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2009年11月の22件の記事

2009/11/29

みくちメモでひとくちメモの中島みゆき記事目次

とりあえず中島みゆきナイト第二夜も終わったところで、いったん中締めしましょ。お会計は「みくちメモ」で。

「みくちメモ」をはじめて知った「ひとくちメモ」読者の皆さま。
実はひとくちメモはみくちメモまで分家があったんです(笑)。


しかし「みくちメモ」は2006年11月に1本書いて以来放置してました。
そんないくつもブログを書けるほどネタがない!


「みくちメモ」のコンセプトは、有名人・無名人ウォッチングでした。
でもそれ何でもありの本家「ひとくちメモ」でも書いてるし!
本来、遠藤憲一ネタなんかは「みくちメモ」向きだったりするわけです。
ブログ書き分けって面倒だし。仕事じゃないんだし。

しかし今回中島みゆきナイトに参加した方のブログがアメブロで。
コメント残すにはアメブロ会員じゃないとダメらしくログインしまして。
せっかくログインID覚えてたので、そいじゃ何か書いとくかてな調子で。


たまたまコンセプトの「有名人ウォッチング」にふさわしいみゆき様ですし。


というわけで、3年ぶりの「みくちメモ」は過去に書いた中島みゆき関連コラムのリンク集となっております。


ひとくちメモでは右サイドバーのサイト内検索で「中島みゆき」と入れていただければ全部見れますけれどね。


あと「みくちメモ」があるなら「ふたくちメモ」もあるんじゃないか
そう思った方、するどい

「ふたくちメモ」のコンセプトは「人生はレトリックで表現しきれるか?あらゆるものは人生のメタファたりえるか?ふたことめには人生を語るブログ。」です。

...が、こっちもほとんど放置状態。だって書き込むと検索エンジンに拾われちゃうんだもん!そっとしておいてくれない。でも非公開にはしない。そんな立ち位置が「ふたくちメモ」です。

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2009/11/28

第二夜は夜会 魅力は大きく動く中島みゆき

第一夜(後夜祭)に引き続きまして、昨日放映された「BS熱中夜話中島みゆきナイト」の第二夜について言い訳、いや感想戦をはじめたいと思います。

中島みゆきファンによる「夜会」話。この会自体が非常に濃い。だからファンから出て来る感想や魅力も非常に濃い。そんななか「夜会の魅力は?」と聞かれて「大きく動く中島みゆき」と応えてしまったワタクシ...。

いま思い返せばスタッフさんから「(魅力は)大きく動く中島みゆきでいいですね?」と念押しメールが来た時点で、ノリが違うのかな?と気付くべきだった(笑)。しかし本番前スケッチブックに「大きく動く中島みゆき」と書いてしまった。そしてオンエアされてしまうワタクシ...。

およびでない?およびでないね?コリャマッタ失礼いたしやした!と植木等のような気分であった(笑)。本番中の話だぞ。まぁ、その異質なノリが夜会の魅力の多様性を語る一助になっていたと前向きに解釈しとこう。

ただ、そんな雰囲気を悟ったワタクシめが自分をフォローするかのように発した着眼点こそが「マイクを離さない中島みゆき」だった。「夜会」の舞台でどんな態勢でいようとも、でっかいマイクで歌う中島みゆきという視点だ。

●マイクを離さない中島みゆき説の裏話

前々からそれに気付いちゃいたがこの本番で言う気は実はなかった。でも「寝て歌う」から話し始めたゆえ、なにかまともなこと言っとかなきゃこの場が締められないなと「24時着 0時発」のVTRが流れている間にとっさに考えたのが「寝ていてもマイクを離さない中島みゆき」だった。

この考えがまともだと思っているんだから相当あせってた(笑)。「大きく動く」も「寝ていてもマイクを離さない」も発言の異質さに大差ない...。だけど、それを救った(と自分で思ってる)のが「マイクはシンガーとしての矜持」というコンセプトだったのだ

この「夜会」をどんなキーワードで表現するか。田家秀樹さん風に言えば“世界的にも他に類を見ない舞台表現”である「夜会」なのだが、例えばこれを演劇だと捉えてみると、あのでっかいマイクには相当な違和感がある。でも観客は誰も違和感を覚えない。それはなぜか。中島みゆきがまぎれもなくシンガーだという不文律があるからだ。

荷物を抱えて両手がふさがっているシーンでもマイクを持っている。電話をかけている場面ですら右手に電話、左手にマイクなのだ。ヘッドセットマイクを使った夜会もあるにはある(Vol.5の時間泥棒など)。しかし基本的に「夜会」のマイクは歌唱用のでっかいマイクだ。

このマイクの存在感が「夜会」を演劇でもコンサートでもないものにしている一因だと思う。同時に主演がシンガーであるという主張を端的に示すのにこのマイクパフォーマンス(?)は非常に効果的だと思うのだ。

ワタクシはそのマイクの違和感と存在感に、シンガーソングライター中島みゆきが舞台に立っている(あるいは寝ていたり踊っていたりする)「夜会」のオリジナル性を感じるのだ。そこに共鳴して、この第二夜でのワタクシ自身も異質であろうとしたのかもしれない(>オレいま相当こじつけてるかな?)。

●大きく動く中島みゆき願望を紐解く

そもそも夜会の魅力が「大きく動く中島みゆき」というのは、1980年代までをドップリ中島みゆきの音楽で過ごしてきたから出てきた素直な感想だった。初めて生で中島みゆきを見たのは1984年のコンサート「明日を撃て!」だった。

2003年のコラムにも書いてるけど、両親協力のもと市内のレコード店を駆け回り、徳山市文化会館の立ち見チケットをやっと1枚手に入れてのコンサートだった。最初の曲は「僕は青い鳥」の弾き語り。LP「はじめまして」が出る前だったのでコンサートではじめて聴く曲だった。身体が震えた。

当時、テレビに出ないフォークシンガーが流行ってた。それがかっこいいという感覚も持ってた。もっともアイドル全盛時代でもあり、テレビに出る歌手も大好きだった。ジャンルが違うと思ってた。みんなちがって、みんないい(金子みすゞ)。

中島みゆきはテレビに出ない派。まだビデオだってそれほど普及していない時代でコンサートのビデオが発売されたりもしない。「動く中島みゆきを見る」ということは夢のまた夢だったのだ。ましてや大きく動くとこなんて。小さくてもいい、動いていてくれれば()。

そんな中島みゆきのコンサートだ。聞き漏らすまいと集中していたことは間違いない。確かに動いていた(笑)。大きく動くなんて望まない。ただ目の前でギターを爪弾いている中島みゆきの指先を欲していた。口の開閉と歌詞がシンクロしていた。

上京して初めて見た夜会は「シャングリラ」だった。動いてたね。それも大きく動いてた。レコードで聴きまくった楽曲群が新しい装いで舞台に提出される。新曲もある。「シャングリラ」はちょうど夜会の端境期にあたる。既発表曲と夜会オリジナル曲とが混在していた。

当時は新旧混在の意味や、中島みゆきさんがこれまでそしてこれからの夜会をどう紡いでいくかといった深い部分までの考察は出来ず、ただただ動く中島みゆき見たさに劇場へ行った。上京=動く中島みゆきへの接近だったのだから。コンサートで初めて見た動く中島みゆきから10年が経っていた。

その「シャングリラ」からも既に15年の月日が流れた。そんな体験を21世紀まで引きずってるわけさ。「夜会」はいまも行われている。そこへ行けばまさに「大きく動く中島みゆき」がいるのだ。それだけで感動できるのは過去の渇望が脳にインプットされているからに他ならない。

「舞台なんだから動くのはあたりまえ」と思っている諸君!それが当たり前じゃない時代があったんだよ。電話を持ち歩けるのも、テレビにリモコンがついてるのも、自宅で新幹線のチケット予約ができるのも、中島みゆきが動くのも、みんな地上の星たちの歴史があってこそなのだ

だから声を大にして言うぞ。夜会の魅力は「大きく動く中島みゆき」なのだと。

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Twitterのブログパーツを設置してみた

このブログ「ひとくちメモ」をはじめたのは2003年の冬でした。もうすぐ6周年です。ブログをはじめたときのコンセプトはタイトルどおり「ひとくちメモ」で、一言で日々おもろいネタを書き続けようという崇高な理念ではじまったわけです。記念すべき1作目はこちら(笑)。ここから怒涛のひとくちメモっぷりがしばらく続いております。

サブタイトルは“ふたくち禁止”でした。いまタイトルのフラッシュバナーが流れている部分にそう宣言しておりました。つまりひとことで完結させるという強い決意の現われだったわけであります()。デザインだって初期にココログから提供されたシンプルなものを頑固一徹に使い続けているわけです。

しかし人間、そうそうオモロイひとくち話なんて出てきまへんがな)。

そもそもWebサイトで長文書いていたので、そのカウンターカルチャーとしてひとくちブログをはじめたわけです。そのうちブログの手軽さにはまって、Webサイトの更新頻度はガタ落ち。ほとんどひとくちメモだけになっちゃいました。時を同じくしてひとくちメモも長文化の一途を辿っている次第です。

そんな6年目の冬にして、Twitterなる黒船をブログパーツとして設置しちゃいました。

キーワードはまさに“ひとくち”でんがな。そもそものコンセプトであるひとくちメモをブログパーツで実現できたら、ブログ長文化の免罪符になるやないか 1フレーズ替え歌とか、憎まれ口とか、めんどうな話はぜーんぶTwitterに入れていけばええやん。そんな気分で設置してみました。

続くかどうかは分かりませんが、とりあえず軽いノリでよろしく。

ところで、オバマは地球外生命体の公式発表をしたのだろうか?>みたいなことはTwitterに書けばいいんだろうな。まだまだ慣れない。ブログをはじめたときもそうだったけどね

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2009/11/25

加藤夏希がいい仕事した リアル・クローズ

いやー、ドラマ「リアル・クローズ」も後半戦に突入してるけど飽きないね。前に「アグリー香里奈?」って書いたけど、初回のアグリーベティ的雰囲気から離れてジャパンオリジナルなTVドラマになってきてるじゃん。主題歌の「きっと大丈夫」を含む坂詰美紗子の1stアルバムも本日発売です。

さて、昨日のリアル・クローズは、契約社員の凌(加藤夏希)がいい仕事しましたね。小西まみ(中別府葵)の部屋でいきなり小西が大切にしてた雑誌のページを引き裂いて、ミックスコーデのサンプルを作ろうと切り貼りをはじめちゃう。他の面々も同調し、出来上がったのはルーズリーフに貼ったオリジナルなコーディネイトの数々。そしてまみに対して、あなたに本当に必要なのはこれだ!と励ます。

このシーンは、なんだかちょっと感動。現実にはオレの雑誌コレクションを引き裂かれたら、その時点で鍋大会も修羅場で終わり、このような感動的なストーリーにはならないとは思うが、そこはドラマだ(笑)。新しいモチベーションの生まれる瞬間をうまく表現できてたと思った。

ファッション業界やデパート業界というところも見た目にわかりやすくていいっす。映像がそれだけで華やかになるので、見ていてやっぱり楽しいし。

次回(第8話)は“ニット”。そういえば先週はTシャツだった。なんだかこの週替わりラインナップを見ていると「仕立屋工場」という深夜番組を思い出すな。どこへいったんだ最強のフューチャーアイズ!?そしてその対戦相手のチームは確かニットをウリにしてたチームだったな。

それはそうと、加藤夏希ですよ。ボクにとっては「幻のペンフレンド2001」のアンドロイド本郷令子役が印象的でしたな。この年は映画「エコエコアザラク」で黒井ミサ役もやってる。エコエコアザラク・エコエコザメラク...。子どものころ単行本読んでましたよ。

そのあたりからもうボクの琴線に触れるルート出身なんですよね(って桜庭ななみのときもそんなこと言ってるから、ぼくの琴線ってウッドベースくらい太い線かも)

その後は、NHK教育の「100語でスタート!英会話」のアシスタントがなぜか印象に残っております。この番組は結構画期的で、コーパスを駆使して使用頻度の高い単語100語から英会話をスタートさせようという番組でした。

加藤夏希って独特のポジションにいますよね。顔立ちも昭和を感じさせつつしかしどっか異邦人なところもある。アニメ・特撮マニアというとこは今風アイドルだし(それも一朝一夕には獲得できない特技だし)。結構声も一度聞くと忘れない感じで、記憶に残るタイプの女優だと思ってます。

リアル・クローズ、あと数回ですけれど、終わらないで欲しいなぁ...。続編企画ないっすかね?SPでもいいし。

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2009/11/23

脳内曲名 た行編

三連休も今日で終わり。ほとんどハヤシライスだけで過ごした感じだ。昔から、スタートレック丸ごと24時間などにチャレンジ(?)するときはハウスクリームシチューだったが、ドラマ「流星の絆」のときにハヤシライスを作って以来、具の少なさ=作りやすさでハヤシライスにはまった(笑)。たまねぎと牛肉だけでいいなんて!ボクはマッシュルームもついでに入れる。ただ缶詰を買い足すだけでいいから。ただしこれを作ってしまうとほとんど引きこもり状態になってしまう。スーパーカブ110で遠出するなんてまるで遠い遠い御伽噺の世界...。

ハヤシライスのルーといえば「ハウス完熟トマトのハヤシライス」だ。レトルトはサラサラし過ぎで好みじゃないけどルーは絶品!ルーはデリシャス!これ以外には考えられないくらいラブなのよねぇー。ルー話だからってルー大柴口調になる必然性はまったくナッシングなわけだが。ハウスシチューが好きだったから、きっとハウスの調合が舌にマッチングなのだろう。

というわけで、ヒマをもてあそぶには脳内曲名。朝から頭のなかを掃除して、次のDVD「イカレスラー」に取り組むこととする。ちなみにここまで見てきたのはドラマを除くと「苺の破片(イチゴノカケラ)」「タナカヒロシのすべて」(>何の役にも立たない情報)「ドラッグストア・ガール」などの日本映画。半額セールで買ってきたのだ!

今回は退屈しのぎにた行編。

た:タッチ
ち:チャイニーズ・フード
つ:ツァラトゥストラかく語りき
て:天までとどけ
と:吐息でネット

た行はちょっと苦労したな。「つ」が...。

タッチはアニメ「タッチ」の主題歌。岩崎良美。あだち充のいわゆるザ・ガールの世界ですね。ボクはあんまりはまらなかったけど、80年代男子は「タッチ」だ「みゆき」だとみんな読んでた。

チャイニーズフードは井上陽水の変な曲。陽水が圧倒的な声と歌でごまかしてる(笑)。でも心地いい。それが悔しい。超特大ヒット曲リバー・サイド・ホテルも収録のアルバム「LION&PELICAN」に入ってる。

「ツァラトゥストラかく語りき」はリヒャルト・シュトラウスの交響詩だ。いかに苦労して脳内からひねり出してきたかがわかるだろ(笑)。クラシックファンの間では「ツャラ」と略される(らしい)。でもボクや多くの映画ファンにとっては「2001年宇宙の旅」だろう。この映画は映画そのものもすごいがメイキングもすばらしい。

天までとどけ」はさだまさしの名曲。こういう歌が再びベストテン上位にランキングするようないい時代が来ないものかと思ったりする。マーティが言う以上に広がりのあるJ-POPなのだ。

「吐息でネット」は南野陽子の大ヒット曲。80年代アイドル歌謡ですわ。マシュー南もナンノちゃんが大好きだった。

天までとどけのYouTubeを聴き終わって、「あっ!ゆのあとさきがあった!」と思ったが、後の祭り...。それが脳内曲名。頭の中の小宇宙。ではまたいつか、「脳内曲名 ●行編」でお会いしましょう。

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2009/11/22

ドラマ「外事警察」がエグかっこいい

遠藤憲一のことを書いたときに触れたドラマ「外事警察」が昨日第2話だった(全6話)。なんともエグいな。エンケンとアツロウとの目が笑ってない対決緒戦も見ごたえあった。エンケン曰く「嫌いだな。その顔」 ボクは大好物ですぅ

NHKの硬派なドラマって結構エグいシーンが多い。スポンサーがいないのと短いのとで凝縮された瞬間瞬間に人間の醜さとか事態の深刻さを描ききろう・描ききらねばという意思があるように思えてならない。そういう意味では外事警察はまさにNHK硬派ドラマらしい雰囲気を持ってる。

出てくる人がみんな悪い人みたいな?正義のために小悪には目を瞑る。あるいは巨悪を追い詰めるためにあえて事件化させていく。いい人も弱い人もみんなその渦に巻き込まれて傷を負っていく。その計画立案をしてるのが住本健司(渡部篤郎)だ。こういう得体の知れない悪役(?)ってホント似合ってるよな。

昨日は国際テロ組織を追い詰めるために捜査協力者を獲得してゆく手法がエグかった。ターゲットとなった一般人の協力者下村愛子(石田ゆり子)については身辺から過去まで完全に調査しつくす。過去ってどのくらいの過去かといえば、生まれたときの体重、小学校の成績、初体験の男とその経緯、付き合った男の数などなど。プライバシーなんて言葉は彼の辞書にはない。いや破り捨てられてるのだろう。

そもそも外事4課に松沢陽菜(尾野真千子)を異動させたのも、この下村愛子を獲得するための手段だったらしい。少しでも接点がある人間同士の運命の糸を強引に(しかしあくまでも偶然を装って)絡ませていくのが外事警察・住本健司だ。

そのことを察知し悩む松沢は、自分と入れ替わりで外事4課を辞めた先輩五十嵐彩音に「住本だけは信用するな」と言われていた。そこで五十嵐に悩みを相談するのだが、松沢が相談に来るであろうことも住本-五十嵐ラインはお見通し。五十嵐も信用できない外事警察なのだ。すべて計画通りだ。どこまでもなヤツらだぜ...。

そうやって外堀を埋めながら、協力者と自分とが完全に同化できるまで調べつくす。だから協力者の持つ心の闇にも土足で踏み込む。そこまでして初めて同化できるのだ。

自分自身を協力者と同化させていくこの手法は、ほとんど自己開発セミナーか洗脳の世界だ。住本健司は最高レベルのインストラクターになれるだろう()。“協力”者なんて甘い日本語じゃ表現しきれない関係性を築く。それを“絆”と言っていたが...。

追い詰められるテロ組織がどんな組織だとか、悪の大ボスがどんなヤツだとか、そういうことはほとんど頭に残らない。たぶんこのドラマの場合、巨悪は「巨悪」という記号であればいいのだ。描かれるのは「外事警察」のエグさなんじゃないだろうか。松沢陽菜はこの先いったいどうなっていくのだろう...。

ドラマで描かれる「外事警察」という仕事は協力者と同化し、捜査では街の雑踏に同化し、一歩ソトに出たら自分自身というアイデンティティを徹底的に消し去るのが仕事だ。現代の忍者みたいな仕事だね。

ただこの仕事、ボクにもちょっと向いてるかも(笑)。管理されない遊軍仕事が一番あってるので。なーんて思いつつググってみたら、警視庁外事情報部ってのが本当にあって、採用情報がネットで見つかった。リンクするのも怖そうだけどリンクしといた

でもやっぱムリだな。この仕事できるだけの動機がない。お国や組織のために働けない。好きなことと組織の目的が同化してたら別だけどなかなかそうもいかないだろ。犯罪者あっての警察なんだから。というわけで、お願いだからボクの生活を調べ上げたりしないで頂戴!

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2009/11/21

BS熱中夜話中島みゆき第一夜(後夜祭)

中島みゆきナイト第一夜収録直後今朝、ようやく観た。お恥ずかしっ!でも放送されちゃったらしょうがない。語りつくせなかったこともあるので、放映された後ならいいでしょ的に、ひとりで後夜祭をやってみたい。右写真は第一夜収録直後のスタジオ風景です。後夜祭感あるでしょ。ブログを意識した写真も撮ってたのだ()。オイラはブロガー ヤクザなブロガー オイラを使えばブログに書くぜー(石原裕次郎風に)

まず第一夜を観ての最初の感想。編集の力って偉大だな()。「地上の星」についてボクがうまく語れなかったとこはカットして後からアナウンサーの方がフォローしてくれてたりだとか、最後に口が滑ったとこはキレイにカットされていた(笑)。

そこ、スタジオではウケたんだけどな。2番のリフレインでの“つばめ”の解釈は「(わたしたちリスナーをつばめと捉え)あなたの家族について教えてよ、ラジオに投稿してよ!というみゆきさんからのメッセージなんですよ!」って言ったんだけど()。

でも、2002年紅白の「地上の星」が流れたすぐ後で感動してる視聴者も多かっただろうから、解釈をネタにしてオチをつける必要もないワケで(ブログじゃないんだし)。カットは正しい判断だったといまは思う。さすがプロ!客観的!

ボクが「地上の星」コーナーで選ばれたのは、たぶん画になるから。もちろんオレがじゃないよ。語る内容がどっちかというと思い入れの深さじゃなく、分析的でテレビ的な画にしやすかったからだと思う。ちゃんとすばる・銀河・ペガサス・ヴィーナス・ジュピター・シリウスの写真が挿入されてた。つばめまで...さすがプロ!構成バッチリ!

もうひとつ感じたのは、まじめな話、中島みゆきさんの最近の楽曲の良さだね。正直ボクは’80年代末あたりまでのヘビーリスナーだった。その時代に感受した中島みゆきの音楽については、これは相当血肉化してると自負してる。だから今回の参加も受けた。

だけど、その後はテクノ・ハウス・アンビエント・ネイチャーサウンドなどいわゆる音楽からどんどん遠ざかっていた。もちろん'90年代以降も聴いてはいたけれど、決して熱心なフォロワーじゃなかった。今回参加したことでよかったのは、現在進行形の中島みゆきの音楽をあらためて好きになれたこと。

世代は多少違えど、中島みゆきさんと同時代を生きてこれてよかったなとあらためて思ったね。忘れていた感受性の扉を他のみゆきファンの言葉が久しぶりに開いてくれた感じです。聞かせてくれてWelcome

●悪女に代表されるサウンドの裏切り

さて、後夜祭のスピーチに続きまして(笑)。出し物はなんにすっかな。「地上の星」以外には「悪女」のサウンドについて語ってたのがオンエアされてたから、その続きでも。

まずはカットされた部分ですけど。「悪女」ってボクにとって初の中島みゆき体験だった曲なんですよ。マリコの部屋にぃって歌い出しの衝撃を、同じ町内にいた(渚のシンドバッド暗記対決した)マリコちゃんって同級生話とともに語ったんですよ。ま、そんな世間話を司会のビビる大木さんとやったとこはカットでした(笑)。本筋から外れてるもんね。

それと「悪女」はシングルとアルバム(寒水魚に収録)とでサウンドがまったく違うってとこ。ここは語り口もまどろっこしくて自分でも失敗した部分だったわけですがやはりカットです。でもこの違いは結構重要かなと。

シングルの悪女のキーはA♭で、アルバムの悪女はAです。シングル悪女はギターならカポ1でGで弾けます。イントロからガンガンにストロークで弾き、印象的なピアノと重なります。そしてみゆきさんの歌も力強い。グイグイ押し出すメジャー感でまさにシングルヒットを飛ばす楽曲に仕上がってる。そのサウンドの強さや明るさと歌詞の悪女になりきれない切なさやいじらしさとのギャップについては番組で語れてました。

それに比べてアルバムバージョンはメロディこそ同じでキーはメジャーなわけですけれど、後藤次利アレンジのイントロが別の意味で印象的です。分数コードのBm7(on E)ではじまります。ベースがダーダッ・ッダダダと低ーーいEからはじまる。スタンダードなチューニングで最低音になるベースのE音ではじめるためにキーを半音上げてAにしたんじゃないかと思われるくらい、悪女のドツボな精神状態を表すBm7/Eです。それが4小節続いてリスナーが「あれ?悪女じゃないのー?」と思ったら、メジャーAコードで曲がはじまる。

そして淡々と淡々と「♪ムワーリコの部屋へ」と歌われる。かすれ気味の声は、ある種のけだるさとスモーキーさを纏ってる。古いソファに腰を下ろしてタバコ吸いながら、誰も見ていない独りの部屋でほんとの悪女を演じてみる。そんな雰囲気を感じるのです。

アルバムバージョンはロック色が強いという評価が一般的ですが、ボクにはこのアルバムヴァージョンって“ウチ”を感じさせる。シングルは“ソト”なんですよね。中島みゆきを知ってる人も知らない人もいる場所に出て行くのがシングル「悪女」で、ファンが買うアルバムはウチの中でほんとの気持ちをほんとの気持ちで“演じる”悪女であろうと。

だからシングルでは切ない歌詞を力いっぱいのよそ行き声で世間に対して明るく振舞うサウンドなわけです。決して他人には本当の自分を見せない、その強い意志が明るいサウンドに表れてる。ちょっと聴いただけの人(ヒット曲ですから)の印象はそこまででOK。

シングルで歌詞まで読んだ人には、サウンドとのギャップのなかに実は悪女を演じてる自分まで分かって欲しいといういじらしさが発見できる。

さらにアルバム買って別ヴァージョンに驚いた人には、外面は明るいけど本当はこんな歌なのさと、ぶっちゃけて思いっきり悪女そのまんまに歌ってみせる。しかし今度はその悪女っぷりが歌詞の切なさに逆に打ち消されて、さらに悪女になりきれない女歌が重層的に完成するわけですわ。

もう二重三重のギャップとサプライズという衣装を纏って、中島みゆき嬢はホントのワタシは誰でしょねゲームを仕掛けてくるのだ。

●恋歌「この世に二人だけ」における2つのギャップ

こういう楽曲は他にもある。例えば「彼女の生き方」とか。結構明るいアルペジオの曲調なのに、歌いだしの歌詞は♪酒とくすりで体はズタズタ ですわ。あるいは「遍路」も。らららららーって歌えそうな牧歌的な曲に裏切った男の思い出が次々と歌われてゆく...。

なかでも、シングルとアルバムとの“ソト”と“ウチ”との使い分けの象徴的な事例をあげると、シングル「横恋慕」とアルバム「この世に二人だけ」だと思う。今回、恋歌で一番好きな曲では「この世に二人だけ」と書いたのだけど、それはこの曲のギャップに中島みゆきらしさを感じるからだった。

シングル「横恋慕」のメロディも明るい。ルンルン気分だ。しかし歌詞はまさに断絶を歌ってる。♪時の流れさえ見放す私の思いを伝えてから消えたい だよ。絶望的シチュエーションなんです。これをよそ行きのメジャーな楽曲に仕上げてる。

そのシングルが出た後のアルバムが「予感」であり、その一曲目が「この世に二人だけ」です。タイトルだけ聞いたらさぁ、120%のラブソングじゃない。まぁ中島みゆきのアルバムだから多少ひねりを加えて、深すぎてつらい恋愛ソングかなとかさぁ。だけど、これも1,200%絶望的な断絶ソングなのだ。ここにもひとつのギャップがある。

イントロのリフもメロディもあまりに淡々としていて達観しているようにも聴こえる。好きな男の彼女が描いた絵の載ってる本を本屋で見つけて、その彼女の名前のページ(奥付とかでしょ?)で彼女が彼と同じ苗字になっているのを確認しながら、その本をあえて買っちゃってる様子(曖昧だけど)。そんな日常の、本の奥付程度からイマジネーションを膨らませて届かなかった想いを淡々と歌っているわけですわ。

「横恋慕」と「この世に二人だけ」とは同じ“かなわない恋”の歌でありながら、よそ行きの明るい顔(シングル)と、自分の部屋での淡々した顔(アルバム)とが連続リリースされてるこのギャップに、中島みゆきの想いを見てしまうわけです。「この世に二人だけ」はタイトルと歌詞とのギャップと、先行シングル曲とサウンド面でのギャップと、2つギャップを内包してる名曲なんです。

「横恋慕」と「この世に二人だけ」は、その後発売されたセルフカヴァアルバム「いまのきもち」(2004年)では1枚のなかで並べてありました!

この曲順を見てボクは、あの頃から時間が経った「いまのきもち」として、ウチとソトとの隔てなく、しかしこの2曲の連続性やアレンジの違いなどを感慨深く聴くわけです。

「いまのきもちは年代順だからこの順なのだ」という解釈は味気ない。この2曲を選ばざるを得ない“いまのきもち”を推し量るのがまた恋歌の深読みに通じると思ったりするのであります。

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2009/11/20

エンケンがノッている。ウィッス!

今クールのドラマで異彩を放つ2つのドラマ。CXの「不毛地帯」とNHKの「外事警察」に、これまた異才の俳優エンケンがご出演。ボクがエンケンっていったら遠藤賢司を指す場合が多い。だが遠藤賢司は異才には違いないが、純音楽家だからたぶんドラマには出ない(笑)。今日のテーマはもうひとりのエンケン、遠藤憲一だ!

いやー、この人が出てくると迫力があるよね。画に力がある。昨日の「不毛地帯」でも、第三次中東戦争勃発のニュースで物資を買いまくる場面とか。顔をくしゃくしゃにして狂乱の買い。そしてその後、完全敗北によって放心状態。動も静も画になる男、それが遠藤憲一だ。

「外事警察」ではまだあまりしゃべっていないが、その存在感はすごい。警視庁警備企画課理事官という役だが、これから警視庁内部の敵対の構図のキーマンになっていきそうだ。

簡単にいえば「悪役顔」なわけだが、単なる小悪党じゃ収まらない顔だ。そして複雑な背景を持つ役にはまる。

「不毛地帯」では壱岐正(唐沢寿明)側から見れば悪役だが、驚異的に仕事熱心な商社マンだ。壱岐の娘と付き合ってる息子だって傍目に見れば立派に育ってるじゃないか(笑)。

「外事警察」だって警視庁のお偉いさんだぞ。だけど主役の住本健司(渡部篤郎)を内部から追い詰めるという役のようだ。

ゴールデンタイムやプライムタイムの重厚なドラマで、こういう複雑な役に次々と遠藤憲一がキャスティングされるのはたまたまじゃないはず。やはり今年はなんといってもテレ東「湯けむりスナイパー」の主演が大きかったような気がする。

今年のドラマアワードをやれば(ボクの妄想のなかでの話だが)必ず賞を複数取ることが確実なドラマ、それが「湯けむりスナイパー」だ!

元殺し屋だがその過去を隠して温泉宿で働く源さん。何の変化もなさそうな温泉宿で繰り広げられるなんともいえないゆるい雰囲気の日常のなかで、暗い過去をもつ源さんは過剰にその日常のすばらしさを実感するのだ。そしてたまに昔の自分が顔を出し自己嫌悪に陥ったり、事件を解決したりする。そのズレ加減が面白い。そして遠藤憲一でなければ出来ない究極の複雑な役だと思う。

そもそもはやりすぎコージーのヒガシノリおすすめの漫画だった。それに乗っかるカタチでテレビ東京がドラマ化に踏み切ったんだ。たぶん(笑)。ヒガシノリの紹介では、漫画の源さんはどーでもいい日常を格言にして語る(その格言もかなり現実とズレてる)のが面白かった。重々しく語っているのだが別に内容のない語りなのだ(笑)。

ドラマではそういう不条理さを笑うというつくりとはちょっと異なり、源さんと周りの人々とのつながりがうまーく描かれてて、ドラマとして成立してたのが逆に良かった。クレイジーケンバンドの主題歌「山の音」もかっこよかったし。

今年の遠藤憲一を語る上で絶対に外せない「湯けむりスナイパー」。「不毛地帯」と「外事警察」のエンケンを見ながら、これは記録しておかねばと思った次第だ。

この記事を書くために「湯けむりスナイパー」の公式サイトを確認したところ、2010年1月2日の23時からスペシャルが放映されるんだって

危ない危ない。こんな情報取り忘れたまま田舎に帰ってたら泣いちゃうよ!テレビ東京深夜だから山口県じゃ見れないかもしんないし...。「湯けむりスナイパー」はドラマも超オススメです。ゴッドタンファンにはうれしい谷桃子も出演してます(笑)。

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2009/11/19

中島みゆきナイト オンデマンドじゃ見れないって

業務連絡!いよいよ明日が本放送一夜目の「BS熱中夜話中島みゆきナイト」ですが、スタッフさんから連絡がありまして、NHKオンデマンドでの放送はできなくなっちゃったんだって

だから明日のBS2本放送か、BS2,BShiでの再放送を見るしかないようです。再放送を地上波でやってくれるのかどうかはまったく不明です。

大人の事情って複雑なものですね...。とりあえず、NHKオンデマンドしか見れないって方はすみません。BSに加入してください(>オレが言うなってか?)。

BSを見られる状態になっていれば、うざいメッセージ消去はインターネットからNHKに依頼して10分で消去信号が流れるので、視聴直前でも大丈夫です。

ケーブルテレビ経由だったら受信料の団体割引も可能です。こっちは時間かかるけどメッセージ消去とは別の手続きだから、とりあえず真っ先にメッセージ消去することは可能でございます。

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はてぇーはじめて買ったゲーム機ねぇ


ブログネタ: あなたが一番最初に買ったゲーム機は何?参加数

このところキムヨナネタ6割、中島みゆきネタ3割、その他1割という感じで書き飛ばしてきたので、大きく横道にそれたくなった。そんなときにブログネタって便利だな。どのブログネタがいいかココログのコネタマを眺めながら選んだのがこのゲーム機の話題。

一番最初に買ったゲーム、じゃなくてゲーム機ってのが時代だよなぁ。ちなみに一番最初(のあたり)に買ってもらった「ゲーム」で覚えているのは、ボードゲームのダイヤモンドゲームだっ。シンプルな陣取りゲームだけど、よく覚えてる。

そして社長ゲーム。いろんな商売を手に入れて駆け引きするボードゲームだった。たしか会社組織じゃなくて個人商店を選ぶと倒産がないから有利だったような気がする。

そのほかは、花札、マージャン(ただし家族のローカルルール)、オセロゲーム、トランプでおいちょカブなどをよくやっていた。だからレース鳩0777の名前にも違和感なかったのかも(笑)。

ゲーム機も最初はスーパーの入り口なんかにおいてあった50円ゲーム機だな。パックマンとかギャラクシアンとか?ちょうどコロコロコミックにすがやみつるの「ゲームセンターあらし」が連載されてた頃だから。マンガクラブのボクは「ゲームセンター安田」という実録マンガ(笑)を描いていた。

この頃、ボードゲームでもウォーゲームという洋モノも流行っていた。流行っていたのはおそらく当時の大学生以上にだと思うのだが、おませな藤井君(笑)がはまっていて、D-DAYとかノルマンディ上陸作戦とか(同じか?)、そんなゲームをやっていた中学生だった。ただしルールがあってないようなもんだからボクは戸惑っていた(笑)。

本題のゲーム機だけど、名前が思い出せない!確か怪盗ルパンを追っかけるゲームだった。ルパン三世かどうかも不明。ルパンも追っかけるほうもたんなる赤色LEDで、動く音と光だけを頼りに東西南北どの方向に相手が動いたかを覚えて鬼ごっこするようなゲームだった。ものすごく地味だけど結構面白かった記憶がある。

ファミコンも初代だったと思うけど、それは妹が買ってもらってバレーボールゲームとかやってた。オレの受験時代に...。

パソコンゲームでは、なにげに有名なデゼニランドとかスタートレック。どっちも富士通FM-7のゲームで、カセットテープだった。スタートレックの敵クリンゴンは単なるドット(・)で表現され、それを方位を決めて打つみたいな。これもボクにはまったく意味がわからず、たぶんウォーゲームの藤井君が来てやり方を覚えてからできるようになった(笑)。

それ以外の多くのゲーム機はアキラ様というゲーム機の達人がいた。同級生の石田君の弟だがボクらはアキラ様と呼んでいた(笑)。石田家はゲームセンターのようなもので、アキラ様所有の多くのゲームを楽しませてもらった。

というわけで、ゲームの記憶はそれなりにはあるのだが、ほとんどはまった経験がない。もっともスリルに満ちたゲームは、某宗教団体施設の紙コップ自販機から紙コップを手で抜き取り、買おうとした人が紙コップなしで出続けるジュースを呆然と見つめるとこをこっそり眺めるという超卑劣なゲームだった。

昔の自販機はそんなことが出来てしまう構造だったのだ。出来てしまうからやってしまうのが子どもの恐ろしいところだ。おそらく苦情が製造会社に届いて改良がなされたのではないか。ボクらのいたずらも科学の進歩に役立っていると思って見逃して欲しい。

あとは...ゲーム理論の本とかは結構読んでいたな。「囚人のジレンマ」とかさー。まったくゲームにも人生にも役立ってるとも思えないけれど。そんなとこです。

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2009/11/16

課題を残したキムヨナのフリーも語ってみるの巻

キムヨナのフリーの演技は2大会連続でミスがめだった。とくにアメリカ大会のフリーは完全に緊張の糸が切れていたなぁ。本人のコメントでは「世界最高得点を意識しないようにしたかったがムリだった」といったものだった。もちろんそれもあるだろう。しかし今年についてはボクは違った見方をしている。

ここまでキムヨナ007をこれでもか というくらい褒めちぎってきたが、もしかすると007の楽しさに引きずられてフリーがおろそかになったのではないだろうか。いやもっと言えば、アメリカ大会の007もフランス大会ほどの集中力がなかったように思う。それが昨日書いた前ノリ演技になったように思う。

SPの得点は高かったけど、音楽とのシンクロが足りなかった。キムヨナ自身もアメリカ大会の演技について「出来はフランス大会の半分程度」と感想を述べていたが、それは失敗したフリーだけでなくショートプログラムも含めての感想なのではないかと思う。なぜそんなにアメリカ大会に“ノレ”なかったのかを考えたい。

ショートプログラムはコンパクトに演技をまとめる。ポップの申し子にはまさにピッタリの長さのように思うのだ。そのうえ完璧な音楽設計と演技設計。練習していてほんとに楽しかったんじゃないかと思う。

特にピストルで「バキューン!」と打つ最後の決めポーズはサプライズとして充分すぎるインパクトだった。公開練習ではたぶん見せてないよね?今年のショート、特に初披露するフランス大会はキムヨナにとってサプライズ・パーティだったはずだ。見せたくて仕方がないギミック満載のショートプログラムだったわけだ。

キムヨナはそのサプライズ・パーティを完璧に成功させた。あの瞬間を目指して「バキューン!」を極秘練習してきたに違いないのだ。オレ自身も昨年からキムヨナはかなりいいと思っていたけれど、フランス大会の007を見なければここまでのめり込むことはなかったと思う。そんなパーティだった。

パーティ明けの脱力感って経験ないだろうか。しかも思いっきり自分自身が輝いたパーティの翌日。その達成感に高揚しつつ、疲れた身体を休めたいものだ。そんな日に別のパーティにお呼ばれしてたらどうだろう。前から決まっていたとはいえ昨日より準備も大変だしポップミュージックでもないし、まわりの期待ばかりが膨らんでいる。

しかも、もう演技にサプライズはない。あるとすれば得点だけだ。とくにアメリカ大会は前回の得点を超えなければサプライズはなかった。そんななかで最初の失敗をしてしまったら、キムヨナといえども緊張感を保ち続けることは出来なかったのかもしれない。それでガタガタになった...。

ある意味、地方巡業だったのではないか(笑)。アメリカ大会って。楽しい007だけ完璧に踊れていれば、フリーが平凡だったとしても得点差でアメリカ大会は勝ち抜ける。そこはサプライズ好きなキムヨナの舞台ではなかったのだ。だからって手を抜いてるってわけじゃないけど。気持ちの問題だよね。そういうとこ大きいと思うんだ。ハードなメンタルとフィジカルが要求されるときにはさー。

ただそんな地方巡業でここまでの大失敗をしたのはキムヨナにとっても想定外だろう。グランプリ・ファイナルへの克服すべき課題が出来た。

そんな風に考えてくると、この課題を乗り越えた先にある「史上最高得点はファイナルで出す」というモチベーションは、キムヨナにとって大きいように思う。007初披露以上のサプライズの舞台は、グランプリ・ファイナル以外にないと思うのだ。約束の地は日本なのだ!

2009年もっとも輝いたキムヨナのファイナル。キムヨナが日本にやってくる!見逃せないぞ。そしてテレ朝!日本での中継はテレビ朝日が担当するのかな?外国のなーんも分かっていないカメラクルーに本物のフィギュアスケート中継とはどんなものか見せてやれ!いい画を頼むよひとつ。よろしく!期待してるぜ!

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2009/11/15

簡単にキムヨナ007のアメリカ大会を語るの巻

フランス大会で初披露されたとき、その圧倒的な魅力について語ったキムヨナ007なので、本日のアメリカ大会は簡単に感想などを。基本的にもう言うことないもんな

ダンスが始まるときに、フランス大会の演技を踏まえて表情アップで捉えたカメラワークはよかったけど、フランス大会ほどの音楽に“入った”表情は見れなかった。やはりキムヨナといえども緊張があったのかもしれない。

その後ジャンプ2つこなした後に入る3フリップもタイミング的にはちょっと早かった。フランス大会がこれ以上は出来ないくらいジャストで入っていたので、すこし前ノリ気味に感じた。それはこの後のダンス全般にも言える。

まぁ、BPM(beats per minute)を正確に刻むクリック音聴きながら踊っているわけじゃないので、そこはフィギュアスケートの採点には大きく影響したりしないんじゃないだろうか。コンマ何秒の世界を争うスピードスケートじゃないのだし。

キムヨナにあまりにも正確さだけを求めすぎると、これまた本来のフィギュアスケートの優雅さやきらびやかさ、ダイナミズムから遠のいていくからな...。木を見て森を見ずというワナが待ってる。だから今回はあえてキムヨナの動きを微分しすぎず、全体の調和を俯瞰で捉えるのがいい気がする。ファンもキムヨナと一緒に成長せねば。

今回フランス大会ともっとも異なったのは中盤以降の表情だった。もともと表情が豊かなキムヨナだが、ジャンプをことごとく成功させると、その表情のはじけっぷり指数はグングン上昇していった。自信と充実感とが湧き上がってきていたのではないだろうか。

特に曲調が変わり有名なフレーズでのステップのところでは、まるで昔のPARCOグランバザールのCMモデルみたいな満面の笑み(<わかりにく!)。演技ではなく素の喜びが見えたような気がした。最後の「バキューン」と打つ瞬間も同じような笑い顔。アンチキムヨナにとってはいわゆる“悪魔のような笑い”だ。

キム・ヨナ・ダイアリーテレ朝の解説をしていた荒川静香が「私にはメンタル的にも別次元に見えます」と話したとき、映像では得点待ちのキムヨナがカメラに向けてぬいぐるみの前足をフレームインして遊んでるとこだった(笑)。ほんとに別次元の心臓かも おちゃめな19歳だ。

10年後には鶴田一郎氏の描く美人画のような顔立ちに成長しそうなキムヨナ。今日は美人画から表情豊かなキムヨナが抜け出してくる妄想とともに眠りにつこう。明日のフリーも見逃せないったらありゃしない。

それとキム・ヨナ・ダイアリーも発売中らしい。らしいっつって、実はもう2冊注文済みなんだが...。個人的には韓国語なのでダイアリーとしてよりはキム・ヨナ写真集という位置づけ。1冊は韓国語学習用に使うかも(笑)。よくお世話になってる韓流ショップでは先着順で2009年カレンダーがつくそうだ。2009年のカレンダー貰ってもとも思うが。2010年の間違いじゃないのか?それも届いてからご報告しますけど。お早めに...。

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2009/11/14

SOUND+1スペシャルバンドが良かった!

BS熱中夜話中島みゆきナイト放送まであと一週間とせまった昨日。ようやく予約録画圏内となったので忘れないうちに予約した。それとある事情があってBS2を10分以上つけておく必要に迫られた。ウザいメッセージを消去するという事情だ(笑)。ついにBS受信料を払う気になったという意味でも、オレにとって「BS熱中夜話」は特別な番組になったわけだ。

つけっぱなしにしていたBS2で「SOUND+1」という番組が流れていた。なにげなく見ていたのだがこの日は吹奏楽スペシャルだったようで、全国から集まったアマチュア吹奏楽愛好家とトッププロとが夢の共演。ワンナイト演奏会を行うところまでのドキュメントだった。

思わず見入ってしまった。BS2はいろんな番組でいろんな人が熱中してるんだな()。彼らも受信料払いたくなるだろうな(皆さん払ってるとは思うけど)。そうやって国民のあらゆる熱中魂を汲み上げていくという方向性は正しくNHKらしい。いいと思う。

吹奏楽といえば「ブラバンキッズ・ラプソディー」ですわ。この本によって部活の吹奏楽部というのが、いい意味での“熱い体育会系”だということが分かった。今回の「SOUND+1」ではそんな共通体験を持つ吹奏楽世界の住人が、吹奏楽という言語によっていつでもひとつになれることを知った。

共通言語が音楽ってのはステキだよ。リスナーどうしってのも楽しいけど、肉体を使って演奏し共鳴しあうというのは、かなり生物としての本質に近いコミュニケーションだと思うのだ。「降りてゆく生き方」が求める幸せのカタチに近い感覚があると思った。

スペシャルバンドは4人のプロミュージシャンと毛色の違う楽曲4曲を演奏した。最初の顔合わせで音を出したとき、お世辞にも聴けたものじゃなかった。ブラバンのレベルについては無知だけど、音楽として調和してるかどうかくらいは分かる。そこそこ演奏できる人々が好き勝手に演奏してる。そんな印象だった。

それが一ヶ月の個人練習を重ねながら、節目節目で4人のプロと話しつつあわせていくと、これがまったく別次元の音楽に変化していくんだよね。プロのほうもあえてアレンジを難しく変えたりしながら、アマチュアの演奏家ゴコロをくすぐる。

楽器演奏する人って、モア!モア!なんだよね(笑)。もっとうまくなりたい、もっとエモーショナルに演奏したい、もっとグルーブしたい、もっともっともっと。聴こえてくる周りの音と自分の音とがシンクロしたときの気持ちよさは格別だから。

打ち込み派(コンピュータで音を重ねて曲作りする派)だったボクですら、シーケンサーで音楽が組みあがっていくと超うれしいのに、まったく初対面の他人と調和して一曲作り上げるなんて途方もない冒険だよ。まぁ、音楽本来の姿はそっちなんだろうけど。だからこそ本質的な喜びにあふれてるんじゃないかと思うんだ。

「チャルダッシュ」「トゥーランドット」「セプテンバー」「ストライク・アップ・ザ・バンド」の4曲。基本的にポップミュージック好きなポップンポールだから、アース・ウィンド&ファイアーのセプテンバーがわかりやすかったけど、どれもどっかで聴いたことある曲ばかりだから、演奏するアマチュアの方々も苦労されたと思う。みんな知ってる曲ってみんなプロの演奏を聴きなれてるってことだからね。

でも上手下手を超えた面白さ、それが熱中魂なんだな。苦労するのが楽しいのだ。そしてテーマが何であれ、そんな熱中魂をもつ人々を観察するのがBS2というチャンネルなのだ。中島みゆきナイトでの自分のつたない語りに予防線はろうって魂胆じゃないぞ(笑)。熱中することに意義があるってことよねぇー!今後も視聴者としてモア!モア!精神で見ていこう。受信料払うんだし...。

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2009/11/12

はじめて買った雑誌3冊

雑誌で育ったといってもいいポップンポール少年だったが、最近は定期購読以外にはあまり買わなくなった。基本的に捨てられない性格なので置き場に困る。捨てられる雑誌に載っている情報なら、ほとんどはネットで入手可能という理由もある。

それでもあえて買う雑誌というのは、ある意味オブジェとして所有する喜びが得られる雑誌だったりする。有料のペーパーである必然性はほとんどそこだけだ。オブジェや美術品は捨てない。雑誌も同じだ。

美しい写真やオリジナルのインタビュー記事、特集ページなどの比重はさらに高まっていると思う。その数ページに所有の喜びを求めるのだ。だから週刊誌よりもMOOKなどのほうが好きだったりするが、ピンポイントで買いたくなる雑誌があったというわけ。

ひとつめは「近代柔道」だ。これはもうなんつっても世界女王となった福見友子選手が表紙ですから()。基本的には柔道やってる人々向けの雑誌みたいだけど、ヘタレ初段のワタクシ...。福見選手のインタビューを買ったようなものです。毎月特集してくれたら毎月買うんだけども。そうもいかんか

次は「BIRDER」という野鳥観察雑誌。基本は定期購読の雑誌みたいだけどたまたま書店で見つけて購入。冬鳥の季節到来だからね。スーパーカブ110で冬鳥を探しに行きたいなぁと思って。バードリスニングを実地でやってみたいものだ。この雑誌は写真もきれいだしプレミア感あるなぁ。

そして「International FIGURE SKATING」という外国のフィギュアスケート雑誌。もちろんキムヨナ特集号だ。こないだたまたまデーブ・スペクターがキムヨナの雑誌記事をテレビで紹介してて、「あぁ、その手があったね!」と思って海外雑誌を探した。海外の雑誌なら日本人偏重記事ばっかりじゃないからな。韓国の雑誌でキムヨナ特集があればハングルの学習にもいいのだが。いよいよ15,16日にはアメリカ大会でまたキムヨナの演技が見られるぞ!

キムヨナに関しては、この夏にブライアン・オーサーコーチが韓国で書籍を発売していた。タイトルは『一回の飛翔のための千回のジャンプ』だ。内容はもちろん韓国語だ。読めるかなぁ...読めないだろうなぁ()。

でも買っちゃった。まだ届かないけど楽天の商品写真を見ると何かメディアがついてるみたいじゃん!届いたらどんなものかをまた熱く語っちゃうかもしれない。ついでにキムヨナが歌で参加しているCDも同時に買った。そうやって少しずつキムヨナに近づいていく2009年の初冬なのであった...。

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棚から大マクロならぬ青天の霹靂でございます

ココログニュースを見て唖然とした。こんなに驚いたのは久しぶりだ。「仕事でマクロを使うのがズルだといわれた」派遣社員がいるんだって!?どんな会社なんだ()。ズルってのはなぁ、マクロの話をするのにタイトルで「棚から大マクロ」なんて書いてアクセスアップを図ろうとするような行為を言うんだよ(

ホワイトカラーの生産性が低いって話は以前書いた。その元凶のような会社員ってまだまだいるんだなぁ。マクロはズルだって言ってるようなヤツはほとんどいないだろうけど。それってパワーハラスメント以外のなにものでもないな。「マクロってなに?」という人のほうがたぶん多い(笑)。そういう人には「お魚です」と答えておけばいい。

ボクもマクロを組む。というより大村あつしさんの解説本に出会って「ExcelVBAに恋をした」ひとりである。仕事でも趣味でも使う。オリジナルチャートを作るのには必須だ。

もう10年くらい前だけど、某社営業の課長さんが1日以上かけてやってるでっかい資料の色分けをほんの数分で出来るようにしてあげたこともある。それをズルだというようなヤツがいたら「貴様マクロウィルスに感染させたろか」と思う(やらないけど)。

ただし属人的になってしまうという面はなくもない。とくに「マクロはズルだ」という人間がいるような職場では、マクロというのはまさに脅威かもしれない。彼らにとってはノホホンと仕事してるつもりになっていた時間が奪われる行為なのだ!不毛地帯のような職場ではとかく不条理が横行する。

「ウチの会社はアナタに給料払っているのであって、マクロに払っているのではない!だからマクロにやらせるのではなく、アナタが仕事しなさい!勝手に子分なんて作りやがって。棟梁にでもなったつもりかよ。ふん!」

これって結構おもしろいサラリーマンネタの不条理ギャグドラマが作れそうじゃない(笑)。舞台向きだな。

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2009/11/08

PP熱中余話 「地上の星」に潜むジャングル

熱中夜話スタジオスナップBS熱中夜話中島みゆきナイトまであと12日...。番組内容に被らない範囲で、「地上の星」について語りつくせなかった話しをちょこっとしたい。そう思ったのは田家秀樹さんのbayFMの番組を聴いたから。今日は中島みゆき特集だった。そこでタイトルは「熱中余話」と洒落てみた()。PPはもちろんポップンポールの略だ。

●bayFMへの遠い道のり

ウチはFMの受信環境が悪くてbayFMもキレイに入らない。有線もあるのだが受信機が壊れてる(けど支払い続けてる >_<;)。田家さんのブログで放送は知っていたけど聴けないとあきらめかけていた。そんな折、見ず知らずの方からこの番組情報のメールを前日にいただいた。こういう偶然って、なにか不思議な力に導かれてる感あるじゃん。これは聴かなきゃならない、いや聴けるに違いないという思いがフツフツと湧いてきた。そんで朝起きてなんとか聴く方法がないものか思案いたしました。

人間あきらめないのが肝心だね。いい状態の位置でアンテナを手で持っておく()、という古典的な方法で解決しなくても、ケーブルテレビで受信するという方法を朝8:40に思いついた。そんでネットで探してウチのケーブルテレビでもFM放送の受信ができることを突き止めた。コンポの裏パネルも確認するとFMアンテナは同軸ケーブルだ。しめた!と思った。

配線はお手のものなのであった。高校時代、クラスメートからお声がかかって文化祭でやるフィーリングカップル5対5の複雑な配線もやったことがあるのだ(笑)。担当外だったのだが理科の先生にもできなかった配線なのだ。

その自信がオレを突き動かした。まぁ、やったことっていえば、ビデオデッキから同軸ケーブル引っこ抜いてコンポのFM端子にはめるだけなのだが...。これでギリギリ9:00ジャスト、bayFMの美しいステレオサウンドが部屋に響き渡った。気分はラフォージ少佐だったな(@スタートレックTNG)。そのかわりその部屋のテレビが見れなくなっちゃったので明日分波器買ってこよ。

●「地上の星」はジャングルまでカヴァできているのか!?

番組では大ヒット曲「地上の星」の歌詞について妄想トークをさせてもらった。あくまでたたき台だから()、そこは番組を見てバッシングなり共感なりしていただければ結構なのだが、語りつくせなかった点に“ジャングル”のことがあった。

というより、今日のFM放送を掃除しながら聴いていて、「あれ?このこと(=ジャングルのこと)って、あまり語られたことないよなぁ」と思ったのだ。これって結構深読みできる部分かもと思ってしまったら、放送前だろうがなんだろうが書くしかない(笑)。そういうサガなのだ。ま、番組とは被らないから安心してちょんまげ(>関係者各位)。

「地上の星」の歌詞のどこを見てもジャングルは出てこない。風やら砂やら草原やら街角やら崖の上やら水底やらが出てくるのに森が出てこないじゃないか。森は大切だよ。森は海の恋人だし、酸素の供給源でもある。そこにも森を守る地上の星がいるんじゃないか。中島さん、忘れちゃ困るよっ!まわりまわって時代はエコだよ!

...なんて思っちゃいけない。中島みゆきさんは、ちゃんと森を、それも特大のジャングルを、「地上の星」でちゃんと表現していたのである。しかも、まさに縁の下の力持ちとして。それを報告したいわけだ。今夜はさー。

まぁここまで書けば、わかる人にはわかりそう。でも結構盲点だったと思わない?
もう少し謎解き風に書き進めてみよう。

そもそも中島みゆきを語るとき、あまりに歌詞の深読みにとらわれすぎてしまうきらいがある(って自己否定かよ!)。深く深く掘り下げていっても本当のところは誰にもわからないし、答えはひとつじゃない。時と場所によって答えが違うことだってある。とらえどころのないうそつき上手、それが中島みゆきの魅力だと思ってる。

●地上の星を支える偉大なジャングル

だが「地上の星」におけるこのジャングルは、あきらかに地上のジャングルなのだ。人類が、いやある独りの偉人が切り開いたフロンティア、それがこのジャングルなのであった。

その偉人は昨年この世を去った。だがその偉大な足跡は多くのミュージシャンに受け継がれている。その人の名は、ボ・ディドリー。ボ・ディドリー・ビートの生みの親だ。別名ジャングル・ビートという。

そう。「地上の星」って全編ボ・ディドリー・ビート、つまりジャングル・ビートの曲なんですわ なんでこれまで気がつかなかったんだろう...。通常ジャングル・ビートはこういう曲に使わないという先入観があったからかも。もっとウキウキした曲だったり、野生を感じさせるビートなんですよね。ドッ・ドッ・ドッ・ック・ドン・ドンっていうあのノリです。

中島みゆきを語るとき、サウンド面から語られることがあまりない。でもバックミュージシャンは常に一流だし、大いにサウンドで語られていいはず。地上の星だってドラマーはヴィニー・カリウタでしょ。超一流のミュージシャンがジャングル・ビートを叩いてるってことじゃん!

さらに個人的な思い出を言わせてもらえば、地上の星でみゆきさんが紅白歌合戦に出演された2002年という年。ボクはまさにボ・ディドリー・ビートにはまっていたのです。当時クリスマスソングのMIDIデータを作っていて、そのライナーノーツに「個人的に今年を音楽との関わり、とりわけリスナーとしての関わりから振り返ってみたとき、ボ・ディドリー・ビートというひとつのキーワードが浮かびました。」とまで書いている年でした。

そんな2002年末に中島みゆきがボ・ディドリー・ビートを引っさげて紅白出場したというのに、7年間もそのことに気付かなかった...。あぁ、なんということだ。まだまだ修行が足りん!

つまり、「地上の星」はサウンドの要であるビートがジャングルだったというわけです。そのジャングルによって「地上の星」という楽曲そのものが支えられているわけであります。

似たような使い方してる曲として、例えばボン・ジョヴィのLay Your Hands On Meという曲があります(NEW JERSEY収録)。これも大好きな曲なんですけれど、ボン・ジョヴィの場合はこの曲の頭に使ってるだけで全編ではありませんでした。全編重々しいジャングル・ビートで包み込み、それに負けない歌声でこの楽曲に酸素を供給しつづける中島みゆき。いやーすごい。オレの妄想も極まれり!

どうでしょう、このPP熱中余話(笑)。番組では全然別のこと話してます。ノリは似てるけど(笑)。番組で流れる(ってのは言っていいんだよね?)「地上の星」は、ぜひこのジャングル・ビートに身を委ねつつお聴きください。おっ楽しみにぃ!

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2009/11/07

グルーブしてきたぞ!小公女セイラ

TBSドラマ「小公女セイラ」がようやくグルーブし始めた。適当にグルーブなんてカッコつけて言ってみたかっただけじゃないぞ(>それもあるのか?)。

不幸な娘を演じさせたら今の日本に敵なしの志田未来(好敵手は谷村美月か?)。これ以上ない不幸な役だけに初回は不安もあった。だって、志田未来が不幸な子を演じるなんて当たり前すぎるのだから

さらに脚本が岡田惠和さんだ。この人も超名作の「彼女たちの時代」や「ちゅらさん」、そして「銭ゲバ」と明暗のふり幅が大きい人だ。その暗側の要素である“若者の苦悩”を描かせたら切れ味鋭いホンを書かれる。鋭すぎてお茶の間にはきっついときもあるかも。

そんな岡田脚本が「小公女セイラ」といういわば少年少女文学全集的な底本をどれだけアレンジしてくれるのか、志田未来をどこまで不幸のどん底に陥れてくれるのか、それが注目点でもある。志田の不幸演技と岡田の不幸脚本とのタッグマッチ。これがこのドラマを見るオレの視点なのであった。そこには強力な磁場が発生してもおかしくない!

志田未来については、「正義の味方」以来、1年ぶりにブログに書く。「正義の味方」は、豪華な共演者にあえて目もくれず志田未来の未来を占った。その結果としての「小公女セイラ」なのだ。舞台は整った。磐石ではないか。

共演者では、田辺誠一が今後どう動くかにも注目。「ふたつのスピカ」では桜庭ななみにキツく接しつつもいい教師役だった。今回はセイラに理解を示しつつ、いまだ真正面から助け舟をださない教師役だ。同じく斉藤由貴。「歌姫」の婆さん役のときはちょっとビックリしたが、今回はなかなかのハマリ役。真逆のハマリ役である樋口可南子との対比もいい。意地悪お嬢は映画「おっぱいバレー」に出てた小島藤子。この子もはまってるな。存在感がある。

そもそも最初に持った不安は、インドから来た富豪の娘とか全寮制女学院という設定そのものが浮世離れしており寓話的だったことだ。そんなマンガ的な虚構のなかで岡田脚本のリアルな切り口がどのように展開できるのかに少なからず疑問を持っていた。明るいほうでは結構マンガ的なところもある岡田さんではあるが。

しかし今日の次回予告を見て「キター!」と思った岡田ファンもいるのではないだろうか。なんだか駆け落ちチックに田舎に逃げているセイラとカイト。この横展開は岡田さんの「夢のカリフォルニア」でも感じたサイドストーリーの効能を充分期待させる。

ボクはドラマの本筋(縦展開)のなかにふっと挿入される逃避や逃走、プチ旅などの展開が好きで好きでたまらない。外伝的な面白さもあるし、ドラマの本筋をもっと深めてくれる心境の変化がそこに表現されるから。そこにはなにか“降りてゆく”感覚があるような気がする。ふと我にかえることが出来る人生の道草のような部分だ。

セイラとカイトが女学院を出る意味、それはまったく異なるリアルな環境が用意されることを意味する。つまり本来岡田脚本のあるべき場所へセイラを引きずり出して来るってことだ。そうこなくっちゃと思わずにいられないだろ。

という理由で、小公女セイラがグルーブし始めたと書いたわけだ。

シネアルバム22オリビア・ハッセー今夜の小公女セイラでは、ロミオとジュリエットの舞台劇も良かったね。舞台に立つ志田未来。舞台もいけるんじゃないか!?志田未来のオーラを舞台で感じてみたい。そんな日も来るかな?

話しは変わるけど、ロミオとジュリエットといえばオリビア・ハッセーだよ。ボクははじめてオリビア・ハッセーを見たときに、こんなに美しい人類がいるのかと思ったね。まさか布施明と結婚するなんて夢にも思わなかったけど(笑)。

右画像は1981年第9刷のシネアルバム22巻です。1980年代前半のオレは本当に映画に音楽に文学に絵画にプロレスにと忙しかったなぁ。中学から高校の時代ってかなりいろんなモノを吸収できる時代なんだなと改めて思う。インターネットなんてない時代の片田舎で、都会のヤツらに情報量で負けないようにとホントがんばってたよ(笑)。その飢餓感が良かったのかも。一生モノの知的財産だね。

いま中学生の諸君は勉強しなくても良いから(してもいいけど)、何かにのめりこむ瞬間をぜひ体験しておいたほうがいい。中学時代に体験しないと一生そんな瞬間は来ないよ。純粋にのめり込めるのは経験値が低ければこそだから。そういう意味じゃがんばったほうがいい。中学生はみんなプリンセスなのよ!

それと、ドラマのなかでロミオとジュリエットのテーマを久々に聞いたな。気分が本当に中学時代にタイムスリップしたよ。今夜は映画音楽を聴きながら寝よう。

フィリップ・アーバーグのピアノによる映画音楽集はかなり良いです!このなかのロミオとジュリエットは感動ものですわ。初冬にピッタリのハートウォーミングな演奏でございます。これで決まり!!

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ハングルで自分の名前が書けない

唐突だが「3日で終わる文字ドリルハングル練習帳」(八田靖史著)を5日前に購入した。ついでに「標準韓国語辞典(韓日辞典)」(白帝社)も。3日で終わるなんてステキじゃないか!むかーしむかし「10日で弾けるギター入門」を買ってギターの練習した頃を思い出したが、ギターより一週間も短い(笑)。

買った日は読んでないので、翌日から3日といえば昨日だ。でも昨日は用事があって出かけていたのでサボってしまい本日が実質稼働日3日目にあたる。確かに終わったよ!カンタンなハングル文字なら読めるようになっちゃったよ。意味はわかんないけど(笑)。

ギターのときは10日で弾けたか覚えてないが、確かにスカボロ・フェアが弾けるようになった。アルフィーの坂崎幸之助さんが監修してただけのことはある入門MOOKだったのだが、このギター教本が大いに役立ったことは確かだ。

ハングル練習帳の著者である八田靖史さんもすばらしい講師だった。ハッタリのようなタイトルながら超楽しくハングル練習ができた。語学は苦手なワタクシですが、まさか語学の練習帳を読みながら声を出して笑う経験が出来るとは思ってもみなかったぞ。

なんと形容すればいいだろう。ブログ書いてる感覚で文章が書かれてるっつーか。とにかくノリが軽い(笑)。おちゃらけてる。そのノリは当ブログ「ひとくちメモ」の感性にどこか通じるものがあったのだ。

しかしたとえば練習問題はよく考えられていて、ハングルがずんずん頭に入ってくる。日本語にヒモ付けてはじめられるところがこの本の“目からウロコ”なところだと思った。頭に入るから面白がってやってると、いきなりお遊び感覚の問題や八田さんのぼやきみたいなコメントが(写真付きで)入っていたりして、問題が解けたうれしさにお遊びの笑いがミックスされ、楽しさ倍増なのだ。

●そしてハングルでハンドルネームを書こうとしたが

韓国語文法の95%は日本語と同じといわれる。もしそうならハングルさえ分かれば大方の文意は読み取れそうじゃないか。ボクの最初のとっかかりはそこだった。他の語学よりハードル低そう...。これだ!まずは読めるようになりたい。その後できれば書けるようになり、聞き取れるようになり、最終的にしゃべれるようになりたい。

とりあえず読めさえすればキムヨナの記事や発言などをネットで読めるじゃないか モチベーションがまさにそこにあるワタクシにとって、ハングルのハードルを下げてくれたこの練習帳はすばらしい教材だ。3日だよ3日!確かにハングルへの抵抗感がなくなってるよ。あいうえおはまらぱちゃ学習法で(笑)。

とりあえず日本語読みをそのまんまハングルに置き換えることは出来そうだと思い、まずは名前をハングルに置き換えようとやってみた。

だがしかし!

ポップンポールという名前(そっちかよ!)。

なんとも初級編じゃない感じの名前だったのだ。

いろいろ調べながら、おそらくこうじゃないかという2つに絞ったのがコレ↓

Cocolog_oekaki_2009_11_07_12_31

赤い文字がハングルで書いたポップンポール。いきなり激音も濃音もパッチムも長音まで含まれていそうなこのハンドル名に、目からウロコの練習帳を読んですら目まいがしそうだった。

まず下のほうから言うと、翻訳サイトで「ポップンポール」を翻訳して出てきた文字。確かに読みだけだと、「ぽぷんぽる」と読めそうだ。1文字目にどうしてパッチムの「人」がついてるのかはわかんない。あと韓国語では長音はなくてもいいらしい(書いてもいいらしい)。

上のほうは韓国語辞典でロックンロールやポップミュージックを引いて、そこから自分で考えた。読み方は「ぱぷんぽる」に近そう。またポップミュージックの「ポップ」だけだとこの「ぱぷんぽる」の1文字目が正しい。

もともとポップンポールは造語だし、プロフィール書いているようにロックンロールから一本とった勇者の名前だから(笑)、上の「ぱぷんぽる」が正しように感じてる。デザイン的には上に付く子音が3文字ともそろってる翻訳サイトの訳に惹かれる。

あるいはどっちも間違いって可能性もある。いったい正しいポップンポールはどう書くのだろう

誰か教えて!八田先生教えてぇー!가르쳐 주십시오!(読めない…カルチョ ジュシプシオかな?)

잘 부탁합니다 !チャル プタカムニダ!よろしくお願いします!

ちなみにボクのハワイアン・ネームはケオナ・ケアヒ(Keona Keahi)です。これも結構気に入ってる名前です。

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2009/11/03

50TAはシュルレアリストだ!

キムヨナを語ったら褒めてもらった。中島みゆきを語ったらテレビで語る機会をもらった。じゃぁこのノリで50TA(フィフティーエー)こと狩野英孝を語ったらどうなるのかの実験(笑)。

ちょうどいま、テレビ朝日3時間スペシャルで50TAの幕張メッセ5000人ライブをやってる。前回のスペシャルも面白かったが、今回さらにパワーアップした50TAの楽曲群。編曲の威力をまざまざと見せつけられるビッグビジネスの現場がそこにあった...。

あ、マーティ・フリードマンが出るとこだ!録画しなきゃ。

演奏終了した。いやー、いいっす。ヘビーメタルステーション!

50TAのあり様って、どっかで見たことあるなと思った。なんだろうとしばし考えて、ハタと気づいた。あ、これは21世紀のシュルレアリスムなんだ。そう結論を出した。

●シュルレアリスト-ゾクゾクするようなイバラの道-

シュルレアリスムというのはある種の芸術運動であり同時にアンチ芸術運動でもある。よく「シュールな笑い」などというが、えてして「シュールな笑い」というのは、そんなに面白くないお笑いのことを褒めざるを得ないシチュエーションで使われる。そんなものはシュールでもなんでもない。ただ面白くないお笑いだ。

だが50TAは笑える。笑えるのにシュール、シュルレアリスムの手続きを経て世に出てきているのであった。あの作詞作曲方法は、まさにシュルレアリスムのオートマティスム(自動記述)といわれる手法だ。

自動記述はアンドレ・ブルトンが編み出した手法とされる。ボクもやったことあるし、サルバドール・ダリの自動記述(の日本語訳)も残っている。50TAの場合は、その創作過程がすべてシュルレアリスムの“作品”として世に問われているのであった。自動記述の実践者、最前線にいるのだ。

映像作品として公開されているところは21世紀らしさだ。この作品のために5000人の人が動員され、ひとつの映像作品としてビッグビジネスのなかに提出される。そのシュールさに感動してしまうのだ。

シュルレアリスムの巨人、マルセル・デュシャンが展覧会に便器を展示した時代があった。人々はその意味(もしくは無意味)を受け入れることが出来ず、デュシャンの行為は非難轟々だったという。

もちろんその行動に反応するとんがったヤツらも多かったに違いなく、それは現代においてポップアートやターナー賞が存在可能となった歴史の1ページだったはずだ。そういう歴史を経てシュルレアリスムは大衆に拒否反応を得ることなく受け入れられ始める。もっともそうやって受け入れられることを望んだか否かは別問題だが...。

受け入れられることはつまり予定調和のワナに自らはまることにつながる。シュルレアリスムとは“やったもん勝ち”の創作活動だ。その作品を作ってしまった自分自身すら、その後の活動の足かせとなりえる。これは芸術家にとって茨の道以外の何者でもない。しかしそこを目指さざるを得ないのもまた芸術家の魂なのだ。

50TAの“作品”とは出来上がった楽曲のことでなく、オートマティスムというパフォーマンスを覗き見る行為そのもの、これこそがまさに現代のシュルレアリスム作品といえる。観衆はそこに熱狂しているのだし、テレビ局もそれを作品として放送している。隠しカメラで覗き見る行為、これもデュシャンの遺作を想起させるじゃないか

シュルレアリスティックな創作によって次々と作品を世に問う50TAプロジェクト。まだまだ未熟を絵に描いたような狩野の修行道とも重なっている。いまの狩野はまさにローリングストーン、転がる石のようだ。どこに転がっていくかまだ見えない。だがシュルレアリストの生きずらい予定調和が跋扈する現代において、存在感を押し込む席はあるような気がする。

...ま、こんなこと考えながら、鉄が好きーっ!とヘビーメタルステーションを叫んでみたりするのであった。

おっと、リアル・クローズが始まった。以上!

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矛盾を矛盾のままに書く

中島さんが紫綬褒章なんていただいちゃうもんだから、中島みゆきナイトの熱からまだ醒めない今日この頃です。語りつくせなかった想いなど、まだまだ書きたいことはあるのですが、あまり飛ばしすぎてもオンエアまでにバテそうなので閑話休題...って感じで軽く世界文学の話でも。中島みゆきさんの世界とも後半つながってますが()。

NHK教育テレビでやってたなかにし礼さんの「不滅の歌謡曲」が大変有意義だったことを前に書きました。毎週月曜早朝の再放送を録画してたわけですが、たまたま番組が終了して次の番組が録画されてました。それが「池澤夏樹の世界文学ワンダーランド」です。これがまたあまりに面白くて、思わずテキストを買って毎週録画を続けているんです。

池澤夏樹さん個人編集による「世界文学全集」の配本が始まったのは2007年秋でした。河出書房新社が創立120周年記念事業として池澤さんの感性で集められた「世界文学全集」です。そこにはいわゆる世界文学全集とはまったくことなる『世界文学』の世界が広がっていました。

21世紀に紙の文学全集の企画を通した出版社も英断だと思うけど、それを個人編集で受けた池澤さんもすごい。確かに説得力を持ってこの仕事が出来るのは池澤夏樹をおいて他にはない人選なわけですよね。そして選ばれた小説の独特なこと!こんなコンセプトの企画が通ったら、さぞかし気持ちいいだろうなぁ(笑)。

この番組では、全部を紹介するわけにはいきませんから7編を選んで池澤さん自らがなぜその小説(現代小説)が「世界文学」たるのかを道案内してくださいます。あぁ夢のような時間だねぇ。なんだか読んだ気になっちゃうよねぇ()。

テキストのはじめにのところに、池澤夏樹さんがものすごく深いことを書かれていました。

近代以降の世界文学は「国境や言語・民族を超えて普遍的な価値を持ちうる」という思想のもとに地理的にも拡大してゆき、異民族・異文化間の往来も激しくなったことで、「それまで書く側に立てなかった人たち」が文章で思いを表出させ始めたという背景があるそうです。

そしてここがもっとも感銘を受けたところなんですが、「抑えていた深い悲しみや喜びを表現するには小説にしたほうがいい」「なぜなら、小説は矛盾を矛盾のまま書くことができる」とおっしゃるのです。ほんとうに目から鱗とはこのことですわ。

そのような現代社会には、現代社会だからこそ生まれた現代小説があるってことですよね。植民地の独立や女性の社会進出の流れのなかで、ペンに思いを託した小説家たちがいる。現代に生きる我々が読むべき小説は現代にこそあるというひとつの視点で編まれた全集だというわけです。

●虚構から現実へ 同時代の当事者になる

小説をほとんど読まない時期がありました。虚構の世界に興味がなくなっていたといいましょうか。ノンフィクションの面白さに小説はかなわないとどっかで思ってた時期がありました。社会人になりたてのころとか特に()。現代に鋭く切り込むルポルタージュやノンフィクションこそがいま読むべきものだみたいな。

しかし矛盾を矛盾のままに書くということができるのは小説の持つ大きな力であると聞いて、ハッと思うわけです。虚構のなかに真実があるという中島みゆきの世界に通じるものを見つけてしまったわけです。

矛盾を矛盾のまま書く。そう書かざるを得ない苦悩こそが文学なのかもしれない。答えがあるなら小説にする必要はないのかもしれない。そんなものは「図解 60分でみるみるわかる楽しい生き方のヒ・ミ・ツ」なんてエセビジネス書にでもすればいい。

現代小説が矛盾を矛盾のままに書けば、読者はこの同時代のなかに存在する矛盾に気付かされ、いきなり当事者になってしまう。古典にはない現代文学と読者の新しい関係性が現代小説の中には存在している。虚構がいま生きている現実世界を照射する。そんな小説があるなら読んでみたいと思った。ノンフィクションを超える可能性がありそうじゃないか。

そして道案内が池澤夏樹さんだ。ボクはスイス旅行に行ったとき「真昼のプリニウス」を読んだ。偶然選んだ文庫本だった。そのときのことを「ジャムとサラミとトマトジュース」って文章にちょっとだけ書いた。ハワイに行ったときも「ハワイイ紀行」を読んでいた。ま、池澤ファンが聞いたら鼻で笑われる程度の読書量だけど、旅先で池澤夏樹さんの本を読むと、そこで何を見て何を感じるべきなのか自分で考えるようになるのだ。

旅と池澤夏樹との親和性は読んだ人なら皆知ってる。だからこそ現代の「世界文学」の旅もまた、池澤夏樹さんの道案内とともに歩んでみるのもいいかもしれないと思った。この番組で紹介された7冊だけでも...。

マイトレイ』(ミルチャ・エリアーデ)
サルガッソーの広い海』(ジーン・リース)
フライデーあるいは太平洋の冥界』(ミシェル・トゥルニエ)
戦争の悲しみ』(バオ・ニン)
老いぼれグリンゴ』(カルロス・フエンテス)
クーデタ』(ジョン・アップダイク)
アメリカの鳥』(メアリー・マッカーシー)

このなかで偏見を恐れずに(笑)中島みゆきファンにオススメするなら、『サルガッソーの広い海』ではないだろうか。

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2009/11/02

中島みゆきさん紫綬褒章受章!

いやー、ビッグニュースが届きましたね。昨日中島みゆきさんについて語ったと思ったらこのニュース。

番組に花を添えるなー。いや逆か()。BS熱中夜話中島みゆきナイトが受賞に花を添えられてればうれしいっすね。

中島さんのコメントは棚からボタ餅ならぬ、棚から本マグロ...。これも中島みゆきナイトでラジオ投稿が紹介された川崎のジャスミンさんの話とつながってるよ!

みゆきさんほんとにマグロ好きなんだな(笑)。

同じニュースで知ったのだけど、黄綬褒章では山口県周南市の板金工の国村次郎さんという方が受賞されてた。故郷では大きく報じられてるんだろうか?おめでとうございますぅー。いいなあ中島みゆきさんと同時受賞って。

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安達祐実さんと雑談した日

今日は、あ、もう昨日か。11月1日(日)の日記を書いとこう。たまには日記もいいよね。

BS熱中夜話中島みゆきナイトの収録に行ってまいりました。いやー疲れた(笑)。でもこんな体験は二度と出来ないと思うので楽しんできました。

中島みゆきさんについて言葉で語ることの難しさは重々承知してますがお祭りですから

それにしても壮観だったなぁ。中島みゆきファンの皆さま...。熱い!

これを2時間弱にまとめるのかぁ。大変だろうなぁ。

ボクはファンクラブにも入っておらず(昔はヤマハ・アーティストハーツメンバーでしたが)、中島みゆきバーの会員でもなく、30人という枠のなかではちょっと異質なファンだったかも...。

例えるなら安藤忠雄建築のなかにそっと挿入されたスリットのようなもの(わかりにく!)。

すばらしいコンクリート打ちっぱなしの安藤建築を公式ファンクラブの皆さまだとみなすなら、そこにまったく異質の私がスッと挿入されることで化学反応が起きてくれてたらうれしいです。光の教会のようにさー(>大きくでたな…)。

司会のビビる大木さん、田丸麻紀さんの進行も楽しかったです。ビビるさんはトレードマークの「こんばんみ」を中島みゆき夜会バージョンでやってくれたし(後ろのファン30人の要求きっついもん ^_^;)。田丸さんの「二隻の舟」の解釈は秀逸でした(そこはぜひオンエアしてほしい)。

ゲストも超オレ好み。なんつってもテレビドラマ好きのお笑い好きの音楽ライター好きですから。とくに安達祐実さんと並んで雑談したのは書き留めておこう(笑)。それが日記というものだ!

あの「同情するならカネをくれ!」といった同じ口から「ポップンポールさん」というお言葉を聞けるとはっ!くー!ドラマファンで良かったぁ。実際にお会いするとかわいいだけじゃなくて、吸い込まれそうな眼力をお持ちですなぁ。さらに夜会のVTRを見てのコメントもさすが女優さん。視点が違うよ。プロだなぁと思いました。

エド・はるみさんとは直接話せなかったけれど、番組終わりでものすごい決意表明されてたのでぜひ吉本の中島みゆきに期待したい。キム・ニールヤングや今田兄ぃやんのオススメ芸人(@やりすぎコージー)として登場した逸材なだけに、どんどん新しいことにチャレンジして欲しいです。崖から空へゆらりゆらりと飛び立ってください。

そして音楽ライターの田家秀樹さん。ひとくちメモでは前に小節吉田拓郎の記事でご紹介したこともあります。テレビカメラはぜんぜん緊張しなかったけれど、一番緊張したのは田家さんとの共演(?)でした。まさか田家さんの前で妄想的自説を展開する日が来るとは

そして他の中島みゆきファンの皆さま。ほんとに愛してますねぇ。特にラジオの中島みゆきさんのリスナーだった方々の熱さに、ラジオってメディアの持つ可能性みたいなものを感じました。21世紀になってもラジオファンってのは筋金入りですからねぇ。

第一夜はまさに熱中して夜話できました(昼から...)。正直、第二夜はほとんど語れずに皆さんのご意見ご感想お妄想を「ほほー!」と目からウロコ状態で聞かせていただきました次第...。どこまで私の妄想が使われるかわかりませんが、ご覧いただけたらと思います。11月20日と27日の夜8時からBS2で放映です。BS見れなくてもNHKオンデマンドって手もありますから!

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