google-site-verification=o_3FHJq5VZFg5z2av0CltyPU__BSpMstXTEV1P8dafg 2010年正月を日記風に振り返る: ひとくちメモ

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2010/01/09

2010年正月を日記風に振り返る

Yuki_20091231_22010年の正月は北日本や北陸で記録的な豪雪のようだ。山口県でも大晦日は結構雪が降った。早朝撮った写真(右)では数センチの積雪。もっとも日中には溶けていたが。

明けて2010年元旦。朝から良い天気だった。午前中は父と二人で初詣へ。初詣というよりは運動不足解消に散歩で遠出したという趣きである。最近は正月に日の丸を掲揚している家をほとんど見なくなったという話をした。子どもの頃はウチも近所も玄関に日の丸を揚げていた。田舎では日常の風景だった。旗を立てるポケットが玄関に備え付けられていたし。

今では国旗を掲揚するだけで右翼に見られる。意識はかわるものだなぁ。日の丸・君が代“強制”反対論者ではあるが、正月の国旗掲揚を色メガネで見る感覚もどうかしてる。いろんな意味でねじれてるな。

近道を通って歩き出したが普段歩かない公園の道などを回ったので遠回りになった。中1の頃、他の中学3年グループにカツアゲされた小路も通ったのでそんな話もしながら歩いた。オレはカネなんて持ってないと言ったのに一緒にいたI村君が正直者でオレが殴られた(笑)。まぁその殴り傷を母が目ざとく見つけてこの犯行は奴らの学校に通報され公になったので一件落着。カツアゲするときは証拠を残してはならない。

母は昨年亡くなった祖母の喪中だということで今年の初詣は控えたいとのことだった。祖母は私にとっても共働きの両親の親代わりのような存在だった。ブログに書きたい思い出は山ほどあったが控えてきた。いつかそんな思い出話もしたくなるかもしれない。

神社の絵馬2010年寅私にとって今年は後厄。昨年が本厄だったのをすっかり忘れていた。祖母が厄を持っていってくれたのかもしれない。祖母の永眠を知って約20年ぶりに連絡をくれた中学時代の友人もいた。ウチに遊びに来たときには必ず祖母がいて、お菓子や飲み物を出してくれた思い出とともに。

それらの中学時代の思い出と中島みゆきの思い出とはつながっていた。「BS熱中夜話」参加のお話しをいただいたとき、喪中にテレビに出ることをためらう思いが正直あった。しかし中島みゆきであれば出ても良いと思えた。そこで新しい出会いもあったし出てよかったと思う。

初詣ではおみくじを引かなかった。なんとなくそういう気分ではなかったから。帰宅途中にコンビニでお菓子と飲み物をたくさん買って帰った。前厄の一昨年には伯母が永眠し学生時代の友人も一人亡くなった。誰もが通る道とはいえ寂しくなっていくものだ。せめてゆっくりと寂しくなればいいと思う。

初詣から帰宅しても、まだ昼前だった。テレビでは実業団駅伝をやっていた。3姉妹の姪たちが起きて来た。お年玉をやらねば。お年玉も自分が昔もらったのをお返しするという感覚でいる。またもらったときの気分なども若干覚えていたりする。

いくら包むかは難しい問題だ。幸いあげる人数が毎年ほぼ変わらないため、ある時期から固定費にしようと思い、学年によって額面を決めている。だから年功序列お年玉だ(笑)。毎年全員の学年を確認できるメリットもある。ただし高校生以上は同額としている。バブル時代じゃないんだし、そこはブレーキも必要だ。

麻雀の塔3姉妹は今年初めて麻雀を覚えた(笑)。中3、中1、小4だ。ひとりは受験生だが大丈夫か?まぁオレが大学受験のときも父と妹がファミコンを買ってきた伝統のある家庭だ。麻雀に一番はまったのは小4の三女。勝負勘が鋭い。他の3人の誰かが入れ替わってもずっと打ち続けていた。中1の次女には全国テスト順位が1桁台に入る頭脳でルールと点数計算を覚えて欲しい。家族ルールからグローバルスタンダードへの鍵を握っている(笑)。長女は受験が最優先だ。2日から塾の講習だったから帰宅して仲間に加わった。本当に大丈夫か??

麻雀の休憩中はもっぱら積み木遊び。そこが子どもらしいところだ。麻雀牌は音がいいから、作るときも壊すときも独特の趣きがある。写真の塔は正月らしく末広がりの八萬牌がてっぺんに乗っかっている。偶然だが。

3日の夕方には東京行きの新幹線に乗った。4時間半で東京に着く。6時間かかっていた頃と比べるとグッと速くなった。帰る前日に、お土産で買って帰っていたケーキを開けた。浦和にあるパティスリー・アカシエのケーキだ。以前アンリ・シャルパンティエのプティ・タ・プティを買って帰ったら姪の長女が気に入ったらしく写メで撮ってくれた。

Cake_akasie_2009長女はかわいいものを作る才能がある。フィギュアに凝っていたときに作った衣装は胸元の網目など実に仕事が丁寧なのだ。そこに目をつけて褒められるオレも結構マニアックなのだが()。

こんなこともあった。3女がバレンタインチョコのお返しを手作りで作っていたのだが包装のデコレーションが物足りない。そこで妹(つまり3姉妹の母)が長女に「かわいくしてあげてぇ」と指示を出すと、ほんの1手間加えただけでデコレーションレベルが格段にアップしたのだ。本当に驚いた。

次女も絵画の才能がある。小学生の頃に書いた油彩の習作(日本の風景)は良い色を出していた。「絵を描いているときが本当の自分になれる」なんて言っていた。ちっちゃい頃から自分で物語を作っては絵を描いていた。また実家においてある我々兄妹の残した(笑)膨大な漫画・小説・雑誌コレクションを次々と読み漁っていた。

学校の先生に「どんな方法で勉強されているんですか」と聞かれてしまうわけだけど、今の論理的思考力とイメージ構想力は赤ちゃんの頃から自然と身についたのだと思う。我々が小中と読んできたモノを幼児のときに読んでるんだから(笑)。まぁまだ中1だ。先は長い。麻雀を覚えることも人生には有意義かもしれない。羽生善治名人は中学時代にプロ棋士デビューしてるわけで、中学時代は何事ももっとも吸収できる時期ではある。

そんな次女には画集を土産に持って帰った。今回はアンドリュー・ワイエスの画集。亡くなった祖母と同い年のアメリカの画家。生まれだけでなく没年も同じになってしまった。英語だけどそのうち読めるようになるだろう。

なにが言いたいのかというと、そういう美的センスの鋭い子どもたち相手だから土産に買う菓子のハードルがあがるってことだ()。そのうえ3女の食欲にも応えねばならない(笑)。出来る範囲で見た目も味も美味しいスウィーツを探したわけ。この写真は最近妹が実益と趣味を兼ねてカメラに凝っているので撮影してもらった。なかなかキレイに撮れてる。やっぱ一眼レフは違うな。いや、腕が違うと日記には書いておこう。

そんな2010年のお正月。新幹線のなかからは徳山のコンビナートが見える。徳山駅を出てから1分程度、「工場萌え」な動画を撮影しながらの新幹線だ。徳山のコンビナートはその筋では有名な工場の夜景が見える。

徳山駅は結構いい撮影ポイントかもしれない。工場と瀬戸内海の島々のコントラストがいい。文明というものをいろいろ考えさせられる風景かもしれない。考えないけど。

工場萌えな動画はこれで3パターン撮れた。そのうちアップしたいと思う。

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コメント

工場萌え動画が気になるっちゃ。
(山口県赤間弁)

投稿: あんどう | 2010/01/10 00:06

ロボット萌えのあんどうさん、あけましておめでとうございます。あいかわらずメタリックな感触が好きじゃねぇ。

じゃけどこうして要望してくれると動画をアップするタイミングができるけぇ、ぶちうれしいんちゃーね。

それで次の記事に朝から動画3連発で加工してアップしちょるけぇ見ぃさんね。

2010年は「工場蕩れ」ちゅうほうがキャッチーじゃったかもしれんけどね()。蕩れーはほんとに来ちょるんかねぇ???

投稿: ポップンポール | 2010/01/10 12:13

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