい」との思いで書かれているとは思うのですが、その立場から離れて日本を認識するとエアポケット以外のなにものでもない。冷静な歴史認識を学校教育にも採用する必要がありそうですが、新しい歴史を作りたい人々によって歪んだまま繁栄してきたこの国ではちょっとムリだと思いました。

日清戦争以降変化した大陸へのバイアスから“降りる”のには、まだまだ時間がかかります(教育とセットでなければ時間だけではムリですし)。歴史認識を他国と共有して未来を創造する意志を持たない限り、地理的にも歴史的にも厳しい立場に追いやられそうです。もっとも「国家」を意識しない個人としてのグローバル化は可能かもしれません。

●極私的な世界認識論

世界を知ることが出来ようと出来まいと人は世界を知りたいと思う生き物のようです。その思いが生産活動の源泉になっているのかもしれません。

私の場合、マップヘイター的に様々な事象を比喩的に捉えて別の世界にあてはめたい願望が強いです。それが可能な人間の活動とは、もしかすると細胞や分子・原子の活動と黄金比でつながっていて、結局のところ細胞の運動を拡大再生産しているだけかもしれないなと思ったりします。いまの自分が未分化の細胞なのか、機能が確定した細胞なのか、まだわかりませんが...。

個人としての活動も社会とどこかでつながっています。社会も地球とつながり、地球は宇宙とつながり、宇宙は...。それらの動きがすべて比喩的に表現できることの発見と自覚が理性を生み、様々な科学や芸術の成果物として提示される。そういう仮説に立てば、未知の世界をマップラバー的仮説(比喩)を用いて進むことが可能です。

「未知の世界と身体とは何らかの黄金比でつながっている」というこの世界認識論もまた甘美な“天空の城”と怒られそうですが、そのようなロマンチストであることも生きる意味を考えるうえで有効ではないでしょうか。そもそも生きる意味なんて分からないんですから。どこかで納得してあえて生命活動を止めないという、ただそれだけのことかもしれません。分からない世界を分かろうとする意思がある限り、人は死のうとは思わないでしょう?世界は分からないからこそ生きる価値があるともいえそうです。そんなことを考えた2010年の正月でした。

世界は分けてもわからない世界を知る力

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