グルーブしてきたぞ!小公女セイラ
TBSドラマ「小公女セイラ」がようやくグルーブし始めた。適当にグルーブなんてカッコつけて言ってみたかっただけじゃないぞ(>それもあるのか?)。
不幸な娘を演じさせたら今の日本に敵なしの志田未来(好敵手は谷村美月か?)。これ以上ない不幸な役だけに初回は不安もあった。だって、志田未来が不幸な子を演じるなんて当たり前すぎるのだから。
さらに脚本が岡田惠和さんだ。この人も超名作の「彼女たちの時代」や「ちゅらさん」、そして「銭ゲバ」と明暗のふり幅が大きい人だ。その暗側の要素である“若者の苦悩”を描かせたら切れ味鋭いホンを書かれる。鋭すぎてお茶の間にはきっついときもあるかも。
そんな岡田脚本が「小公女セイラ」といういわば少年少女文学全集的な底本をどれだけアレンジしてくれるのか、志田未来をどこまで不幸のどん底に陥れてくれるのか、それが注目点でもある。志田の不幸演技と岡田の不幸脚本とのタッグマッチ。これがこのドラマを見るオレの視点なのであった。そこには強力な磁場が発生してもおかしくない!
志田未来については、「正義の味方」以来、1年ぶりにブログに書く。「正義の味方」は、豪華な共演者にあえて目もくれず志田未来の未来を占った。その結果としての「小公女セイラ」なのだ。舞台は整った。磐石ではないか。
共演者では、田辺誠一が今後どう動くかにも注目。「ふたつのスピカ」では桜庭ななみにキツく接しつつもいい教師役だった。今回はセイラに理解を示しつつ、いまだ真正面から助け舟をださない教師役だ。同じく斉藤由貴。「歌姫」の婆さん役のときはちょっとビックリしたが、今回はなかなかのハマリ役。真逆のハマリ役である樋口可南子との対比もいい。意地悪お嬢は映画「おっぱいバレー」に出てた小島藤子。この子もはまってるな。存在感がある。
そもそも最初に持った不安は、インドから来た富豪の娘とか全寮制女学院という設定そのものが浮世離れしており寓話的だったことだ。そんなマンガ的な虚構のなかで岡田脚本のリアルな切り口がどのように展開できるのかに少なからず疑問を持っていた。明るいほうでは結構マンガ的なところもある岡田さんではあるが。
しかし今日の次回予告を見て「キター!」と思った岡田ファンもいるのではないだろうか。なんだか駆け落ちチックに田舎に逃げているセイラとカイト。この横展開は岡田さんの「夢のカリフォルニア」でも感じたサイドストーリーの効能を充分期待させる。
ボクはドラマの本筋(縦展開)のなかにふっと挿入される逃避や逃走、プチ旅などの展開が好きで好きでたまらない。外伝的な面白さもあるし、ドラマの本筋をもっと深めてくれる心境の変化がそこに表現されるから。そこにはなにか“降りてゆく”感覚があるような気がする。ふと我にかえることが出来る人生の道草のような部分だ。
セイラとカイトが女学院を出る意味、それはまったく異なるリアルな環境が用意されることを意味する。つまり本来岡田脚本のあるべき場所へセイラを引きずり出して来るってことだ。そうこなくっちゃと思わずにいられないだろ。
という理由で、小公女セイラがグルーブし始めたと書いたわけだ。
今夜の小公女セイラでは、ロミオとジュリエットの舞台劇も良かったね。舞台に立つ志田未来。舞台もいけるんじゃないか!?志田未来のオーラを舞台で感じてみたい。そんな日も来るかな?
話しは変わるけど、ロミオとジュリエットといえばオリビア・ハッセーだよ。ボクははじめてオリビア・ハッセーを見たときに、こんなに美しい人類がいるのかと思ったね。まさか布施明と結婚するなんて夢にも思わなかったけど(笑)。
右画像は1981年第9刷のシネアルバム22巻です。1980年代前半のオレは本当に映画に音楽に文学に絵画にプロレスにと忙しかったなぁ。中学から高校の時代ってかなりいろんなモノを吸収できる時代なんだなと改めて思う。インターネットなんてない時代の片田舎で、都会のヤツらに情報量で負けないようにとホントがんばってたよ(笑)。その飢餓感が良かったのかも。一生モノの知的財産だね。
いま中学生の諸君は勉強しなくても良いから(してもいいけど)、何かにのめりこむ瞬間をぜひ体験しておいたほうがいい。中学時代に体験しないと一生そんな瞬間は来ないよ。純粋にのめり込めるのは経験値が低ければこそだから。そういう意味じゃがんばったほうがいい。中学生はみんなプリンセスなのよ!
それと、ドラマのなかでロミオとジュリエットのテーマを久々に聞いたな。気分が本当に中学時代にタイムスリップしたよ。今夜は映画音楽を聴きながら寝よう。
フィリップ・アーバーグのピアノによる映画音楽集はかなり良いです!このなかのロミオとジュリエットは感動ものですわ。初冬にピッタリのハートウォーミングな演奏でございます。これで決まり!!
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