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2009.12.12

私の今年の漢字は「降」

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今年の漢字は「」だとか。なるほどね。ボクの今年の漢字は「降」です。もちろん「降りてゆく生き方」から取ってます。

「降」のイメージをなじみの言葉に置き換えてみると、「パラダイム・シフト」が近いように思います。今の時代におけるパラダイムシフトこそ降りることであるという意味で。

「降りる」をどう表現すれば伝わるのかをいろいろ考えてます。どうしてもマイナスイメージを持ってしまう人が多いから。そういう意味では「降」はコマーシャルな言語とはいえません。そしてまさにそこがいいなと思えたのです。

世の中コマーシャルな言語があふれてて、もううんざり...。その真っ只中にあえて住みたい願望があったことも認めます。若さゆえ。バブルゆえ。でも、もううんざり(wobbly)。もっと素でいたい願望にシフトしてきているって感じです。

でもそれは後ろ向きじゃない。それを説明する方法をまさに電車から降りるときに思いついたわけです。このコマーシャリズムにこりかたまったアタマで(笑)。

「降車」ってマイナスイメージありますかね?あるいはただ動作を示しているだけでしょうか?

そこでこう考えて見ます。電車に乗って乗り続けているだけじゃ次の行動が始まりません。乗った電車は必ず降りる必要があり、降りた先に本当の目的があるわけで。

生き方を「電車」に例えてみます。通勤電車じゃ他人とのふれあいが満員の不快感か痴漢か痴漢冤罪くらいしかないから、旅先でのゆったりした電車がいいかも。もっとも通勤電車のような人生もあるので、それでもいいですが。

電車の旅は乗車・降車の繰り返しですわ。電車のなかで出会う人よりも降りて出会う人のほうに価値がある。電車内には多くの人がいますけれど、それはすれ違うだけであって出会ってない。

電車内はインナートリップ。降りるまでの準備期間です。降りた先で新しい世界に出会う。そしてまた電車に乗って次の地へ向かう。

そう考えると、時間が許す限り降りたほうがいいんです。道草したほうが実りが多い。「道草」って本当に楽しい(笑)。昔から道草こそ人生とは言ってきましたが、それは降りるという行為と結びついて、行動範囲が広がります。

子どもの頃の道草は、まぁ電車の2両目から3両目にテクテク歩いていってるようなもの。それが電車を降りることを知り、外の世界を見つけるわけです。降りなければ絶対に見つからない世界が広がっているわけ。

実はコマーシャルな言語も最初は降りてから発見するものじゃないですか?そしてアイデアはまさにそんなときに「降臨」するんで。かき集めた情報をいったん忘れることができたとき、突き抜けたアイデアが生まれるみたいな。

でもその純粋なアイデアに化粧をして洋服を着せてマスに届ける。そこに商業的な論理が働く。それが悪いってわけじゃないけど、もう飽和状態なんですわ。あらゆるアイデアがコマーシャルなんじゃないかと疑わざるを得ない。それに疲れた。

だから降りちゃう。降りちゃえば虚飾への抵抗力が強くなるし。もしかしたらまた乗る日が来るかもしれない。それはそれでいい。まず降りなきゃはじまらない。次に乗る電車はきっといま降りた電車とは違うだろう。だから楽しい。

今年はまさにそんな年だったと思った。悲しいこともうれしいことも含めて、いろんなことから「降りた」一年だった。すこし道草していこう。道草人生、降りるが価値!

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